2002年2月1日(金) 晴れ
病膏肓に入る

息子は朝起きた瞬間からはじまって、夕方保育所から帰宅して寝るまで暇さえあればゲームの話をしている。
よくもまあ、8年も昔の(といっても息子にはわからんだろうが)ゲームに、あれだけ熱中というか没頭というか、入れ込めるもんだなーと思う。繰り返し繰り返し攻略本を見ては、キャラクターや敵モンスターの名前を連呼している。
…保育所の友達と話題が合わないんじゃないのか(--;)。
そーいえば、こないだからまた少し朝のぐずりが始まっていて、保育所に足を踏み入れるまではいいんだけど、建物の中に入ると「はずかしいー」「ほいくしょいやだー」などと言い出すんである。こないだ理由を聞いたら「だってだれも遊んでくれんもん」とか言ってたんだが(実はけっこう遊んでいるのは知っている)。
昔のゲームばっかりやってたらほんとに他の子についていけなくなりはしないかとヒヤヒヤ物である、ってそういうレベルのヒヤヒヤでいいのか>私

こんなふうになってみてはじめて、子どもがゲームばっかりやって困る、と悩む親の気持ちが少しわかってきた。明けても暮れてもゲームのことばっかり考えてるんだもんなあ。
とは言え、自分にも”明けても暮れても”の経験があるので、ハマった息子の気持ちもわかるし。
ううむ。
アンビバレンス。
ちなみに、今私がやっているのは”窓の杜”のニュースレターで紹介されていたシェアウェアのADVG「紫藤峠の殺人」(だったかな)というゲーム。コマンド総当たり式のADVはまどろっこしいし、あんまり好きじゃないんだけど、なんかストーリーがけっこう良さげなので購入してみた。
物語の流れを追っていくと所々にヒントが出てくるわけだが、話の途中で選択肢が出てくる場面があって、そこでは自分の把握している情報をもとに判断しなければいけない。あまり漫然と進めることはできなさそう。
ちゃんと考えてやれそうなので、わりと面白い。
アグレッシブにゲームに向かっていける元気がないので、これくらいのものが今の私にはちょうどいいのかもしれない。

さて今日から2月だ。早い。もう今年が一ヶ月過ぎたのか。雑煮のつゆができてなーい!と焦ったのがまるで昨日のことのようである。
大人になると時間が過ぎるのが早くなるというのは、さてはこういう状況のことを言うのだな。
相変わらず低空飛行状態が続いていてけっこう鬱々しがちなのだが、こないだの受診結果を相方に伝えたら今のところはけっこう手伝ってくれるので少し楽か。
しかし、私の辞書に”てきぱきやる”という言葉は存在しないのにもかかわらず、怠けることには罪悪感があるので困る。あまり落ち着いて休めないのだ。
どうにかならぬものか。
そうか、ならぬか。
自分の問題だものな。

2002年2月2日(土) 晴れ
もーぼろぼろ

午前中、息子の保育所で発表会みたいなのがあったので見に行った。
手遊びやらおゆうぎみたいなものを、集まった保護者の前で発表するんだがこれがまた。
スーパーの中だとか保健センターの中で変な踊りを踊りながら謎の歌を歌うくせに、なぜかあらたまった舞台では異様に恥ずかしがる息子。
眉間に皺をよせて俯いて、結局何もできず先生に助けてもらっていたのだった。
息子よ、さては君も集団行動が苦手なのか。
母もそうだったのだが。
やはり、親の立場で見ているとやきもきするものではある。

でも、どうなんだろ。
あれこれお膳立てして、有無を言わさず全員参加でみんなに同じようなことをやらせて、それを見せ物にしてるみたい…って言ったら言い方が悪いかもしれないけれども。
そんな見せなくったっていいじゃんねえ、とかも思ったんだよね。
いや、見せるのは別にいいんだけど。
みんな一緒にやりましょうね、って言ってやらせていることに何の疑問も持っていないらしきことに違和感を感じるんだろうな。
同じようにできない子は「同じようにできないことは悪いことだったり恥ずかしいことだったりするのだ」ということを学んでしまうわけでしょ、否応なしに。
確かに、親として子どもの成長ぶりは見たいと思うのだが。
どっちかってゆーと、普段の保育所生活を見せてもらったほうがうれしいかもしれない。
家では甘えてるけど、一人だったらここまで自分でできるんだなあ、とか感心することもいっぱいあると思うし(いっぱいあってほしい、という願望かもな)。
まあ、朝からぐずぐず言っていた(さてはここ最近のぐずりはこのせいだったのだろうか?結構練習してたみたいだったしなあ)のは終わってみればケロっとなおって、保育所の廊下でまた踊ってたし、切り換えは早いらしいからいいか。

それはさておき、脚が痛い。
もっと正確に言えば、腰の下から膝までのところ、特に脚の付け根がとてつもなく痛い。
朝はまあまあなのだが、一日が終わるともう痛くて痛くて歩くのもつらくなってくる。
前の妊娠の時にも同じ痛みがあって、出産してから半年近く続いたけど、まあそのうち治まったので忘れていたのだ。どうやら骨盤のあたりがどうにか変化するらしく、今回も年末あたりから痛み始めてどんどんひどくなってきた。
地面に向かって長い時間垂直でいると余計に負担がかかるのか、とにかく痛みがハンパじゃないのだ。寝起きが不自由になる。寝返りもできなくなる。筋肉の動きは連動しているから、四肢の末端くらいしか、痛みなしに動かせるところがない。
くそう。
帝王切開になることは決まっているので面倒でやっていなかったが、妊婦体操とかしたほうがいいのかもしれん。
うがー。

2002年2月3日(日) くもり
やれやれ

オートバックスに、オイルとエレメントの交換をしてもらうため行ったら、オートマチックのミッションのオイル(とか言ってたと思う)がひどく汚れているので…と交換を勧められた。
2000円以下で済む予定が、結局1万円ほどもかかってしまった。
どうしよう。
月初め早々、いきなり貧乏になった。
息子も乗せていることであり、自分が仕事に行くのに車を使っているわけだから、お金を惜しんで車を危険な状態で走らせるわけにもいかないし、仕方のない出費ではあるのだが。
なにしろ想定外だったのだ。
というか、車というものはどういうインターバルでどれだけメンテナンスしなくちゃいけないか、よくわかっていないんだよねえ。
前に乗っていた車は、譲ってもらってわりとすぐに車検だったし。
こうなると、タイヤはどうか、ワイパーブレードはどうか、などなど果てしなく気になってくるではないか。予期せぬ出費を強いられるよりは、一気に見てもらって「これとこれはもう換えないとだめです」とか言ってもらったほうが気分的に楽である。
時間がある時、オートバックスでやっているとかいう無料点検にでも行ってこよう…。
私は今、ただでさえ判断力が鈍くなると言われている妊婦であり、さらに服薬を止めているADHD者である。年度明けからは仕事で遠方まで運転する機会が増えることも決定している。安全を考えるのに考えすぎることはない(デフォルトの私は「考えなさすぎる」からだ)。

しかし。
極めて貧乏なのである。
いや、今現在の時点で食うに困るほど貧しいということはないのだが。
問題は来年度なのだ。
まず、私の収入が今年度になって一気にはねあがった(というか、前までがあまりにも稼いでいなさすぎたのだが)ため、相方の扶養からはずれることとなった=「国民年金を自分で払う身分」+「国民健康保険に加入しなければならない」であり、さらに+「来年度所得税をけっこう払わないといけない」+「息子の保育料が高くなる(親の前年度の収入によって変動するから)」おまけに+「入院・出産で費用がかかる」(しかも妊婦検診って保険が利かないんだ。「妊娠は病気じゃないから」らしいが…1回4000円もかかるんだよー(泣))という、出費の嵐が確実にやってくるわけである。
一方で来年度私は出産前後にまるっきり働けない期間ができるし、今年よりも仕事を多少減らす予定なので、逆に当然収入は減ることになるだろう。
さらに。
相方の会社もワークシェアを導入する話があったり、彼に言わせれば「うちの会社夏まで持つのか?(^_^;」という状況らしいので、彼の収入も減るわけだ。
ううううむ。
やっていけるのだろうか。
と、いうことが今から心配になるわけである。
元々が丼勘定夫婦なので、見通しが全く立たない。さらに相方は非常に楽天的というか何も考えていないというか(泣)、特に気にするふうでもないのでもしかしたら大人物なのかもしれないけれども、私は小心者でしかも鬱気味ということで、やたらと心配になってしまうのであった。生きていけるのかしらん、とか、もう一人子どもが生まれて生活していけるのか、とか、われながらちょっと大げさだと思えないこともないのだが。
心配になっちゃうものはなっちゃうので、仕方がないんである。
今から緻密な人間になれるわけでもなし、突然”アリとキリギリス”のアリ的勤勉さが空から降ってくるわけでもない。
キリギリス一家は、これからが本格的な”冬の季節”なのだった。

2002年2月4日(月)
妊婦は無理するべからず

と、よく言われるのだが。
仕事してたら「私、妊婦ですから」とばかりは言ってられないよな。

というわけで、山の上の研修所に出勤する日であった。
前にも書いたが、ここに長期研修に来ている先生たちは今が一番の修羅場となる時期である。まあ、ふつう学校にいてもわりと3学期というのは慌ただしかったりするらしいのだが、研修員さんの1月は特別だ。
なにしろ、普通に学校で勤務をしていたらまず書くことはない量のレポートを作成しなければならない。これは研修報告書であって、論文の体裁をとるというのが前提なのだが、よほど特殊な職業の人以外は、卒論以後論文なんか書いたことがないというのが多数派だろう。学校の先生でもそれは同じで、ほとんどの人はもう論文の書き方なんてすっからかんに忘れている(と思われる)。
ので、これが並大抵の苦労ではないのだね。
特にこれが教科での研修ならば、仮説→検証(主に授業)→考察、という枠組みがしっかり設定できるわけだが、教育相談の場合は例によって例のごとく曖昧模糊とした世界を自分なりの言葉で論文として意味の通るものにしなければならぬわけで。
私にはちょっとできないことである。
同じ心理学の領域でも、私のバックボーンは”応用行動分析学”といって、悪名高きワトソンの行動主義を先祖に持つ立場である。比較的、自然科学に近い研究方法をとるため、レポートでも論文でも主観に満ちた曖昧な表現や、抽象的・文学的な内容をできるだけ排除することになる。人間の心をすごーく神秘的なもの、奥深く底知れぬ世界であって科学的に割り切るなどもってのほかだ!と考える人には最も嫌われている”学派”だろうと思う。
私自身は、別になんでもそんなに深く考えなくたっていいじゃん、と思っているし、頼みもしないのに人の言動を深読みするなんて何だかとってもいやらしい感じがして(本当は、「頼まれて」も、相手の内面に入り込んでいこうとするのは好きじゃない。この仕事向かないのかもな、と時々思う)ぞっとするので、応用行動分析は自分にけっこう合っていると思う。
自分が論文を書くのに苦労した経験はもちろんいっぱいあるのだが、要するに仮説がちゃんとしてないとか、データに不備があるとか、考察が不十分だとか、そもそもその仮説を検証すること自体に学問的(もしくは臨床的)必然性や意味があるのか、とかそういう類の、本質的な部分についてうまくいかないことがあったからだ。
けれども、ロジャース+ユング+ちょっと精神分析、みたいな、要するにカウンセリングと深層心理学がメインの立場の指導教官に指導を受けて、物事をロジカルに考えることに慣れていない人たちがいきなり「論文として形になっているものを書け」と言われるわけで…これはもう、とてつもなく大変なことだろうと思う。
私だったら絶対にパスする。
いや、その前にその世界のドロドロ感に耐えきれず、不適応を起こしてしまうかもしれない。

