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アジサイ・お滝さん・シーボルト

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アジサイは長崎市の花である。(1968年選定)

 「おたくさ」というパイ風のお菓子の名前から、ホテルの名前、果ては霊園の名前まで、長崎ではアジサイ=お滝さん=シーボルトとワンセットで広く活用それ、親しまれている。

 シーボルトは、アジサイにHydrangea Otakusaと学名をつけたが、この"Otakusa"という種小名はシーボルトの日本における妻楠本滝(1807〜1865)の名にちなむ。
また、長崎の伝承ではお滝さんがこのアジサイを福済寺から持参したという。

 シーボルトは来日3カ月後に「日本博物学の現状」(1824)を脱稿し、帰国する前商館長ブロンホフ(1779〜1853)に託したが、その折に「小生もまた古いオランダの風習に従い、目下愛くるしい16歳の日本女性と結ばれました。...」とお滝さんとのロマンスをしたため、伯父ロツ宛と母親宛の手紙を送っている。

お滝さんとの間には、おいね(1827〜1903)が誕生する。

 お滝さんを見初めたシーボルトは、もちろん肖像画(石版画、E.キョッソネ作、1875)の厳めしい老大家シーボルトではない。若冠27歳のエネルギッシュな才気溢れるシーボルト(川原慶賀筆肖像画)である。

 彼に魅了されたのは、お滝さんばかりではない。彼の「日本の総合研究」(シーボルトがオランダ政府から与えられた任務)に協力を惜しまなかった全ての日本人ではなかろうか。

 シーボルト(1796〜1866、第一回滞日1823〜1829、第二回滞日1859〜1862)の人物と業績については、多くが語られ、お馴染みと思う。

 概して外国人から見たシーボルト評は辛く、日本人の評は甘いとも言える。呉秀三「シーボルト先生1・2・3」は、大恩あるシーボルト先生への賛辞に満ち満ちていると言えば、言い過ぎであろうか。山口隆男は、「シーボルトの人間性」で、先人の評をも参考にしながら、シーボルトの人間像を描き出すことに努めている。

(出島の科学実行委員会発行「出島の科学」より)


シーボルトに関する一考察

 シーボルトに関する研究は、既に多くの学者が行っているところですが、私は、史料を独自に調べ、このホームページでシーボルトに関する異説を提唱しています。

その内容は、
  1. シーボルトの日本人妻・お滝さんは遊女でなかった。
    (長崎奉行所の御禁制があったため、遊女の名義そのぎを借りて、出島へ入った。)
  2. 両人の間に生まれた混血児のおイネさんは出島商館の外科蘭人部屋で生まれた。
  3. シーボルトが日本で収集した膨大な資料は出島商館の砂糖蔵等に保管していた。
 この異説に対し、1説について反論がありました。その回答はHPの質疑応答集に掲載しています。更に、その正当性を決定的なものとする「シーボルト発伯父ロッツ宛書簡」を本年4月、シーボルト記念館が一般公開したマイクロフィルム24000コマの中から私が発見しました。
 このホームページのトップに、書簡の内容を日本語および平易なドイツ語・英語の翻訳つきで発表しています。2説については、本年4月8日初版、「出島の科学」(編集者長崎大学)の一節に、同説が採用されています。

 歴史は、他の科学と同様、諸学説が議論を交わすことにより、表面を取り繕う形骸化された歴史の誤りを指摘し、真相を解明し、発展してゆくものと確信しています。
 通説を信奉する人々は、私の異説に対し、大いに反論していただきたい。シーボルトに関する歴史の真相を究明する熱意が欲しいものです。

通説

通説が分からないと論点が鮮明になりません。そこで、古賀十二郎氏の著書から通説を紹介します。

  1. 遊女其扇(そのぎ)は、寄合町引田屋卯太郎抱えの遊女で、姓を楠本といい、名をタキと云う。父は佐平、母はキヨと云う。お滝さんは、14,5歳の折り、遊女奉公したものであろう。文政6年7月初旬、ドクトル・フォン・シーボルトが来舶した。其後間もなく、お滝さんはシーボルトの狎妓(遊女を身請し、自分の妾とすること。)となった。それは、お滝さんの17歳の折りの事であった。

  2. 遊女其扇は、銅座跡に居住せる父佐平の宅へ引き取り、文政10年5月6日夜女児を分娩した。時に、遊女其扇21歳、シーボルトは32歳であった。この混血児が後年女医として刀圭界に知られたお稲さん其人に外ならぬのであった。其後、程経て、遊女其扇は、混血児お稲さんと共に、出島に入る事になった。そして遊女其扇は、乳が乏しいと云う口実で、乳母が出島に入ることになつた。それは、お稲さんの生誕2ヶ月ばかり後の事であった。(古賀十二郎著「丸山遊女と唐紅毛人」より抜粋)

  3. シーボルトの収集資料の保管場所について、シーボルト著「日本」の出島図とシーボルトのお抱え絵師川原慶賀筆の出島図(何れの図もシーボルト在任中のもの)を比較検討し、その保管場所を推論した研究者はいないようです。

郷土史研究家 岩田祐作
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