「○○○○は、彼の行動や原理を判断しようとすることは余人にとっては何の役にもたたない、という印象を呼び起こそうとしたのである。○○○○は、他の人々が『このような法外な行動や意見に直面しては、到底なんらかの経験を獲得することは不可能である、』と思わずにいられないように、そのように彼の行動を仕組もうとしたのだ。彼は一つの経験とか、一つの判断の形成とかを他の人々にとって不可能にならしめようとしたのだ。彼は時々刻々に思想や態度を変更することによって、あらゆる経験、あらゆる判断の彼岸に身を置こうとした。これは未聞の方法であった。それは悪魔的なやり口であった。実に、それはおよそ人間的様式の埒外にあった。」(マックス・ピカート)
この1文は自己の意見や態度を絶え間なく変更しつづけることによって他人の判断をのがれ、言葉を単なる記号として用いた人物、行為が言葉によって統御されない内面的非連続性(非連関性)をもったた人物のことを述べたものである。
その人物こそ、民主主義的手続きを得て権力を握るや、自由と民主主義を破壊に導いたアドルフ・ヒトラーなのである。
彼が変節したと考えるのは妥当でない。今日では、むしろ最初からそのような節義など持っていなかったと考えるのが一般的である。
私は県政史上例のない今回の住民投票条例の経緯、とりわけ知事の発言から、既に過去となったはずの悪魔的なものの復活を感じざるを得ないのである。
論より証拠と言うが、まず、以下の住民投票条例をめぐる石川嘉延知事の発言を見ていただきたい。
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日付 |
住民投票条例をめぐる知事の発言(県内各紙及びインターネット記事から) |
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2001.3.16 |
「その時の住民の判断がすべて正しいかどうか疑問がある」 |
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2001.5.14 |
「(3.16の発言について)質問を取り違えたかもしれない」 |
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2001.5.18 |
「(住投について)県民の意思を十分尊重するという立場から、賛成する」 |
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2001.7.8 |
「(住投への賛意は選挙対策ではとの記者の質問に対し)選挙対策としてやってきた人たちが、思惑が外れてしまったため、そういっているのではないか」 |
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2001.7.10 |
「(住民投票条例の継続審議を受けて)早い時期に審議を再開し、住民投票を実現させる方向で審議してほしい」 |
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2001.9.12 |
「民主主義において、最終的な意思決定は議会が行うのが公式な形だ」 |
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2001.9.14 |
「(知事選前の五月半ばに静岡空港建設の是非を問う住民投票に賛成を表明したことについて)知事選と直接投票の時期を異にするため、私はそういう選択をした」 |
あなたはここから内面的統一を果たした意思主体を想起できるだろうか。
私にはできない。ここから見えるのは言葉や信念が、それがあたかも工具箱の中のツールのように都合に合わせて用いられる様であり、場当たり的に、言い換えれば非連続の(精神によって捉えられ得るような連関的世界が欠如している)世界に安住する無機質な人格だけである。
「ナチがすべてを忘却するのは、彼は何らの連続性をも持たないからだ。彼の内部には、瞬間が彼のなかへ抛り込んだものしか存在してはいない。彼は瞬間の恵投物によって生活し、且つそれによって生存しているのである。」(マックス・ピカート「われわれ自身のなかのヒトラー」(みすず書房))
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<ヒトラーに関する事実1>(ビリー・ミュンツェンベルク著「武器としての宣伝」(柏書房)より) |
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「この制度(民主主義)は、大嘘つきと日の光を忌み嫌う怠け者にとってのみ愛され、価値あるものである」「民主主義は、真実を白日のもとに晒すのを嫌う人種の機関となった。だから、自分たちと同じように汚く、不正義であるユダヤ人だけがこの制度を賞賛できるのだ」(ヒトラー「我が闘争」にて) |
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1937年初頭、ドイツ経済が緊急に諸外国からの支援を必要としていたとき、あれほど民主主義を毛嫌いしていた人物が、演説のなかで突如民主主義の敬虔な信者になった。 |
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ヒトラーは1933年初頭における権力獲得がいかに「民主的で、憲法の規定に厳格に従ったもの」だったかを強調した。だが、同時に世界が聞いたのはあらかじめ用意されていた原稿にはなかった、外国に「山のようにいる議会主義に取り付かれた臆病者」への中傷だった。 |
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<ヒトラーに関する事実2>(同) |
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ラインラントへの進駐が決行される前に、ヒトラー宣伝は自らのスパイや海外特派員を通して、ジュネーブでの軍縮に関する交渉を再開する意図があるとか、ドイツでの外交的地位を困難にするようないかなる行動も起こす気は毛頭ないといったニュースを広めた。 |
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このニュースが全世界を駆け巡った直後、1936年3月7日の朝刊には、ヒトラー軍がライン川を渡ったという記事が載った |
この類似は偶然なのだろうか?私はそうは思わない。
平成6年、1冊の本が出版され、イスラエル大使館からの抗議により回収・絶版となった。