それはさておき。
そんな大変なレポートの〆切が間近なため、今日は仕事のあとでお手伝いをしたのだった。
お手伝いといっても、プリントアウトされたものに目を通して、やれ「この書き方ではレポートの”筋”が見えない」だの、やれ「日本語がなってない」だの「考察は”想像”や”推察”や”感想”を書くところではない」などといちゃもんをつけるだけなのだが(一応、「こう直してみては」というアイデアを出すこともある)。
なので、私の役回りは割と楽なのである。
大変なのは私の上司であり、先生方の指導教官であるU先生である。
レポートには大抵、軸としてケース分析が載るのだが、多くの場合ケース分析そのものがレポートの目的なのではなく、「あるテーマについて、ケース分析の結果を通して考察する」ことが主眼になる。従って、ケース分析が筋をはずれていると全く意味をなさないわけだが、かといってケース分析だけして終わってしまうと肝心の考察がお留守になってしまったりするわけ。
その指導を一手に引き受けるのだから、苦労は大変なものだろうと思う。私にはとても真似できないし、真似したいとも思わないし、できる立場でもないので安心して”第三者”しているなあと我ながら思う。
まあ、それでも今日は夜の10時近くまで職場に残ってあれこれとやっていたのである。
そして実感した。
やはり「妊婦は無理をするべきではない」ということを。
脚が痛い。お腹が張ってきた(ような気がする)。だるい。疲れた。
明日はSCに行く日で朝が早いのでもう寝よう(まだ11時なんですけどね(^_^;)。

2002年2月5日(火)
今日もなんだか

忙しかった。

SCの日だったのだが、いつもに比べてなんだかあれこれと忙しく、その合間に電話がかかってきたりとかして、変に慌ただしかった。さらに仕事のハシゴまで。
きのうちょっと無理したので、今日はちょっとでもテンポを落とせたらなあ、とか思っていたのだがそうはうまくいかないものだ。
というわけで、お腹がまたしても張っている(ような気がする)。
大丈夫なんとかなる、とか、いいかげんな気持ちでいたらいかんような気が、今頃してきた。なんたって(普段は忘れているが)私は立派な高齢出産なのである。それだけリスクも高いのだ。
ちょっと気を付けよう。
というか、気をつけつづけるのをできるだけ忘れないようにしよう、が正確な表現ではある。

こないだから読んでいた「ぼくのアスペルガー症候群」(ケネス・ホール著、東京書籍)を読了。すごく面白かった。
ASを持つ10歳の男の子が著者であり、自分の経験、考えていること、感じていること、周囲の世界をどう捉えているかということ、などなどが明確な言葉で書かれていて大変読みやすい。
どうも私はやっぱり、曖昧で形のない、イメージの世界だけで展開されているような本(それがはっきりとファンタジー小説とかだったらいいのだが)よりも、こうやって明確に、歯切れのよい言葉でロジカルに書かれている文章が好きなようだ。話し言葉も、本当は「言い切る」のが好きで、ふだんは防衛が入っているのでけっこう”ぼかした”表現を多用するけれども実際には「私はそうは思わない」とか「自分の考えでは、これはこうだ」とか発言するのが一番性に合っていると思う。
他にもいろいろ、それほど強烈ではなくとも自閉的な子どもたちと共通する嗜好や感覚を持っていたりもするので、自閉症スペクトラムのどこかを微妙に掠っていたりするかもしれないなあ、と思うことは多い。
この本では、彼がどのようにして世界に理解を示し、周囲の世界(”国家行政”も含めて!!)がどれほど彼と彼の世界を理解するために努力を払ったかが、本人の言葉でわかりやすく描かれている。とても魅力的な本だと思う。
彼は、いくつかの課題について応用行動分析を下敷きにしたやり方でチャレンジし、それらをクリアしてきたと語っている。英語圏ではけっこう行動分析はメジャーな領域(特に特殊教育において)だし、自閉圏の認知的特徴を持つ人たちには合った方法論だと思うし、いろんな人にとってとても参考になる本だなあという感じ。
薄くて、字が大きくて(しかも私の好きなゴシック体!明朝体とか、場所によって太さとかが違う日本語フォントって嫌いなんだよなあ)、漢字にはふりがなが振ってあるのもナイスである。
読み手がディスレキシア(読み障害)を持っていてもできるだけ読みやすくする配慮だそうだ。すばらしい。
著者はわずか10歳でMENSAの会員なのだが、でも一方ですごーく子どもらしい世界も大切にキープしていて、すてきだった。彼を理解し、支援している周囲の人たちもすごいなあと思う。

さあ、今週は忙しい。
まだまだ寒いし夜遅くなる日もありそうなので、帰りにドラッグストアに寄って腰&靴下に貼るカイロと、レンジであっためて使うタイプのホットパッドを買ってきた。
出費は痛いが、冷えは妊婦の大敵なので仕方がないのであった。

2002年2月6日(水) 晴れ
つれづれと…

毎日毎日、仕事しかしてないことに気づく。

こないだの受診の時、「頑張れてる時は確かに予定通りにことを運ぶことができるけれども、それでも仕事と家事をやったらいっぱいいっぱいでした」と報告したら、「仕事と家事の他に何か(することが)あるんですか?」と聞かれたのだが、結婚して仕事してる普通の女の人って、仕事と家事だけの生活っていうのが当たり前なのかなあ?…と感じた。
例によって説明足らずだったことに気づき、「いや、自分の友達と会ったり、本を読んだりゲームしたりっていうように、自分の好きなことにも時間を使うゆとりがないという意味で…」と答えたのだが。
…と、いったことを思い出しつつ。
今はその家事さえろくすっぽできないうえに、「家事や片づけからはできるだけ離れて、最低限に」と言われているので(”最低限”さえもできないっつーのが悩みなんだが)ほんとに仕事しかしてないって感じ。
前の日記に書いたシェアウェアのゲームも、そんなに複雑なもんじゃなかったので実は3日くらいでクリアしてしまったし、今は正真正銘の”何もしていない”状態。
私はまったく仕事人間ではないので、これはちょっと異常事態。
ガス抜きができないと長期的な影響が出る。
連日の流れで、鬱々と一日の仕事を終わらせ、それでもたまっていた作業などをいくつか済ませてはみたものの、今日仕事先で一体何をしたのかきちんと思い出せない(面接はやったが、それ以外の時間。遊んでたわけじゃないので”何か”はしてたと思うのだが)。

もう月、火とハードな日々が続いたし疲れもたまってるかも…とか思って早めに帰宅したら、相方が1人分にも満たない豚肉生姜焼きを作っていて(ほんとに1人分のつもりだったらしい。でもあれじゃ普通の生姜焼き定食一人分にもぜんぜん足りないぞ(^_^;)、それだけをおかずにめしをくおうとしていた。
「それだけ?」と尋ねると、「だってめんどくさいんだもん」という返事が返ってきたので(まあ、気持ちはわからんでもない)、でもいくら何でも大人2人が、ちっちゃなお皿にちんまり盛りつけられた生姜焼きだけをおかずに夕食…というのはあまりにも侘びしすぎるので、冷凍庫にストックしてあった野菜をざっとゆで、生協で買った餃子を焼き、わかめとあぶらげのみそ汁をつくって、どうにかこうにか食卓の体裁を整えたのだった。
で、なんか息子がここ数日咳をしはじめているので、いつもの季節ものかもしれないし風邪かもしれないし、とにかく早く寝かせようとするが「3人で寝ようよ!」と言って聞かない。
仕方がないから、これからおつきあいで布団に入ることにした。でもそのまま寝てしまう可能性が高いような気がする。
うーん。何にもしなかった一日って感じがする。仕事行ったんだけどな。おかしいな。変だな。

2002年2月7日(木) くもり
アイデアだけが

勝手にぽろぽろ出てくる。
ちゃんと実践できないので、有効かどうかさえ確認できない。どうしてくれようか。
片づけ、掃除関係は(相方に)手伝ってもらいなさいと言われているのだが、その都度「あれやって、これやって」と言うのはとっても厭なので一覧表を作ることにしてみた。
言われるほうにしてみたら、「ぼくは全然気がつかないしちゃんと見てないから、その都度何をしたらいいか言ってもらったほうがいいんだけど」ということらしいのだが、毎日毎日「あれせえ、これせえ」と口うるさく言われるのは自分が絶対にいやなので、人に対していちいち言うのも嫌いなのだ。
さりとて、彼は自分から周りを見回したりする気持ちは全くないらしいので、仕事のように作業工程を表にして家の中に貼ってみようと思っている。これなら大丈夫だろうか。
どんな表ならわかりやすいのか自分でもよく掴めないので、とりあえず何種類か思いついたものを作ってみた。
今までも、一週間ごとのスケジュールに組み込んで掃除予定などを壁に貼っては来たのだが、これは私が自分用に作ったものだと彼は思っているので、貼ってあるその紙を見ようともしないのである(もしかしたら、貼ってあることすら気づいてないかも)。
なので、今度は「家族じゅうの大人=相方と私」のどちらでも、気づいたら”今日の作業”のうち手がつけられていないものに手をつける、という形式にすることを考えてみた。肝心なのは、彼にこの表を”見てもらうこと”である。これが大変で、わざわざカラー印刷で作った一週間ごとの表にすら目がいかないわけだから、きれいなおねーちゃんの写真でも貼り付けるしかないのだろうか。

まあ、とりあえず今夜から「これを使うぞ!」という宣言のもとに、やってみようと思う。
うまくいったらラッキーということで、またこの日記で経過を書いていくつもり。

きのう久々にHPに文章をアップしたこともあり、今ちょっと文筆モードに入ってきた気配。何か文章を書きたくて仕方がない(特に、何の役にも立たないよーな文章を)。
ネタはあれこれあたためているものがあるので、頑張って書いてみよう。

