九州神楽紀行
[宮崎の春神楽を見る]

二月、旧正月が明ける頃、宮崎の「夜神楽」が終わり、「春神楽」の季節となります。
これは、「夜神楽」が、旧暦霜月(11月)の祭りで、太陽神復活を願う祭りと豊作を祝う収穫祭に狩猟儀礼が混交したもので、
「春神楽」は、秋の豊作を祈願する農耕儀礼と大漁を祈願する海神の祭りなどが混交したものであるからです。夜神楽は、九州脊梁山地を中心とした山地に多く分布し、春神楽は、宮崎平野や西都・高鍋地区の平野部や日南海岸沿いの海辺の集落に点在します。夜を徹して上演される、きりりと厳しい夜神楽こそ究極の神楽の楽しみといえますが、黒潮の響きを聞き、梅の香に春の息吹を感じながら見るのびやかな春神楽もまた心地よいものです。
以下に高見の今季の春神楽取材・鑑賞の日程を記します。現地合流歓迎です。
[2012年・春神楽取材スケジュール]
潮嶽神楽
2月11日(土曜) 午前9時30分頃〜午後3時頃
日南市北郷町潮嶽神社 TEL0987−55−3252
全国で唯一、「海幸彦」を主祭神とする潮嶽神社。記紀神話が伝える海幸彦の物語には後日談がある。山幸彦との戦いに敗れた海幸彦は、漂流の果てに潮嶽(現在の日南市北郷町北河内)に漂着し、晩年をこの地で過ごしたというのである。土地の人々は、この地で没した海幸彦を手厚く祀った。それが潮嶽神社である。潮嶽神楽は、この潮嶽神社に伝わる。春の気配が里に満ちる二月初旬の午前十時ごろ始まる「春神楽」である。拝殿には、十数頭の猪の頭が供えられており、古式の巫女舞が奉納された後、境内に設えられた舞庭(御神屋)に舞い人たちが出て、賑やかに神楽が始まるのである。
 
 
生目神楽
3月17日(土) 午後1時より神事〜午後11時頃まで
宮崎市生目 生目神社 TEL0985−47−8272
「目の神様」として親しまれる生目神社だが、この生目神社に伝わる生目神楽には、「神武」という演目がある。「方社」「稲荷山」「金山」「里人」「陰陽」「神武」などが出る一連の演目である。今年はこの演目に注目したい。生目神社周辺には生目古墳群があり、その東端は宮崎神宮辺りに達している。宮崎神宮は神武が始めて政務を行なったと伝えられる地点に近い。はたして神楽の「神武」と神武伝承が関連しているのかどうか。さらに生目神社に伝わる鎌倉時代の年号入りの仮面と神楽の関連は如何に。
 
 
船引神楽
3月20日(火曜・春分の日)
宮崎市清武町 船引神社 TEL0985−85−1628
江戸時代初期には既に独立した「船引神楽」として定着したと伝えられる。神社の境内に華やかに御神屋が設えられ、勇壮な鬼神舞、めご面が天地陰陽の法則を説く「めご舞」、「杵舞」などがあり、作祈祷神楽すなわち春神楽の代表的な神楽である。
 
宮浦神楽
4月 日程調査中
日南市宮浦 宮浦神社
その他、日南市榎原神楽、日之影神楽祭り、日之影町石垣の村戸川棚田祭り、大分県佐伯市蒲江神楽など日程調査中です。
2011−2012
宮崎の夜神楽を訪ねる旅
*今季の全日程を終了しました

遠い山から、風に乗って神楽笛の音が響いてきました。宮崎に、神楽の季節が巡ってきたのです。
九州・宮崎の神楽は、記紀神話・天孫降臨伝承を骨格とし、五穀豊穣・狩りの豊猟に感謝し、来る年の豊作を願う集落の祭りに土地神の祭祀が習合したものです。神楽は、集落に鎮座する神社での神事のあと、神々が神楽宿(民家)に舞い入り、夜を徹して33番の神楽が舞われます。神楽歌が歌われ、古格を保った仮面神が次々と登場します。この企画は仮面文化の十字路ともいわれ、多くの仮面を伝える神楽の現場を、長年仮面の収集研究と神楽探訪を続けている九州民俗仮面美術館館長・高見乾司がご案内し、伝承者の皆さんや地域の人と交流するフィールドワークです。昨シーズンは、高見は28座の神楽を見て、神楽の絵を描きました。収穫の多いシーズンでしたがさすがにオーバーワーク気味で、足を傷めました。そのため今季は少し控えめなスケジュールとなっています。同行ご希望の方は下記を確認の上、お申し込み下さい。

