雑 談

 2000.05.27更新

 このページでは、日ごろ感じたこと、出合った出来事など取留めもなく書き綴りたいと思います。

 タイトル一覧 @これって黒字? A空港教団、県東部攻略に照準 B住民監査請求ってなに C本当に職員数は少ないの? D困った傾向 E世相 F裸の王様 G教育は変わったか? Hコピーハーフ運動 Iリンク J不当な行政指導対抗策

<これって黒字?>

 まもなく「Sizuoka春の芸術祭」が開催される。
 これは、昨年静岡県で開催されたシアター・オリンピックスが成功したことを受けてこれからも同じ時期に同様の祭典を続けていこうというものだ。
 このこと自体に異議を申し立ることはないが、その支持根拠として新聞でも書かれた「シアター・オリンピックスは黒字だった」ということについて考えてみたい。
 そもそも黒字とする根拠は、収入約14.4億円に対し、支出が約12億円だったということだ。
 確かにこれなら2.4億円の黒字だ。こんなに儲かるんだったら毎年やればと言いたくなる。
 だがちょっとまてよ。ほんとに収入がそんなにあったのかな。で、調べてみた。
 結果はなんと、「収入」14.4億円のうち6.7億円は県の「支出」だということである。その他、実質は静岡県の税金で運営されている静岡県文化財団の共催費0.8億円も「収入」に含まれているので、少なくとも収入の半分は税金であることがわかったのである。
 何で支出が収入に化けるんだ?
 つまり、黒字というのは「事業にとって」であって、静岡県にとっては赤字ということなのである。
 とはいえ、行政の文化事業はそもそも収益を目的とするものではないし、赤字イコール悪ではないのでこの結果は即、非難の対象となるものではないが、いかにも県が収益をあげたかのような「黒字」表現はやめたほうがいい。
 確かに、県の支出を収入とする理屈があれば、どんな県事業でも黒字になると言えて便利なのかもしれないけど。

2000.04.20

<空港教団、県東部攻略に照準>

 静岡県と静岡県の補助金をもらって活動している静岡空港建設促進協議会は、最近になって県東部での静岡空港の布教活動を活発化させはじめた。
 これにあったての基本戦略は次の二つだ。
 一つはマスコミ批判をかわすためのもので、「赤字の代表として佐賀空港と大館能代空港を取り上げる。両空港の所在県の人口・工業製品出荷高の低さが赤字の原因としてしまう。静岡県はそんなところと規模が違うから心配要らないと結論づける。」という論法。
 もう一つは必要性を訴えるためのもので、「静岡空港は観光産業にプラスになる。だから静岡空港が必要だ。」という論法だ。
 前者は、合理性のない県境で需要判断したり、なんら根拠のない人口等との相関関係を持ち出したりと巧妙で、素人は騙されやすいかもしれないが、空港に関心を持っている人なら騙されないだろう。
 後者は、子供だましもいいところで、ないよりはあったほうがプラスになるのは当たり前のことだ。要は採算性等総合的に判断して必要かだ。こんな理屈が通るのなら伊豆にもう一つ空港を造ればいいということになってしまう。
 話が変わるけど、そういえば一昨日の朝刊から朝日新聞が静岡空港問題を取り上げてくれている。
 一地方の政治勢力に媚びない論調は、さすが全国紙だ。しかもよく取材し書かれている。これからもがんばってほしい。
 それから最近、空港はいらない静岡県民の会がHP上に「
「静岡空港」Q&A」を掲載した。
 世間一般に理解を求めるのには、構成・内容ともに、すばらしい出来だ。
 ほんとに便利になるのか、ほんとに採算が取れるのかという最も本質的な論点がトップにきているのは好感が持てる。後は、どう普及させるかというソフト面の戦略が重要だろう。
 老若男女幅広い県民の関心を引くにはオオタカというシンボルもあることなのでこれをモチーフにしたマスコット戦略なんかも有効ではないだろうか。いずれにしろ県民の関心を高め結論を急ぐべきだろう。