2002年2月7日(木) くもり
寝過ごすとこだった…

と、いうのは朝の話ではなく、夜11時過ぎのことである。

NHK総合の「トップランナー」という番組に京極夏彦氏が出演する、と新聞のラ・テ欄に書いてあったので絶対見ようと思っていたのにもかかわらず。
案の定、帰宅後にはすっからかんに忘れこけてしまい(だから朝思いついた通りビデオをセットしておけばよかったのかも(^_^;)、「おかーさんといっしょにねんねするー」と主張する息子につきあって布団に入ったまま眠ってしまったのだ。
TVのことは忘れていたが、やることがいっぱい残っていたので眠るつもりはなかったのだが。
なにぶん妊婦。
そして、毎日それなりにハードな生活。
本気で寝たふりをしないといつまでもしゃべり続ける息子(なので、いつしか”本気で寝たふり”から”本当の睡眠”になってしまうのはたやすい)。
今夜も例に漏れず、9時過ぎに布団に入ってからすっかり”本当の睡眠”モードへ転落。
目が覚めたのは11時をまわってから、というか、11時半近くになってからだった。
あーいかん、起きて弁当箱洗わなくちゃ、明日出すゴミまとめなくちゃ、とか思いながら布団を出ていくと、ちょうど相方が風呂から出てきてテレビをつけたところだった。で、相変わらず何も覚えていない私がのそのそと洗い物をはじめた途端に。
「おーい、京極さん出てるよー」と相方の声。
彼の”チャンネルぱちぱち切り換えまくり癖”に感謝したのは生まれて初めてのことである。

洗剤を手から洗い落とし、皿はまたシンクの中に放り込んでテレビの前へ。よくもまあ、見つけてくれたもんで。素晴らしい>相方
京極さんがテレビ出演したのを見るのは、実ははじめてのこと。生きて動いている姿(笑)を一度だけ見たのは、南紀熊野体験博関係のイベントとして”世界妖怪会議”が田辺の文化会館で開催された時だった。
それはそれで”ナマ京極”を見られて満足したのだが、なにしろいろんな人が次々に発言していて、京極さんと荒俣宏さんはなんだかコーディネーターのように場をまとめるという感じで、あんまり喋ってくれなかったのである。
でも今回は、番組のゲスト。主役である。ふふふ。
以前見た時とは違って、一部金髪に近い茶髪に染めてあったし、全体に短めのカットでなんか明るい感じ(笑)だった。しゃべりも軽い感じで、ちょっと噺家さんっぽいノリだったかな〜という印象。
昔の外見では、GLAYのボーカルの人に似てる、という説があったようなのだが、私の今日の感想は…”(石井竜也×3+やくみつる)/4”+αって感じ。
人を食った感じ(水木先生由来?(^_^;)がちょい、やくみつる氏か。で、あとしゃべり方とかリアクションとか、全体の雰囲気はてっぺいちゃんを彷彿とさせるような。
ま、外見のことはどうでもいいのだが。
話の内容もなかなか面白くて、司会者・田辺誠一の妙ちきりんな”間”が、変におかしさを倍増させてくれていた。田辺誠一って素だとああいう顔なんだねえ。
…などなど、一人テレビに向かって派手にリアクションしながらいちいちコメントする私に、相方もおつきあいしてくれたのだった。彼は京極さんの小説には今のところまったく興味がないのだが、こないだ例の「妖怪馬鹿」を見せたところ大ウケしていたので、そのうち小説の方にもひっぱりこんでやろうかと思う。
彼はハマるとめちゃめちゃどっぷり、というタイプなので京極小説&妖怪談義ができる日が来るかと思うと楽しみである。

さて。
ところで、なぜ息子につきあって寝なければいけなかったかというと、息子が風邪をひいて高熱を出していたからなのであった。
流行の波に乗ってしまったらしく、ちょうど今、同じような症状で病院通いをしている子どもや大人が多いとか。夕方になると熱があがり朝にはひいている、お腹に症状が出る(そういえばここ数日、あんまり食欲ないみたいだった)、などの特徴があるらしい。
夜中に咳き込んでいたので、今日はお医者に連れていこー、きっといつもの季節物の咳だし、とか思って夕方小児科で熱をはかってみたら、何と信じられないことにあれよあれよという間に液晶表示の数字が上がり、38.3度に。
あーびっくり。
だってこの人は38.5度を超えたらけいれん止めを入れてやってね、とお医者に言われている人なのだ。もーデッドラインじゃん。心の準備ができてなかったのでかなりびびった。
まあ、本人が元気だったし急激な発熱じゃなかったようで、結局普通の風邪薬と気管支拡張剤だけもらって帰宅したのだが。
それでも熱が高いからかやはりいまいち覇気がなく、だらだらと横になりつつ、それでもゲームをしたいゲームをしたいと主張する息子に「お熱がある時はゲームはできないよ!もうねんねしなさい」と親っぽく言ってみたら、「いっしょにねんね」と言われてしまったのである。
朝になったら熱が下がるらしいので、とりあえず明日は(私は明日どうしても仕事を休めないのだった)保育所に朝連れていき、相方が早めに仕事を終えてお迎えにいく、という段取りを決めて。
相方は「ああ、ぼくはもうダメだ」という”いつもの台詞”と共に布団に沈没していったので、私はこれから風呂に入って髪と体と風呂場を洗ってから寝ます。

2002年2月8日(金) 晴れくもり
間歇強化

というのは、行動分析学の用語である。
要するに、何かの状況における人間の行動は、その結果がポジティブであれば−確立するのには多少時間がかかる場合があるにせよ−コンスタントな結果が出るよりも、むしろランダムに”時々、ポジティブなことが起きる”ほうが消失しにくい、という話。
要してないな。
わかりやすいのはギャンブルである。
自分が入れた銀行口座から、所定の手続きを踏んで、たとえば1万円引き出すことはできるが、それが楽しみでしょうがないとかやめられないという人はいる。
一方で、つぎ込んだお金をすっからかんに失うこともあれば何十倍にもして取り戻すこともできるギャンブルは、たとえトータルでは完全に赤字だと理解しているにせよ、はまりこんだ人が抜け出すことは難しいようだ。
これである。
時々、いいことがある。
そうすると、”時々”以外の”ほとんどの時”の結果に目をつぶれてしまうことがあるのだ。

今日私は、そのことを改めて身をもって実感した。
職場(山の上の研修所)で、所員のK先生が「ばじるさーん、IE(Internet Exploler)の4持ってないか?」と聞きに来られた。
Win95時代のブラウザである。
一体なぜそんなものが必要なのかというと、最近パソコンに導入したLAN関係のソフトウェアが、Win98以降では問題なく動くがWin95だとIE4の機能の一部を利用しないとうまく動かないのだ、ということらしい。
そして困ったことに、職場のLANでホストコンピュータになっているマシンのOSはWin95なのだった。
ブラウザは、12月までおられた情報処理の先生によってとっくの昔にアップデートされている。マイクロソフトのWebページを探してみたがさすがにIE4は見つからなかった、という話だった。
「うーーん、昔の雑誌の付録とか発見できればその中にありそうですよねえ」と私は答えた。
「そうなんや!そういうの持ってないか?」
……で。
持っていたのである。
こないだ、家の中では大整理大会をやってしまったので雑誌類は去年のものでももうほとんど残っていないのだが、職場にはあったのだ。置きっぱなしで埃をかぶっていた本棚の片隅に、一冊。
K先生にいっぱい喜んでもらって、私はつい感じてしまったのだ。
「古いものを捨てるの忘れてとっとくのだって、悪いことばっかりじゃないよね」
思えばこういう具合で、ほんの時々忘れた頃に、捨てられず置きっぱなしのガラクタが役に立った経験をしていたために、ますます思い切って捨てるだけの決心がつかないできたような気がする。
「だって、とっとけば役に立つ時がくるかもしれないし」
確かに、役に立つ時はくるかもしれない。
しかし、それはごく一部のものが、ほんの時々というだけの話だ。あとは埃をまき散らし、場所をふさぐ存在でしかない。
不要な物を処分する勢いにかげりが見えた一瞬だったけれども、これはギャンブルで”たまには”儲かる程度のことなのだと自覚することで、何とか甘い方に転落しようとする自分をおさえこまなければ…と思う出来事だった。

今日は、1ヶ月ごとの相談件数の統計をまとめる作業に精を出した。実は何ヶ月分も溜めてしまい(例の先送り癖のせいだ)、ずっと気になっていたのだがちょっと肩の荷が下りたような気がする。まあ、今月分と来月分がまだあるんだけれども。
それでも、やらないといけないことだったので一段落してちょっとすっきり。

2002年2月10日(日) 晴れ(多分。外に出なかったからわかんない)
ジャンクな一日。

われながら、ゴミのよーな一日だった。

相方が急に出勤しなければいけなくなり、まだ風邪が治っていない息子とともに教会をお休みして一歩も家から出ずに過ごした。
しかし、今日はどこにもいかなくて正解だったような気がする…。
もう、気力なし。元気なし。いつもそうだが今日のわが家は息子にとっては特に”養育に欠ける家庭”だったんじゃなかろーかと思う。だって何にもできなかったし、してやれなかったし、もう体を少し動かすのさえ億劫で。
朝の8時頃にのっそり布団を出た時点で既にエネルギー枯渇状態、バッテリ切れ直前点滅中、てな感じで、でも息子は「おなかすいたー」とか言うし。
とりあえず彼には簡単な朝食を用意してやったものの、自分の朝食など(お腹はそれなりに空いているのだが)作る気力なし。いきなり、朝から買い置きのスナック菓子に手が出る(幸い息子はまだ風邪で体調がいまいちなのか、お菓子を見ても食指が伸びないみたい。でも絶対教育上よろしくないよな)。
洗い物を流しに運んで息子に薬を飲ませて、そのままぐったり動けなくなる。私の場合のこれは、どうも体調がどーのこーのというよりもきっぱり”鬱”である。
そのまま、何がどう過ぎたかわからぬまま読みかけの本をだらだらと読んでいると、気が付けばもう午後2時になろうとしていた。
まずい。
今日は本当は、先週全くこなせていなかった台所の整理をやり終えて、帳尻を合わせてしまうつもりだったのだ。
台所の床にえらそーに陣取って全く通行の邪魔だった幾つかの段ボールやら何やらを、先週こそやっつけようと計画していたのに…結局は全然できず、いいかげんここらで追いついておかないとまた先の計画に影響が及ぶ。
それなのに。
午後2時。
昼食も食べずに。

ふと息子のほうを見ると、絵本を開いたまま布団で眠り込んでいる。いつから寝ていたのかよくわからないが、とにかくお昼も食べずに眠ってしまったらしかった。
まあいいや、この時間だし起きたら軽く何か食べさせて…とか思いつつ、自分は手近にあったカップめんを食う。すげえテキトー。ジャンクフードばっかし食ってるって感じである。ひでえよな。
……で、ああこれで一日また棒に振ったか…と、思った瞬間に。

