中学・高校生のページ解説


王子田楽(でんがく)の呼び名
王子田楽は芸能の区分けのなかでは「田楽躍り」という部門に入ります。田遊びや田ばやし、
とは異ります。王子神社田楽舞、王子田楽躍り、王子田楽、呼び方はいろいろあるけれど
同じことです。ようするに王子神社の夏の大祭に演じられる伝統の田楽のことです。

以下、文中に「田楽」とあるは特に説明無き場合、田楽「躍り」のこととします。
田楽というものの起源ははっきり分からないほど古く、そしてかなり早い時期から『田(た)』の楽(がく)と『田(た)』を離れた楽(がく)との、両方があったようです。
平安時代には笛や太鼓に合わせて、鼓やササラを打って京の都の街の中を躍り練り歩いた田楽がありました。高音を出すと魔(ま)が逃げて行くという考えが有ったらしいのです。

年中行事(ねんちゅうぎょうじ)絵巻馬に乗って田楽しているのがわかりますね。


使っている楽器は、何と何でしょう。
良く見て当ててください。この絵にある楽器が、現在残っている[田楽」という
芸能の基本楽器なのです



王子神社のお祭りでの田楽躍りは、ごく近世になって田楽舞とも呼ばれるようにもなりました[→王子神社田楽舞]。この地域に伝わる田楽という意味では「王子の田楽」とか「王子田楽」と言います。

王子神社の田楽は、その昔、王子神社をおさめていた金輪寺(きんりんじ)のお坊さんたちのお祭りとして行われていました。江戸時代になっては、ひろく江戸の人々に知られるところともなり、小林一茶もこのお祭りの田楽を見に来ました。 「鑓(やり)やらん いざいざおどれ里わらわ」(王子神社のお守りのやりをあげるから、さあさあ、おどりなさい、このへんの子供たちよ)。


[王子神社の田楽の起源]

王子神社の田楽は、その芸態(芸の形とかのあり様)とか王子 神社の歴史とかから考えて、南北朝時代[参考・後醍醐天皇,在位1318〜1339年]前後に始まったのではないかと思われます。

江戸時代初期に描かれた王子権現田楽躍り(若一王子縁起絵巻より)


[田楽(躍り)という芸能の特徴]

田楽(躍り)という芸能の特徴は、複数のおどり手が笛や太鼓に合わせて鼓やササラや小太鼓を持って、二列になったり、輪になったり、入れ違ったりしておどるというところに有ります。そして、最大の特徴は、なんといっても、木あるいは竹を数十枚つづったササラ(筰)という楽器を持つことです。


[田あそび、など]

田遊びや、田ばやし(はやし田)でも、ササラ」とよぶ同じ名前の楽器を使います。でも、こちらの「ササラ」は田楽(「田楽躍り」とよばれるものの系統)で使うのとはまったく別のものなのです( どんな形のものなのでしょう。インターネットや図書館で調べてみてください。)



[王子神社の田楽の貴重なわけ]

田楽躍りは今では全国にわずか五十ほどの所にしか伝わっていないとされるほど貴重な芸能となってしまいました。
また、多くの田楽躍りは、昔からの伝えの多くを欠いていたり、すごく変化してしまっていたりしています。
そのような中にあっても、王子神社のお祭りの田楽は、田楽躍りというものの特徴を良く現在まで持ち続けた見本のような田楽として、芸能を研究する人々からほめられているのです。
田楽躍り独特の特徴としては、さっき言った他には、動作を三々九度(さんさんくど=動作を三回づつ三度)くりかえすこと、守りのヨロイ武者がついていること、おどりに『中門口(ちゅうもんぐち)』という番組があること、などです。
王子田楽の第一番目のおどりが中門口(ちゅうもんぐち)といいます。これは、平安時代に田楽の一行が貴族の門内に入った所で一人づつ前に出て、自分はじょうずにやれますよと、やってみせたことから伝えられた名と言われ、田楽躍りという芸能にとって独特の番組名称であって、それがしっかりと伝えられてきたことは王子田楽の芸能の確かさを証明するものでもあると言われます。


[王子神社田楽式〈武者の儀礼及び七度半(しちどはん)の儀礼〉
とおどりの意味]

王子田楽をおどる八名の内、とんがり烏帽子(えぼし)風の花がさをかぶった先頭の二名が『子魔帰(こまがえし)』と呼ばれる神様役で、平たい花がさをかぶった他の六名がそのお付きの一行(いっこう)ということです。
その御一行をヨロイ武者三名が守ります。中でも二人の武者はそれぞれが各七本づつの大刀を帯び、大きな力、多くの力を表わします。全国に例を見ない変わった姿の名物的存在です。
この田楽の御一行を王子神社宮司(ぐうじ)がお招きするのに『七度半(しちどはん)』というお使いを立てます。何度もかなわず、ようやく八度目に田楽方の登場がかなうのですが、お使いは社殿と田楽方との間を七回半も行き来するわけで『七度半』と呼ばれるものです。これは全国にも希少となってしまったやり方で王子田楽のとても大切な構成部門となっています。
そこでいよいよ武者を先導として田楽一行が神社へ入り,田楽が演じられます。



王子田楽の番組名の中には農耕にちなむものは一つも無いのが、あちこちの地方の田楽との違う特徴でもあります。おどりは『子魔帰』を主役とした構成となっていて、魔を退散させることを祈るものと考えられます。


[日本一美しい王子神社の田楽、日本の文化遺産]

華美な花がさを付けておどり、田楽の基本型を伝えると言う意味での「形式美」においては日本一の田楽を自負しております。
現代では『田楽躍り』という芸能自体が数少なくなってしまいましたけれど、それでも、各地各地の田楽の形態は実に変化に富んだ個性的なものばかりでまことに興味が尽きません。
王子神社の田楽も、紀州那智大社の田楽や奥州平泉毛越寺の田楽、あるいは隠岐の田楽等、他の地方のと比べても、どこのものとも似ていない独特のものであります。
その中で、その芸能の基本的要素をしっかりと伝承してきた王子田楽は、「中世の芸能文化の高さを今に確かな形で伝える文化財の標本的な良い例」として、当地だけでは無く、広く日本の文化遺産としても高く評価されているのです。

つまり、おどりの構成が十ニ番組としてしっかり伝えられていること、楽器構成が基本的な種類であること、警護のヨロイ武者がいること、中門口番組の有ること、神招きの[七度半」を完全な形で伝えていること、花がさ、衣装が華美なこと。

昭和19年以来長らく絶えていましたが、関係者の苦労で昭和58年に復興され、昭和62年に北区の指定無形民俗文化財となりました。

王子田楽は、王子神社田楽舞として王子神社と王子神社氏子領域30町会による王子神社田楽舞保存協賛会によって支えられています。この貴重な芸能が、これからも永く伝えられて行けるよう、御支援をお願いいたします。

  
 
 
 [ 王子田楽の番組名 ]

一番.....中門口(ちゅうもんぐち)
二番.....道行腰筰(みちゆきこしざさら)
三番.....行違腰筰(ゆきちがいこしざさら)
四番.....背筰腰筰(せずりこしざさら)
五番.....中居腰筰(なかいこしざさら)
六番.....三拍子腰筰(みつびょうしこしざさら)
七番.....黙礼腰筰(もくれいこしざさら)
八番.....捻三度(ひねりさんど)
九番.....中立腰筰(なかだちこしざさら)
十番.....搗筰腰筰(つきざさらこしざさら)
十一番.....筰流(ささらながし)
十二番.....子魔帰(こまがえし)


記・王子田楽衆 代表 田楽おじさん
メール : dentou-ouji@live.jp


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