藤本ともひこ[たぬき]プロフィール

◆著書リストに解説文を更新中です。最新更新は2003年11月22日。


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 1961年東京生まれ。大学時代に「あそび工房らいおんバス」という集団に足を踏み入れ、そこで、湯浅とんぼ・中川ひろたか・福尾野歩・犬飼聖二・新沢としひこ・島筒ひでお・増田裕子等と出会う。工房を発行元にした「季刊あそびうた」という手作り雑誌の編集に参加しつつ、この頃、このらいおんバス・プレゼンツでコピー私家版絵本「ゴブリンおさんぽ」「ゴブリンとまるどん」を製作。季刊雑誌購読者を対象に通信販売し300部完売。その後、こどもたちの野外キャンプ・スキーキャンプ・カヌー遊びキャンプや家庭教育講座・教養講座等を企画する仕事につく。

 1991年講談社絵本新人賞を「こうへいみませんでしたか」で受賞。翌年の1992年にこの絵本が出版される。その後、絵本・童話・紙芝居・作詞などの創作活動をはじめ、現在に至る。

 1995年4月から福音館書店の「おおきなポケット」で「でこぼこふにゃふにゃ団がゆく」という冒険読み物まんがを長期連載。ここで、自分のスタイルを模索していく。マンガと絵本という表現を得て、独自のあそびこころを創作の形にしていく。

 中川ひろたか(絵本作家・作曲家)さんの勧めで、1993年から「作詞」を始める。コンセプトは「絵本みたいな歌がかけるか」。そうして、作り始めて100曲を越えた。2003年、作りはじめて10年後、世界文化社の保育雑誌「プリプリ」で初めてのふたりの歌の連載が決まる。全て書き下ろし。また、2001年から、作詞とともに作曲も独自に始め、オリジナルの「あそびうた」を少しずつ書き始めている。

 2001年度からは、世田谷の民間保育園に定期的に通ってあそんでいる。日々の保育の中で、こどもたちから刺激をもらいつつ、協同の新しい遊びの世界が始まっている。そしてそこでの体験と見聞が、少しずつ創作活動に反映されつつある。現場主義の創作は、ダイレクトにこどもたちに返すことができると信じて、今、また、絵本・作詞・紙芝居・童話・あそび・あそびうた等の創作活動に取り組んでいる。


著書リスト作品全解説 

●絵本・童話・紙芝居・イラスト・CD・作詞全作品データ。


 絵本 

●「こうへいみませんでしたか」講談社1992

  記念すべき出版第1作目。第13回講談社絵本新人賞受賞作。
  3つ目のゴブリンが列車の中でいなくなる。
  それを探しに行くこうへいの物語。
  まんがと絵本の融合を試みた野心作。
  コマワリのページと一枚絵の繰り返しで効果をだしたかった。
  一人で楽しむ読み物としての絵本としては
  今でも、きっと新鮮なのだ。
  角野栄子さん(児童文学作家)は、出版当時「産経新聞」に
  書評で「おかしな絵本」と紹介してくれた。嬉しかったなあ。
  角野さんは新人賞の審査委員だったのです。
  その頃住んでいた豊島区の西武池袋線の椎名町駅前の本屋の棚に
  この本が入った時は毎日逢いに行きました。
  思い出深いなあ。
  ブックデザインは、杉浦範茂さん。
  青山の事務所にお願いに行きました。
  範茂さんも、新人賞の審査委員だったのです。
  熟練の技で、表紙も帯も白できめました。
  終始にこやかな範茂さんは、
  実は、ぼくがこの絵本に紛れ込ませていたものを
  すべて看破していました。
  授賞式の席で、
  「最後にでてくる怪獣の指名手配ポスターが
  冒頭の扉の駅舎に貼ってあるんだものねえ」
  ぼくは気づく人がいるなんて思わなかったので、
  これはめちゃくちゃ嬉しかった。
  ぼくがやりたい「絵本」について、
  やはりプロというのは、
  きっちり絵も読んでいるのだなあと、感動していた。
  しかし、残念ながら現在品切れ絶版中。
  問い合わせが講談社に殺到すれば再版されるかな。
  それまでは、図書館で検索して読んでみようね。
 