なぜか、”スイッチが入った”。
やはり普段ほど持久力がないのか、デフォルトで疲れていたせいか、あまりすごい推進力は出なかったものの、結局それから黙々と4時間、台所のガラクタと格闘して…ひととおり邪魔なものは整理することができた(のだが、相変わらず外から見たらあまり変わらないのだな。やり甲斐を感じにくい掃除だ)。
床もさることながら、長いこと”四次元テーブル”であった、骨董品のダイニングテーブルにようやくスペースができた(これがまた何日で”四次元テーブル”に戻るかが問題…というか、そうなることは目に見えてるんだよね…なんでだろ)のは、唯一インパクトの強い変化か。
どんなに苦労して片づけたところでも私からアピールしなければ絶対に気がつかないという”観察眼”の持ち主の相方もさすがに帰宅後「おお、テーブルが!!」と感嘆の声を上げてくれた(他にも気づいてくれよう〜)。
ただ、通常モードだと”スイッチが入った”時というのはほぼ自動操縦なので、ひととおりカタカタと動き回ったあとそれほど疲れることは少ないんだけれども、今日はどうも感じが違う。
強い疲労感と虚脱感。さっきまでより一段深い鬱に入り込んだ感じがする。
残る力を振り絞って夕食の支度をし、ようやく一食だけいくらかまともな食事を摂ることができたが、もー限界。
どうにもこうにも、地を這いつくばるような一日であった(意味不明)。はー。

そうそう、息子は結局あれから夕方6時頃まで眠り続けたのち、完全復活を遂げたのであった。おそるべし幼児の回復力。

2002年2月12日(火) 晴れ
休みボケ

をしていないかどうか、心配だった。
息子のことである。
きのう一日もしっかり家で過ごして(一日中ゲームをしてたらしいが(^_^;)もうすっかり元気になったのだが、なにしろ久しぶりの登園である。
ただでさえ「恥ずかしいー」「いやだー」とか、教室に入るのを渋るモードに入っていたところだったうえに連休をはさんで4日間の休み。これでボケないわけはない。
ああ、今日も無理矢理ひっぺがして逃げ去るように出勤するのね、とか覚悟していたのだが。
案外それほどでもなかったのであった。

今日はSCの日だったので、比較的時間が早く、登園した時点ではまだ子どもがけっこう少なかったのがよかったみたい。大勢の中に”入っていく”のがとにかくいやなのだ。
なので、思いの外あっさりと「ばいばーい、いってらっしゃーい」と別れてくれてほっとしたのであった。
登校しぶりの我が子と格闘する親の気持ちがよくわかる。
まあ、小学生とかになっていて自分で留守番ができるのであれば−もしくは、仕事場に連れていっても多少わけがわかってそこにいられるのであれば−学校に行かないこと自体を私は大したこととは思わないのだが、さすがに3歳児を家においていくわけにもいくまいし、さりとて職場に連れていくのも難しい。
なかなか簡単に休める仕事でないので、こういう時に本当に困る。急な休みとか保障されてないもんな。自分の病休さえも。”実際に働いた分”しかわたしはもらえないのだ。ま、わかりやすいといえばわかりやすいか。

SCはなかなかこの頃忙しい。繁盛するのはいいことか悪いことか知らないが、暇過ぎると自分の存在に疑問を感じてしまうので話をしにきてくれる人がいるのは正直、助かる。そこにいるだけで意味がある、という説もあるのだがなかなかそこまでどーんと構えていられないのが気弱なところだ。
今週末は金、土と京都に研修に出かけるのでその分やることが増える。
そういえば切符もまだ取ってないし、ホテルは人任せだし、どうしよう、全く。
来週も臨床心理士会の研修会で高知に行くことは決まっているのだがこれも切符を取っていないのだ。大丈夫か、ドロナワ人生。

2002年2月13日(水) くもり
やっぱり妊婦体操

妊婦検診だったので朝病院に行った。
いつもの通り、エコーの画像を見せてもらったのだが、先月見た時に比べて格段に”人間の形”として認識できるようになってきた。おお、胎児のポーズでもって動いとる。
腹を蹴られる感覚もここんところ更にはっきりしてきて、ああこりゃ相当育ってきたなあと思ってはいたのだが、こうして見るとあらためて感慨がある。
脚の付け根が痛い、と助産婦さんに訴えたら「妊婦体操するといいよ」と教えてくれたのでやはり妊婦体操を真面目にやったほうがいいみたいだ。よし、ちゃんとやろう。
ドクターからは「湿布薬とか要る?」と訊かれたが、湿布だったら別に病院で出してもらわなくてもいいよな、とか思ったので(だって妊婦検診って保険きかないんだもん)「いいです」と言った。われながらみみっちい話である。

支払いを済ませてから山の上の研修所へ。
今日は、ケースカンファレンスを一日中やる日だったのだが、年度末が近いこともあってか提出されたケースが少なく、昼前に終わってしまった。
午後からはいろいろと相談システムのことについての話し合いや打ち合わせがなされていたのだが、私はシステムとか手続きのことに全く口も出せないし関与していない立場なので思いっきり眠くなった。
このカンファレンスは毎月一回あるのだが、来月は日程の都合で私は出席できないので今日のうちに皆さんに挨拶させてもらうことにした。
実は、他の仕事との兼ね合いで、一番長く勤めたこの研修所の仕事を遂に今年度いっぱいで辞めることにしたのである。そもそも、月8日出勤という非常勤の身で、3ヶ月もの産休を取れるわけもないし。
来年度からは公的な所属機関なく、完全にフリーとして仕事をすることになる。いろんなところで”所属”を書かされるんだよねえ。どうしよう。考えるのがめんどくさい。
この4月以降で最も大きい”仕事”はわたし的には”出産”なのだが(笑)、外でのお仕事は乳幼児の発達相談がメインになる。とはいえ、いろんな自治体でちょっとずつやるので所属としては書きづらい。あーやっぱりめんどくさい。
そうなのだ。
2002年度の私のメインお仕事は、この近辺一帯の自治体あちこち(近辺といっても、車で2時間近くかかる新宮市とか那智勝浦町も含まれているのだが)での発達相談なのである。
馴染みの世界にいよいよ帰れるというのはけっこう嬉しいことなのだが、さあ果たして一体どうなることやら。

夕方から、仲良しのO先生とごはんを食べに行く。
仕事の話など、あれこれと話しているうちにあれよあれよといううちに夜の11時になってしまったのであった。ひえー。

2002年2月15日(金) 晴れ
京都へ

出てきているのである。
今日の午後から明日にかけて、某京都大学関係の教育講座みたいなのがあって、申し込んだら入れて貰えることになったのでわーい、と出かけてきたのだった。
受付はお昼過ぎからだったので、朝息子を保育所に送ってから駅に直行し、特急オーシャンアローに乗り込み京都までは一本。早起きの分を取り戻すべく、2時間寝続けて到着した。らくちんである。
初日は分科会に別れてのケースカンファレンス。今回のテーマが「不登校・引きこもり」ということで、2つの事例が提出され、順に検討するという形式。
ディスカッションの時間も十分に取られていたし、なかなかよかったとは思うのだが、結局何を話していても行き着くのは”連携”の問題と”コーディネイター不在”の問題。
公的機関しか相談機関がなく、心理職は非常勤で権限がなかったり、有無を言わさず異動で動いたり、びしっとメインでケースのコーディネイトをできる存在というのがなかなかいないというのが問題なのだ。学校の先生だって(管理職なんかすごい短い期間で)異動するしね。何年越しのケースを支えていくのは現行システムでは難しいんじゃなかろうかと思った。

初日のプログラムが終わり、ホテルへ移動。
今回は完全に人任せで、自力でやったのは往復の切符購入のみという軟弱モードだったため、仕切ってくれた方に引率されてゾロゾロと総勢10名ほどでホテルにチェックイン。小さくてちょっとクラシックな雰囲気の、いい感じのホテルだった。税抜き一泊5000円!恐るべし楽天トラベル。
夜は街に出て居酒屋さんにて暴食(飲めないので”暴飲”はなし)して苦しくなり、久々のカラオケで周囲の迷惑を顧みず歌いまくり、”腹ごなし”をして戻ってきたのであった。
さて明日はまた半日勉強してから田辺に帰らなければならないので寝よう。
折角ゲームボーイを持ってきたのだが出す暇もなかった。

2002年2月16日(土) 晴れ
京都散策

講座2日目はシンポジウムで、3名の話題提供者がそれぞれ具体的なケースを挙げて、話者の立場からのアプローチやケース分析について語ったのち、家族療法をやっているという指定討論者が話す、という流れ。
ケースがあるのは確かにわかりやすい。
わかりやすいのだが、どうしても「ああそうですか」という感じがしてしまうんだよねえ。やっぱり学問的バックボーンが違うからかしらん。
「内的な○○」とか「こころの仕事」とかいうテクニカルタームを連発されてもなあ、と思うとちょっと引いてしまうのだ。この時こういう出来事があって、とかこういう症状が出て、とか、まあそれこそがユングの言うシンクロニシティなのかもしれないんだけれども、全部ケースと関連づけて解釈しちゃう。それってこじつけとどう違うの?と訊いても一蹴されちゃうんだろうなあ。
まあ、ケースはそれぞれわかりやすかった、とは思う。
指定討論をされていた、家族療法家の方の話が一番わかりやすかった。結局は家族のシステムにどう介入していくかということだったり、家族が治療構造の一端を担ってくれる場合とそうでない場合にどう違ってくるか、とか、よく納得できる話だった。
わたしたちは人の援助をするのが仕事であって、その人の内的世界がどうこう、とかいうこととはまた別問題だと私個人は思う。
だから、使えるものは何でも使っていくべきじゃないかと思うのだ。たとえ即物的な方法であっても、なんでも。その時よければその人の人生がその後どうなってもいいのか、と問われても「そうだ」と答えるより他にない。今、ここで困っていることをどうにかして欲しいと相手が言っているのに「あなたの本当の問題はそんなことではない」と、口には出さないまでも何年もかけて”こころの仕事”とやらを促していくことが本当に臨床家の仕事なのだろうか?

