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『ジョン・レノンミュージアム』 in October 2000
『ジョン・レノンミュージアム』

in October 2000

 
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さいたま新都心にて
チケットカウンターに掲げられたパネル
ジョンの記憶とヨーコとの生活
ザ・ビートルズ時代の一人のビートル、ジョン・レノンを発見
ジョン・レノンが愛用した6本のギター
ジョン&ヨーコからのメッセージ
 
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『ジョン・レノンミュージアム』 in October 2000

 10月も半ばを過ぎた、雨の降る月曜日に、2000年10月9日に埼玉県与野市の埼玉新都心にオープンした「ジョン・レノンミュージアム」に行って来ました。オープン後はかなりの混雑が予想されたので、年内はゆっくり観るのは無理かなと思っていたのですが、平日の月曜日なら大丈夫だろうと、決心して出かけました。

◇さいたま新都心にて

 JR京浜東北線の今年オープンした「さいたま新都心駅」のホームを降りて、階段を上って駅の外へ出ると、そこはもう、新都心に向けて出来たゲートが続いています。僕は、方角を確かめながら新都心へ向けて、小雨の中を歩き、「けやき広場」で一休みして、新都心を眺めました。今もまだ、建設中の高層ビルが重機の音を響かせる人工的に作られた都市と公園のエリア。その象徴ともいうべき「埼玉スーパーアリーナ」の中に、「ジョン・レノンミュージアム」はありました。あの中に「ジョンの魂」が眠っている、そんな気持ちは僕の中には湧いてはこないのですが、なぜか、今まで自分の心の中にいるジョン・レノンとこの埼玉新都心の風景が、まったく関連性のないもののように感じられました。もちろん、「埼玉スーパーアリーナ」の常設展示施設の目玉にと、大手ゼネコン会社の企画室が考えついたのが「ジョン・レノンミュージアム」だったということは理解しているのです。むしろ、僕が住んでいる地域にジョンのミュージアムが作られたのですから素直に喜んで、こうして気軽に来れることに感謝しているのです。いささか僕は、新都心の風景に自分が馴染めなかったせいか、待ち時間を持て余してしまったせいなのか、少々、違和感を持ってしまったのかもしれません。

◇チケットカウンターに掲げられたパネル

 「ジョン・レノンミュージアム」はスタジアムの横のガラスの一面にジョンの顔のモノクロ写真が大きく出ているのと、その上の階の窓に、ジョンが描き現在ミュージアムの「顔」になっている「例のイラスト」以外は目立った大きな看板も出ていませんでした。入口ロビーの受付(入場券売場)にも、列を作る人の為とおぼしき、かなり大きなジョンのモノクロ写真を数十枚も組合わせたパネルが掲げてあるだけで、非常にシンプルな印象を与えています。僕はしばらくこのパネル写真のすべてを見ていたのですが、あることに気がつきました。写真には、幼年期からビートルズ、そしてヨーコと二人の生活までのジョンが写し出されているのですが、ビートルズとしては四人の写真はおろか、ポール・マッカートニーとのツーショットさえないのです。ところが、一人だけ、ジョンとツーショットで写っているビートルがいました。ジョージ・ハリソンです。写真は間違い無く、1966年の日本公演の武道館。ギターを互いに抱えて一つのマイクで歌うあのショットです。このジョージとのツーショットはもう一パターンあり、そちらは同じ感じの二人の顔のアップでした。別に「間違い探し」をしているわけでは無かったのですが、僕はそんなことを一人で見つけて楽しんでしまいました(ミュージアムを出て最後に購入した「ジョン・レノン・ミュージアム・プログラム」税抜き2000円の表紙裏にもこのパネルの写真と同じものが載っていましたので、興味のある方は、そちらでも探して見てください。)

 二階のチケットカウンターでチケットを購入して四階まではエスカレーターで。この時、僕は、雨に煙る新都心を眺めながら、ジョンの「ウォッチング・ザ・ホイールズ」を心の中で口ずさんでいました。最近購入した、「ダブル・ファンタジー」のCDで、一番印象に残っている曲だったからかもしれません。  四階に上がるとインフォーメーションとミュージアムの入口があり、最初に揃ってシアターに入ります。これにはちょっと驚いたのですが、すぐに短いフィルム(たぶん10分弱)の上映がはじまり、ジョンの生い立ちが入場者の心をうちます。このシアターを出るといよいよジョン・レノンミュージアムに浸ることが出来ます。

