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〜シーボルト発アポロ二ア宛書簡を発見〜
A letter from Dr. v. Siebolt to his mother Apollonia 15/11/1823
(長崎大学ゲアハルト・ファーデン先生訳)
シーボルト発アポロ二ア宛書簡
出島長崎日本
1823年11月15日
親愛なる方へ
小生はとうとう目的を達成して八月十二日長崎の港に入港いたしました。出島という小さい島で小生はいとも健やかに、非常に満足して、人が望みうる限りの幸せな日々を過ごしております。素晴らしい気候、うっとりするほど美しい随筆(ラングスドルフの世界旅行)、小生があらゆる設備を整えた快適な家。そのなかから小生のロンドン製・ピアノは一方では海へ、他方で町へ響いています。小生はうまく選んで愛くるしい16歳の日本の女性を迎え、アジアの美人に抱かれております。彼女をヨーロッパの女性と取り替えることはあるまいと存じます。そのうえ、召使たちの世話は素晴らしくて、食卓は毎日一流。そのすべては小生の保護者・父親・友達・上司である施設団長ドゥ・ストゥーラー大佐の采配によるものです。それに町の中で小生の医寮活動は上々で、自然科学の研究は総じて益々脂がのっております。小生の家には、知識欲旺盛な日本人が多く集まり、小生は週二回自然科学と医学についての講義をオランダ語で行っています。日本語は一生懸命に勉強して、少しばかり読み書きを身に付けてきました。小生は日本の自然科学の現状について論文を書きました。小生は今までどの著者にも述べられていない25匹の動物を描写しました。その中で次のものは初めて小生によって発見されました。(つづいて動物の学名。)
一年前から、小生はかなり動物学に馴染んできました。植物学はなおうまくいっています。小生はここでもう500以上の植物を集めました。その多くは新種です。夜明けに働き始めて、夜12前に明かりが消えることはめったにありません。小生はなかなか良い図書館を持っていて、日本の自然、言語、民俗学についての文献は大方ヨーロッパの教授が持っているものと同じようにそろっています。
その一方、毎日話しているフランス語は相当上達してきました。今はドゥ・ストゥーラー大佐のもとで英語を学んでおります。同時に、大佐は小生のオランダ語を書く能力も磨いてくれます。小生の快適な実情はいくら褒めてもほめすぎることはありません。唯一の望みはいつの日か6年か8年後、祖国で学問に多大の功績がある男としてあなたを抱きしめることです。
小生の懐具合は良くて、来年大よそ660グルデンの月給を得る望みがあります。医寮活動と商売も一年で3000グルデンに達するでしょう。したがって、当分はお金に不足することはないでしょう。
来年、あなたに少なくとも600グルデン分の日本の品物を送ってあげます。小生がここにいるあいだ、毎年そうするつもりです。6年経っても、立派な作品を出さない限り、小生は日本を決して離れないつもりです。植物園を造園中です。小生は自然科学に懸命に励んでおります。バタヴィアから小生の論文を二三送ってあげます。それはあなたに日本について興味深いイメージを伝えるでしょう。小生は日本を扱う文献を殆ど持っておりますから、詳細に書けました。5日前、小生は総督に日本についてオランダ語で報告しました。日本はあらゆる観点から世界中でもっとも興味深い国で、しかもまだあまりに研究されていません。厳しい法律が研究の妨げになる恐れがなくはありませんが、知恵とお金でことは済みます。小生は次の作品を出すことを約束しました。「ムゼウム・ヤポーニクム」、即ち日本のすべての面白い動物の動物学的および動物解剖学的な解明と写生、「フローラ・ヤポーニカ」(ツーンベルクはそれを注目するに値すると熱く説きましたが、彼の滞在期間と機会は限られていました)。
