ページを改めて書き綴ります。
タイトル一覧 @ プール金再調査、「免責」条件の真意 A 情報操作(その1) B 箱もの行政を擁護する前に
私は今回の調査の免責条件とは、初めから、裏金を個人で持っていた職員のために打ち出されたものであったと理解している。
県は「免責条件によって全容が解明した」と言ってはばからないが、それは詭弁である。
事実、県は、静岡財務の事件後の特別監査を受け終結したとして真実に蓋をしようとしたが、検察によって熱海事件、沼津事件と二度にわたりその不作為を責められ、解明せざるを得なくなっていたからである。
次は誰が捕まるのかというときになって、突然の免責条件による再調査である。
しかし、この再調査以前の監査で判明した裏金を扱っていた担当者で誰がいったい「処罰」されたというのか?むしろ、もとより県は処罰することなど考えていないのにもかかわらず「免責」を条件に再調査したのは、県を出し抜くような形でこれ以上の逮捕者を出されてはかなわないという情勢判断によるものと見るのが筋であろう。
それは、もし「免責」条件がなかったら何が違っていたかを考えれば明らかだ。
機関管理していた裏金については特別監査の時と同様に形式的処分をすれば良いだけで、免責条件への批判も生まれなかった。しかしあえて県は免責条件をつけた。
もちろんこれまで隠蔽してくれた職員に対する恩義がなかったとはいえないが、これは先の財務事務所の事件と同じく、表向きは非難しても翌年度昇格させるなどフォローの方法はいくらでもあったはずである。
にもかかわらず、「突然の免責条件」である。
県は、引き継ぎを断られた、引き継いでもらえないだろうと思ったなどの理由から、自己の判断で自宅に裏金を持ち去り保管していたものや個人の口座に入れていたものなど、いわゆる「個人保管者」を処分しない理由の一つとしてこの「免責」条件を持ち出している。
実質的な違いはこの部分だけだ。
県が個人保管の事実を最初から知っていたとまでは言えないが、少なくともこれを予想していたのではないか、そしてその人たちを検察の手から救おうとしたのではないかと疑うには十分な事実経過であろう。
はからずも県は、それら裏金保管者が真実を語る「チャンスを希望していた」と説明したが、まさにそのとおり、続々と仲間が逮捕される中で、犯した過ちを帳消しにしてくれる「チャンス」を欲していたのはだれの想像にも難くない。県は追い込まれた者同士、庇い合ったのだ。
そのことは、県、そして裏金個人保管者、それぞれの(私)情としては理解できるが、県は公の機関であり道義的規範に則って判断・行動しなければ社会全体に荒廃の種を蒔くことになる。
組織・機関として犯した過ちは組織・機関として責任を取り、一方、個人の判断で犯した過ちは個々人が個人として責任を取るのは当然のことであり、「同じ」では決してない。「同じ扱い」ではいけないのだ。それが道理である。
今回、極一部の個人保管者を庇い、無理を通すために払った社会的犠牲は決して少なくない。
@「どんな嘘やミスも理由さえあれば許される」 (例:金庫にあったという嘘も処分なし、公文書開示ミスでも処分なし)
A「嘘つきは得をして、正直者は損をする」 (例:隠蔽職員の昇格人事や免責、自首職員は有罪)
B「すべては金で解決」 (例:使途不明裏金も返せばよい。最も重い処分が一時的な減給)
C県民には法令を杓子定規に押し付けるが、身内には寛容 (例:違法な裏金も必要悪、個人保管もやむを得なかったなどの見解)
D自分に都合の悪い情報は積極的に話さない (例:マスコミに指摘されるまで個人保管の事実を発表せず)
このような規範意識を提示して、彼らはどのような国家を目指しているのか。
やはり私には彼らにあるのは国家・国民でも県民でもなく公務員共同体としての県組織だけだとしか思えないのである。
とはいいつつも、実際は現実の社会の方が先行しているのかもしれない。弱者をターゲットにする犯罪の増加、企業モラルの崩壊。
そんな現実を見つづけていれば本音と建前が違うことくらい子供にでもわかる。
いまや、法に触れなければなんでも許されるというのは本音の部分で一般化し、清廉さなど何の徳でもなくなっているのではないか。
ならばこそ、公が範を垂れるべきなのだが、現実はそういうものでもないらしい。
かの独裁者にして法治主義者の始皇帝にあっても、厳罰をもって「朋党比周」(グルになって庇い合う)「以公権私」(公に大義名分を立てて私事をなす)などの官僚の習性を正そうとしたが、ついにかなわなかった。役人の習性は、それほど根深く構造的なものだ。
我々はこうして21世紀を迎え物質的生活水準は向上したが人間そのものの認識力・人格は千年前と何も変わっていない。しかも今日の世相を見る限り、退廃への流れが深刻な状況にある。
