Resurgenceは、環境的また精神的に考える国際フォーラムのため1966年にイギリスで創刊された。シューマッハーが、たびたび寄稿したことで知られている雑誌である。インドからきたサティシュ・クマールが現在は編集長を務めている。下記は、サティシュの許可を得て翻訳したものである。>

 

Resurgence No.205 March/April 2001

Page 12 – 13

 

Food

 

盗まれた収穫

Stolen Harvest

 

ヴァンダナ・シバ

Vandana Shiva

 

インド文化において種子は神聖なものである。

多国籍企業は貧しき者から種子を盗んでいる。

In Indian Culture seeds are sacred.

Multinational corporations are stealing seeds from the poor.

 

(ヴァンダナ・シバ著Stolen Harvest: The Hijacking of the Global Food SupplySouth End Press, 7, Brooklin #1, Cambridge, MA02139, USA)より抜粋)

(ヴァンダナ・シバは持続可能な生活のための新しい国際大学をインドで設立予定。詳細については下記住所まで:The Navdanya Movement ,

  A-60 HauZ Khas, New Delhi 110016, India.

 

 私がインドに関心を集中するのは自分がインド人であるからと、インドの農業が国際企業の格好の標的とされているからという両方の理由による。しかしながら、この盗まれた収穫という現象はインドに限られた話ではない。小規模な農場と小規模な農民が絶滅へと追いやられ、単一栽培が多種多様な作物にとって変わり、農業が滋養に満ちた多様な食糧の生産から遺伝子組み換えされた種子や除草剤、殺虫剤のためのマーケット創出の場へと変質するにつれ、この現象はあらゆる社会で経験されているのである。

 何世紀もにわたり第三世界の農民は作物を進化させ、我々に栄養を与えてくれる植物の多様性をもたらした。インドの農民は20万種類もの米を発展させた。彼らはバスマティ米(Basmati)のような米を作り出した。彼らはまた、赤い米や茶色い米、黒い米も作り出した。彼らは氾濫した水の中で18フィート(訳注:約5.4 m)の高さに成長する米や、沿岸部の水でも育つような海水に耐える米も作り出した。

 農民にとって種子とは単に将来的な植物や食糧の元ではない。それは文化と歴史を保存する貯蔵庫なのである。農民同士の種子の自由な交換は、種の多様性を保つと同時に食糧を確保するための土台となってきた。それはアイディアと知識、文化と先祖伝来の遺産の交換を伴っている。それはいかに種子に手を加えるかについての伝統と知識の集大成である。農民達は自分が将来育てたい作物が他の農民の畑で育っていくのを見て、その作物について学ぶのである。

 インドにおいて米は宗教的な意味を持ち、大半の宗教的祭典にとって欠くことのできない要素である。インド南部では米粒は縁起が良いと考えられ、祝福のための贈り物として使われる。新しい種子はまず崇められ、その後はじめて種まきが行われる。種まきの前に行われる祭りや田圃で行われる収穫祭は人々の自然に対する親密さを象徴している。

 農民にとって田畑は母であり、田畑を崇めることは母として子である幾多の生命体に食物を与えてくれる地球への感謝の表れなのである。

 

 世界貿易機関(World Trade Organization : WTO)の貿易に関する知的所有権条約(Trade Related Intellectual Property Rights Agreement)によって全世界に広がっている新しい知的所有権体制は、企業が種子についての知識を強奪し、それを彼らの所有物であると主張して独占することを認めている。結果的に、これは種子自体の企業による独占につながる。何世紀にも及ぶ農民や小作農の集団的な革新は、植物に対して知的財産権を主張する企業によってハイジャックされているのである。

 今日、230億ドルの価値を持つ商業的な種子市場の32%は10社の企業によって支配されている。これらの企業は世界の農薬及び殺虫剤市場をも支配しているのである。世界の穀物貿易を支配しているのはたった5社の企業である。1998年後半にはこの5社のうちの最大手であるカーギル社(Cargill)が2番手であるコンチネンタル社(Continental)を買収し、穀物貿易の最大の要素となった。カーギル社とモンサント社(Monsanto)は一丸となり、世界貿易機関の発足につながった国際貿易協定の制定に積極的に参画していた。

 国際企業は農民の収穫を盗んでいるだけではない。彼らは遺伝子組み換えと生命体に関する特許を通じて自然の収穫をも盗んでいるのである。除草剤への耐性を持つよう設計されたモンサント社のRoundup Ready大豆のような作物は、種の多様性を破壊し農薬使用の増加を引き起こす。これらはまた、除草剤への耐性を決定する遺伝子を雑草に転移することによって非常に侵略性の高い“超雑草”を生み出すのである。