うーむ。
やっぱり私はユンギアンにはなれないみたいだ。
あの世界はファンタジックで、オハナシとしては魅力を感じるんだけれども。
でも人間、ファンタジーを食って生きてはいけないのだもの。今困っていることを何とかしたい、と、私なら思う。

などとあれこれ考えていると、居眠りもしないうちに(笑)シンポジウム終了。
あとは夕方の電車まで京都散策である。ご一緒させていただいたメンバーと昼食後に別れて、それぞれ自由行動へ。私は総勢5名ほどとなった小グループにくっついて歩いたのだが、京都の町並みは面白いし、ちょっといい感じのお店はいっぱいあったしであっという間に夕方に。
少し歩き疲れたが、あとは帰りも電車で一本である。旅の楽しみ”駅弁”にて締めることにして、お土産と駅弁を買ったら財布の中にお札が一枚もなくなってしまった(^_^;
すごく散財したのではなく、最初から無謀とも思える少額しか財布に入れてなかったのである。自らの経済観念のなさをよく知っているので、ないお金は遣いようがないだろうという”荒療治”(っていうのか?(^_^;)。
駅の近くに停めていた車に乗り、22:30帰着。
さすがに疲れたのでこれにて就寝することにしよう。明日は一日休むぞー。

2002年2月18日(月) 晴れ
今週は忙しい

のである。
きのう一日、午前中は教会をお休みして家でゆっくり過ごし、午後からは久々に日高町”みちしおの湯”に出かけて湯治してきたのでちょっとリフレッシュできたのだが。
とにかく今週は慌ただしい。
土日と高知で研修があるので、金曜日の仕事が終わったら駅に直行して電車に乗り、新幹線と特急列車を乗り継いで日付の変わる直前に高知入りする予定なのだ。帰りは飛行機で関空まで来るので楽なのだが、調べたら金曜の夜に飛ぶ便が見つけられなかったため、やむなく電車で行くことにしたのだった。
…ということで、結局今週は金〜日の3日間が使えないことになる。
片づけの予定も、個人面接の予定も、ぜーんぶ他の4日間に押し込めることになるのだ。
さらに、来年度の発達相談の日程のことでいろんな自治体と連絡を取らなければならないし。うう、こういうふうに細かい仕事がいっぱいある状況が一番苦手なんだよな。おかげで今朝なんか歯磨き粉で顔を洗いそうになってしまった(関係あるのか>私)。

今日は山の上の研修所でお仕事。年度末に向けて、面接もたてこんでくる。来てくれる人にいちいち「今年度いっぱいで辞めます」と言わなければならないのでちょっとつらい。私ごときを信頼して来てくださっている大変ありがたい方たちなので、切り出すのに苦労する。胃が痛くなりそうだ。
そのせいではないが諸般の事情にて昼食の弁当を食い損ねたため、夕飯に弁当箱を開く。
朝自分で作った弁当を、夕方に家で食べるというのはなかなか侘びしいものだったが「勿体ないから食べちゃった」。
夜、片づけを少しでも進めようとシンク下の引き出しを整理。頓挫していた片づけプロジェクトであるが、またぼちぼち再開しなければならない。
ついでに、明日からちょっと楽をしようとクリームシチューを鍋いっぱい作ったのだが、遅くに帰宅した相方が「おおっ、シチューだ!」と言ってボウルに大盛り2杯をあれよあれよという間に平らげてしまったため、あと2日持たせようという目論見はどうやら崩れた模様。
ま、とりあえず明日は何とかなるだろう。昼間は給食だし。

2002年2月19日(火) 晴れ
なんとまあ

朝、雪がちらついていた。
とにかく寒い一日になるのだと天気予報の正木さんが言っていたのだが、まさか雪まで降るとは思わなかった。

今日はSCで中学校へ。あたたかくて美味しい給食が食べられるので楽しみである(弁当を作らなくていいのも助かる)。
しかし、なんだか今日も朝からバタバタと忙しく相談などがたてこんで、結局夕方までほとんど休めずに過ごしたのだった。贅沢を言えばやはり妊婦の身、一日のうち少しくらい小休憩が欲しいところなのだが、仕事があるのは有り難いし、微妙なところである。
なんだかやけに疲れたのはやはり寒かったせいかもしれないが、息子のお迎えに出る前いったん家に戻った(生協の荷物を受け取らないといけなかったので)ら、疲れて動けなくなってしまった。結局そのまま30分ほどボケーッと呆けて過ごし、はっと気づいた時には5時半近くなっていた。
旅行会社に予約していた高知行きのチケットをもらいに寄り、結局保育所に到着したのは6時すぎ。やれやれである。
まあ、今夜はシチューがあったし、きのう炊いたごはんの残りもあるので夕食の支度は楽である。こんな寒い日にあたたかい汁物がおかずだというのもナイスである。単に楽をしたかっただけとは言え、われながらファインプレーである、と自己強化をして。
火曜日は床にクイックルワイパーをかけ、キッチンのレンジ台まわりを掃除することにしているので、夕食後にそれだけやったらもうへとへとになってしまった。なんかちょっと風邪気味っぽいし、週末は出かけなければいけないので養生モードに入ろうと思う。
置き薬屋のおにーちゃんが置いていったドリンク剤とビタミンCでドーピングして、布団に直行しよう。
あー布団の部屋に暖房を入れてあたためておくんだった…。

2002年2月20日(水) 晴れ
正木さん事件

別に事件というほどのことではないのだが。

毎朝、時計代わりにうちでつけているのは朝日放送「おはよう朝日です」という番組。関西ローカルである。
こっちに来て驚いたのが、関西限定でやってる番組の多さ。全国ネットの、関東や東北や四国や九州などで流れているいろんな番組が、関西だけは流れていないことも少なくないのだ(さすがにゴールデンタイムはそんなことないだろうが)。
で、かわりにやってるのが大阪局制作の番組。「おは朝」もそのひとつである。当然、私はこっちに来るまでそんな番組の存在すら知らなかった。
しかし、朝日放送フリークの相方が毎朝この番組をつけているので、いつの間にか私も見るようになってしまった。ローカルネタも多く、キャスターが個性的で面白いのだ。
そして、特にその中で私が一番ほれこんでいるのが気象予報士の正木さん。お天気の説明もわかりやすいしよいのだが、”出ている人は誰でも使う”という番組の方針なのか、よくあるお店紹介コーナーなどでも度々レポートしている姿が見られる。これがなかなかいいんだねえ。けっこうこだわりの人だということがよくわかる。ヲタク系でもマニア系でもなく、いわゆる”こだわりを持った人”なのだ。にも関わらず、変に鼻につく主張をしないところも謙虚でストイックな感じがして素敵。
…などなど、すっかり正木さんファンになってしまった私。当然、天気予報の時間になるとTVの前に走っていって「わーい、正木さんおはようございますー、きゃーすてきー」などとほざいているわけだ。最近では3歳半の息子でさえ「おかあさーん、正木さんやでー」とお天気コーナーがはじまったことを教えてくれる。出来た息子である。
相方はあきれて見ているが、ま、彼だって時々おねーちゃん見たさに毎日放送(TBS)の「エクスプレス」を見ているのだからおあいこである。

今日のお天気コーナーでは「きのうよりも最高気温が4度あがります」と言っていたので、息子に「よかったねえ、今日はきのうよりあったかくなるんだって」と何気なく伝えた。今日があたたかいのではない。昨日が寒すぎたのだ。まあ、今日の気温は2月としては多分平年並みである。
ということは、朝晩はまだ寒いということだ。
しかし、出かける支度をしている時息子に「朝は寒いからジャンパーを着ていこうね」と言ったら、口をとんがらかした息子にこう返された。
「だってよう、きょうはあったかいって言ってたで、正木さん」
…むむむむむむ。
まあ、そうなのだが。ってここまで書いて別にこれは”正木さん事件”とかそういうもんではないな、と気づいたのだがまあいいか。

今日は山の上の研修所に出勤。
研修員さんの報告会本番が明日なので、パワーポイントで発表用の補助資料を作っているのだが、今年はほんとに全然お手伝いできてない。こんなに手伝えなかった年は今までになかったほどだ。今日もなんだか面接がびっしり入っていて、結局遅くなってしまった。で、夕方からは外で面接があったのでそっちへ行き、やっぱり心残りなので夜の7時半ごろにノコノコ引き返す。
明日は発達相談の仕事が入っているため報告会には出席できなくて残念。ということで、とにかく作ったスライドを使いながらの発表練習を見せてもらう。いつも思うが、こういうスライドとかって作り慣れてないとほんとに大変だ。結局、補助資料なのだからあまり多くを盛り込む訳にもいかないし、スライドを見ただけでは何のことだかわからないのでもまたいけない。
苦労のあとがにじみ出ているスライドに、さらにお姑よろしく難癖をつけつつ心密かに「これくらいが私のできる最後のお手伝いだわ、くすん」とか思ってみたりする。
そう、ここでの仕事では多分、これが本当に最後のお手伝いなのだ。それにしてはいまいち心残りだが仕方がない。自分自身の仕事の整理もつけないといけないため、やたらと年度末に向けて面接がたてこんでいるのだ。
なんだかやけに疲れてしまって夕飯は後先かまわず暴食してしまった。反省。

2002年2月21日(木) 晴れ
確定申告の季節

が今年もやってきた。
今年も、とは言いつつ私はここ3年ほど申告の要らない扶養家族の身であったため、久々の申告になる。
大学院を退院してから2年とちょっと働いた時も、現在も、身分保障もなく年末調整もしてもらえない非常勤の身であるため、全部自分で申告しないといけないのであった。
最初に私が確定申告に出かけたのは、父親が年明けにいきなりぶっ倒れて入院し、退職という形になった上、夏には母親まで入院するという事態になって結局私が休学して病院通いをしていた年の分であった。
この時は、年度明けすぐくらいに退職扱いとなったことに加え、両親ともに長期入院でべらぼうな医療費がかかったので、申告したら10万以上のお金が戻ってきてびっくりした。
そして、申告するとお金が戻ってくるのね、と思っていたのだった(しかしこれは間違い。「戻ってくることもある」し「追加で取られることもある」のだね)。
この根拠のない考え違いは、就職してから3回ほど行った自分のぶんの申告でさらに強固になってしまった。だって3回とも戻ってきたんだもん。尤もそれは母親を私の扶養に入れていたからであったり、その年の途中で仕事をはじめたり仕事を辞めたりしたためなのだが。
それにしても今年は一体どうなるのやらさっぱり全然わからない。だって、私は何と3ヶ所から給料をもらっているのだ(源泉徴収票は4枚ある)。あーめんどくせー。収入額は今までの人生で一番多いし、おまけに誰も扶養に入ってない(というより、自分が相方の扶養からはずされたのだが)。
ううううう、どうなるのかしら。追徴課税とかされるのかしら。やだなあ。ただでさえ今は超緊縮財政生活をしているというのに。
しかし、それより何より申告用紙と申告の手引きを税務署までもらいに行く時間がない。とか言っているうちに申告の受付が始まってから一週間も経っちゃったじゃないか。

今日は発達相談の日で、相談をやっている市の保健センターから税務署までは車で5分ほどなのだが、その5分がなかなか取れない。もう今日取りにいきたかったのだが、昼休みにはSCのお給料をいただきに二つの中学校をハシゴしに行ったし、ああ今日も無理かなあと思っていたらば。
最後の1ケースがキャンセルになった。
キャンセルは残念だが、このタイミングは正直言って助かった。
カンファレンスを終えて4時前。この時間ならばもう全然余裕である。まずは税務署へ直行して用紙をもらう。申告用紙が今年から変わって”わかりやすくなった”と宣伝していたが、本当にわかりやすくなったのだろうか。サイズが変わったのは扱いやすくていいな。あとはカラーになったことと、様式の細かいとこは忘れてしまったが。
で、税務署のすぐ近くには市立図書館があるので寄ってみた。そういえばこの前に図書館に来たのは1年前。相方の申告用紙をもらいに来て以来(彼は去年中途就職をし、さらに年末になって派遣社員から正社員になった関係上、申告が必要だったのだ)である。だって、なんか入りにくいとこにあるんだもん。
山田詠美の対談集に京極さんの名前があったので迷わず手に取る。1冊目だ。ついでに”熱血ポンちゃん”のシリーズも最初の3冊くらいしか読んでなかったので新しいのを読んでみようと1冊(あとはお楽しみだ)。それから、清水義範パスティーシュ作品を1冊。変に頭を使わず読めるものが読みたい。…とか思いつつ、あとの2冊はトリイ・ヘイデンと何かトラウマに関する本につい手が伸びてしまう。これで5冊。
図書館っていいなあ。独特のにおいがあって。もっと来よう。
それにしてもどうして私は本がたくさんあるところに来るとトイレに行きたくなるのだろうか。数日便秘とかしてても大抵は本屋か図書館でぶらぶらしてるだけでもう、解消である(ただし急激に”それ”に襲われるためお腹が痛くなったり苦しくなったり、それはそれで大変。トイレのない本屋もあるしね)。
今日も久々の図書館のにおいに刺激されたのか、本を選んでいる最中からいきなりトイレに行きたくなる。考えてみればここで一旦本を置いてゆっくりトイレに行けばいいのだが、なぜか5冊選んで借りてからでないといけないような気がしてしまい、苦しみながら上記5冊を選んで貸し出し手続きしてからようやくトイレへ行き、心の平安を取り戻したのであった。やれやれ(あほである)。