わずかではあるが希望もあった。国民一人一人に与えられた情報公開請求である。これが監視の手段として機能すれば透明性の中で万人の相互監視のもと相互が正しき方向に進むと思われた。
しかしこれさえも今回の事件は無効にしてしまった。
文書不存在・不作製である。作らなかった、作ってあったが見つからなかったなど理由をつけ免れ、後にこれがばれても結局、主犯者は「お咎めなし」どころか昇格である。それも「監査委員事務局において」である。今後もこれは続くであろうし、今検討されている県の「口利き記録」にしても都合よく作り忘れが発生するだろう。なにせ組織防衛のためのミスなら罰則がないどころか恩賞があることが明示されたのだから。
そういえば、公金である以上どこにあっても公金だとの迷見識を示したのも監査委員だった。
虚偽発表の責任を事務所に擦り付け責任逃れをしようとしたのも監査委員だった。
しかし、これだけのことをしても(知事でさえ減給という処分を自らに課したのに)何の処分もなく、未だに県の代表監査委員だと称して行政介入している中山祐次とは何なのか。厚顔にも程がある。それを良しとする議会もなさけない。平成8年度の預け金事件の時にも疑惑が指摘される中で再調査を不用とし大多数の賛成で幕引きを測った。今回も県判断の追認なのだろうか。はっきりいってこんな監査や議会なら存在しない方がマシである。モラル崩壊の象徴・絶望の象徴でしかない。
思いつくまま雑然と書き綴ってしまったが、最近、頻繁に思い出されるのが、知事が口にした「やむを得ない」という言葉である。
あの程度の理由で「やむを得ない」のかとか思うと、様々な場面場面で「やむを得ない」と「仕方ない」という言葉が浮かんでくる。
結局、今日のありようも、そしてこれからこの国で起こる出来事もすべてが「やむを得ない」「仕方ない」ことなのではないのかとさえ。
悪魔のささやきとはこういうものをいうのかと。
2003.9.28
まずは、以下の表をご覧ください。 平均的県よりも悪い 静岡よりも悪い 平均的県よりも良い ‥‥ − − データは総務省統計局HP(http://www.stat.go.jp/data/ssds/5.htm)所載の直近2000年データを使用(以下同じ)
この表からは、注釈にもあるとおり、静岡県の地方債残高の割合が全国で5番目の146%と、平均125%よりも多く、他県に比べ不健全な様子が把握されると思います。
しかし、これが、同じデータを使っているのに全く逆の印象すりかえるテクニック(トリック?)があります。それが下表です。
平均的県よりも良い 静岡よりも良い 平均的県よりも悪い ‥‥ −
こちらの表では、なんと、静岡県の地方債残高の割合は、全国36位の383%となり、平均の575%を下回り、他県に比べ良好な印象となりました。また、冒頭の表では静岡より悪かった大阪が静岡よりも良くなり、反対に良好だった高知県は全国で2番目に悪いという結果となりました。
これはなぜでしょうか。
違いは「何に対する割合か」という点、すなわち分母の問題です。前者は、歳入全体に対する割合で、後者はその内の地方税に対する割合だというこが原因です。
財源調節機能を果たす地方交付税を含めずに地方税のみで比較すれば、分母が大きくなるわけですから、地方税比率の高い県の相対的割合が低くなるのは当然のことで、結果、先にご覧のとおりの違いとなるわけです。
どちらの表も数字として誤りはなく、分母に何を取るべきという明確な基準が存在するわけではありませんが、「何を目的として、それを数字で表すのか」ということを考えれば、どちらがより適正な表現であるかは理解できると思います。税を分母にしたらそれは地方税の割合の低い順に高くなるだけの順位付けという意味の方が大きくなって本来の意味をなさないということになるわけです。
以下にもう一例、見てみましょう。なお、分母を違えることによって替わるのは何も悪い割合ばかりのことではありません。下表は教育費の割合です。
(対歳出決算額)
(ベスト)
(対一般財源)
(ベスト)
(対地方税)
(ベスト)
このケースでもやはり(対歳出決算額や対一般財源では高かったにもかかわらず、)「地方税」を分母にした途端、平均割合よりも低くなり、順位も逆転してしまいました。
ただ、この場合は教育を重視しているという意味でのアピールから見れば、先の事例と異なり、低いよりも高い方が良いことになるため、静岡県が、あえて地方税を分母にする必要はないことになります。(また、高知県は分母を地方税にしたいところですが、このケースでは100%を超えてしまうためバレバレで、それもできません。)
以上のことを理解した上で、先の県議会9月定例会における知事答弁を見てみましょう。