 生命体や生物資源に対する特許を確保するために、企業は種子や植物が彼らの「発明」であり、故に所有物であると主張しなければならない。カーギル社やモンサント社のような企業は自然の生命の網の目や再生のサイクルを彼らの所有物の「窃盗」であると捉えるのである。カーギル社のインドへの進出についての1992年の議論の中で、カーギル社の最高経営者は「我々はインドの農民に、蜂が花粉を奪うのを防ぐ素晴らしい技術をもたらす」と述べた。国連のバイオ安全議定書(Biosafety Negotiations)の交渉中、モンサント社は「雑草は日光を盗む」と主張する文献を配布した。

 

 受粉作用を「蜂による窃盗」と定義し、多様な植物が日光を「盗む」と主張する世界観は、自然の収穫を盗むことを目指しているものである。このような世界観は欠乏に基づいた世界観である。

 豊かさに基づいた世界観こそが、蟻のために戸口に食物を置き、他方では米の粉から最も美しい芸術作品を生み出すインド女性の世界観である。豊かさは、稲を美しく編み上げ、鳥が田畑で米粒を見つけられなかった時のために吊るしておく小作農の女性の世界観である。この豊かさの視点は、他の生き物や種に食物を与えることが我々自身の食糧を確保するための条件を維持することであるということを認識しているのである。

 エコロジカルな世界観においては、我々が欲望のままに必要以上に自然を消費したり搾取したりした時、我々は盗みを行っていることになるのである。農業ビジネス企業の反生命的な視点においては、自身を再生し維持している自然が盗人とされるのである。このような世界観は豊かさを欠乏に、肥沃さを不毛さに置き換えるのである。

 我々が直面しているのは一握りの企業が食物連鎖を支配し選択肢を破壊する、食糧の全体主義である。権利という概念は国際化と自由貿易の名のもとに逆立ちさせられた。食糧への権利、安全への権利、文化への権利は全て取り除かれるべき貿易障壁として扱われているのである。

 1987年にダグ・ハマーショルド財団(Dag Hammarskjold Foundation)は「生命の法則」と冠されたバイオテクノロジーについての会議を主催した。この分水嶺的な出来事は、巨大な化学企業達が自身を特許と遺伝子組み換え、そして合併を通じて農業を支配することを目的とした「生命科学」企業として位置づけ直しているということを明らかにした。その会議において私は自分の人生のこれからの10年間を、反対運動と創造的選択肢の確立という両側面から生命と生物資源の独占を防止する手段を探るために費やそうと心に決めたのである。

 私の踏み出した最初の一歩はナブダニャ(Navdanya)と呼ばれる、種子を保存し、種の多様性を守り、そして種子と農業を独占的支配から自由に保つための運動を開始することだった。ナブダニャ運動はインドの6つの州において16の地域的な種子銀行を始めた。今日のナブダニャは、種の多様性を保護し、化学物質を使用しない農業を実践し、自然や先祖からの贈り物として受け取った種子と種の多様性を保全し、かつ分かち合うことを続けると誓った数千のメンバーを擁している。

 インドでは農薬を買うお金がないという理由から、最も貧しい小作農達が有機農業を行ってきた。今日、意識的に農薬と遺伝子組み替えを避ける国際的な有機農法運動が彼らに合流している。

 インドにおいてエコロジカルかつ有機的な農業はahimsic krishi(非暴力的農業)と呼ばれる。なぜならそれは全ての種に対する思いやり、ひいては農業における種の多様性の保護に基づいているからである。

 我々の運動は種の多様性と知識の共有の復元を提唱している。生命の多様性を企業の発明、ひいては企業の所有物とみなすことを拒否することにより、我々は全ての種が本質的に持つ価値とそれらの自己組織能力を認めているのである。生命資源の私有化を許すことを拒否することにより、我々は自然の資本に依存する全体の3分の2を占める多数派の生存の権利を擁護しているのである。現在はエキサイティングな時である。企業が我々の生活を支配し、世界を支配するのは当然の帰結ではない。我々は自分達自身の未来を形作る本当の可能性を持っているのである。我々は我々自身を養う食糧が盗まれた収穫物ではないということを保証する環境的そして社会的な使命を帯びている。この使命において、誰であろうと、どこにいようと、我々のそれぞれが全ての種と全ての人々の自由と解放のために尽力する機会を持っているのである。●

 

(翻訳:尾関沢人)

 

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