2011−2012
今季の主な取材とフィールドワークのスケジュール
11月22日 高千穂・上野神楽
11月26日 高千穂・秋元神楽
12月3日 椎葉・嶽之枝尾神楽
または不土野神楽
12月10日 西米良・小川神楽
12月17日 西米良・村所神楽
12月24日 椎葉・尾手納神楽または夜狩内神楽
2012年
1月
7日 高千穂・河内神楽(未定)
1月21日 高鍋神楽(日程未定)
1月28日 諸塚・戸下神楽
2月4日 諸塚・南川神楽
□行程(概略)
1日目 AM11:40分頃 宮崎空港またはJR日豊本線高鍋駅にお出迎え→
持田古墳群・西都原古墳群のいずれかを見学後、九州民俗仮面美術館へ
→同館で昼食(猪鍋、鹿肉シチューなど)と神楽レクチャー→宿泊先へ
2日目
AM8:30分出発→現地の神社に参拝、集落の散策などの後昼食、
PM3:00頃より夜神楽鑑賞
3日目 AM10:00夜神楽終了→現地の温泉でゆっくり過ごした後昼食
→最寄のJR駅または空港へ
□
旅行費用について
◇ 参加費 お一人様10000円(フィールドワーク受講料)
◇
旅費・宿泊費 各自手配をお願いします。全日空等の「ホテルパック」で予約しますと、
ホテル一泊付き往復28000円前後(季節により変動)で購入できます。
◇
レンタカー借用料 参加者により割り勘方式とします。
参加人数により費用が変わります(お一人様6000円〜10000円程度)。
◇
諸費用 各自現地精算とします。
*ご神前お一人1000円〜3000円(任意)*食事代2泊3日5食分10000円前後
*この企画は、「九州民俗仮面美術館」のフィールドワークとして実行します。
したがって通常の旅行代理店等の旅行企画とは違います。レンタカー使用の
場合はレンタカー保険をかけてありますが、各自任意の旅行保険をかけてお
いていただくと安心です。
*九州各地・宮崎県内の方で、ご自分の車等で現地合流できる方は、
参加費等は無料です。お気軽に現地で声をお掛け下さい。
・主催/連絡先 九州民俗仮面美術館 宮崎県西都市穂北5248−13
高見乾司(電話)0983−41−1281
(携帯電話)090−5319−4167
|
女性の舞人が優雅に舞う神楽
高鍋町愛宕神社の日向高鍋神楽<1>
 
