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| 2011年 | |
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日頃は、ソナーレの活動にご理解とご支援を誠にありがとうございます。 「皆さまいかがお過ごしでしょうか?」 気軽に交わしてきたこの言葉さえ、軽々しくは口にできないと感じるこの頃です。あの3.11東日本大震災から、大きく日常生活が変わってしまった方々、そのご心痛を想わない日はありません。 私たちに何が出来るのか、未曾有の災害を前にそれはあまりにも無力で・・・正直言って、未だどうしたらいいのかわかりません。 ここ7年、年の瀬にソナーレチャリティコンサートを開催して参りましたが今年は、この時期の開催を延期とさせてください。 ソナーレをいつもご支援くださった皆さま、本当に申し訳ありません。 心からお詫び申し上げます。 開催する者とチャリティコンサートに足を運んで下さる方々のご参加があってこそソナーレの活動が支えられて来たことを改めて感謝するばかりです。 先ずは家族から、そして友人、隣人へと、一日も早く平穏な日常が戻って来るよう私たちも共に努力したいと思っています。 被災地の冬は例年に増して冷えることでしょう。 どうか心を強く持って、世界中からのエールが皆さまのもとに届きますよう お祈り申し上げます。 ソナーレ 渡邊 真澄 |
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ソナーレ代表 渡邊真澄 .. 大地震の翌日12日(土)午後、単身で赴任している兄の帰りを待って、被災地の宮城に両親を迎えに行ってきました。その前日に奇跡的に一度だけ兄と母の携帯が繋がり、両親の無事は判っていましたが被災地の状況が報道で明らかになるうちに、居ても立ってもいられず無謀とは知りながら車を走らせました。 道中、道路の寸断や、ガソリン売切れを何とか回避しつつ現場に到着したのは13日(日)朝でした。町役場で避難場所を伺い、避難場となっている小学校で各部屋に貼り付けてある名簿に両親の名前を見つけ、無事両親に会うことが出来たのです。 避難場所は人が一人やっと横になれるスペースしかなく、水も電気も停止し携帯は圏外のまま、各所に孤立していた人たちが次々と到着していました。私が生まれ育った町は、多くの家屋が津波の被害に遭い、家を無くした隣人、家族の安否を求める友人知人、途方に暮れる同級生…私には言葉がありませんでした。高齢者が多くを占める中で、独特なテンションで若い人たちがきびきびと動き、炊き出しや不明者の情報収集、所在の情報提供、医療の手配・・・に奔走していました。 テレビで見る通り、被災地は深刻な状況です。 “ここで頑張る”と言う父に、“何を頑張るの?”と言った自分の言葉に、それは、被災をたまたま免れた私たちに向けられるべき言葉であることを思いました。頑張るのは私たちなんだと。 住み慣れた町を離れることよりも、共に被災した仲間たちを置いて、自分たちだけそこを離れるのが両親は忍びなかったのでしょう。“避難所には1人でも2人でも人が少ない方がいい、1週間経ったら戻ることを考えればいい・・・”と両親を説得し、被災地を後にしました。 万人の口癖である“頑張って!”はどんなに被災者にとって酷な言葉か・・・。間違いなく長期戦になることでしょう。何とかしないと・・・何とかしないと。気持ちばかりが焦ります。 被災を免れた私たちさえ無力である事は重々承知の上でなお、私たちに何が出来るのか・・・・・・一緒に考えることから始めませんか?無力である事を笠に着て何もしないことこそが偽善だと自分自身を戒めています。私に知恵をください。そして何か出来ることを一つ、思いついたら行動してください。 被災者の皆さま、どうぞ心を強く持って、共に生きて行きましょう。 |
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