2000.04.20

<住民監査請求ってなに>

 新聞紙上でも報道されていたのでご存知の方もおられると思うが、先日24日、県監査委員は、オオタカ保護対策の調査・検討事業の委託費に係る住民監査請求を却下した。
 この住民監査請求とは、地方自治法242条に基づくもので、「普通地方公共団体の財政の腐敗の防止を図り、住民全体の利益を確保する見地から、地方公共団体の長その他財務会計職員の違法もしくは不当な財務会計上の行為について、その監査と予防、是正等の措置を監査委員に請求する権能を住民に与えたもの」(西川町事件最高裁判決)である。
 どういった行為に認められるのかと言うと、地方公共団体の機関・職員の@「違法若しくは不当な公金の支出、財産の取得、管理若しくは処分、契約の締結若しくは履行若しくは債務その他の義務の負担」といった財務会計上の作為と、A「違法若しくは不当に公金の賦課若しくは徴収若しくは財産の管理を怠る事実」すなわち財務会計上の不作為の2つの場合に認められる。
 請求は住民1人で簡単にすることができる。議員は議会において同様の権能があるのでできないが、職員は住民であるかぎり当然に請求できるのである。
 また、1963年改正により、請求には期限が設けられ、真正不作為事実を除き原則として、当該財務会計上の行為から1年以内にしなければ却下、すなわち門前払いとなることになった。(1年の例外について詳しく知りたい方は最判昭62.2.20、最判昭63.4.22、最判平9.1.28などを参考に。)
 実はこの制度は、非常に有効と思われる制度にもかかわらず、現実にはあまり活用されていない。
 自治体の情報公開が遅れていることに加え、請求の多くが却下される現実があるからである。
 却下理由の一位は請求期間を過ぎていることを理由とするもので、多くの場合住民が不正に気づいたときには期限を過ぎていたケースが多いのである。
 今回のオオタカ保護対策の調査・検討事業の委託費に係る住民監査請求でも却下理由として挙げられているのである。
 犯罪としての虚偽公文書作成罪の公訴時効が7年にもかかわらず、違法若しくは不当な公金の支出をしても1年経てば実質的には責任追及できなくなるのである。
 (請求期間1年は、)まさに、不正を行った役人の責任逃れの最強の武器となっているのである。
 期間制限規定は早急に廃止すべきであろう。

2000.04.30

<本当に職員数は少ないの?>

 静岡県は人口当たりの職員数が全国4位の少なさと自慢していますが本当にそうでしょうか。
 県のHP上で、自治省定員管理調査に基づき、モデル試算職員と対象職員数の比較をして職員数の少なさを強調していますが、この対象職員数、(HPの注にも書いてあるとおり)実は派遣職員が含まれていません。
 派遣職員は、派遣先の仕事をし、そこから給与を得ているのだから、県の行政を行っている人数に含めなくてもいいのではないかというかもしれないが、それはおかしい。
 派遣先は、ほとんどすべて県からの出資、補助で運営されている団体で、県から委託事業を受注している団体もあるではないか。
 そして、その派遣職員の数8公社・1企業団・1研究所で総勢約200人。
 まあ、素人の行政評価委員や県民を納得させるのには効果的だが、職員は皆知っているのだから、こんな形で行政評価の数字を上げるのはいかがなものか。

2000.05.01

<困った傾向>

 知事が(外形標準課税問題で)弱腰だった影響なのか、最近、他の事務についても「自治省の見解を待って」とか「他県の動向を見てから」「東京都の動向を踏まえてから」といった自主性のない本庁からの指導が蔓延してきてしまった。
 こういう時は、何もしないで指示を待っていればよいとも言えるが、外(県民)から見れば何やってるんだと言われかねない。
 まったく、困ったものだ。

2000.05.01

<世相>

 大手銀行に公的資金が注入されたが、この際、貸し渋り批判を受けて提出された経営健全化計画の中で中小企業融資について数値目標を盛り込んでいた。2000年3月現在の中小企業への貸出残高を各行が具体的にいくらにすると言うように設定したものだ。
 そして、どうやらこの貸出し金額の目標が達成される見通しとなった。
 これを目的指向型行政管理の業務棚卸法的に評価すれば、貸し渋り対策を目的として公的資金注入を図り、現実に中小企業への貸し出しが99年上期に比べ下期には6倍以上に急伸するなどして数値目標を達成し、大きな成果があったということになるのだろう。
 しかし、実態は通産省の産業区分上は中小企業扱いの土地開発公社や特殊法人に資金が流れているとしたらどうだろう。本当に成果があったと言えるのだろうか。単なるつじつま合わせ、これで本当によいのだろうか。

