足久保 散策マップ
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■足久保 散策ポイント1【狐石】■

狐石日本一の大きさだろうと言われている句碑「狐石」。刻まれている句は、『駿河路や はなたちばなも 茶のにほひ』かの松尾芭蕉翁が西下の途中、元禄七年に詠んだ句です。茶の発祥地、この足久保にその句碑が建てられました。

■足久保 散策ポイント2【足久保の碑】■

足久保の碑今を遡ること七百五十余年前、栃沢が生まれ故郷の、京都東山の東福寺を開山した名僧・聖一神光国師が、修行先の宋の国より持ち帰った茶の種子を故郷に近いこの足久保の地で栽培させたのが静岡における茶の始まりだと伝えられています。聖一神光国師の威徳を記念して、師の故郷・栃沢と足久保に石碑が建てられました。

■足久保 散策ポイント3【しゃくし婆】■

今から千三百年位の昔、聖武天皇が病気になり、楠の大木で仏像を刻んで拝めば快癒するとのことで僧行基に命じて探させました。ようやく足久保の法明時の横で、楠の大木を見つけて切り倒しましたが、疲れた行基の側に老婆が現れ、香りの良い木の葉を煎じて呑ませてくれました。それがお茶の始めと伝えられています。その老婆を『しゃくし婆』と云い、法明時観音堂の前に碑があります。

■足久保の史跡【海野助兵衛】■

これは実話です。昔は川から水を担ぎ上げて使用していました。今から百八十年程前、海野助兵衛と言う若者が考えて、上流から水路を作り引くことにしました。長い区間なので大変苦労して毎日のように水路を作り続けましたが、病気になり二十二才の若さで亡くなってしまいました。村の人々は助兵衛の志を継いで作り続け、ようやく立派な水路が出来上がりました。この水路は百年余りも利用され、村人の暮らしに役立ってきました。助兵衛の功績を称えた碑が現在も長島の村のはずれにあります。

■足久保の地名と伝説【重箱墓場】■

昔足久保では献上茶を作り、お茶が他地区より高く売れたので、いい暮らしをしていました。ある時、献上茶が取り止めになり、人々は名主の新五郎のせいだと言って、家に押し掛けて、外から釘を打ち家中焼き殺してしまいました。その時、乳母と下女が八十岡の奥へ逃げたので探しながら、山の上の人達に『マダカー(まだ見つからないか?)』と声をかけ、その場所がマダカと言う地名(山の名)になっています。やがて乳母が腰をかけているところを見つけ、その場所を『うばが沢』。また、追い掛けた人達に下女が胴を斬られてしまった沢を『胴切沢』と言います。後年になり、哀れと思った人が新五郎のお墓を建てました。形が重箱に似ているので、重箱墓場と言い、今でも八十岡の墓地に残っています。

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