日向灘・太平洋の潮音を間近に聴くJR日豊本線高鍋駅を背に、西へと真直ぐに伸びる道は、高鍋町内を突っ切り、茶臼原台地を貫いて、米良の山脈へと続いている。この東西に伸びる道と、南の宮崎・新富方面から木城・尾鈴方面へと抜ける旧道が交わる交差点の上方に、高鍋・愛宕神社がある。茶臼原台地と高鍋町内の境に当たるこの愛宕神社下の交差点は、買い物や所用などで私は週に二、三度は、通過する場所だが、鳥居から神社へと続く参道に祭りの開催を示す幟幡が立ち並ぶと、その界隈一帯が日常とは異なる空間に見え、
―今年はどんな舞が披露されるのだろう・・
―あの演目は、誰が、演じるのだろう・・・
などと、椎葉や高千穂など、遠くの村で開催される神楽に出かける時とはやや違った関心で心が騒ぐのである。
高鍋神楽が奉納される「六社連合大神事」は、今年は、この愛宕神社で開催された。
六社連合大神事とは、高鍋町の愛宕神社、八坂神社、木城町の比木神社、川南町の平田神社、白髭神社、新富町の八幡神社の児湯郡内の近郷六社が毎年回り持ちで開催する神事で、高鍋神楽を核に、各神社の神職やその地の神楽座の舞人が、その神社に伝わる神楽や演目を奉納するのである。
今年は、神事の後、高鍋神楽と新富町の三納代神楽が奉納された。
高鍋神楽は、「日向高鍋神楽」の名称で県の無形民俗文化財に指定されている。その起源は、奈良時代に始まったという伝承を持ち、旧・高鍋藩の庇護のもとに伝えられた。1300年前からこの地で神楽が舞われていたという説には種々の論議があるだろうが、高鍋神楽が奉納される比木神社の境内からは1300年前の考古遺物(鏃)が出土しているといい、比木神社から出発して美郷町南郷区御門神社へと向かう神事「師走祭り」では御門神社の境内で高鍋神楽が奉納され、同神社には正倉院御物と同時代の祭器が伝わっていることから、まったく根拠のない伝承と切り捨てるわけにはいかない。神楽の起源と伝承、地名、神社の由緒、考古資料、神話等の関連を冷静に読み解き、深く掘り下げることで、新たな発見や新解釈が生まれ、「神楽」の実像が構築されると私は信じている。神楽探訪の旅は、古代史と地域史・芸能史・仮面史などが交錯する空間を逍遥する悠遠の旅である。 |
 
神楽は境内も参道も夜の闇に包まれた午後八時から始まった。神事に続き、「一番舞」では、烏帽子に狩衣の舞人が、右手に鈴、左手に扇を採って清雅に舞った。深く腰を沈め、次に舞い上がるように扇を高く振り、翻す所作が美しい。場を清め、神を招く舞である。続いて「花の手舞」では二人の女性の舞人が、純白の装束で頭に御幣を小さく刻んだ「ツマドリ」を付けて清澄な舞を舞う。前半は鈴と扇を採って舞い、後半では餅を載せた四方盆の周りで榊を口にくわえて舞い、それを四方に蒔き、さらに朱の四方盆に載せられた餅を蒔いた後、盆を持って舞う。宮中の巫女舞あるいは稚児の舞の系譜と伝えられる「花の舞」である。続く「振揚舞」では黒木朝日君(6才)が、二本の剣(模擬刀である)を採り、見事に舞って、拍手喝采を浴びた。この三番が米良山系の神楽の「清山」「花の舞」「地割」と続く「式三番」に相当する神事舞である。
続く「大神(だいじん)」という演目では、鬼神面の「方社(法者か?)」優美な女面の「稲荷山」黒い鬼神系の翁面野上「里人」、黒い鬼神面の「陰陽」、黒い道化面の「神武」が連続して出る。全体では、「岩戸」の縁起を語るが、「稲荷山」の性格と岩戸縁起は関連しそうになく、方社と里人の問答の内容も不明である。しかも天照大神と神武は時代的にズレがある。この演目は、大変説明しにくいが、新富町の三納代神楽伝わる演目であるということと、宮崎市・生目神楽の「神武」と演目が共通することをみれば、宮崎平野部から新富町辺りにかけて分布する「神武神楽」の系譜に属するということが理解できる。生目神楽の「神武」は前記「大神」とほぼ同様の演目であり、神武天皇の国造りの様子を伝える神楽であると考えられる。今年の生目神楽を見た上で再考することとしたい。 |

| 神楽中盤で、女性の舞人が「舞揚(まいあげ)」、「敏伐(びんぎり)」という二つの演目を舞った。舞揚は黒い烏帽子を被り、紅緋(べにひ)の狩衣を着て右手に鈴、左手に大幣を持って舞う優美な神楽である。紅緋とは、古代、鬱金または黄蘗の黄色に紅花の赤を染め重ねた黄みの赤をいう。女官の古式の緋袴の色である。「敏伐」の意味や由来は不明。女性二人が白装束で舞う。「一番舞」や「花の手舞」「舞揚」などと同様の所作が繰り返される神事舞のようである。「花の手舞」を舞ったのは、宇田須久美さん(22才)と川口歩さん(18才)、「舞揚」が黒木望さん(23才)、「敏伐」が宇田須さんと黒木さんという若くて美しい女性たちであったから、ことさら優美で美しい神楽となった。 |
 