「ヒトラー選挙戦略−現代選挙必勝のバイブル−」(千代田永田書房)がそれであり、自民党の小粥義男氏によるもので、「短期間に国論を統一、政権を奪取した第三帝国を建設したヒトラーは、現代選挙を考えるうえで、とても重要な教えを私たちに示している」「大衆の側に立って、大衆の声を聞き、大衆の心に訴えた政治手法は、混迷の時代、大衆文化時代の今日、『ピタリ』とあてはまる政治戦略ではないでしょうか」と述べられている。当時の羽田首相も「大いに参考になります」と推薦するほどであったこの本(思想)が絶版ごときで絶えたとは考えられないのです。
なぜなら、石川県政には、他にも多くの類似点があるからです。(以下に示したものはその一部にすぎません。)
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「宣伝は偏見にとらわれている大衆に客観的真理を提供することではない。絶えず、自分なりの真理を訴えればいい」(ヒトラー) |
空港の宣伝に代表されるように、県のHPを見ても広告物を見てもその科学的根拠は明らかにされず成功のイメージだけが強調されている。 |
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長い間「自分が権力をとった暁には、4ヵ年計画がある」とヒトラーは言ってきた。だったらその計画を公表してみろという敵対者の要求に対して彼は答えた「敵対者を利するような、そうした要求に答えることは出来ない」と。 |
都合の悪いことからは逃げるというのは、下田での空港説明会開催にあったての「反対派が出るなら出席しない」といった姿勢や知事本人のテレビ討論のドタキャンに見られます。 |
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物事の本質的な部分は何も変えず、名称やレッテル、色、形を変えるだけで幻想を作り出すことが出来る |
知事自慢のひとり一改革ですが、実質的には以前にもあった事務改善提案制度と異なるところがありません。 |
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「われわれは勝利者となろう。いつの日か、全ドイツが褐色に輝く日が必ずやってくる。君らはそれを信じないかね。君らもそれをともに経験しよう。」(ヒトラー) |
無批判に信頼を要求するこの「勝利(成功)のイメージ」の強調は、空港の需要予測の信頼性について、「最新の手法」や「大学の権威」といった言葉でその成功を信じ込ませようとする手法に通じるものがある。 |
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「ヒトラー宣伝は、一つの考えを「最後の一人」に届くまで繰り返すというやり方を最も重要な宣伝方法としてとっている。絶え間なく繰り返す」 |
県のHPやパンフレット、あるいは県民だよりや講演での発言にいたるまで同じことの繰り返しで疑問に答える新たなものは提供されない。 |
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絶え間ない軍拡が原料不足を引き起こしているにもかかわらず「大砲はバターよりも貴重だ」、さらには「大砲はバターをもたらす」(ヒトラー) |
空港は財政負担にはならないとの発言。 |
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ヒトラー宣伝が数字を操作するというのも、一つの偽装だ。「世界最大の花火大会」が開催され、「世界最大の」博物館や「世界最大の」劇場が作られ、「世界最大の」広場が設計される。ライは「ドイツ労働戦線」が世界最大の組織だと語り、「歓喜力行団」が主催した安価な旅行や観劇には600万人が参加したという。しかし、それにはベルリンの中心部から郊外のヴァンゼー間を行き来した分も含まれている。(ビリー・ミュンツェンベルク) |
しきりと「日本一」という枕詞をつけたがり、伊豆新世紀創造祭においては、現実には宿泊者が減少するなどのマイナス面があるにもかかわらず、新たなイベントを含めたイベント集客人員を前年と比べ誇る姿勢。 |
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「日刊紙とは、国民のために奉仕するために意識的にスローガンの伝達手段とならなければならない」「莫大な数にのぼるこういった人間に対する新聞の影響力は、とてつもなく大きい。彼らは与えられたものを自分で吟味することはできないし、しようともしない。どうせ、彼らの日常問題に関する意見は、ほとんどが誰かからの借り物だ」(ヒトラー) |
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あらゆる余暇旅行と催し物は宣伝に活用される |
もし、これらが意図して仕組まれたものならば、外形力の行使はなくともそれはまぎれもなく人間性に対する暴力であり、個人の尊厳を柱とするわが国民主主義に対するテロ行為というべきであろう。
しかし問題はそれが意図されたものかどうかではなく、現実に県民に錯誤を与えていることである。
彼は県民がどのように受け取るかは関知しないとの趣旨の発言をしているが、県民の信託に基づいていることを認識するならこのような発言はありえないのである。
まして、「選挙では県民がフィーバーする。そういうもとでは、冷静な判断をしてもらえない」などという発言は自己を否定するものであることは統一的人格なら気づいて当然のものである。
ここから想像する限り、彼の中にあるものはその場を納めるだけの寄せ集めの観念だけではないのかとの疑念を否定しがたい。
いま、しのびよるこの危機に際し、ビリー・ミュンツェンベルクによる次の記述が参考になろう。
「科学的批判的方法をとらなければ、神話は形成されることになる」
「ヒトラー宣伝はたとえその正体が暴露されても、絶えず攻勢に出ようとする。こうした手法は、動揺している者をさらに動揺させ、怖がるものを沈黙させ、狂信的支持者は救済の徴のようにハーケンクロイツを見つめ、逆に希望を失った多くの敵はどうせしかたがない、とあきらめるようになる。こうした「どうせ」といった理論こそは、とりわけ反対派の重大な政治的過ちだった。」
「ヒトラー宣伝は、反対宣伝の弱いところでしか成果を得ていない。強ければ粉砕される。」
そして、私はなによりも、個々人が内的連関性を保持すること、自律することが重要と考えるのである。
もちろん、私のこれらの疑念は大げさな杞憂であってほしい。
しかし警戒は怠ってはならない。
自由と民主主義に対するテロ行為は決して黙認してはならないからである。
2001.09.16