99年8月13日に毎日新聞に掲載された記事です
                        

水俣・久木野・愛林館 沢畑 亨

 私の住む家の裏から三kmにわたって連なる寒川地区の棚田が、このほど日本の棚田百選に選ばれた。 実は、ここは百選の中でも(私の家からの距離が)日本一の棚田である。 

五年前に久木野に移住して以来、私も棚田を二枚借り、多くの人に教わりながら合鴨と稲を育てている。 テーマは「最小限の労力」である。収穫した稲は愛林館のお客さんに出したり、お世話になった方に差し上げたり。 無肥料栽培で収量は少ないが味が良くて好評だ。私の稲作は草むらを水田に回復し保全しているのであって、収量はどうでもいい。

 さて、「棚田は美しいけれども維持は大変」という認識は、最近は広く理解されてきたと思う。 寒川の棚田などは平均約二アールの広さで、機械の出し入れは大変だ。 アルミ板の上を後ろ向きに耕運機を動かすと、命が縮む思いがする。そもそも耕運機は平らな土地向きにできているのだ。 棚田は牛馬と人間が農作業をする時代に造成された。石垣の段差の近くでは牛馬も人間も危険を感じて慎重になるが、機械にはそんな芸当もなく、ただ言われた通りの仕事を馬鹿力で続けて、畦を破壊した揚げ句に下の田に転落してしまう。

 私の勝手な観察によれば、棚田の持ち主は「先祖から受け継いだものを自分の代で荒らしてはいかん」という倫理観六割、「自分の田を荒らせば周囲が何と言うかわからん」という共同体規制二割、「自分で育てた棚田の米はうまい」という積極的な理由二割によって、経済的には全く不合理(田に出るヒマに残業や休日出勤した方が収入も増えるし、機械につぎ込むカネで米を買う方が安い)な稲作を続けている。

したがって、その苦労がわからない人に「棚田は美しかですなあ」と言われても素直に喜べない。「そう思うなら力かカネを出してくれ」と思うことだろう。現にヨーロッパの国々ではカネを実際に出して条件不利地域の農業を支えているのだ。

 現行の制度に対する不満はたくさんあるが、せっかくの百選入りなので前向きな提案をいくつかしたい。

 まずは、新農業基本法でようやく取り入れられる直接所得補償制度(条件不利地域の農業に対する補助金)だが、集落単位でなく個人単位にしてほしい。 また、農薬や除草剤の使用量など環境への負荷の大小に応じて補助額を変える方がいい。基盤整備田は排水が直接川へ流れ込むが、私の周囲の棚田では田から田へと水は流れ、その間に水が浄化されている。 補助金の財源の一つとして、農薬や除草剤への高率の間接税はどうだろう。駐車場や道路沿いの雑草が目ざわりだから除草剤をまくとか、虫の顔も見ずに隣が農薬をまいたからウチもまくなどという安易な使用を減らし、プロが必要最小限の量を使うようにしたいのである。

 もっと必要なことは、棚田向きの基盤整備(農家の負担は平地と同じ程度の額で)である。 熊本県が棚田の保全事業を始めたので喜んだのだが、よく聞けば平地と同様に斜面を土で固め、幅4mの農道を作るという内容だった。現在垂直に立っている石垣を壊して土の斜面を作って農地を減らし、さらに、四mの道路で農地を無駄に削る。棚田農家のトラクターは小型で、農道は軽トラックがギリギリに入れば十分である。また石垣をなくせば棚田の破壊でしかない。棚田一枚の面積を広げる意味はもちろんあるが、石垣を積み直して現在の四、五枚を一枚にするような工事が必要なのである。

 基盤整備ができれば、次は小型農業機械の開発だ。トラクターより小さい乗用の耕運機が三十万円で買えないものか。最近出たY社の乗用の機械は性能は良いが、七十万円では小規模な農家はちょっと買いにくい。

 最後に、地域外の住民との交流を進める体制を作りたい。いつ来ても安価に気軽に泊まれる場所(部屋と台所と風呂)と、農作業指導者に対する日当と、農業機械の借り上げ料さえあれば、棚田オーナー制度や、愛林館でも進めつつある数週間の棚田保全ワーキングホリデーも簡単にできる。 こうした交流は農家の精神的な刺激になって重要なのは言うまでもないが、上記のような方策を通じて農家が安心して農業を続ける方がもっと重要だ。 

世界的な人口爆発と農地の減少に加え異常気象の頻発など、今後世界の食糧事情が好転する要因はない。食糧危機に備えて現在の農地を少しでも多く保全することは日本の将来にとって大切だと私は考えているが、どうも世の中では少数派らしい。それで、数十年後に私の育てた米を消費者に高く高く売りつけることを楽しみにしているところだ。

その時、この記事を持参した方には値引きすることにやぶさかではない。

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