女性の舞人が舞う神楽と「女面」の源流
高鍋町日向高鍋神楽<2>
 
高鍋町愛宕神社「日向高鍋神楽」の女性の舞人が舞う神楽を見ていて、私は
―古代の神楽とはこのようなものだったのではないか・・・
と思ったものだ。
高鍋神楽では、早くから女性の舞人を受け入れており、この夜、神楽座の一員として優美な舞を舞った三人の女性も、子供の頃から神楽を習い、参加していたということで、違和感なく、座員の一人としてふるまっていた。
彼女たちが舞った神楽は、前述したように「花の手舞」「舞揚」「敏伐」という三番で、いずれも神事性のつよい演目であった。
古代、女性は神の声を聞き、託宣を行なうシャーマンであった。邪馬台国の女王・卑弥呼は「鬼道を行なう」と記されることから、「大和王権=日本国」樹立以前の、先住の女王と解釈される。弥生時代末期から古墳時代前期(2世紀後半から3世紀前半へかけての時代だと比定される)には、大規模な民族流入と新国家の樹立、祭祀形態の転換等があったと考えられているが、その新国家樹立の過程で、先住の女王と渡来の「大王」との結婚が進んでゆく。瓊瓊杵尊と木花咲邪馬媛の出会いや、素戔男尊と櫛稲田姫の結婚などがその代表例であろう。その後、先住の女王は大王(天皇)の側で託宣を行なうシャーマンとなり、時代が下がるにつれ白拍子、曲舞等の芸能者へと変容してゆく。女歌舞伎や遊女等もその変転した姿であった。
古代の女性シャーマンが舞った神楽の残存形として「巫女舞」が考えられる。私が見た巫女舞は、福岡市志賀島志賀神社の八乙女舞、大分県中津市古要神社の古要舞に出る人形劇としての巫女舞、長崎県島原半島に残る巫女舞、日南市北郷町潮嶽神社の古式の巫女舞などで、その数は少ない。
|

潮嶽神楽の巫女舞
天鈿女命は「岩戸」の前で神がかりして舞い、「天照大神の出現=太陽の再生」を促した。天鈿女命はこの故事により「神楽の祖」となり、宮廷の祭事を司る「猿女君」となった。天鈿女命は天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に随従した五神の一神であると伝えられることから、「天孫族=大和王権」に付随する神事・儀礼を行うシャーマンであったと考えられる。
神楽では、男性の舞人が女物の装束を着け、女面をつけて天鈿女命の舞を舞う。
米良山系から宮崎平野を経て霧島山系の神楽に至る広範囲に「神和(かんなぎ)」が分布する。これは、呪術的な女面の舞である。その演目名から、宮中で舞われた「御巫(みかんなぎ)」の系譜に連なる神事芸能であると考えることができる。このことは、天鈿女命から猿女君へと引き継がれた女性シャーマンの神事芸が、いつのころか、男性の舞人が女面をつけて舞う芸態へと転換したことを物語る。
女性シャーマンから男性の神職へ、女性の舞人の舞から女面の舞へという祭祀・演劇形態の転換は、民族の渡来による政権の交代、古来の山岳宗教と道教・修験道と仏教の習合など種々の要因が考えられるが、それがいつの時代のことなのかはまだ研究が進んでいない。芸能史・仮面史における、「女面」の発生という未解明の分野である。
高鍋神楽の女性の舞人による美しい神楽を見ながら、私は古代の女性シャーマンの儀礼から女面の源流へという難題に思いを馳せた。宮崎の神楽では、女性が神楽に参加することを厳しく制限されている例が多いが、神楽の伝承や神楽を核とした地域再生の取り組みなどと関連させて考えるならば、今後、研究と論議を重ねる課題でもあろう。 |
 
