◎…◎ トム爺さんのもの書き帖から ◎…◎ 

        西運上人伝考証
  …史蹟大圓寺物語…
連載第42回



    {只今、物語の続き原稿を作製中です。もう暫くお待ち下さい。




    第六章 西運の終焉と彼の建立した六地蔵 (その一)









前回でもご紹介した1935(昭和10)年頃に、比叡山文庫蔵から澁谷亮泰師によってその写しが発見された明王院古文書『武刕目黒明王院阿弥陀堂入仏供養表白文』です。古い字が使われていて、現在のパソコンでは入力出来ない字も混じっていますので、『八百屋お七・小姓の吉三物語』(拙著・摩訶衍文庫・1991年刊)から転載いたしました。なお、今回は現代語訳を略しました。訳文をご覧になりたいお方は、前書をご覧下さい。


 西運が江戸の六か所の地に地蔵尊を建立した、という説があります。筆者は1991(平成3)年に刊行した『西運上人伝考証』の中では、その頃までに入手または読み漁った古文書を考証した結果、「西運が建立したという六地蔵は存在しないようだ」と結論づけましたが、その本を刊行して一月も経たない頃に、突然、四国・徳島の宝珠山万福寺の住職・福島誠浄さんが、わざわざ伊豆の我が家まで訪ねて来て下さり、西運が江戸に建立した六地蔵の内の一体が本山にあること、そしてそれが本物であることの色々な資料まで筆者に託してお帰りになられました。

 
  (つづく)

  平成二十三月十月二十一日更新、次回は一ヶ月後の予定ですが、筆者の健康上の理由で更新の速度が遅れ勝ちです。八十歳を過ぎてから、執筆速度が低下していることは確かです。しかし、この文章を完成させずに、あの世へと旅立ってしまったら、これまでの二十数年の努力が水泡に帰してしまいますので、慌てず騒がず、じっくりと、健康を第一に考えて、執筆していく積もりです。

 ご注意この文章は1990(平成2)年に、大圓寺摩訶衍文庫から出版した『史蹟大圓寺物語』『八百屋お七・小姓の吉三物語』の改訂版であり、著作権については毎月発表する度にそれなりの対策を取らせて頂いておりますので、筆者に無断での引用は固くお断り申し上げます。このページも連載第26回目から14字のパスワードを使って頂かなければ、簡単に入れないようにしました。それと言うのも、改訂版では二、三に留まらず、新しい発見があり、その事をこれからも触れて行きます関係上、その新事実をこの文章が一冊の本として出版される前に、雑誌などに他の方の名前で先に発表されますと、トラブルの原因にもなりかねません。そのような面倒を避けてのことと、ご了承下さい。

           ==次回をお楽しみに==