◇ジョンの記憶とヨーコとの生活

 ミュージアムの中は、九つのゾーンに分かれていて、ゾーン1:少年の記憶からゾーン9:ハウス・ハズバンドまで、ジョンの誕生から1980年12月8日の夜までの人生が、順に展開されていきます。これからは、僕が興味をもったことを中心にお話していきたいと思います。  最初に気がついたことは、ジョン・レノンの少年の記録が、とても多く残っていたこと。おそらく、幼い頃、あずけられていた家のミミ叔母さんが、大切にジョンの思い出の品を保管していてくれたおかげかなと、僕は感じました。感性ゆたかなジョンの幼少期がかい間見られました。その後に気がついたことは、ビートルズの活動を伝えていることが思ったほど多くなかったこと。後で振り返ってみて、冷静になって考えれば気がつくのですが、ジョンがビートルズだったのは、ほぼ60年代の10年間。この10年間の後半、1966年の11月には、小野ヨーコとの出会いがあったことを考えると、ジョン&ヨーコの活動(私生活を含めて)の方が、ジョン・レノンの人生の中にあっては、はるかに長かったと捉えることが出きるということです。このミュージアムの構成も、ビートルズ解散以降のジョンの人生に、多くのスポットを当てているわけで、そこにはジョンの妻であった小野ヨーコの「哲学」も見ることができます。

◇ザ・ビートルズ時代の一人のビートル、ジョン・レノンを発見

 ゾーン3:ザ・ビートルズのところで、僕がもっとも興味をひかれたことは、意外にもジョンが1966年9月以降ビートルズがコンサート活動を停止した後、単独で出演したした映画「ハウ・アイ・オン・ザ・ウォー」=邦題「僕の戦争」を上映していたことでした。僕は写真・記事などでこの映画を知ってはいましたが、実際のフィルムを落ち着いて観るのはこれが初めてでした。もちろん、最初から最後までを観たわけではありませんでしたが、ビートルズでありながら、ビートルズを離れた一人の自分を表現するアーチスト、ジョン・レノンの姿が映し出されていました。ビートルズ解散後に平和運動へと進んで行ったジョンの原点を発見したような、新鮮な驚きがありました。

 「ジョン・レノン・ミュージアム」のすべてについて、僕の感じたことを述べることなどとてもできそうもないので、僕は自分でも、若かりし頃にアマチュア・ロック・バンドを組んでいたこともあり、ここから先は、展示されている大好きなジョンのギターについて、感じたことを中心にお話したいと思います。

 このミュージアムにはジョン・レノンが愛用した6本のギターが展示されています。(実際に展示されているギターはこの他に2本あって、1本はジョンが初めて手にしたギターのレプリカ「ギャロトーン・チャンピオン」というアコースティックギターと、ヨーコがジョンにプレゼントした特注アコースティックギター「ヤマハ・ドラゴン・ギター」、こちらは実際にジョンが手に取って爪弾いたのでしょうが、ここではあえて取り上げないことにします)

◇ジョン・レノンが愛用した6本のギター

 ●リッケンバッカー325 メイプルグロウ(Rickenbacker 325 MG)

 ビートルズ初期のドイツハンブルグ時代に手に入れた時は、メイプルグロウの木目模様だったギターで、後にブラックに塗装されて1964年まで使用されたもの。当時のピックガードはゴールド色で、ブラック&ゴールド・カラーのこのギターが、ジョンとビートルズを不動のロックロールバンドにした記念すべきモデル。展示されている状態は、メイプルグロウにリフィニッシュされて白のピックガードがついています。この後のコーナーに展示されているブラックのモデルよりもボディが厚くできていて、かなり重かったのだろうと思います。このギターを振り廻しながら歌ったジョンの原点を知ることができます。

 ●リッケンバッカー325 ジェットグロウ(Rickenbacker 325 JG)

 ジョンの2台目のリッケンバッカーで、1964年に同社からプレゼントされたモデル。ブラック&ホワイトにカラーリングされ、メイプルグロウよりもはるかにボディが薄くライブ向けに軽く作られています。ビートルズ前期のジョンといえばこのギターというイメージが定着していますが、実際には1964年から1965年の2年間使用されていただけで、展示状態では、最終公演の曲順リストがストラップボルト横のボディにテープで留めてあります。思えば、ジョンを中心にビートルズのメンバーはデビューにあたって、他のアーチストのイメージのついたギターを使用せず、ビートルズのカラーをうち出そうとしてギターを選んでいたようです。(もちろん、レコーディングでは、あらゆる種類のギターを試していたことはいうまでもありませんが)

 ●エピフォン・カジノ(Epiphon Casino)