●「なんてこった!」講談社1993
  
  講談社の2作目。
  調子に乗った第2弾。
  前作の思想をより一層進めた。
  マンガはよりまんがらしく。
  絵本的なめくりの醍醐味は強化され、
  しっかり謎解きのエンディングも用意されている。
  読み物絵本としては、自画自賛。絶品。
  これも角野さんがサンケイ新聞の書評で絶賛してくれたので、
  ぼくは幸せでした。
  ブックデザインは今回自分で。
  杉浦チックにきめて、真っ赤な表紙。
  なんと裏表紙にもタイトル文字をのせてしまうという快挙・暴挙。
  しかし、これも品切れ絶版中。
  出来は悪くないので、
  これも再版してほしいところ。

●「じゃんけんロード」リブロポート1992

  当時1989年頃は、「絵本に関する公募」を見つけたら
  有無を言わせず応募すると豪語していた。
  というわけで読売と学校図書館関係の大きなものや、
  日産童話と絵本のグランプリとか、
  クレヨンハウスのとかにじゃかじゃか応募していた。
  出版社に持ち込むという発想がなかったのね。
  これは、そのなかで引っ掛かったもの。
  公募企画だけだったので、
  授賞式とかはなくて、
  当選した後に
  池袋にあった出版社のリブロポートに電話で
  呼び出されて、話にいった。
  もうどきどきで、1階のトイレで気合いをいれて、
  編集部のドアを開いた。
  o編集長と担当の編集者Iさんがいた。
    そしてなんと、その日に出版が決まった。
  電撃人生の絵本。
  実は、応募した作品は、あそび工房の仲間と
  公募締め切りの前日に合宿のようなものを秩父の山奥でしていて、
  その民宿で宴会後に、ほぼ徹夜で一夜描きしたものだったので、
  書き直したかったんだけど。
  やはり、絵の勢いというのを優先して
  そのまま出版。
  あそびの世界を絵本に持ち込もうとかなりいれ込んだ。
  しかし、バブル崩壊後に、リブロポートが出版事業から
  撤退したため、事実上の絶版。
  どっかで復刊しないと悔しいね。
  
●「たぬきのおじさんおっこちた」リブロポート1993

  リブロの2作目。
  タテに開いて読む絵本。
  それで、おじさんがおっこちる
  その落下の感覚を読者に疑似体験させようと
  試みた。
  親子でも、ひとりでも、保育園でも、幼稚園でも
  普通に楽しく楽しめる絵本になった。
  ようやく絵本らしいもので
  フジモトテイストが出せて来たかなという逸品。
  これはかなり今でもいいよ。
  しかし、前述の通り絶版。
  原稿はあるので、やっぱり復刊を考えている。

●「かいじゅうのあかちゃん物語/ドンチビ」教育画劇1997

  初めての依頼によって生まれた絵本。
  講談社の絵本を見て、頼みに来た。
  こんなのって、絵本作家みたいじゃないか。
  と、何か不思議な感じだった。
  そして、この時思ったのは、
  ハートウォーミングな絵本を作りたいということだった。
  基本的にはフジモト的に荒唐無稽なんだけど、こころに残る。
  そんな絵本を思い描いた。
  ぼくの一番好きな場面は
  ドンチビが主人公の弟のようになっていくという
  セピア色の写真ネガをならべた見開きシーンです。
  ここは、額にいれて飾ったりすることがあるくらい。
  この場面が好きといってくれる人は
  結構いますね。
  これはすぐに手に入ります。
  教育画劇に注文してね。(03-3341-3400)

●「たかいたかいして」講談社2002
●「もういっかい もういっかい」講談社2002
  の2册については、現在「special」のページで詳しく紹介しています。

●「でんでんのぼうしやさん」教育画劇2003NEW
  「虫のアップで絵本が作れませんか」
  というT編集者からの依頼から始まった。
  虫の顔はアップだとなかなかにグロテスク。
  それを楽しい絵本にしたいというのである。
  ただただアップを見せるというのも、味気ないし、
  必然性もない。
  そこでたぬきの海馬はむくむくと動き始めた。
  設定を帽子屋さんにしたら、するすると問題解決。
  するすると絵コンテもまとまった。
  するすると絵の具で描きはじめていった。
  いままでのぼくの絵描き作法とはひと味違う絵本が出来た。
  ぐりぐり絵の具で描くのがこんなに楽しいとは。
  これから絵本の絵は絵の具に限るなあと、
  今では決意している。
  新しい虫の絵本シリーズが出来そうな気配だ。
  それから、画面のあちこちにサイドストーリーや伏線をたっぷり張っておいたので、
  ぜひ絵を読んで楽しんで下さい。
  こんなところに、こんなことがなんてね。    
 童話  