明日の夕方から高知行きで日曜日まで留守にするため、罪滅ぼしも兼ねて帰宅後はひたすらガシガシと片づけ。洗面所に置いてある3段と4段の引き出しケースの中身(ずっと整理しようと思いつつやれてなかった)に遂に着手。うう、なんか4年間手つかずだったという話が。
思いの外時間がかかってしまったものの、勢いで(これもこないだから気になっていた)パソコンと本棚を置いてあるフローリング部屋の床、もっと正確に言えば来客に慌てて一時避難させたつもりが1ヶ月以上放置されている本やら雑貨やら、を整理。まだ少し散らかってるが足の踏み場はできた。
今日は風呂を洗う予定だったが自分を洗ったところでギブアップだ。とか書いてるうちにもう夜中の2時半をまわってしまったので明日に備えて寝なければ。

2002年2月22日(金) くもり
てんやわんや

ということで、今日はこれから高知に向かって出発である。

きのうは、100均の店で衣類圧縮袋を買おうと思っていたのに、ダイソーの入ってるスーパーが2軒とも休みでショックであった。
かつて通信販売”フェ○シモ”で購入して以後、旅行に収納に引っ越しにと7年ほど大活躍してくれていた圧縮袋がついにお亡くなりになったので、新しい袋を買おうと思っていたのに。
仕方がないので普通の袋に衣類を入れて、まあ冬だし2泊だからそんなに着替えも要るまい、と開き直りつつゆうべはあれから出来る限りの荷造りをしてから寝たのだった。
なぜなら、今日は私は遠いほうの学校へSCに行く日であり、つまり弁当も作らなければいけない日であり、さらには燃えるゴミの日でもあったからだ。
結局ゆうべは3時に寝たので、3時間ほどの睡眠で何とか起きあがり息子のお出かけ支度&自分の支度、ごみまとめ、そして相方と自分の弁当づくり作業である。これだけあるのは辛い。なんたって私は朝はゾンビ状態なのだ。しかも寝不足。おまけに妊婦。つまり、寝不足状態の妊婦のゾンビ。最低である(寝不足のゾンビってだけで奇妙な感じが(^_^;)。
とどめはお天気である。雨降ってるじゃねえかー。がーん。道が混む。

息子を保育所に放り込んでから中学校へ。今日はすんなり離れて「ばいばーい」と言ってくれてホッとした。しかし明後日まで、しばしの別れである。さびしいのう。
SCは、当日キャンセルになった予約があったりしたので、その時間を利用してちょっと確定申告の手引きを読んでみた。ざっと計算してみたけど追徴はされないみたい(でもこの分だと来年はあやしいな…今度生まれる子どもは私の扶養に入れようかしらん)。私の穴だらけの計算によれば、雀の涙ほど戻ってくることになるのだが。戻ってきますように。余分に取られなければ雀の涙でも構いません。ううううう。
時間といえば、こないだ思わず超過勤務(とは言わないか)したので、今日はその分の調整で早めに中学校を出られたのもラッキー。これから17:45発の特急に乗るのだ。ちょっとけちって新大阪までは自由席にしちゃったんだけど大丈夫だろうか。いっぱい並んでたら指定券買おう、妊婦だし。それにしても妊婦は全てに優先する言い訳だよな。
これから、宿泊先の地図をプリントアウトして(それこそ昨夜のうちにやっとけよって(^_^;)、荷物をざっと確認して、相方が早めに仕事を切り上げて駅まで送ってくれるというのでお言葉に甘えることにして、出発します。
高知は何年ぶりだろうか。といってもまだ2回目だけど。
死んだ父親は高知県出身だったのだが「おれは高知を捨ててきたんだ」が口癖だったらしく(私は故郷の話すら父親の口から聞いたことがない)、その言葉通り一度も連れていってもらったことがなかった。父親が死んでから、まあ一応お父さんの生まれて育ったとこだし見ておこうか、ついでに分骨もしてこようか、とか言って出かけていったのが最初で最後であった。もう11、2年ほども前になるなあ。
今回は前と違ってオール自腹の(当たり前だ)貧乏旅行(但し妊婦モード)なので、そうゆう感慨に耽る間もないだろうが、まあとりあえず楽しみではある。朝市覗いてこようっと(起きられたらね)。
ではでは、行ってきます。
新大阪から20:05発の新幹線に乗り、岡山にて21:21発の特急南風に乗り換えをして23:49高知着予定。ハードだーーー。せめて最後の特急くらいでは寝られるといいけどな。はじめて乗る列車なので興奮して寝られないかもしれない(お前はコドモか>私)。

2002年2月23日(土) 晴れ
高知研修紀行

うーむ昨夜はなかなかハードであった。
美味しそうな匂いに誘われて思わず駅前で衝動買いしてしまったタコヤキを持って夕方の電車に乗り、首尾良く自由席をひとつ確保してすわり、あったかいタコヤキをおいしく食べたまではよかったのだが。
…私は忘れていた。
特急「くろしお」はめちゃめちゃ揺れるということを。
それを思い出したのは、なんだか胃のあたりが気持ち悪〜くなってきてからで、あんなにいい匂いで私を誘惑したタコヤキは、今度は恨みの対象となってしまったのだった。
まあ、乗り物酔いで気持ちが悪いのは寝れば治るし、どっちみち今日は寝不足だったので新大阪まではひたすら眠ってすごし(さらなる揺れ対策としても有効)、新幹線でも少しうとうとしながら、午後8時頃に岡山到着。
さてここからが未知の世界であった。行き先表示を見て、階段を降りたホームの先には……

…3両編成の特急列車「南風」が。
うしろの2両が自由席で、はじめの1両だけが指定。しかも、その1両はちょうど半ばあたりに仕切りのドアがついていて、前半分がグリーン席で後半分がふつうの指定席なのである。ううううむ、すごい。
(ちなみに、割合から言えば「くろしお」の理不尽な自由席の少なさに比べて妥当だとは思う…のだが)
ちょっぴり目が点になりつつも、そりゃ確かにこれは指定を予めとっといて正解だよな、というか予約した時点での「残り4席」というのは、まだ実はちょっぴり余裕のあった状態だったのかしらん、とか、どうでもいいことを考えてしまう。
で、いよいよ乗り込んだのだ。そして間もなく発車。
終点の高知まで約2時間半の旅だったが、これがとにかくキツかった。妊婦でなければそれほどこたえなかったのかもしれんが、今の私にはとにかく、かなりハードだったのだった。
まずは瀬戸大橋だ。発車してまもなく、いかにも陸橋を渡ってます風の音と振動がしはじめ、ううお腹に響くよ〜とか思っていたらこれがずっと続くんだね。しばらくして、音と振動がおさまった時にようやく「ああ、今のって瀬戸大橋だったのね」ということに気づいた。だってあんなにすぐ渡るとは思ってなかったし。
そして、揺れる。「くろしお」のような小刻みな揺れではなく、カーブが多いのと(多分)車両&線路自体がくたびれているからか、とにかく振動がはげしい。特急のくせにリクライニングさせることもできない、ほぼ直角の座席ではかなり厳しいのだ、正直いって。
隣の人が途中、早めに降りたので「もうこれ以上こんな夜中に高知まで指定席で行く人はいないに違いない」と勝手に判断、アームレストを上げて遂に座席に横になり、どうにか高知まで無事到着。あーーーしんどかったよーーー。宿を駅前にとっといてよかった…。

明けて今日である。
初日の受付は昼からなので、朝はホテルでゆっくり。なにしろ昨夜はあの強行軍と振動に耐えてきたのだ。自分の体もさることながら、腹の中の人にもゆっくりさせてやりたい。
ふだんでは考えられない時間までベッドでのたのた過ごしてからシャワーを浴び、10時ごろにぶらぶらとホテルを出た。
会場までは、路面電車を乗り継いで10分もかからない程度の距離なので、散歩ついでに歩いていくことにした。高知も城下町なので大通りとかの構造がわかりやすくて助かる。私でも何とか道に迷わず歩けるもんな。
あちこち歩いて土曜市をのぞいたりアジアングッズの店を物色したりしてから、お城の近くにある”ひろめ市場”という、いろんなお店がごっちゃに入ったちょっとレトロ風の市場に入って朝食、というか時間的にはもうブランチか。メニューがいろいろあって迷った末に、かつお飯定食というのを食べてみた。
そもそも和歌山と高知は同じ黒潮の流れに沿っているので、基本的に海産物の種類がよく似ている。わざわざ鰹を食べることはない、とも思えそうだがやっぱり調理法とかが違うんだよね。こっちではあまり炊き込みにするのを見たことがないし。
というわけで、かつお飯定食である。小さい丼いっぱいのかつお飯にみそ汁、小鉢のおかず、漬け物、などがついて700円也。安い。そして旨い。すばらしい。
満腹になったところでいよいよ会場へ。”市場”から会場まで歩いても7〜8分程度。ゆっくり歩いて、余裕で受付。まだ時間が早く、人があまり来ていなかったのでけっこういい席を確保することができた。
今回の研修会では、3つのテーマについて事例発表などを中心にディスカッションすることになっていて、今日はそのうち2つのセッション。最初のはTATという心理テストを使った事例、次は「個人の心理療法」ということで子どもの遊戯療法の事例。
両方ともそこそこ興味深かったんだけど、第2セッションでちょっと個人的にひっかかったことがあって、でも本筋とちょっとはずれてたので発言するのは我慢したのだがやっぱりひっかかるのでここでちょっと書こう。
その子はちっちゃい時受けた知能検査で軽度の遅れがあると診断されていて、さらに集団不適応(他の子との関係がうまくもてない)ということで、発表者の方が遊戯療法という形でかかわったということだった。
で、発表者が「この子は軽度の遅れがあって、それに衝動性と攻撃性が高いのでADHDもあると思います」と言っていたのね。でも、生育歴を聞くとこの子はけっこう複雑で不安定な環境の中で育ってきちゃった子で、健全な発達を周囲から保障されてきたとはお世辞にもいえないケース。それも、あとの方ではけっこうセルフコントロールもできるようになってきてるし、知的にもそんなに低いと思えなかった。
発達上の問題が全くないとは言い切れないかもしれないけど、ちょっとそういう理解の仕方はないんじゃない?とか感じてた。ただまあ、ここまではまだよかった、というかまあ発表者の見立てに必ずしも賛成できなかったってだけの話なのだから。
でも、ここで一人の質問者(どっかでSCをやってる人だそうだ)が挙手して言うことには「最近不登校の相談がすごく増えてきていて、最近は家庭環境がよくないケースも多いし、我慢のできない子が特に多くなったと思う。今日の発表を聞いて、ああ、あの子たちもADHDと考えればいいのかなあと思った」という主旨の発言(!!)。
念のために書いておくと、これは臨床心理士会の研修会である。つまり、この質問者も心理士。そしてご本人の弁によるとずいぶん長いこと学校でSCをやってきたとのこと。
背筋が寒くなった。今まさに学校現場に入って仕事をしている現役の心理屋さんにしてこんな程度の理解。「ADHDって何でしたかね」とか聞いてた偉い先生もいたな。
ロジャーズ的カウンセリングとマイルド/力動的精神分析の折衷文化である日本の心理屋さんの認識はこんなものなのか、ということを改めて目の当たりにして愕然としてしまったのだった(もちろん、現場レベルではとてもいい仕事をしておられる臨床家がいるのも知ってはいるけど、それって未だに個別というレベルだ)。
件のオバチャン(だったのだ)SCなんて、明らかにADHDのことを全く、なんにも、知らない。断言してもいい。名称くらいは知っているだろうけど、多動でちょっと乱暴な子が最近はADHDって呼ばれてるのね、くらいの認識しかないことは明らかだ。
脱力感。

