| 中津大宮八幡神社(場所:中津西村) | |
| 天辺から車で20分の中津明神山の中腹に地区の氏神様大宮八幡神社があります。 境内に、樹齢千年とも言われる大杉があります。この大杉は、源三位土岐頼政の家臣、井野早太が主君頼政の冥福を祈って植えたといわれています。 その他にも、トチ、ケヤキ、モミ、ヒノキなどの古木があります。 |
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| 松岡城址 (場所:中津中田) | |
| 中世の久万郷は、道後湯月城主河野氏の配下、大野氏が中心でした。これまで、他国の侵入を受けたことも無く平和な暮らしを楽しんでいたのに、土佐の一条氏が兵をくりだしてきたため、大野氏35代直昌の代に柳谷村に三つの番城を配備しました。そのうちのひとつがこれです。戦国末期の430年ほど前の出来事です。 残りの番城は・・・・・ ・天神森城(西谷横野) ・城ヶ森城(西谷猪伏) |
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| 富田神社 (場所:天辺横) | |
| 約140年ほど前の出来事です。 その頃は伊予と土佐との交流に様々な制約がありました。 土佐の行商人 吉田富太郎という人が海産物などの商人として伊予の国へ来ておりました。何回も通ううちに、旧美川村の庄屋の娘と恋仲になりました。そして、結婚を願いましたが、当時は伊予と土佐との結婚は許されませんでした。何回か忍んでいくうちに、とうとう富太郎は捕らえられました。捕らえられた富太郎に「逃げよ」と勧めてくれた人がいたそうですが、富太郎は潔く斬首の刑を受けたそうです。旧予土街道の県境の谷川のほとりに埋めて欲しいとの富太郎の願いどおり、そこに墓所があります。 子孫の方が、毎年お参りに来られます。天辺の横に富田神社の里宮を2年前に建てました。遠方の墓所に参るのが体力的に困難な方はこの里宮にお参りをされております。 |
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| 上黒岩遺跡 (場所:天辺より国道33号線を松山方面へ15分) | |
| 1万4千年前の住居跡。縄文式時代の土器や人骨、オオカミ・キツネなどの動物の骨も多数展示してあります。 洞くつ内は、そのまま保存されてあり、何段もに地層が重なり幾世代もの生活の様子が伺われます。 当時は、走って海まで行き、貝類や魚を捕って食していたらしいです。子供の手のひら大の線刻礫(せんこくれき)は、線描画による女性を表しております。 DNA鑑定によると、モンゴロイド系に属するそうです。 |
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| 明神山のお山開き (場所:中津明神山山頂) | |
| 明神山は標高1541m、旧吾川村と旧柳谷村の境にある山です。 8月1日は、中津明神山のお祭りです。総代6名で明神山頂まで行き、お飾りをし、お供えを捧げ、お祭りをしてきました。 ちなみに、「天辺」の主人、健郎が大総代を拝命しております。 高知県側の社、愛媛県側の社ともどもお参りの方々で賑わいました。 明神山には、パラグライダーの基地があり、大勢の愛好家が飛びにやってきます。大空を散策する気持ちはいかがなものでしょうか? |
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| 亀井六蔵さんのお墓 (場所:中津亀井美智子さん宅) | |
| かつて予土街道の往来が盛んだった頃の話。 中津岩川は宿場町としてにぎわっておりました。 酒屋、宿屋、紺屋、湯場、もろもろのお店が繁盛していたそうです。亀井六蔵さんは、土佐と伊予とを商いで盛んに活躍された方だそうです。 「三坂峠でカラスの鳴かぬ日があっても、六蔵の荷車が通らない日は一日も無い。」と言われたそうです。亀井家は源氏の流れを受け、名字帯刀を許され、一時期は沖縄の城主でもあったとか・・・・・。 亀井家は「板屋旅館」という宿を経営していて、坂本竜馬が脱藩の折宿泊した、という話もある。 墓所には一字一石の塔もあり、ままごいしに心経を書き、納めているという。 |
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| 岩屋のお大師さま (場所:「天辺」より15分) | |
| 伊予と土佐にかけて、お大師様が祀られてあります。 予土八十八ヶ所 愛媛県側最後のお大師様が8体祀られてあります。 大きな自然石がまるでひさしのように雨風を防いでくれます。途中の道はとても険しく、落ち葉がずっしり積もっています。 |
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| 岩屋神社 (場所:高知県仁淀村本村) | |
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2月11日秋葉まつり 市川家より出立した秋葉の練りの一行は、岩屋神社に寄り、ここでもまた沢渡、本村、霧の窪の各組がそれぞれ練り・鳥け投げ・神輿を競い合います。 例年、全国各地より約3万人の見物の方々が練りを楽しみ、写真を撮影します。高知の3大祭りのひとつとなっております。 粉雪舞い、ひなびた山中での火伏の神の祭りです。朝9時より、夕方4時の宮入りのクライマックスには、秋葉神社の本殿にてお神楽の競演もまた見ものです。 秋葉祭りに関しての詳しい情報は・・・・ 高知県仁淀村役場ホームページにのっています (仁淀村役場ホームページへはこちらから) |
五藤関所跡 (場所:高知県吾川村と愛媛県久万高原町休場の境) |
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予土県境(伊予と土佐の県境)の古道に残る関所跡です。 高知県仁淀村の秋葉神社の近くにあり、延宝五年(1677)上道番所として設置されました。 その後、番人市川氏の跡を継いで寛延元年(1748)五藤伝次右衛門が番人となり、俗に「五藤番所」と称していた。 明治三年五月二十六日 太政布告に基づいて番所は廃止されました。 |
予土八十八ヶ所 (場所:高知県仁淀村と愛媛県久万高原町の境) |
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久万高原町(旧柳谷村)柳井川の矢淵トンネルに1番札所を発し、高知県大崎に88番札所を結ぶ予土八十八ヶ所が祀られております。 写真は、高知県別枝口(R33号線沿い)に祀られてある30番から56番の地蔵様です。 「天辺」の真上の大きな巌(いわな)にも、大師様が祭られています。 |