●「ミュー一族」岩崎書店1996

  初めての童話本。
  もとは、「保育の広場」(メイト)という保育誌で一年間連載したものがあった。
  「おひるねどうわ」というタイトルで、モンスター家族のお話を書こうと
  思ったわけです。
  昔に、民放テレビでやっていた「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」
  なんかが大好きでよく見ていた。それに対するオマージュですね。
  馬鹿げて、楽しくて、愛しい家族が描ければというのと、
  ショートショートストーリーとしての読み切りの面白さを狙っていた。
  それを読んでいた人がこの編集者でいて、依頼していきたわけです。
  単行本化にあたっては、12本あった短編のうち、3本だけで構成。
  連載当時は登場していない犬の風太郎を狂言回しに起用。
  マンガと童話の融合手法もとりいれているのだ。
  本好きのこどもたちには、ばかうけなのだが。
  あと9話はお蔵入りの状況だが、もう少し書き換えて、
  ぼくなりの家族の物語にしてみようと思っている。


 紙芝居

●「どかどかじゃんけん大会」童心社

  講談社の新人賞審査委員のいわむらかずおさんの
  自宅・アトリエが栃木の益子にあり、
  ここで、仲間の宴会があるからお出でといわれて、
  出かけていったら、童心社編集者Sさんと出会った。
  その出会いから、生まれた紙芝居である。
  紙芝居に「あそび」を投入しようという勢いで作った。
  これを書いているときに長男が誕生。妻は病院に。
  上の子と二人暮しのようなことになりつつ書いていたのを
  思い出す。
  ストーリーというよりも、ほんとただの「じゃんけんあそび」。
  後日。某保育園の園長に
  「これは、紙芝居ではないよね。藤本さんにとって
  紙芝居って何なのかしら」
  と、聞かれて即座に
  「紙あそび芝居ですね」
  と答えたときから、そういうことにしている。
  演じ手とこどもたちとが「紙遊び芝居」を
  コミュニケーションツールのひとつとして、
  捉えていくものだろうという意味だったのだ。
  「遊び道具」のひとつですね。
  またまた後日。知り合いの園長でもあり某紙芝居作家の島本一男さんと
  話していたときには、
  「ぼくの紙芝居は、みんなで駄菓子屋で食べる喜びににているかな」
  というところから
  「駄紙芝居ですね」
  ということにもしている。
  馬鹿げて面白く、庶民的・下町的で。
  大騒ぎで楽しめると言うような意味では、
  最高の命名であると自負している。
  「Da!かみしばい!」

●「たからさがしはらくじゃない」童心社

  全部読み終わったところで、12毎全てを並べてしまうという
  門外不出・掟やぶりも甚だしい駄紙芝居の最高峰。
  やるたびに、こどもたちは阿鼻叫喚!
  おとなたちは、ためいき。「もう手に入らないんですか」って。
  とにかく、未だかつてない紙芝居を構築しようと、
  躍起になっていましたからね。
  もうこれは、飛び抜けて新機軸。
  でも、月刊紙芝居シリーズだったので、事実上の絶版。
  図書館で見かけたら、それだけでも貴重品。
  うちにも、2册しかない。
  もし、持っている人がいたら、それはたいへん。
  果報者です。
  持っていない人は、童心社に問い合わせて復刊を嘆願しよう。
  ねえ、ホント。お願いしますよ。

●「なにがつれるかな」童心社

  年少以下版の紙芝居。
  ぼくにしては、珍しい予定調和のある紙芝居。
  ぼくは、当時、絵本作りにおいては、
  どうも予測不可能なほうにいつも力点が係るのだ。
  あんまりそうなってしまっては、
  幼児には理解しにくいだろうと、
  考えに考えた末に、こうなった。
  一見在り来たりのようにも、思えるが。
  でも、考えてみたらゾウが川から釣り上がるというのは
  予想ダにしないけどね。
  こどもたちからみれば、最後のくじらで大満足なのです。
  それでいいのだ。

