津島佑子と花の世界−春編
桜草(1) 桜草(2)
「春には桜草、秋はコスモス、と私にはちょうどこの二つの花が姉妹のように思え、その季節になると、どちらも一度は買い求めずにはいられなくなる。・・・もちろん、季節を感じさせる花には、たとえば春なら、コブシ、沈丁花、レンギョウなどもあって、それぞれとても好きな花ではあるのだが、ひとつには子どもの時から都心にいる私には、それぞれの花を日常的に見かけるのはむずかしくて、花屋の店頭の方が日々の暮らしにとけ込んでいるということもあり、また、桜草、コスモスのあの色、形はいつ見ても、無邪気な明る差をこちらに伝えてくれるので、やはり私にとっては季節を代表する大事な花なのだ。」
(『桜草の祝福』<花の友>'85.3)
花桃 菜の花
「二月の末頃で、まだ雪の降る日があったりした。バス通りを隔てたところに花屋があり、そこには春の花がすでに咲き揃っていた。桃と菜の花もあった。桃の節句が近いことを思い出した。その二つの花を買い、合わせてマーガレットも思いきってたくさん買い求めた。窓際に桃と菜の花を、戸口の傍にマーガレットを置いた。冬から春に、部屋のなかが一変した。なにかに感謝するということをほとんど知らない私なのだが、この時ばかりは花の色の暖かさに精いっぱい感謝したい気持ちに駆られた。花に喜ぶ子どもにその名を教えてやりながら、私はまたまた現金に、これからの新しい生活にそれまで抱いていた不安をきれいさっぱり忘れ去っていた」
(『引っ越しの花』<花泉>'76.11)
「店頭に、見たこともない花が安い値段でブリキ罐に投げこまれていた。美しい色だった。一つの色だけではなく、同じ種類でさまざまな色の花弁を開いていた。青、赤、エンジ、紫。名前を聞くと、アネモネ、と言う。ああ、これがアネモネ、と今まで知りもしなかったのに、急になつかしい気持ちになり、一束買い求めた。
このアネモネは、確か、かなり長い間、日光に乏しい四畳半の部屋で咲き続けていてくれた。私の稚拙な、それでも自分では必死の思いの一人暮らしに、アネモネの彩りは似合っていた。アネモネは、元来、強い生命力を持った花なのだろう。そのように、私も自分が生きていくことを願っていた」
(『引っ越しの花』<花泉>'76.11)
「そのアパートに越した日、一応二人の荷物も片づき、銭湯に行って一日の埃を洗い落としてきた帰り道、ある屋敷の生垣にあじさいが咲いているのを見つけ、多少気が咎めながらも、その一本を手折り、部屋に持ち帰った。大輪の、見事なあじさいだった。・・・あじさいの花を力いっぱい抱きしめたいほどの喜びがあった。お金で買い求めた花ではないことが、その喜びを増していた。今の私にも、やはりあの時にはあじさい以外の花はどれも似合わなかったような気がする」
(『引っ越しの花』<花泉>'76.11)
「ここら辺の山には多いの。そんなに深い山じゃないのにね。イカリソウっていう花も、黄色いのはここら辺りまでにしかはえていないのよ。そして赤い花の方はここら辺が北のはじっこなの。つまり、ここら辺ではほかのところと違って、赤いのと黄色いのと両方見られるってわけ」
(『火の河のほとりで』<講談社>'83.10)

「ニワトリの小屋の前には、フンの栄養を吸って立派に育ったエニシダがあった。私は庭のなかで、この花がいちばん好きだった。黄色い花が群になって咲くと、その一角が眩しいほど明るくなった。豪勢な花の群だった。黄色の色も柔らかく暖かい。手にとってひとつひとつの花を見ると、ふっくらと小さく膨らんでいて可愛らしい。暖かい黄色で、口に入れてみたくなる花だった」
(『幼き日々へ』<三田文学>'85.秋)

「−こんなとこに花が咲いていた!
「モーグリ」は思わず、叫び声をあげた。ラッパ水仙の濃い黄色が雨のなかで、金色の鳥のように見えた。金色の翼をぶるぶる震わせている。サクラ草や、ヒヤシンスも混じって咲いていた。北に行けば行くほど花が咲き乱れ、チョウや美しい鳥が飛んでいる。「アケーラ」の声が「モーグリ」の耳によみがえってきた。
本当にそうだった。北の地方は今が春なのだ。いくら春だからといって、黒ヒョウやゾウはいないに決まっているけれど」
(『笑いオオカミ』<新潮社>'00.11.30)
「−ここって宇都宮なんだよね。山形よりずっと南のはずなのに、やっぱり寒いね。お日さまが出てきたら、あったかくなるの?
「アケーラ」は頷き、眼の前の線路を見つめる。白い花が一面に咲いている。ハハコ草って名前だったっけ、と考えこんだ。よく見ると、ピンクの小さな花も咲いている。この位置からは、なんの花か見分けがつかない。ゲンゲか、クローバーか。背にした材木から、湿ったオガクズのにおいが伝わってきて、くしゃみが出そうになる」
(『笑いオオカミ』<新潮社>'00.11.30)
「台所で湯が沸いたようなので立ち上がった。
―今、お茶入れてあげるね。
―へえ、びっくりするなあ。どうしちゃったの。花まで飾ったりして。
炬燵の真ん中に、小さな黄色いフリージアの花束をコップに差しておいた。花は止めておけばよかった、と瑠璃子は後悔した。
―きょうは特別大パーティーの日だもん。あしたになれば、元通りの瑠璃子さんに戻ってしまいます。
どうぞ、期待なさらないように。
牧が笑い声をあげた。」
(『火の河のほとりで』<講談社>'83.10)