この脱力感が癒えることのないまま、なんだか夜の懇談会というやつに出席。これって”懇談会”と名前はついているけど単なる夕食会、ディナーである。
会場が結婚式場もやってるようなところだったためか、円卓にすわって大皿から取り分けるスタイル。こんなのがあるから14000円もするんだわ、この研修会は。よほど勉強するとかディスカッションできるならともかく、知らない人たちと一緒になって、無駄に豪華な(と、私には思えた)&高価そうな食事を食わされて時間をとるなんてちょっとつらい。てきとーにふらふら街に出て、そこそこの値段で自分が食いたいものをおいしく食べたいのに。
会費がこの”懇談会”費込みなのは納得できなかった。自由参加にしてくれー。んで、出席したい人だけお金払うスタイルにしない?とか強く感じたのであった。食べ物は美味しかったけど、周りが知らない人ばっかりで間が持たないし、気詰まりだった。はああ。こういう場面って、私の一番苦手な社交辞令的会話がにぎやかに交わされる場なのでとっても辛い。聴覚刺激も無駄に(と、私には感じられる)多いし。
研修内容自体は、例のオバチャンの質問を除いてはなかなか面白かったのだが。
結局、もう途中で耐えられなくなったのでそこそこお腹がいっぱいになったところでこっそりと退席。後ろのドアに近い席でよかった。
さすがに夜だったので路面電車に乗って20:00過ぎにホテル帰着。2時間半近いセッションが続くのはなかなかハードだったが、勉強になったのでそれは満足。これで、夕食会に出ない人の会費が10000円とかになってくれてたらもっとよかったのだが。
今回も節約モードなので4000円の違いはかなり大きいのである。

2002年2月24日(日) くもり晴れ
オープン戦だなっ!

オープン戦か!オープン戦だなっ!!
と、榎木津礼二郎的に叫んでみても仕方がないのだが。
そう、高知ではプロ野球の三つの球団(ホークス、タイガース、ライオンズ←嫌いでない順)がキャンプをしていて、ぼちぼちオープン戦がはじまっているのであった。

今日は研修2日目。9時半からの第3セッションをもって日程終了である。
きのうとうってかわって朝は6時台に起床。さくさくっとシャワーを浴びて身支度をして、今日の行動予定を立てた。
まず、第一のお目当ては高知城下300年の歴史を誇る”日曜市”を覗いてみること。以前に母と来たときに、朝市で買って囓ったトマトの美味しさが忘れられないのだ。それに、そこここに並ぶ文旦や小夏といった柑橘類。とにかく高知の日曜市は店の数も多く、品数も豊富(やはり果物や野菜が中心だが)。
段取りを考えれば、研修が終わってから見て歩くのではちょっと遅すぎる。それに私は荷物一式を持って歩いているので、人出のことを考えても絶対朝のうちのほうが都合がいいのだ。
ということで、まずは日曜市に直行することに。
そしてもうひとつのお目当て。
それは、温泉であった。
高知にはそんなにたくさん温泉があるわけではないのだが、ライオンズのキャンプ地でもある春野町に、比較的新しい温泉施設があるという。その名も”はるのの湯”。
別に、温泉がそこらじゅうにあるところから来て、わざわざ温泉を探して入らなくてもよさそうなものだが、そこはそれ。どんなとこなのかなーと思うじゃないですか、ねえ(←誰に同意を求めているのか)。
で、バスの時刻表を調べてみると、午後1時半に春野方面に行くバスがあり、これに乗ると2時前くらいに”春野運動公園”に着く。パンフレットにはこの運動公園から徒歩400mと書いてあったので、私の計算では2時ちょっと過ぎに温泉着である。で、3時くらいに出るバスで再び市内に戻り、3時40分の空港行きバスに乗れば完璧である。
ふふふ、我ながらなんと緻密な計算。
と、ほくそ笑む私は今回もまた学習していなかったのだ。私の”緻密な計算”は大抵ロクなもんじゃない、ということを。

とにかく、まずは日曜市へ。すでにけっこう人が出ていて賑やかである。
ああ、それにしてもやっぱり美味しそう。瑞々しくて宝石みたいなトマト。小ぶりのが7〜8個ビニールに詰まっているのが200円とか、もう涎が。文旦も安い。イチゴも安い。しかも美味そう。当然である、農家の人が自分とこから朝収穫してきたものをそのまんま出してるんだもんな。
思わず手が出そうになったけれども、その荷物を一日持って歩いた挙げ句に飛行機で帰ることを考えて、ひたすら我慢。あーもう一回来て日曜市で買い物三昧したいよー(ここで買い物三昧しても、おそらく味わえるであろう贅沢な気分に比して支出はささやかなものであろう。最高ではないか)。
気を取り直して会場へ。
研修の最後のセッションはDV(domestic violence)に関するもので、小西聖子先生が司会をなさっていた。上智でやった研修会でも講師をしておられたのだが、私はこの先生のファンである。地に足がついている。徹底した現場主義だし、いい意味で現実主義である。素敵な先生だ。
事例も興味深いもので、最後に変な精神科医のおじいさんが頓珍漢なコメントをしていたことを除けば、本当に面白い、いいセッションだった。3つのテーマの中で私が一番興味を持っていたこともあったとは思うが、それを割り引いても一番いいセッションだったと思う。
お昼ちょうどに日程が終わったので、きのうの”ひろめ市場”でお昼を食べようと向かったら、時間もそれなりだったためか人がいっぱいで座れる場所を見つけられない。きのうと違って荷物もあるし、早めに見切りをつけて「いいや別にファストフードでも何でも」とか思いながら歩いていたら、”皿鉢まつり”というイベントに遭遇。
地元のJAやら酪農家やら、その他いろいろなところが屋台?を出していて、お客はみんな好きなものをあれこれ買って道ばたで食べている。で、これって凄くいいことなんだけど高知の街なかってベンチがすごくたくさんあるの。ローカル縁日みたいな雰囲気の中で、私もちっちゃい牛めしと”薬膳ラーメン”というのを買って、そこらへんに座って食べた。なんか得した気分。お腹いっぱい食べて今日も700円である。わーい。
そんなこんなで時間をつぶしているうち、時計が1時をまわった。よーし、ぼちぼち移動だ。途中で飲み物を買って飲んだり、トイレに寄ったりしながら、”南はりまや橋”バス停へ。そういえばそれで思い出したけど、前に来た時は水もなんにもないとこにちょこん、とあって何じゃこりゃあ、と思ったはりまや橋が、ちゃんと水の上にかかっていて面白かった。前にニュースでやってたよな。あんまりだから水路を通したんだったか、水路の上に移動したんだったか。
5分ほど待っているとバスが来た。乗る人は案外少なくて、しかも地元の人がほとんどみたい。観光客は私を入れて3人ほどだったか。
このバスがとにかくまた凄く揺れて揺れて大変だったのだが、ともかく2時ちょっと前に「次は、春野運動公園」というアナウンスが流れたので降りた。

…問題は、ここからだった。
パンフレットにあった地図によれば”はるのの湯”は運動公園入口のはす向かいにあるはず。しかし…見えない。ああ、400m離れてるって書いてあったもんなあ、そりゃそんなすぐには見えないよな、と気を取り直して歩き始めたが…やっぱり見えない。見えないじゃないかー!!!と、ひたすら歩いているとさすがに疲れてきた。お腹もちょっと張ってきたしやばいかな、と思ったところで目に入ったものは。
小高い丘のようになっている運動公園をぐるりとまわった反対側にもあった”運動公園入口”の上がり口。
散々歩いた末である。ああ、ここからまだ400mか…。春野球場では折しもどうやらオープン戦をやっているらしく、風に乗ってコンバットマーチが聞こえてくる。うー、元気ならちょっと寄っていくのにー、って感じだがそんな余裕はない。もうここまで歩いてきちゃったのだ。まわりにはなんにもないし、とにかく温泉まで歩いていくしかない。
気合いを入れ直して歩き出す。長い。歩きに歩いた末だったからなのか、直線距離で400m(だけど道はくねくねよ)ということだったのかわからないが、果てしなく歩いたような気持ちになってきたところで、遂に見えてきた。
しかーし。
なんであんな高いところにあるんだ?!
”はるのの湯”はそこにあった。確かにあった。車で行けばもう数分もかからないだろう。しかし、今いる高さからけっこう道を上っていかないと到着しない。元気で荷物が少なければそれほど大した高さではないかもしれないが、こちとら既にへとへとである。荷物もあるし、おまけに妊婦なのだ。ぶつぶつ言いつつ、それでも上がっていくより他に選択肢はない。近くにバス停もないし、他に通る車もあんまりないのだから。
ふうふう言いながら、何とか到着し、無事に入浴。お湯自体はくせのないさらさらの泉質で、ちょっぴりなめてみたらしょっぱかった。白浜温泉みたいな感じか?(だったらここまで来なくてもよかったじゃん、とか思ってみたりして…疲れているからどうも前向きになれぬ)。まあ、でも広いし居心地は悪くなかったし、今まで行った中では”可もなく不可もなく”の部類かな。最近全く追加してない温泉ページでいえば、★2.5ってところか(満点は★4)。しかしこの内容で900円はいかがなものか。せいぜい600円では。
ま、近くに競争相手がいないというのは、無事に値段設定を高くできるということなのかもしれないが。
風呂を出てから売店を探検していると、地元の牧場が作っているというアイスがある。こういうのは経験上”ハズレ”が多かったがここのはけっこう美味そうだったので食べてみた。紫いものアイス。これはなかなか美味!ちょっとざらっとした感触が、いかにもホームメイドっぽい感じだが、それも含めて素朴でナイスな味である。甘すぎないし。
これに気を良くして、さあそれでは元気に空港に向かうぞー!と思ったがさっきのバス停まで再び歩くのはいやだったので、受付でタクシーを呼んでもらおうとしたら、何と!!!
「オープン戦で車が出払ってるそうでして…」
なんですと?!
電話で聞いてくれたが、一番早い車でも4時半頃でないと回してもらえないと言われたらしい。ちなみにこの時点で3時半近く。飛行機は5時発だ。
オープン戦!!!
どうやら西武−阪神戦らしく、お客がすごいようなのだ。なにもこんな日に、よりによって春野で(どっちが?(^_^;)。
結局、他のタクシー会社に連絡を入れてもらったところ比較的早めに車をまわしてもらえて、4:15頃無事に空港到着。チケットレスの利用者も自動チェックイン機が利用できるので、あとはスムーズ。関空までぐったり過ごすが、なんせ1時間足らずのフライト。ぐったりし足りない。
和歌山まで迎えに行ってあげようという相方の言葉に甘えて、とにかく和歌山まで辿り着き、あとは拾ってもらって夕飯食って助手席でぐうたらしながら帰宅した。
いい旅行だったような、そうとばかりは言えない旅だったような気もするが、無事帰着したので良しとしよう。肝心の研修は面白かったし、高知まで出かけていった甲斐はあったと思う。しかしそれはさておきもう疲れて疲れて疲れているため、本日はこれまで。