写真は当夜奉納された「神和(かんなぎ)」の舞。男性の舞人が女面をつけて舞う呪術的な神楽である。前述の宮中の「御巫(みかんなぎ)」の系譜に連なると思われるこの芸態は、米良山系から宮崎平野、そして霧島山系の神楽にまで分布がみられる。
これも、今後、注目し続けたい演目である。 |
|
椎葉・不土野神楽の「山の神面」に出会った
2011年12月 椎葉村不土野神楽にて
(今季の神楽紀行の収穫です)
椎葉の山脈は、紅葉に彩られていた。奥地に向かうにつれ、その紅葉も盛りを過ぎ、折からの強風を受けて大量の落ち葉となり、舞い散っていた。そして、舞い落ちた葉は、山道の脇や大樹の根方などに堆積し、晩秋の山路を渋い茶褐色に装飾していた。その落ち葉を集め、大きな袋に入れて持ち帰る人がいた。山深い椎葉の村では、その葉を山畑の脇に積み上げておき、腐葉土を拵えて肥料とするのである。ここは、古い時代の日本の山村の民俗を今に残す村である。
不土野地区は、椎葉村の中心地・上椎葉から椎葉ダム湖の右岸に沿う道を車で40分ほど遡り、さらに不土野橋の分岐点から不土野川に沿って20分ほど遡上した地点にある。この道は、五家荘から湯前を経て人吉へと越える峠へと続いている。道の真下から、渓流の水音が聞こえる。夏にはヤマメを追って釣り人が分け入る谷である。不土野集落の間近まで来たと思える地点で、山から下ってきた狩人たちに出会った。100キロを越えると思われる大きな猪を仕留めていた。軽トラックの荷台に積まれた獲物は、完全にとどめを刺されていないと見え、私たちが通り過ぎる時、びくりとひと暴れした。 |

不土野神楽は、この不土野地区の氏神を祀る不土野神社の祭りである。
毎年、十二月の第一土曜の夜から翌朝にかけて開催される。不土野地区には上組、坂本組、中組、下組の四集落があり、神楽は組廻しで開催される。民家(近年では公民館、地区の集会所等で開催されることが多い)の床の間のある一室に注連を張って御神屋とし、御神屋の正面に榊柴で祭壇を作る。これが高天原である。高天原には種籾の入った俵に榊の枝5本を立て、浄の御幣4本、水神幣1本、荒神幣1本が立てられる。神楽は、この御神屋で舞われるのである。古くは御神屋中央の天井に浄の幣、立杵、猪の肉を吊るし、四方に注連を張ったというが、現在は省略されている。
神楽は長い唱教から始まる。唱教が終わると、刀を持って舞う「一神楽」がある。一神楽が終わると、長膳が出され、直会となる。この間、弓神楽「森」が舞い続けられている。弓神楽の終盤で子供を抱いて弓を潜る「弓通し」がある。「森」が終わると「しょうごん殿」がある。「一神楽」、「森」「しょうごん殿」は椎葉神楽の重要な番付で、神楽中盤に演じられる例が多いが、不土野では序盤に演じられる。「しょうごん殿」では太夫(たゆう)が扮するしょうごん殿と村人の問答により、太夫がお宝(ここでは甘酒)を渡す。椎葉神楽の太夫とは、神主に相当する人で、地区のシャーマン的性格を持つ。村人は、しょうごん殿に対して、今年の村の出来事や世相を語り、反省の弁を述べ、また来年の抱負などを語って、お宝を貰おうとするが、しょうごん殿はなかなかお宝を渡そうとしない。何人かが交代し、しょうごん殿が納得すると、お宝が渡され、村人の喜びの舞となるのである。しょうごん殿は、諸塚神楽の「荒神問答」に類似する。荒神やしょうごん殿は、大いなる自然神であり、村の守護神である。
この間、客席では、山里料理がふるまわれ、焼酎が注がれて、直会と宴会と同窓会とが合同で行われているような状況となる。まさに神と人との交歓の場である。 |