●「がいこつめがね」教育画劇

  「食育」がテーマの紙芝居を依頼された。
  ぼくに与えられたテーマは「骨」。
  依頼されてから、考えはじめるという創作作法の1作目。
  ただ単に「骨」を出してみても、面白くない。
  骨マンとかで闘うというのも嫌い。
  じくじくと月日が立ち、
  とは言えそんなに時間もなくて、
  前から発明品については、
  くだらないものをたくさん考えていた。
  変な発明品のなかから、めがねを引っ張り出して来て、
  「骨」という言葉と「めがね」をくっつけた。
  「ほねめがね」になった。
  でもなんか、語感がよろしくない。
  イメージも広がらない。
  「骨」を「がいこつ」という、ちょっと恐いような言葉に
  置き換えたらぴったりした。
  「がいこつめがね」。
  タイトルからできあがり、
  その後にストーリーが生まれていった。
  後に谷口國博さんが曲を付けてくれて、
  場面展開のたびに歌う。
  歌う紙芝居が出来上がっていった。

●「ちょっとまって!ドンキチくん」教育画劇

  今度は「省エネルギー」がテーマ。
  幼児に省エネルギー。
  それはどういうことかと、考え込んだ。
  東京電力などの広告媒体パンフや、
  図書館で調べるけれど、
  いい道は見えず。
  はたと、「節約」という言葉が、
  クローズアップ。
  教育画劇の絵本で「ドンチビ」という
  怪獣絵本をぼくは描いていたので、
  彼を主人公に書き上げた。
  でも、名前を弟分にしておいた。
  だから「ドンキチ」くんになっている。
  この紙芝居のラストに、
  初めての作詞・作曲の歌の楽譜を掲載。
  「みんなであるいてピクニック」
  という。
  最後にみんなで歌おう。
  
●「はなくそテレビ」教育画劇2001
 
  「身体の不思議」シリーズで、
  ぼくに与えられたテーマは「はなくそ」。
  とうとう、来るところまできたか。
  と、思わせるようなお題。
  しかし、考えてみれば、そそるテーマ。
  誰もかつて笑い転げるような「鼻くそ」紙芝居は
  描かなかったろうなあと思ったからだ。
  ならばというわけで、
  わりと、ノリノリで取りかかる。
  「ハナクソヶ丘の決闘」というのを、
  一晩で書き上げた。
  ピストルのかわりに鼻から、鼻くそ玉が、
  ズキューンと出て来るというバイオレンスアクションであった。
  しかし、編集部としてはそれでは、
  「はなくそ」よりも「決闘」に力点がいってしまうので困るという。
  ごもっともなので、作り直した。
  そして、「はなくそ」をテーマにした
  架空のテレビ番組という設定を作った。
  そうしたらかなり、すらすらと書き上げた。
  しかし、「決闘」もかなりばかばかしくて、
  面白いんだけどね。
  童話のような形でどこかで出版してくれたら、
  売れると思うんだけどね。
  自画自賛だけれどね。
    
 ■共作(絵/藤本ともひこ)

●「用寛さんのおはなしめいろ/全3巻」作/杉山亮・フレーベル館1994-1996

 ■「用貫さん」

   記念すべき第一作目。杉山さんがイラストを指名。それがほくだった。
   誰にでもすぐ真似できて、忘れないキャラクターにしよう。
   ということを新宿のマイシティの喫茶店で、担当S編集者と話した。
   丸を基本にして、お坊さんだから、ハゲでいいし、
   その日の晩に出来上がった覚えがある。
   「おはなしめいろ」というのは、迷路の通路の上に
   文字が並んでいて、正しいルートの上には、正しい物語が。
   間違ったルートには、間違った嘘話しが書いてある。
   ところが、間違った話をわざと読むというのが、
   実は正しい楽しみ方なんである。
   こういう発想をする杉山さんの脳内構造を
   勉強のために一度見てみたいものだと、
   常々思っている。

 ■「用貫さん旅にでる」

   2作目は、絵の密度をあげることを自分に科した。
   あとから考えると、前作の不満点はそこにあった。
   遠慮がちだったなあと。
   もっと激しく、テンコモリの絵にしたかった。
   しかも、原色をばしばし使いたかった。
   そういうおもいのたけをぶっつけたわけ。
   しかし、ぼくは、下書き段階で
   あのルートをすべて読んでいますからね。
   実は、間違ったルートの絵の方が、
   量的には多いはずなのだ。
   目くらましですね。
   目に見えるものに惑わされてはいけないのです。


