ヒーターの風が床に置いた洗濯物を揺らしている。もうそろそろ消さなくちゃ。
でも今夜はとっても冷え込んでいるから。外は雪かな?
「寒くない?」
「ううん、こうしてるとあったかい」
「ねっ、あんたは今日からいくつになったんだっけ」
そう聞くと、こいつは、ちっちゃくて、丸っちい片手をいっぱいに広げて、嬉しそうに笑った。
「そう、5才になったんだねえ」
「うん」
それだけしか言わないのは、ちょっぴり物足りないけど。でも、なんてかわいいんだろう。
そう思ったら、もうたまらない。私は膝の上に乗せたこいつをキュっと抱きしめた。
小さなヒヨコのような心臓の鼓動が、コクコクコクって胸につたわってくる。
やわらかなかみの毛が私のほおをやさしくくすぐった。お日さまのような匂い。
あの時もそうだった。
―マサシ
あれからもうずいぶん経っちゃったんだな。
あの時、私は中学1年だった。
私ってね、小さいころから時々「あれ」が見えたんだよ。
ううん、別に怖いなんて思わなかった。だって「あれ」ってね、影みたいにぼんやりして、じっとしてて。ただそれだけだったもん。
だけど、あの時だけはビックリしたなあ。私、もう心臓が止まるかと思っちゃった。全然気がつかなかったんだ。ホントにもう。
学校からの帰り道だったんだよ。冬の空はもう薄暗くなりはじめてた。
そしたらね、ちっちゃな男の子が、空き地と歩道の境の壊れた塀の上にちょこんて座ってたの。その子、とっても寂しそうだった。
でもそれまで私、あんまり小さな子どもと話しなんかしたことがなかったんだ。だからどうしようかって思ったんだけどさ。だけどその子、あんまり寂しそうだったから。
それで私、思わず立ち止まっちゃって。
そしたら、突然その子の方から話しかけてきてさ。
「ぼく、まよっちゃったんだ。どうしたらいいかわかんない」
「えっ?」
困ったな。迷子?
こういう場面、普通はどうするんだろう。
私のちっぽけな頭脳はフル回転した。こういう場合の最適な対処方法をすばやく計算せよって。
それで出た答え。
「ええっと、あの、ぼくは、いくつなの?」
わあ、なんていうマヌケ!
でも男の子は、ちっちゃな片手をいっぱいに広げて、嬉しそうに笑ったんだ。
「そう、5才なの」
「うん」
「それで、あんたここでなにやってんの」
これまたマヌケ!
「すごくさびしいよ。ぼくずっとひとりぼっちだったんだよ。だって、だれもおぼえていてくれないんだもん。キミだってそうだろ」
「えっ?」
なんだこいつ! 年上のお姉さんに向かってキミとはなんだ。キミとは! って思った瞬間、男の子は消えた。
うわーっ
アタシ、今、幽霊としゃべってたんだ。ギャーッ!
そいでもって、鳥肌がずわーっと立って、そりゃあもう大変。
まっ、それはいいとしてさ、その夜のこと。
私、寝る前になんとなくテレビを観てたんだけどさ。なんていうか、地震で亡くなった人の追悼番組っていうの? そういうのをやってて、それで思い出したのね。
「ああ、今日って、あの地震があった日だったんだ。そうか……、あれからもう8年経ったのか。アタシあの時、5才だった」
私は、そっと片手を開いた。5才……、そう5才だった。
その時だよ。私、もうめちゃめちゃになっちゃって。
なんだか分からないけど、涙がわんわん出て止まらないの。心の中がぐちゃぐちゃになったみたいで。それで気がついたら私、オーバーコートを着て玄関に立ってた。
「早く行かなくちゃ」
頭の中には、そのことだけしかなかった。
あの空き地。地震で倒れたアパートがあって、ずっと後で全部片付けられちゃったけど、そのままそれっきりになってしまった空き地。
そこに住んでた人、ほとんどみんな死んじゃった。アイツも。
「早く行かなくちゃ。もう時間がないよ」
私は走った。すごく一所懸命に。冷たい空気で胸が痛くなったけど、そんなのかまわない。
そして空き地。アイツはいた。
やっぱり、歩道との境の壊れた塀の上にちょこんと座ってた。さっきと同じ。
でも、なんだかその様子が嬉しそうに見えたのは、気のせいじゃなかったと思う。
「マサシーッ! マサシ、マサシ君でしょ、そうでしょ! そうだよね」
私は、大声で叫びながら駆け寄った。
また涙がわんわんあふれ出て止まらなかった。
「フミちゃん、おもいだしてくれたんだね」
「そうだよ、ごめんね。マサシ君」
「よかった」
マサシは、こぼれ落ちそうなほどの笑顔を私に向けた。
そう、この笑顔。最後に別れた日もそうだった。
―さよなら フミちゃん またあしたね
―うん またあした きっとだよ
アイツの顔、沈みかける夕日よりもっともっと明るいステキな笑顔だった。
だけど、その明日は二度とくることはなかったんだ。
いやっ……、そうじゃない。たぶん。
私は言った。「ずいぶん遅れた明日になっちゃったね」
「そうだね、もうシアサッテくらいじゃないの」
「アハハ」私とマサシ君は、顔を見合わせて笑いあった。
「でも、あんた、なんでこんなところで迷ってるのよ。お父さんやお母さんもいっしょにいったんでしょうが」
「だけどわからなかったんだよ。だって、だれもおもいだしてくれなかったんだもん」
「でも、アタシが思い出した」
「うん」
「でっ、これからどうすんの」
「フミちゃんがおもいだしてくれたから、ぼくひとりでかえれるよ。ありがと、フミちゃん」
「さよなら、フミちゃん」
私、もうたまらなくなって、マサシ君をギューッと抱きしめたんだ。
幽霊だけどね。でも確かに感じたよ。絶対にまちがいなかった。
マサシ君のヒヨコみたいな鼓動が、コクコクコクって胸につたわってきたのを。
やわらかなかみの毛が私のほおをやさしくくすぐったのも。そしてお日さまのような匂いも。
それで、胸のへんがふっと軽くなったと思ったら、アイツ、もういなくなってた。
ただ私の腕だけが丸い輪を作ったまま固まってて。
―さよならマサシ君 また あし…… きっとだ……よ
涙がこぼれるから、空を見上げると大きなお星さまがひとつ光ってた。
「マサシ君のお星さまだ。アイツ、ちゃんと帰れたんだ、良かったね」って思った。
私、そのお星さまに向かって約束したの。
「マサシ君のこと、もう絶対に忘れないよ。ずっと覚えていて、いつだって思い出してあげる」
本当は、もうひとつの約束もしたんだけど、それは私とアイツだけの秘密だよ。
おっと、いけない。
もう眠っちゃったの?
「ねっ、マサシ? あんた今日からいくつになったんだっけ」
「ううん……むにゃむにゃ、ぼくもう5才になったんだよ」
「そっか、そうなんだねえ、おめでとうマサシ」
「うん」
「じゃ、もう遅いからね、また明日。おやすみ、マサシ」
「おやすみなさい、おかあさん」
彼の差し出した小さな手に、私は自分の手のひらをそっと重ねた。
― 完 ―
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