写真左/しょうごん殿と問答をする村人
写真右/しょうごん殿からお宝を貰う村人
神楽が中盤を過ぎると、仮面の神が次々と降臨する。最初に現れるのは、「おんたけおんぬしの面」と呼ばれる鬼神面をつけた神である。「御嶽御主の面」と書くのだろうか。だとすれば、まずは不土野の地主神=氏神の登場である。御幣と扇を持った先導の舞人「つれ舞」が大きく跳躍しながら舞い、鬼神が現れて、厳かに舞うのである。
その後、仮面をつけない「直面(ひためん)」の舞を挟みながら、「荒神」と思われる黒い皺の刻まれた仮面神、「にょしょう面」と呼ばれる女面の神、鬼神面の「柴引」、「手力男命」などが出る。黒い荒神面は皺が深く刻まれ、顎がぐいと前にせり出し、舌をべろりと出した異相の神である。にょしょう面の舞は、米良山系から宮崎平野部、霧島山系の神楽にまで分布をみせる「神和(かんなぎ)」と同様の舞ぶりである。手力男命と思われる「鬼神」は、上下の巨大な牙が交差した迫力満点の仮面神である。椎葉神楽では、全域に共通する傾向として、「岩戸」関連の演目はあるかなきかのごとき扱いであり、手力男命なども土地神と見分けがつかないほどである。唯一出る女面も前述のような「にょしょう面」と呼ばれ、天照大神か天鈿女命かあるいは山の女神か見分けがつかない。政権から最も遠いこの地では、国家統一をなし遂げた大和の祖神もその性格が薄れ、土地神と同化しながら祀られてきたものであろう。
|

写真左/おんたけおんぬしの面
写真右/黒い鬼神面(荒神と思われる)

写真左/にょしょう面
写真右/鬼神面(手力男命と思われる)
| そして夜明け近い時刻、いよいよ豪快な「山の神」が出る。濃赤褐色の大型の仮面をつけた神である。額と頬に皺が刻まれ、黒々と太い眉は両の額の最上部にまで吊り上っており、その下に金色の三角の眼が光っている。口は、前面は閉じられているがその両脇が開いているから、憤怒の相を表す。なにより、巨大な鼻が怪異である。顔の三分の一ほどもあるかというその鼻には縦皺が走っており、その先端は幅広く垂れ下がって、なおも、ぐい、と唇の上まで曲がり落ちる。この恐ろしげな容貌で、左手に榊の大枝、右手に鈴を持ち、悠然と現れて、反閇(へんばい)を踏みながら舞う。そしてさらに深く沈み、高く跳躍して、舞う。迫力満点のこの舞を村人は敬虔な面持ちで見つめ、手を合わせて拝む人もいる。この山の神こそ、深い森と山岳に抱かれた椎葉の人々が信仰し続け、ともに生き続けてきた神であろう。 |
不土野神楽の「山の神」
私は各地の神楽を訪ね、山の暮らしと狩猟の民俗、山の神信仰などをテーマとして取材を続けてきた。山の神の鹿狩りの様子を現すといわれる椎葉神楽の「弓の舞」、舞人が猟銃を担いで舞うこともある高千穂神楽の「山森」、米良山系の神楽に分布する猪狩りの民俗「シシトギリ」と「猪荒神」、米良山系中之又神楽の鹿狩りの神の舞「鹿倉様」等々が、狩猟と山の神信仰を物語る神楽である。これらの神楽を訪ね歩き、20年以上の年月を経て、私はやっとこの不土野神楽で、初めて「山の神」という演目と「山の神面」を見ることができたのである。
この他に類例をみない山の神面こそ、山と森の精霊神であり、山の神信仰を眼前に具現してみせる仮面神であった。不土野神楽の山の神面を起点として、また新たな考察を加える旅が始まることを予感して、私は不土野を後にした。黒々とした椎葉の山脈を朝日が照らし始めていた。 |

|
九州民俗仮面美術館/民俗フィールドワーク
九州神楽紀行
2010年-2011年は
高千穂神楽紀行
として実行しました。

300を越える神楽が伝承されている宮崎県・九州脊梁山地は、
民俗学、仮面研究の絶好のフィールドであり、現代アートや演劇の原点
ともいえる数々の装飾、装置、習俗なども残っています。
2010年は「高千穂・秋元エコミュージアム」と「高千穂町観光協会」
と連携し、20座を伝える「高千穂神楽」の全貌を見る企画としました。
現地の日程確定を確認しながら、多彩な企画を組みます。
詳細は10月初旬に決定します。
宮崎空港に集合し、現地へ向かう前に「西都原古墳群」や
「九州民俗仮面美術館」などを訪ね、ゆっくりと過ごしたり、
日向神話、神楽や仮面に関する情報を交換するスケジュール
も盛り込まれています。参加ご希望の方は下記スケジュール、
参加要綱等をご覧の上、お問い合わせ下さい。
|
□高千穂・秋元神楽
―山深い里に舞い継がれる高千穂神楽の逸品―
 