 ■「用貫さん空の旅」

   3冊目は、激しいぞ。
   もう何のストッパーもない。
   ここにいたって、杉山イズムとたぬきのばかしあいが、
   いい形で融合した。
   ぼく的には、満足のイク仕上がりに近付いた。
   お気に入りの1冊が出来た。というかんじである。
   おはなしめいろの用貫さんはここまでで、
   第1章が3部作として完結した。

●「こども講談 用寛さん本伝/全5巻」作/杉山亮・フレーベル館1995-2000

   イラスト挿し絵を担当。人生で初めての童話単行本のイラストレートである。
   むちゃくちゃ緊張して描いた記憶がある。
   そのわりには、原画を描くときになって、
   選んだ画材は、無印R品の手紙用ボンドペーパーに
   ぺんてる筆ペンであった。
   でも、その庶民感覚が用貫さんにはいいだろうと判断していた。
   用貫さんは童話としては、新機軸の講談ものとして
   第2章がこうしてスタートした。
   テキストは現代がごちゃ混ぜになったりする世界なので、
   野球やプロレスや刑事ドラマなんかが、
   突然現れる。
   だから、かなり自由に描いた。
   でも、杉山さんなりの時代考証には忠実にいかなくてはならないので、
   かなり資料も調べて描いた。
   風俗・建築物・仏像などである。
   歴史のお勉強にもなりました。
   原作テキストが上がってくるのが、
   いつも8月で、その頃、ぼくら家族は、
   毎年、4泊くらいであるが、軽井沢に避暑に出かけていた。
   いつもなぜか出かける間際に、届くので、
   資料は軽井沢図書館で調べることが多かった。
   そして、夜な夜な、下書きをした。
   こどもたちはまだ、乳幼児で、早寝だったのだ。
   一年に1冊というのは、早いのか遅いのかわからないけれど。
   この頃は、夏といえば用貫さんなのだった。
   

●「はなまる日曜日」作/八束澄子・講談社2000

   講談社児童書担当編集者Nさんからの依頼で、イラスト挿し絵を描いた。
   八束さんはこのとき初めて知ったのだが、
   テキストを読ませていただくと、
   こどもたちの日常がよくかきこんであって、
   イラストにするのに、違和感もなく、素敵だなと思った。
   こういう静かな「スタンドバイミー」みたいな、
   こどもの文学がもっとあるといいなあと、
   考えていたときでもあったので、
   引き受けた。
   この絵を描いたのは、やはり山の中だった。
   菅平に知り合いのデザイナーの山小屋があり、
   そこで、スキーをしたりする日々の中で、
   原画を描いていた。
   こどもたちは、こどもたちで、山で遊びつつ、
   そういうのをはた目にみながら、描くというのも、
   ちょうどよかったんだろうなあ。
   ぼくは自分の作品では、なかなか等身大の人間のこどもを登場させないから、
   八束さんの物語に、絵をつけるのは、楽しかった。


 楽譜・CD

●「うたのパレット」偕成社・ソングレコード 2000

中川ひろたか・五味太郎・和田誠・飯野和好・村上康成・高畠純・
あべ弘士・荒井良二・長新太・ささめやゆき・藤本ともひこの11人のコラボレーション。

絵本作家たちが詩を書き、中川ひろたか氏がすべてに曲をつける。
そして、それを絵本楽譜集にしてしまうという前代未聞の企画。
それぞれが、個性的な言葉を紡ぎ出すのが面白い。
知る限りでは、最初に「絵本のように詩が書けないものか」という
peeman氏の発案に、10年前にぼくが反応して、
「ゾウバナナ」「EGG」(ふたつとも収録)を書いた。
のが事の初めらしい。
その後、講談社のこども雑誌「おともだち」誌上で、
peeman氏が、荒井良二・村上康成・あべ弘士さんらと、
自分の連載ページを使って、歌作りをした。
そしてそして、それを経て単行本化に至った。
中川ひろたか氏のプロデュース能力が如何なく発揮された実例である。