「ジョンの魂が乗り移ったエレクトリック・ギター」のキャッチコピーがついて展示された、ビートルズ中期から後期のジョン愛用のギター。入手当初のカラーはサンバーストで、1966年の日本公演でも使用され、後に塗装をリフニッシュしてナチュラルカラーになったもの。こちらの方は映画「レット・イット・ビー」での屋上ライブがあまりにも有名で、僕も一時憧れたモデルでした。このころライブでセミアコーステッィクのエレクトリックギターを使用していたのは、やはり軽かったからでしょうか。また、生で弾いてもある程度の音が出せるので、ホテルの一室でチューニングするのも楽だったのでしょう。たぶん、曲作りもホテルでしていて、ある程度の音が出るので、歌いながら作曲するのにも適していたのではないかと、僕は思います。

 ●ギブソン J−160E(Gibson E-160E)

 「ジョンがもっとも愛したアコースティックギター」のキャッチコピーがつき、ゾーン5:ラブ・アンド・ピースのゾーンに、フロアーのガラスの中に仰向けに展示されています。ジョンはプラグインして、アンプから音が出せるアコースティクギターが好きだったようで、この傾向はビートルズ初期から最後まで変わらなかったようです。最初に手に入れたギブソン J−160Eはサンバーストモデルで、映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」の中で印象的に使われていました。このモデルは盗まれてしまって、展示してあるナチュラルのモデルは、1969年のヨーコとの「ベッド・イン」で使用されたものと同じモデル。残念ながらレプリカ・モデルでしたが、僕は今回展示されたギターの中では、このギターが強く印象に残りました。ゾーン6:イマジンへと続く、ジョン&ヨーコの活動へのスタートを告げる意味合いを強くもっていると、感じたからかもしれません。

 ●ギブソン レスポール・ジュニア(Gibson Les Paul Junior)

 1972年の「ワン・トウー・ワン・コンサート」で使用されたギターで有名。やはりジョンらしく、同じギブソンのレスポール・モデルでも、有名な「スタンダード」や「カスタム」モデルでなく、「ジュニア」を使用することで、人と違ったモデルをライブで使いたいと考えていたことが伺い知れます。カラーもタバコサンバーストをブラウンにして、パーツ類も交換しているようでした。

 ●オベーション・エレクトリック・レジェンド 1651−4(Ovation Electric Legend 1651-4)

 ゾーン9:ハウス・ハズバンドの最後にひっそりと飾られていたギターで、ジョンが育児に専念していたダコタハウスで、作曲やデモテープ作りに使用し、「ダブル・ファンタジー」のレコーディングにも使用していたモデル。実際には、スタジオ写真でしか目にすることはありませんでしたが、このギターが晩年一番ジョンに愛され、「スターティング・オーバー」などで活用されたのだろうと考えると感慨深くなります。やはりジョンお気に入りの、アンプから音が出せるアコースティックギターの最後の1本といえるかもしれません。

◇ジョン&ヨーコからのメッセージ

 「ジョン・レノン・ミュージアム」に展示された6本のギターについて、僕なりに感想を連ねてきました。もちろん、このミュージアムにはジョンの思い出の品々が数多く展示されています。特に直筆の曲の草稿などは、特に興味深いものです。イラスト・写真・ポスター・コンサートのチケットやプログラムやムービー、これらについて書かれたパネルなど見るべきものはたくさんあります。でも、このミュージアムを最初に訪れるのであれば、やはりジョンが実際に、書いたり、描いたりした作品、身に着けた品々を中心に見たいと思うでしょう。最後のゾーン9:ハウス・ハズバンドの展示ゾーンを抜けると、広い東側の窓に面した吹き抜けに「ジョン・レノンからのメッセージ=Word by Jhon Lennon」のコーナーがあります。このコーナーの中央に、向かい合わせたガラス面があり、ジョンのメッセージの数々が記されています。その中の一つに次のようなメッセージがあります。

「ぼくが これまで どうやってきたかは おしえられる けど きみが これから どうするかは 自分で考えなきゃ」

 僕は、この言葉で、このミュージアムで、「ジョン&ヨーコが考えていること」を教えられた気がしました。この言葉は、実際に展示された言葉の中でも、目にとまるようになっているのですが、後で購入したプログラムの最後にも、しっかりと刻まれていました。僕は、新都心を後にして、駅のホームへ向かいながら、「ダブル・ファンタジー」のCDで初めて聴いた「ヘルプ・ミー・トウー・ヘルプ・マイセルフ」をハミングしていました。

2000/10/24.

   

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