椎葉・嶽之枝尾神楽
宮崎県椎葉村は、村の総面積の90パーセントを山林が占める森の国です。
椎葉神楽は平家の落人が伝えたという伝承をもち、狩猟・焼畑の民俗と修験道などが混交しながら古い形態を残す神楽です。 嶽之枝尾神楽は「宿借り」「注連引き鬼神」などという独特の演目を持ち、
柳田国男が滞在した民家または嶽之枝尾神社で夜を徹して三十三番の神楽が舞われます。
美しい神楽セリ歌が歌われ、土地の神々が次々と登場します。
 
 
西米良・村所神
  

宮崎県西米良村・村所地区は、西都市から北上する道、東方の山脈を越えて椎葉へと向かう道、西は熊本県人吉市に続く道の三つの大きな道が交わる所で、古くから物資の集散地として山中の小都市としての文化が栄えました。
南北朝時代、南朝の皇子懐良親王が、幕府軍に敗れて落ち延び、米良に入山したとき、親王に随従してきた都の舞人が伝えた神楽が米良神楽の源流といわれ、村所神楽がその骨格を伝承しています。神楽の登場神としても、懐良親王と想定される翁、その子の良宗王、鎮護神としての村所八幡大神などが次々と登場します。神楽前半がこの南北朝伝説を背景とする「宮神楽」、後半は「民神楽」で庶民の祭りとなり、賑わいます。御神屋の横に並ぶ屋台や地区の人が運営する食堂も大盛況で、山郷の夜は賑やかに更けてゆきます。
早朝、猪狩りの神事「シシトギリ」もあります。
 
2008年から2009年にかけて、高見が西米良村教育委員会の委嘱を受けて「西米良神楽」の本作りのお手伝いをしました。現在、西米良神楽には「村所神楽」「小川神楽」「越野尾尾神楽」の三座と、隔年または不定期に開催される村所八幡神社系の四座の神楽が伝わっています。村所神楽は懐良親王伝承と南北朝伝説にちなみ、小川神楽には「菊池殿宿神」「折立宿神」などの土地神が降臨します。越野尾神楽は銀鏡から伝わったとされ、銀鏡神楽の要素と米良神楽の要素を混在させながら伝承されています。神楽の始めに登場する先導神「栗三郎」、赤と白の狐は児原の稲荷神、さらに水神男神・水神女神などの個性的な神々が連続して登場します。小川神楽と銀鏡神楽を連続して見ることも可能。興味尽きない米良神楽探訪の旅です。とくに、村所か伝わっています。楽 ニニギノミコト伝承を伝えるの神シナツヒコが出る
□米良・銀鏡(しろみ)神楽
2010年の募集は行いません
   
米良山脈を源流とする一つ瀬川の中流域に位置する銀鏡(しろみ)地区は、米良の中心地点にあたります。地区には、中世の豪族米良氏の遺風、南北朝伝説にちなむ懐良親王伝承などが残っています。ニニギノミコトとイワナガヒメにまつわる地名伝説を秘めながら、下流域の西都原古墳群との関連も示唆されています。一年に一度、銀鏡神社に奉納される神楽に先立ち、村の狩人たちが山に入り、猪狩りをします。仕留められた猪は、祭壇に供えられます。猪頭が供えられた御神屋に神々が降臨し、神楽は終夜、舞い継がれるのです。銀鏡神楽には、「宿神三宝荒神」「西宮大明神」「鵜戸鬼神」「手力男命」など中世の様式を示す神面が伝わり、圧巻です。夜明けまで舞い継がれた神楽は、休憩の後、猪の巻き狩りの様子を再現する「シシトギリ」が奉納され、さらに翌日、銀鏡川の河原での狩法神事「シシバマツリ」によって終わります。山の民俗と中世の優美さが混交した銀鏡神楽は、九州を代表する神楽です。
□諸塚・戸下神楽 未定
南川神楽 未定
     