そして、氏はそれをCDにもした。
レコーディングにも、作家たちは参加した。
ぼくも歌を吹き込みにいったのだが、
初めてのスタジオ体験なのに、
いきなり歌えと言われて、
ひとりスタジオに隔離された。
やけで、歌うとそれでOKがでた。
「もうおわりなの」
ときくと、
「またか」
というpeeman氏。
どうやら、それまで、吹き込みに来た作家たちは、
同様にそう言って、もっと歌いたいと言ったらしい。
ぼくの場合は、これでいいの?という意味なのだったが。
ところが、考えてみれば、
ぼくが人前で歌うと言うのを開眼してしまったのが、
この時だったのだ。
「マイクに向かって、歌うのではなくて、
声を吹き込むんだよ」
というpeeman氏のアドバイスから。なのだ。
そうか。
歌うと思うから、恥ずかしいのだ。
声を出すだけでいいのかと。
それならできるかも。
というのが、始まりだった。
その時は、まだ。ギターを手にしていなかったと思う。
その後だ。
ぼくにとっては、かなりな目からウロコの時だった。

録音後に、吉祥寺の酒場で、
荒井さん・飯野さん・高畠さん・中川さんたちと、
飲んでいると、不思議な感じがした。
ぼくのアコガレていた絵本作家のひとたちと飲んでいたんだからね。
そういう出会いにも満ちあふれていた企画だった。
ありがとう中川さん。
いろんな刺激をいただきました。
後日「うたのパレット」はライブを2回行った。
ひとつは、「サマーカレッジ2000」のなかで。
そして、もうひとつはイイノホールでの自主ライブ。である。
どちらも、作家たちが参集しての贅沢なものになった。
もうなかなかできないだろうなあ。
ここで出会った人たちと、ぼくは後日また出会っていく。
人生というのは、ほんと不思議に満ちている。


 作詞

●「トラや帽子店」「ケロポンズ」などに提供。ここではCDに収録されたものだけを解説する。(1993-現在進行中)

 □「とんちきシャッポパノラマ忘年会バンド」作曲/中川ひろたか 1994

   トラや帽子店の記念すべきオリジナルフルアルバムに収録。
   なんとアルバムタイトル曲である。
   ジャケット撮影は、都内某所の美術室。
   ジャケットデザインもぼくがしていた。
   ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
   みたいな曲がトラやさんにもあってしかるべきだろうという発想から、書いた。
   とうぜんドハデなロックオペラ風になる。
   ジャケットデザインも、赤コンセプトで、変な衣装(太田ヒロ)を着せて、
   床に寝てもらった。それを上から撮影。
   音はすべて、メンバー3人で録音。ミュージシャンはやっていない。
   そのこだわりがすごい。
   ただし、そのためか、ライブで演奏は不可能とされてしまった。
   残念なことである。
   それにしても、いかがわしい作詞スタイルが爆発している。
   こどものバンドで売り出したのに、そのコンセプトはここにはない。

 □「ロック魂」作曲/中川ひろたか 1996

   トラや帽子店オリジナルフルアルバム第2弾「ラッキーちゃんぽんめん」に収録。
   当時ぼくより年上のpeeman氏をイメージして作詞。あ。今でも年上か。
   「もうとしだからねって、つまにいわれ」
   なんて、もうまったく書き放題である。
   思いっきりのロック。
   実は、このころ、peeman氏は、
   「ロック魂」というタイトルで、
   渋谷のライブハウス「ジアンジアン」でソロライブを決行していた。
   ロックンローラースタイルで、
   観客席に倒れこんでは、息切れしていたのだ。
   それをそのまま作詞したというわけですね。
   このCDのジャケットデザインもぼく。
   多国籍風でポイントは黄色というコンセプトで、
   衣装デザインは太田ヒロ。
   撮影は横浜中華街のとある店。
   ロケハンには、中川・藤本・太田が、訪れ、
   有名店を軒並みアポなしで訪ね、
   撮影場所を探した。怪しむ店員たちが面白かった。
   撮影当日、衣装のまま移動する3人は、
   中華街の注目を集めていた。
   女子高生が増田裕子女史に記念写真を求めたりしていた。
   しかし、その増田さんを見て、中川・福尾両名いわく、
   「飯島愛そっくりになったなあ」
   などといっていた。化粧すると、ホントなのね。
   いやはや懐かしいなあ。
  

 □「ここにいるからね」作曲/中川ひろたか 1996

   「ラッキーちゃんぽんめん」に収録。
   ボーカルは増田裕子。極上のこもりうたになった。
   我が家のこどもたちは、これがこもりうた。
   こどもがうまれる前に、作詞していたもの。
   今聞いても、ほんとうにいい歌だと思う。
   歌い手というのが、こんなに重要なものかと、
   初めて気づかせてくれた。
   増田裕子ソロライブでも、幾度となく弾き語っていたが、
   もう涙がでちゃう。