2002年2月26日(火) くもり
ちょっと一息。

きのうも今日も、入っていたケースがたまたまキャンセルになり、とりあえず一息つけるなあ、という気持ちだ。
しかし。
一息ついてしっかり休んでおきたい、という気持ちはままあれど、そうはいかない事情もある。

例の、片づけプロジェクトである。
だって私はもう第3、第4週末を研修三昧で過ごし、その間まったく片づけや整理が進んでいなかったのだ。当然、家の中は前のまま。もしくは、そのあいだに散らかったりしたのでより悪い状態になっている。
さすがにこのままではまずい。なにしろ今週末には東京の友達が泊まりにくるのだ。足の踏み場も友達が寝る場所もない現状のままでいいはずがないではないか。何とかしなければ。
というくらい、まだまだ酷い状態なわけで、時間が空くと言うことはすなわちイコール”片づける時間ができる”ということなのだった。
相方もこの頃少しまた忙しくなってきたらしく、疲れたとか足が痛いといって家の中で寝ころびながらテレビを見て過ごしているため、基本的には私の片づけ能力のなさでこうなっている現状改善のために手伝ってもらうのは気が引ける。
私もたいがい疲れ気味ではあるが、さすがに家の中が手つかずで散らかったままなのは自分のせいだという認識があればそのままにしてはおけない。
かくして、とにかくできるとこからやろう、という感じで玄関に洗面所といった狭いスペースの片づけから再開することにしたのだった。
でも、いくら狭いといっても片づけや整理に手間がかかることでは変わりないんだよね。しっかり散らかっているわけだし。
途中お腹が張ってきたのでちょっとまずいかな、とは思ったがとにかくまずは今週中になんとかしちゃわないといけないので後がない。大げさでなく、足の踏み場がまともにできるかどうか、一日一日が勝負である。さぼるわけにはいかないのだ。
あー本当は教会のHPの更新もしないといけないのだが。
そっちは思わずさぼっているのであった。
一ヶ月以上前に相方に頼んだHP用の原稿、彼はすっかり忘れているし。やっぱり忙しい人に頼むのは悪いのかなあ、と思ってしまう。

ああ、もっと勤勉でまめな人間になりたい。
そして、片づけ能力の高さと根性がもう少しでもあったらなあ。
私は自分に甘すぎるのだろう。
だから、つい人に頼ってしまうのだ。
…まあ、ないものねだりをしても仕方がないし、とりあえず洗面所は一段落したので(これはいつもと違って成果が見えるところだからちょっと気分がいい)、あとは明日からの3日間がんばろう。
でも、明日も面接がいっぱいなんだよなあ……。
今日はお風呂も洗えなかったし。
ううむ。
これは疲れか鬱か、どっちだろうか。

2002年2月27日(水)
どうにかなっちゃいそうだ

SCの日なので朝から忙しい。
行ってからも、今日に限ってやたらと次から次へと仕事があって、結局学校を出られたのは5時過ぎてからだった(本当は勤務予定は4時半まで)。
あーもうだめだーと思っていたら、今日も夕方からの仕事がひとつキャンセルになった。
正直言って心身ともにへとへとになりつつあるのでキャンセルになったこと自体は助かるのだが、こう続くと自分に対して疑わしい気持ちになってしまう。なんか、クライエントを不愉快にさせるようなことをしたのだろうか、遂に私の無能さがクライエントにわかって見限られてしまったのだろうか…とか。
でも、まあ、とにかく少し緊張の糸がほぐれたのだけは確かだったので、近所のマンガ喫茶に久しぶりに寄ってみた。2時間ほど居座り、軽食も食べて、マンガを8冊ほど読みふけった。連載中ほとんど読めず気になっていた「デビルマンレディー」をようやく読み始めたのだが、けっこう早い巻で不動明くんが霊体?で登場したりして(シレーヌも出た)、ちょっとびっくり。あの世界とつながっていたとは。はやく先を読みたいなあ。
今の私には家に帰ってから(もちろん、仕事中はもとより)自分のことをする時間はない。勉強もできない、読みたい本も読めない、テレビも全く見られない、もちろんゲームもしていないしインターネット関係はメールチェックで精一杯、新聞すら読む暇がない時もある。
なので、この時間は本当にありがたかった。
ありがたかったのだが、素直に楽しめたかというとちょっと疑問。こんなことしてる時間をもっと無駄なく使えたんじゃないか、と思うと罪悪感にかられてしまうのだ。
何に使うかというと、それは結局家の中のこと−というより、ありていに言えば片づけと掃除である。2日に来る友達をゴミ溜めのような家で迎えないために…というのを目標にしてはいるが、結局私は12、1月で全く進まなかった分の片づけを取り戻したいだけなのだと思う。そのデッドラインというかタイムリミットが(手をつけはじめてから)早いので、どうにも収拾がつかないようになっているわけだ。

帰宅してから、一週間の掃除スケジュールをチェックしたら、今日は冷蔵庫の掃除をする日だった。
冷蔵庫の掃除。
それは、心の隅からどうしても出ていってくれないひとつの懸念であった。
掃除計画を立て始めてから、月に1回は冷蔵庫内をきれいに拭いて、中を整理することにしているのだが(まあ、普通の人にしてみれば月に1回でも少ないほうだろうが私にはそれで精一杯である)、冬で寒かったこともあるし、つわりの間はとにかく立ち仕事がきつかったため、とうとう年末にも1月中にも掃除ができていなかったのだ。従って、もう3ヶ月ほど内部の棚を洗ったり拭いたりしていなかったことになる。
この冷蔵庫掃除のことがどうしても頭から離れなくて、やらなくちゃやらなくちゃと思い続けてとうとう今日。これでやらなかったらもう3月に入ってしまう。このままなし崩しになっていったら以前の自分に戻ってしまうような気がしてならず、ぼろぼろになりながら(というほど、結構今日の昼間はハードだったのだ。マンガ喫茶で2時間休憩したくらいではおっつかないほどに)どうにか冷蔵庫を終える。
しかし、今日はもうこれでエネルギー切れである。
エネルギーが切れたといってはすぐに休んでしまうところが私の自分に対する甘さであるのだが、今は妊婦という恰好のエクスキューズがあるので、”胎児の健康と母体の安定”にかこつけて、あとの掃除スケジュールをパスしてしまうのだった。
もう後がないというのに、どうするんだろう。

2002年2月28日(木)
わかっていたのに…

今日は何もできないとわかっていたのに、結局昨日は(少しあれから頑張ったけど)1時過ぎには寝てしまったので後悔している。

発達相談の日だった。
今夜は、夜にちょっとミーティングがあることになっていたので、掃除や片づけに時間があまり使えない。
なので、仕事の昼休みに一旦帰宅して片づけをやった。
子どものおもちゃがあまりにもいろんな場所に散乱してスペースを取っているため、いっそのこと押し入れにおさめられる収納バスケットを買って、そこにおもちゃを全部放り込もうという算段である。
明日までにここを何とかしようと思えば、相方が帰ってきてからホームセンターに行っている時間はないため、私が行くしかないのだった。
プラスチック製とは言え、2段×2段の収納バスケットはけっこう重い。そしてでかい。
必死の思いで車に押し込んで降ろし、息を切らしながら階段を引きずって家に運び、へとへと状態になって組み立て終わったのがもう昼休みが終わろうという時間。
いったん仕事先に戻り、残りの予定を終わらせてからまた速攻で帰宅して続きをやった。
と言っても、とにかくおもちゃを片っ端から(一応種類別には分けたが、それも最後のほうはめちゃくちゃに(^_^;)バスケットに放り込んでいき、どうにか形になった。夕飯の支度もしないといけなかったので、簡単に鍋をすることにして材料を切ってから息子のお迎えに。

でも、夜のミーティングには結局あまりちゃんと出られなかった。なんだかんだで息子の相手をしなければならなかったためだ。
彼は相変わらずゲームに夢中なのだが、親が一緒にやってくれないと機嫌が悪い。自分が怖いと感じる敵が出てきたら親にかわってもらうのも彼のやり方だ。
いいかげんに寝なさい、と言ったら「おかあさんといっしょにねたいもんーーー」とか言うので、まあ可愛いといえば可愛いのだがもう3歳半も過ぎているのに、と思いつつも一緒に布団に入ったのが10時頃。
もうこのまま寝てもいいなあ、というくらい既に疲れていたのだが相方が11時半に起こしてくれたので起きた。
何のために起こしてくれたのかよくわからないのだが、もうミーティングも終わったから安心して片づけの続きをやりなさい、ということなのか何なのか、「じゃ僕はもうだめになったから(=意識がなくなりそうなほど眠い、の意)」と言い残して、私が布団から出るのとほぼ入れ違いに寝てしまった。
折角起こしてくれたのだから感謝しこそすれ腹を立てる理由はないはずなのだが(何と言っても片づけを「やりたがっている」のはこの家の中で私一人である)、無性に腹が立ってきて夜中に一人でキレてしまった。
ただ、いくら何でも夜中に叫んだり物を投げたり暴れたりするのは近所迷惑なのでやめて…というか、なんでキレているのか誰が見てもわからないだろうと思ったというのもあるけれども−とにかく、一人でブツブツこぼしながらひとしきり泣いて、仕方ないのでまた片づけをはじめた。
懸念の押し入れがようやく何とかなりそうになってきた。おもちゃが片づいたので、ようやく見た目にも「ちょっとすっきりした」感じがするようになっていくらかは報われるか。
でも、なんかまだちょっと気持ちがザワザワするので、風呂に入って本でも読んでから寝ようと思う。

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