宮崎県諸塚村は、日向市と椎葉村の中間地点にある山村です。標高400メートル〜900メートルの山地に集落が点在する風景は、アジアの山岳の村を思わせます。古代から山に依拠する人々が居住し続けたこの地域は、
平家の落人伝説を伝え、豪族肥後阿蘇氏、延岡内藤氏などの影響も受けながら、独自の山村文化を守り
続けてきたのです。かつては過疎化に悩んだ村も、いまでは「森林理想郷」の理念のもとに「エコミュージアム」
システムの導入、古民家再生による体験学習型宿泊施設の整備、基幹産業であるシイタケ栽培の振興
などにより、活気を取り戻し、神楽の伝承者のUターンも始まっています。
諸塚神楽には、戸下神楽、南川神楽、桂神楽の三座が伝えられています。西は椎葉地方、北は高千穂地方に隣接しているため、両地方の神楽の特色を混交しながら、「日向神楽」としての古形も保っているといわれます。
神楽は、毎年、地区の集会所または民家を「神楽宿」として開催されます。神楽宿の建物に接続して四本
の椎の木の柱を立て、屋根を青竹で葺いた簡素な建物が御神屋です。当日は、集落の上手にある神社で
神事を行った後、二十あまりの神面を着けた神々が行進し、この御神屋に舞い入り、神楽が始まります。
この行列は、古代、日向の国に降臨した八百万の神々を表します。神楽三十三番が夜を徹して舞い継がれ、
はるかな九州山地の峰に曙光が射すころ、神楽のクライマックス「岩戸開き」が奉納され、「天照大神」
が出現します。朝日を受けて神面は神々しく輝き、拝観者は、思わず合掌するほどです。
□米良・尾八重神楽
*スケジュール等の都合により、今年の企画はありません。
―知られざる米良神楽の逸品です。次の機会をご期待下さい。―
 
 
  
宮崎県西都市尾八重の地区は、米良山系旧・東米良に位置し、標高600メートル〜900メートルの 高地に集落が点在します。平家の落人伝説や南北朝伝説を秘め、まるでアジアの山岳の村をみるような景観がひらけています。尾八重神楽は、米良神楽系の優美な神楽で、南朝の皇子・懐良親王伝承、修験道の影響などが顕著にみられます。神楽の中盤、土地神の「宿神」が登場すると、神楽の場は厳粛な雰囲気に包まれます。現在、村に伝承者はおらず、都会へ転出した人たちが練習を重ね、一年に一度、地区の鎮守神社である「尾八重の神社」に奉納するというかたちで開催されます。村出身の人や遠方からの神楽愛好家などが集まり、お祭りの場は、一晩中賑わいます。
その他
◇ 米良・中之又神楽 12月第2土曜日
・鹿狩りの神「鹿倉(かくら)神」が登場する珍品
*今年の企画はありません。
◇高千穂神楽 高千穂町内20座を伝える。
・11月から翌年2月10日まで町内各所の会場で開催される。
・日程を見ながら調整
◇ 椎葉神楽 村内に26座があり、古格を残す。
・12月の毎週土曜日、村内どこかで開催されている。
・日程を見ながら調整
◇ 日之影・大人(おおひと)神楽 1月第3土曜日
・高千穂の周辺部にあり、古形を残す。
◇ 北郷・潮嶽神楽 2011年2月12日(昼神楽)
・ 海幸彦の舞を伝える日南・霧島系の神楽

|
[参加要綱]
◇この企画は、「森の空想ミュージアム/九州民俗仮面美術館」の民俗フィールドワークとして実行します。参加費は、お一人10000円。旅費等は各自負担。その他の実費は現地精算となります。定員は15名程度。1日目に西都原古墳群などを見学、九州民俗仮面美術館でゆっくり過ごします。仮面や神楽に関するレクチャー、秘蔵の「花酒」と鹿肉・猪肉などを使った料理を楽しむスケジュールも組み込まれています。
◇お問い合わせ先
森の空想ミュージアム/九州民俗仮面美術館 TEL*FAX 0983−41−1281
|