 □「タミオのぼうし」作曲/中川ひろたか 1994

   増田裕子ソロフルアルバムCD「らりるれろんちゃん」に収録。
   当時ぼくが企画していたこどもの「あそび」のクラブに、
   タミオという小学生がいた。
   彼は、学校ではバリバリのいじめられっこだった。
   このクラブでは、ずっとディンギータイプのヨットを
   地下駐車場で作っていて、
   その進水式のために夏に本栖湖に行った。
   タミオは、進水式で湖面を走るディンギーをぼうしをかぶって
   じっとみつめていた。
   そして、そのぼうしには、ゴムがついていたのである。
   風で飛ばないようにという母の愛だった。
   彼は、いじめつづけられたみたいだけれど、
   ぼくたちのクラブが、彼のこころのよりどころとなって、
   生きていけた。
   なにしろ、彼はぼくたちの間では、人気者でしたからね。
   ぼくたちはそして仲間だったんだから。
   というわけで、彼に捧げた歌なのだ。
   増田さんは「オクダタミオ」だと思っていたようだが、
   ちがうのね。

 □「ラリパッパ・ガール」作曲/中川ひろたか 1996

   モーモーズという巨漢コーラス女性グループに捧げた。
   ミニアルバム「二人は貧乏/やせるおもい」に収録。
   モーモーズは、伝説のライブ「ロック魂」で、デビュー。
   その夜に、渋谷ジアンジアンのステージが揺れたという。
   ぼくは、明るいポップソングを書きたいと思っていて、
   まさに、ぴったりの歌になった。
   現在このグループは行方不明中である。
   でも、みんな元気だろうなあ。
   再結成してくれたら、見に行くのになあ。
   でも、3人とも和製英語だから、何言ってるかわからないけど。
   

 □「ケロポンズのテーマ」作曲/増田裕子 2000

   トラや帽子店活動休止後、結成された女性デュオ。
   というか漫才コンビ。
   というか天才。奇才。 
   増田裕子と平田明子のふたりがコンビを組んだわけ。
   そのケロポンズの1stCD「ちきゅうじん」に収録。
   ケロポンズのテーマソングがあってもいいよなあと作詞したもの。
   初期のケロポンズのライブでは、
   必ず、このラップで登場していた。
   なかなかにインパクトのある曲に仕上がっている。

 □「ハイカラクジラのおくりもの」作曲/中川ひろたか 2000

   ケロポンズ1stCD「ちきゅうじん」に収録。
   絵本みたいな歌作りの初期に作詞したもの。
   ぽんちゃんのボーカルで、
   上質なポップスになった。
   お話仕立てになっているのは、
   ポールマッカートニー先生からの影響である。
   絵本にしたらいいなあと考えていたりする。

 □「ゾウバナナ」作曲/中川ひろたか 2000

   藤本・中川の記念すべき第1作目。
   「うたのパレット」に収録。
   作詞は1993年。
   時を超えて。
   不肖私のボーカルも収録。気づくかな。
   ちなみに「ミツオとミツルの体操ソングブック」2002にも収録。
   こちらには、体操の振り付き。

 □「EGG」作曲/中川ひろたか 2000

   まさに絵本のような歌。
   なので、ぼくはこれをスライドにしてライブでは、
   歌いつつ見せている。
   いつも好評。大絶賛。
   「この絵本はないのですか」
   の問い合わせ殺到。
   どちらかで、絵本にしませんかね。
   御連絡をお待ちしておりますね。

 □「いとしのエレファント」作曲/増田裕子 2002

   増田裕子2ndソロアルバム「チャームポイント」に収録。
   オープニング曲。
   増田さんをイメージして作詞。
   彼女の不思議な世界にインスパイアされて書いたのを憶えている。
   ぼくはマスを、魔法の世界の人だと思っている。
   そういうことなのだという歌です。
   ショーの始まりに相応しい仕上がりになった。   

 連載

●「でこぼこふにゃふにゃ団がゆく」福音館書店おおきなポケット1995-2001

●「たぬきのひろいもの」学習研究社ラポム2001年6月より2003年3月まで

●「父の友」福音館の母の友2001年7・8・9月号の3回

●「かきかきポケット」福音館書店おおきなポケット2003年4月より連載中


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