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           九州・民俗仮面と祭りへの旅
                <十>
              米良の宿神

[1]星巡りの夜と精霊神                    

 夏の星座が、古い窓枠に縁取られた硝子窓の一つ一つにめ込まれていた。私は板張りの床に寝て、それを見つめ続けていた。時間が経つにつれ、星座はゆっくりと移動し、硝子窓の絵模様は、変転した。時々、流星があざやかな軌跡を描いて消えた。星明かりが室内に差し込んできて、床に反射し、幽かな光を壁面に届けた。その明かりに、壁に掛けられた仮面が照らされた。仮面たちはあたかも「夢幻能」の一場面のように、精霊神としてそこに出現し、彼らの数奇な過去を語るかのようであった。

 2003年8月、私は、西都市尾八重(おはえ)地区にある「椿一番館ギャラリー」で「九州の民俗仮面展」を開催し、その会場に泊まり込んで一週間を過ごした。古い民家を改造したギャラリーに展示された80点の仮面たちと山中の夜を共にし、満天の星空を見ながら寝たのである。この年、東京・駒場の「日本民藝館」で、念願の「九州の民俗仮面展」が開催されることが決定していた。20年余りの歳月をかけて収集した仮面たちが、ようやく晴れの舞台に立つことになったわけだが、私は、出発前に九州の山の神様に挨拶をしていこう、という気持ちで、地元での連続企画を行ったのである。その一つが、このギャラリーでの展示であった。九州の民俗仮面とは、深い山に囲まれた村や海辺の神社などに伝えられていた土地神たちであった。

 尾八重地区は、一ツ瀬川の支流・尾八重川の源流部に位置する山岳の村である。標高600メートル〜900メートルの山々に抱かれて集落が点在する。東は中之又地区、西は打越地区を経て銀鏡(しろみ)地区に隣接し、かつて秘境米良荘と呼ばれた旧・東米良のほぼ中心部にあたる。峠に立つと、米良山系の重畳と重なる山脈を一望することができる。村の中心部に尾八重神社があり、40数戸の民家がある。中世の山城を中核として形成された集落は、晩冬から初春へかけて南北朝の落人伝説を秘める「有楽(うらく)椿」に彩られ、美しいたたずまいを今に残すが、そこに住む人は20戸に満たず、淋しい。「椿一番館ギャラリー」は、この尾八重地区の活性化を目的として開館したのである。
 尾八重神社は、米良系神楽の「尾八重神楽」を伝える。神社は永正八年(1512)尾八重領主黒木吉英の創建と伝えられ、大山祇命を主祭神とする。神楽は、保安二年(1121)同地湯の片地区の壱岐宇多守が伝えたとされる。南北朝時代、幕府軍との戦いに敗れた南朝の皇子懐良親王(かねながしんのう)が米良に入山し、随従してきた都の舞人が西米良の村所に神楽を伝え、それが銀鏡を経由して伝わったという説もあり、舞い振りや演目などに共通点も多い。王朝の優美さと修験の影響を強く残すスピード感あふれる演舞で構成される。
 神楽は、夕刻、神社に隣接する旧・尾八重小学校の校庭に設えられた御神屋で始まる。清澄な神迎えの舞「しめ上」「清山」、土地の霊を鎮め、神の降臨を寿ぐ「地割」「幣差」などの後、壱岐宇多守の少年時代を表すと伝えられる仮面舞「花鬼神」(少年の舞)に続き、いよいよ謎の神「宿神」が登場する。神域は、すでに深い闇に包まれ、御神屋の北方には、北斗七星がかかっている。

[2]謎の仮面神に会う旅 

 大ぶりの仮面である。口を「」の字に固く結んでいる。額には、一本の小さな角がある。目に嵌め込まれた銅版は、かつては金色に輝いていたものと思われる。剥落が進んではいるが、そのために赤黒い漆の色は渋い深みを増し、仮面に一層の重量感を与えている。
 巨大なビル群に囲まれた都会のギャラリーの壁面で、仮面は鋭い眼光を放ち、都市空間を睥睨していた。それが、九州の山深い里から、東京という異空間へと進出してきたことによるとまどいなのか、あるいは、そのような状況にある自らの境遇に対する怒りの表情なのかは、読み取ることはできなかった。
 旧知のコレクターの家で、この仮面が古びた箱から取り出された時、部屋には、相客がいた。田舎の民家や寺社などを回り、古い資料や古美術品などを掘り出してくる「買出し人」と呼ばれる凄腕の古美術商であった。彼は、横目でその面をちらりと見ただけで、
「米良の宿神だな・・・」
 と呟いた。どこにその根拠があるかはわからなかったが、所有者が否定も肯定もしない曖昧な態度で頷いたので、それが見当外れの指摘ではないということがわかった。私も深く追求することはやめて、仮面を受け取った。2004年10月、東京・京橋のギャラリー「アートスペース繭」で開催される「九州の仮面と神像」をテーマとした企画展に出品される予定のものであった。