 一方、数値目標といえば、学生の数値目標は相変わらず偏差値ということになるだろう。
 偏差値に反映されないものは、なるべく無視した方が効率的だ。心の教育などと言ってもこれによって偏差値は上がらない。上がらなければいい高校・大学にも入れない。
 目先の目標がよい進学にあるのなら、それ以外の価値は捨象した行動規範として、今は偏差値を上げることだけに専念した方が効率的ということになる。
 しかし、偏差値が高くても良い子は損をするのが今の世の中だ。
 どんなに頭が良くても、それだけでは現実の暴力・狂気には対抗できない。今の世の中、道徳や倫理では生きていけないし、勉強ができるからといって幸福になるわけではないのだ。
 だから多くの人は本音と建前(きれいごと)を分離し、言葉と行動を分離し安定を図る。
 しかし、純粋培養の道徳心や倫理観を内在したいわゆる良い子は、いかんともしがたい現実を認識すればそのギャップに耐えられない。
 善悪は人が作ったもの、社会が建前として布教したもの。目的のためには全てが許されている。目的選択さえも善悪を超越して選択可能だ。唯一そう考えれば救われる。これがニーチェの説くニヒリズムである。道徳や倫理を弱者の論理として廃棄する強者の論理である。これに捕りつかれるのである(いわゆる優秀な子ほど)。
 どちらにせよ、多様な価値体系の中での単一の価値(目標)の実質的支配は、言葉が無力化するという結果を誘発させるのである。
 一般の組織社会にあっても同じである。一般に情報アクセスが自由な中にあっては、他の並存する価値に優先する形で存在する目標管理による人間行動の管理は不可避に言葉の無力化を生じさせる。
 そしてこれが閉塞感をもった未来像と共存したとき、確実に次の行動として現れる。
 現実原則の強弱に応じ、一方は自己否定的に、もう一方は他(弱)者攻撃的に。

 計画経済型の組織運営は、旧ソ連のように当初は一定の成果を上げるだろうが、何もしないでもいずれ行き詰まるだろう。今の無関心が結束に向かう前提を絶対的に欠いているのだから。
 人間の意識変革は決してドグマによって成し遂げることはできない。

2000.05.07

<裸の王様>

 あす、知事が熱海に来るそうだ。
 日中は地元の県民と語り合った後、夕方から防災職員と語り合うことになっている。
 建前はフリートークということになっているが実際は発言の職員が決まっている。
 1年前と同じだ。(ただ今回は内容の検閲まではしていない。)
 理由は、決めておかないと誰も発言しない恐れがあり知事の機嫌を害するからだということらしい。
 当然内容も穏当なものにという指示が出ているそうだ。
 知事本人は、もちろんこの事実を知らない、と思う。
 おそらく明日は積極的な意見をたくさん聞けて満足げ、というところだろう。
 マスコミも好意的に評価するのだろう。実におめでたいものだ。
 われわれ職員はいつもこんな建前と実態の乖離を見せられている。知事に対する信頼が生まれようはずもない。わたしは、むしろ、彼を気の毒にさえ思う。

2000.05.11

<教育は変わったか?>

 世相のタイトルで書いた後半部分は17歳の少年の事件を意識したもではという質問があったが、そのとおりである。
 学校も社会も基本的な構造は同じと言う認識から視点を当てたものである。
「教育成果の評価基準が画一的であるので、入学試験科目の多様化を図るなど、従来なかった教育成果を認めさせる基準づくりなどを検討すべきである。
 東大は一層むずかしくする一方で、他の大学は地域に密着した評価を受けるものへ変えてはどうか。
 社会においても、卒業資格でなく実力を評価するように変わる必要がある。そのため、高校生でも、老人でも専門教育を受けられる場を作るべきである。
 教育内容の個性化、自由化を進め、学校設立、学校選択、教師選択の自由化を図るべきである。
 教師の生徒に対する主観的な評価を残すなら、父母・生徒からも教師の評価を行うことができるようにすべきである。」(「臨教審だより」昭和60年6月臨時増刊より転記)
 これは、昭和60年、全国6地区で行われた臨時教育審議会の公聴会の1つで、当時学生だった私が発表した意見の概要である。
 当時は社会人でなかったこともあり、こういった成果の評価基準の画一化という傾向がここまで広範に社会を覆うものとの認識はなかった。しかし今日、能力主義の誤解の下、属人的に成果の評価基準の画一化が図られようとしている。多様な能力の組み合せこそが成果の要諦にもかかわらず。
 そして教育もまた評価指標の多様化だけ図って、適用の多様化は図られなかった。
 すなわち、個々の生徒に対し、多様になった評価基準を総合的・画一的に適用しているのである。
 これでは本質はなにも変わっていない。本質的な構造が変わらなければ人の意識変革は決してありえないのに。