平成15年9月静岡県議会定例会、10月3日、知事答弁抜粋 よく、地方行政におきます問題点の筆頭に、箱もの行政、その維持管理費が莫大な金額に上って、これが、今日の財政危機の最たる原因であると言わんばかりの議論が横行いたしております。果たしてそうでしょうか、ということで、私どもは調べてみました。47都道府県に照会を致して、回答いただけなかったところもありますので、現在までまとまっているところは、本県を含めて41県の文化施設、スポーツ施設、これについて、施設管理費がどのくらいかかっているのか、それを調べてみたわけであります。そういたしますと、絶対額はともかくとして、この管理費から使用料収入を除いたもの、これが俗にいうマイナスになっている場合は、使用料よりも管理費が上回っている場合、いわゆる赤字経営の状態ですね。そういう状態はどこの施設も軒並みそういう状態でありますが、その赤字額、総額ですね、穴埋めすべき赤字額と地方税収入、都道府県税収入、それとの対比を見てみますと、41県平均で地方税に対して、その割合は、1.09パーセントであります。赤字補填分は1.09パーセント、本県は0.92パーセントでございます。本県の場合、金額は、管理費が人件費を含めて41億7,700万円、使用料収入が、4億3,600万円ありまして、いわゆる赤字と想定されるものが37億3,600万円であります。それに対して、昨年の税収は、4,100億円くらいありましたから、0.92パーセントということになるわけでございます。
要するに、他県よりも「対地方税」比率が低いのだからいいじゃないかということですが、‥‥‥(もうお解りですね)。
補足として、静岡県が地方税を分母にする利点を述べれば、静岡県は全47地方公共団体中、法人事業税の超過課税を行なっている7都府県の一つであり、その額は平成14年度で51億7,200万円あり、これが地方税収に含まれているところですが、さらに上記答弁から見て有利となっている事実は「41県」というところで、(おそらく低位割合の)東京、大阪などが含まれていないため、平均が高めに出ている可能性が高いところです。
こういった数字を使った情報操作は空港関係では日常茶飯事なので驚きもしないでしょうが、あまり関心の無いものですと、うっかり、高い低いといった結果だけを記憶して根拠を忘れるということになりかねません。
県が数字を出す時は何らかの意図を持って出すわけですから、その意図を洞察し、数字を注意深く吟味することが重要です。
2003.10.25
去る11月4日、こともあろうか前述「情報操作(その1)」で指摘した箱ものについての情報操作例について、県HPの知事トーク『「箱もの行政」を単純に批判する前に』に箱もの擁護の根拠としてその数字がアップされたという知らせを受け、これについての再反論を行ないます。 中央図書館 美術館 グランシップ 舞台芸術公園 草薙総合運動場 愛鷹広域公園 小笠山総合運動公園 県立水泳場 富士水泳場 武道館
知事トークの概要は「文化・スポーツ関連施設の維持管理費における県負担額の状況〜地方税収入に対する割合は、全国平均で1.06パーセント、本県は0.92パーセント〜」というもので、いかにも全国的に見て少ない維持管理費県負担割合であるかのような表現となっています。
しかし、実態は
関連施設の維持管理費
(H15当初予算)
(管理費−使用料収入)
県負担費/地方税
であり、全国的に見て多い維持管理費県負担割合であることがわかります。
関連施設の維持管理費
(H15当初予算)
(管理費−使用料収入)
県負担費/予算規模
したがって、知事の箱もの擁護の根拠は数字としてはこれだけですから、根拠の無い擁護トークと言わざるを得ません。
しかも、財政危機の原因として、維持管理費よりも、より大きな問題である施設自体の建設費の多寡の分析が行なわれていません。
下表のとおり、近年建設され、そのための県債を今後返済していかなければならないことの方が本来注視し、原因として反省すべき問題であるにもかかわらずです。知事トークは、そこからも目をそらそうとしているかのようで実に不快な情報操作です。地方税を分母とすることの不合理性だけでなく、以下の施設で、彼が知事になってから推進したものがどれだけを占めるのかということを深く自覚し、その上でものを言ってもらいたいものです。
最後に、この「箱もの」に「イベント」を加えたら彼の好きな全国トップの負担割合になれるんじゃないの、と今後の分析の助言としておきましょう。
(前述県HPより抜粋)
(文化・スポーツ関連のみ)
(管理費−使用料収入)
(用地費・造成費除く)
(エコパ含む)
2003.11.30
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