シーボルトの収集資料の保管場所

シーボルトは日本からドイツへ帰国した後、「日本」、「日本動物誌」、「日本植物誌」を著わし、日本の風俗や動・植物などを詳しく欧州へ紹介しました。それらの著書の基礎となった資料はシーボルトが欧州へ持ち帰り、現在、オランダのライデン国立民族博物館等に保管されています。

資料には、既に日本では絶滅しているニホンカワウソ、ニホン狼、ワシの剥製など貴重なものやアザラシ、鯛などの魚介類、薬草、観賞用植物や駕籠、和傘、葵紋入り鏡、のぞきカラクリ、絵画、墓石に至るまで多種多様であり、その数は膨大なものでした。

シーボルトは魚介類の標本の防腐剤としてバタビアからアルコール度数の強いアラック酒を取り寄せ使用しました。当時、オランダの貿易船は2年毎に2隻長崎に来航し、貿易品の積み下ろし、積み込みが行われました。

シーボルトが収集した膨大な資料やワラやアラック酒等補助用品は、オランダ船が来航するまで、出島商館に保管しなければなりませんでした。それらの資料等は、シーボルトの2部屋の宿舎には収まりきれず、出島商館の砂糖蔵等他の空き部屋に保管されていたと推測されます。

 シーボルトは、その著書「日本」の中で、1828年(文政11)当時の出島の地図を掲載しています。そこに、「e」の印をつけた部屋が医学役人の部屋、つまりシーボルト自身が使用していた部屋であると記述しています。

一方、シーボルトのお抱え絵師川原慶賀が、同じ年代の出島の地図を描いています。同地図には、各部屋の名称が詳細に記入してあります。その内、外科蘭人部屋、筆者蘭人部屋、拝礼筆者蘭人部屋をシーボルトが使用していたと推測されます。(筆者とはシーボルトを指します。)(伝川原慶賀筆「出島之図」は長崎大学経済学部付属図書館所蔵)

 両者を比較すますと、前者では、外科蘭人部屋、筆者蘭人部屋のほか砂糖蔵、検使役詰所、画工部屋などが、「e」となっています。

 オランダから日本へ輸入された砂糖は、一旦砂糖蔵に収められますが、商談が成立しますと、長崎の商人が砂糖を引き取り、砂糖蔵は空らになりました。
検使役詰所は蘭船の入・出港時に長崎奉行所の役人が詰め、その後は空き部屋になっていたと推測されます。

 シーボルトはこれらの空き部屋に、オランダ商館長の許可を得て、膨大な収集資料等を保管していたと推測されます。

シーボルト著「日本」のDEJIMA
伝川原慶賀筆「出島之図」

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