2000.05.12

<コピーハーフ運動>

 コピーハーフ運動とは、平成11年度から2年間で(本庁だけを対象に)コピー量の半減化に取組む運動で、職員の意識改革の取組の一つとして位置付けられています。
 確かに、本庁の各室にとっては、これがノルマのように感じられるのは理解できます。
 しかし、この付けを出先に振り替えるのはどうかと思います。
 今日も、本庁から会議の原稿だけを持参して出先のコピーで資料づくりをしていきました。
 先だっての県下各所を集めた会議でも原稿だけ持参して数百枚もコピーしていきました。
 こんな方法でコピー量が半減しても私は意味がないと思うのだが、彼らにとってはとにかく数字の上で半分になったという成果が得られれば十分意味があるのだろう。
 ごりっぱです課税室さん。さぞかし職員もりっぱに意識改革することでしょう。

2000.05.15

 現在は、改善されました。(2000.07.31)

<リンク>

 空港に反対している県職員の方からメールを頂き、空港はいらない静岡県民の会のHP上の「静岡空港・異論・反論何でも掲示板」を紹介されました。
 なかなか面白かったので
リンク(ここの掲示板をクリックする)します。
 「空港に反対する県職員」さん、これからもがんばってください。私と同年代であることも心強いです。
 ただ一つだけ、天下り幹部職員に反対しているところは賛成できませんが。
 私はむしろもっと多くの優秀な職員を国から招いてその能力を活用すべきと思っています。
 特に最近そう思います。こんなときに国家上級職を通った人が上にいたらもっと迅速にまともな判断をしただろうにと。
 もちろん暴走の危険もありますが、現場がしっかり監視すれば抑えられると私は信じていますから。
 PS.掲示板の中でT・M・Kというイニシャルで伏せてある人名は事実に基づいた公の利害に関するものであれば公表してもいいんじゃないのかなー。職員録で調べるのに苦労してしまいました。

2000.05.22

<不当な行政指導対抗策>

 寄せられたメールの中に行政側からの指導に関する不満の相談がありましたので、この機に一般的な対処法について書き留めたいと思います。
 行政から「このようにしてください」「こうしないでください」というように言われたら、まず最初に「その根拠法令は何ですか」と聞いて記録してください。そして本当にそうなのか自分で必ず確認してください。
 またここで注意すべきは要綱や要領といったものは法令そのものではないということです。必ず要綱・要領を根拠づけている法令まで聞いてください。
 次に、もし法令に依拠しないことがわかったら「静岡県行政手続条例第33条に基づきその指導の趣旨・内容・責任者(注:担当ではない)が明確に示された書面の交付を求めます」と告げてください。なお、この書面は同条2項で、行政上特別の支障がない限り交付しなければならないとされているものです。ただし字句の訂正などその場において完了する行為を求めるような行政指導には適用されません。
 最後に、法令に基づかない指導はあくまでも任意の協力によってのみ実現されるものである(同条例32条)ことから「真摯かつ明確」に不協力の意思を表明した場合、これ以降の行政指導の継続は違法性を帯びるということ(最判60.7.16)。このことから、行政指導にどうしても納得がいかない場合は、裁判で「真摯かつ明確」の認定を得られるように、口頭による反対(不服従)の意思表示に加え、必ず@反対の意思を内容証明郵便等の書面で伝えるA不服申し立て・審査請求等の法的手段をとるようにしてください。
 なお、違法な行政指導で不利益を被った方は国家賠償法に基づく損害賠償請求ができ、実際活用されているので是非トライしてもらいたいと思います。
 県民の毅然とした態度こそが健全な県政への変革の契機になると私は信じています。
 組織内において、職員の毅然とした態度が上層部の甘え・腐敗を正すのと同じように。

2000.05.27

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