その仮面は、展覧会初日に予約の札がついた。が、最終日を過ぎ、三ヶ月が経過しても、その買い手は現れなかった。しかも、住所や電話番号などは変更され、一切の手がかりが消えていたのである。現地の事情を熟知する買出し人によって「宿神」と断定された仮面は、都会への旅を終えて再び九州へと帰ってきた。

米良山系の神楽に登場する「宿神」を、私はすでに数例、実見している。しかしながら、「土地神」「荒神」「星宿神」「翁」など、重層的な相貌を見せるこの不思議な神の実像を考察する機会はなく、いつも先送りの課題となっていた。ところが、この一点の仮面との出会いがきっかけとなり、次々に資料が集まってきた。米良の宿神は、神秘の森の奥へと続く門を、少しだけ開いてくれたのである。
 前項でふれた尾八重神楽の「宿神」は、尾八重・湯の片神社の祭神で、宇佐信仰、岩清水八幡信仰との混交、北部九州・英彦山修験との関連も示唆されている。法螺貝の音とともに現れ、御神屋中央の天蓋の下に敷かれた一枚の上で、重厚な舞を舞う。尾八重地区の東隣に中之又地区があり、狩猟神「鹿倉様」が登場する中之又神楽を伝える。中之又神楽の「宿神」は、中之又鎮守神社の神主が、尾八重神楽の宿神同様、筵一枚の上で厳かに舞う。尾八重地区の西隣に打越地区がある。天狗嶽を中心とした険しい山岳が聳え、修験の事跡を多く伝える。地区の中心地に「宿神社」があり、神楽の折に「宿神」が出る。黒地に赤の漆を塗り重ねた重厚な仮面である。前述の東京帰りの仮面は、尾八重、中之又、打越の宿神と類似の造型を示すが、今のところ、関連を示す資料はない。
 
[3]眠りから覚めた神々 

「宿神」については、日本民俗学の創始者・柳田国男が「石神問答」でその存在を世に問うた。明治四十年代(1900年代前半)のことである。柳田は、武蔵野を散策していて、「シャグジ」という神とも精霊ともつかない名をもつ祠の存在に気づいた。それは、「石神」「社宮司」「杓子神」「将軍神」「宿の神」「宿神」などと呼ばれる不思議な神々であった。柳田は、各地の研究者や学者などに問い合わせの手紙を出し、その返信を分析し、文献資料を駆使して、その分布地のひろがりと歴史的奥行とを探索してゆく。

 柳田の考察では、シャグジすなわち宿神とは、武蔵野や中部山岳地帯、諏訪信仰圏などを中心とする東日本に分布する「列島古層の神=精霊としての石神」と、近畿地方を中心とした西日本に分布する「被差別民・芸能民の祖先神=翁」とに分類されてゆく。さらに柳田は、その二面性をもつ不思議な神の正体を、「道祖神・の神・猿田彦」に類する境界神である、という見解から、「毛坊主考」へと筆を進め、「毛坊主」「日知里(ひじり)」「(ひじり)」などと呼ばれた遊行僧の存在とその起源を解き明かしながら、「」という特殊集落の発生とその「境界=周縁部」を漂泊した被差別民の存在を示し、彼らの氏神である「守宮神(しゅぐうじん)」=「宿神」について論考したのである。
 その後、宿神に関する研究はさまざまな進展をみせている。
 折口信夫の「翁の発生」(「民俗芸術」第1巻 第1・3号/1928)では、神と人間の間の精霊としての常世(とこよ)神、マレビト(来訪神)としての山神・海神などの存在を述べながら、能楽の原型としての猿楽にふれ、、もどき芸をおこなう黒い翁「黒式尉」の存在などをあきらかにして、宿神との関連を示唆している。

 「奇跡の書」とも形容される金春禅竹明宿集」は、1964年、金春家当主・金春信高氏が蔵書の整理をしていて発見、表章氏によって禅竹の直筆による伝書であることが確認された。禅竹は世阿弥の娘婿で、能楽の古流とされる大和猿楽四座のなかでも最古の歴史と伝承をもつ「円満井座」の座主であった。この書には、『「宿神」とは「翁」であり、天体の中心である「北極星」である』という内容のことが書かれていたのである。
 服部幸雄は、「宿神論」(「文学」/1974〜75)で、天台宗常行堂のに祀られる摩多羅神の存在をふまえ、大和の猿楽者が翁面を「宿神」として祀った事例に言及する。後戸とは、密教寺院の「金堂」「常行堂」などの後方にある空間のことで、そこで呪師猿楽の徒が、翁舞を舞ったのである。この呪師猿楽・翁舞が後の観阿弥・世阿弥父子による能楽の大成へとつながってゆく。
「明宿集」の発見と服部幸雄の「宿神論」によって、「宿神」を巡る考察は、大きく進展した。柳田国男によって深い縄文の地底から掘り出された「宿神」は、長い眠りから目覚め、我々の目の前にその姿を現したのである。

米良山系の神楽に登場する土地神、荒神、宿神などもそれらの古層の神につながる自然神であろう。


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