ところで、お願いがあります。25年か26年に、小生は首都江戸への参府をいたします。そのとき、使節団の医者は使節団自体と同じようによほど豪華な身なりで登場しなければなりません。ですから、次の衣装を小生のため誂えてください。びっくりしないで、参府なのです。上衣は、ヴュルツブルク大学の教授とおなじ刺繍、立ち襟、大きいボタンつき、美しく整っていて、偽の宝石つき。ボタンはできるだけ古風で貴重に、表地衣に白い絹の裏地をつけて。テクストァ教授と同じように、美しい紺の服地、おなじ刺繍に、平たい襟で、美しいボタンつき。二三枚の古風な絹のベストは、刺繍つきで、できるだけ大きく。二三枚の白い絹のズボン、絹の靴、刺繍された尾錠と偽の宝石つき。これらはできるだけ美しく誂えてください。そのためこちらから来年の夏に600〜800グルデン分の日本の絹を送ります。小生はその衣装を必要としておりますが、小生はどうすればよいかわかりません。
色の違う小型のガラスを何千個か加えてくれますか。大体この大きさで。
そうしてくれると、あなたは1000グルデン以上取得できます。このぐらいの種類と大きさのガラス一個がこちらでは普通1グルデンします。従ってここではガラス製品で相当な利益を得られます。1000グルデンの小さいガラス瓶やコップ、細かくて角があるように研がれたものなどで、小生は10000グルデンの利益を得るでしょう。
衣装は二枚の金属板に入れてオランダへホボーケンに送り、二隻の船に分けて小生に送るように付記してください。ところで、ここでは古い金糸入り色の革製クロスは途轍もなく高値になります。一枚4平方フィートは40〜50グルデンになります。3〜400枚を送って下されば、あなたは何千グルデンも期待できます。この類の品物を送れれば、あなたは4〜5年先に素晴らしい財産を得ることができるでしょう。
すべてをホボーケンに送って、その品物に保険をかけるように必記して下さい。小生も保険をかけなおします。
ではお元気で、小生の名でみなを抱きしめてください。
敬具
Dr.Siebold
日本のオランダ使節団の外科医・医者・自然科学者
乱筆乱文お許し下さい。小生は大急ぎで手紙を30通書かなければなりません。
シーボルト発アポロニア宛書簡から判ること
- この書簡には宛名がない。書簡の内容から母アポロニアへ宛てたものであることは明らかである。
(書簡の左上に記載されている1824年7月23日の日付は、この書簡の到着日と思われる。資料目録の題名は「シーボルト発アポロニア宛書簡」である。)
- シーボルト発アポロ二ア宛書簡のお滝(遊女名義そのぎ)に関する記述は、シーボルト発伯父ロッツ宛書簡の記述と同様であるとハンス・ケルナーはその著「シーボルト父子伝」で述べている。
しかし、両書簡を比較するとニュアンスが微妙に異なることを発見した。
前者では、小生はうまく選んで愛くるしい16歳の日本の女性を迎え、アジアの美人に抱かれております。とあるが、
後者では、シーボルトはそのぎをsonokisamaと敬語を使い、小生も古いオランダの風習に従い、目下愛くるしい16歳の日本の女性と結ばれましたと記述している。
- (参考)
- シーボルトは後日、事件により国外退去した際、船上からそのぎ宛に「ソノキサマ マタ オイネ カワイノコドモノ シーボルト,,,」と日本語で手紙を書いている。
- シーボルトは来日草々、(長崎奉行の特別の計らいにより)長崎の町の中へ出て、医療活動をし、上々の評判であったことが明確になった。
- シーボルトは来日草々、出島の自分の家で、(長崎奉行の特別の計らいにより)知識欲旺盛な日本人に、週2回オランダ語で講義していたことが明確になった。
- シーボルトは医学のみならず、自然科学の研究を益々旺盛に行っていた。
- シーボルトは夜明けに働き始めて、夜の12時前に寝ることはなかった。
- シーボルトは商売に熱心であったことが伺える。(これは母宛ての私信であったから書けたことであることに注意しなければならない。)
医療活動と商売で1年に3000グルデン儲かるであろうこと。また、ガラス製品で相当な利益が得られるであろうこと等。
注:1000グルデンは現在の貨幣価値にして約530万円である。
- シーボルトは来日草々、出島に植物園を造園中であることが明確になった。
(禁転載)
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