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〜179年前のシーボルト直筆の書簡を発見〜
A letter from Dr. v. Siebolt to Cathedral Councilor Dr. F. J. Lotz 15/11/1823

この書簡から、シーボルトの妻・お滝が遊女であったという従来の説を塗り替えるであろう一文を見つけだしました。そして、今まで知られていないシーボルトの素顔や人間像を見ることができました。

シーボルト発伯父ロッツ宛書簡
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大聖堂参事会員 F.J.ロッツ博士殿へ
死去の場合
アポローニア・フォン・シーボルト教授夫人へ
ヴュルツブルク
バイエルン王国

出島・長崎・日本
1823 年11月 15日

    愛しいものよ

 小生は無事に日本に到着し、いと健やかに、本当に満足して非常に幸せな日々を過ごしております。

 前の出島オランダ商館長J.K.ブロムホフを通してあなたに小箱一個を贈ります。その価値は約100グルデンです。書き物台は叔父司教補佐のものです。タバコケースも入っています。デリンガーは好きなものを選ぶように。日本式のパイプ、クニグンデのために花もついています。 

 では、お願いがあります。1825年か26年に、小生は首都の江戸へ参府をします。そのとき、使節団の医者はできるだけ豪華な格好で登場しなければなりません。
 次の衣を小生のため誂えてください。

 (1) 衣、ヴュルツブルクの教授が着るのと同じもの,ボタンはできるだけ古風に。
 (2) 美しい紺の衣、刺繍も同じ。
 (3) 二三枚の古風な長い絹のベスト、二三枚の絹のズボン、二三足の絹の靴、
   白と黒、刺繍された尾錠つき。このものはできるだけ美しく誂えてください。

 来年、そのためこちらから600〜800グルデンぐらいの品物を送ってあげます。

 それに、栓がついている小さな四角い薬用のグラス瓶を送ってください。
 そのすべてはホボケンに出して、小生の勘定で保険をかけるようにと書き加えて。
 衣は金属板の箱に入れて、二隻の船に分けて送るように(安全に届くために)。

 こちらでは、小生は博士論文を書きました。そこで、小生は25匹の動物を描写しました。そのなかで、小生がはじめて発見したものもあります。(つづいて動物の学名)
 一年前から、小生はかなり動物学に馴染んできました。植物学も前よりもうまくなりました。

 懐具合はいいです。来年600グルデンの月給を得る望みがあります。

 小生はこちらでとてもおとなしい生活を送っております。特に小生のロンドン・ピアノは楽しみです。

小生も古いオランダの風習に従い、目下愛くるしい16歳の日本の女性と結ばれました。小生は恐らく彼女をヨーロッパの女性と取り替えることはあるまいと存じます。

 ただ今、小生の愛するソノキサマからお母さんへの手紙が届きました。彼女は何よりもお母さんの幸せと健康を祈っていて、そしてまた小生が大好きだと言います。
 この面白いお土産を取っておいてください。

 では、小生は家族の裕福と名声の為に遥かなアジアで働いていきます。

 お元気で

DrvSiebold

 デリンガーにも心から宜しく。近いうちに、手紙を出してあげたい。


 この書簡は、シーボルトの5代目の子孫であるフォン・ブランデンシュタイン・ツェッペリン氏が相続した資料を、長崎市がマイクロフィルムに収め、今年4月から一般公開した約26000コマの中から発見したものです。

 書簡の日付は、西暦1823年11月15日(日本暦文政6年9月13日)となっており、シーボルトが出島に上陸した8月12日から、わずか3か月後に書いたものであることが分かります。

 シーボルトはお滝について(当時女性は遊女のほか出島へ入ることができなかったため、お滝は遊女名義ソノギを借りて出島へ入りました。)、古いオランダの風習に従い、愛くるしい16歳の日本の女性と結ばれました。(英文では、 I have been attached tied to a lovely 16 years old Japanese girl for the present. となっています。)

 シーボルトは彼女をヨーロッパの女性と取り替えることはないと思っていたこと、彼女をソノキサマと敬称で呼んでいること、彼女がシーボルトの母の健康を気づかって手紙を出す存在であったこと、彼女もシーボルトが大好きだと言っていること等から、二人の間柄は、事実上の夫婦であったと推測されます。(シーボルトとお滝の出会いについては、諸説ありますが、シーボルトが長崎奉行の特別の計らいで、来日草々、出島を出て、オランダ通事楢林・吉雄家に隔日ごとに赴き日本人患者を治療した際、患者の一人であったお滝を見染たと推測されます。ハンス・ケルナー氏、中西啓氏の著作にもそのように記述されています。

 それと同時に、この書簡は、日本を深く愛した、当時27歳であった青年医師シーボルトの人間像を解明する上で、貴重な手がかりになると確信します。

 私は、この書簡を公表する許可をブランデンシュタイン氏からもらい、ドイツ語の原文を日本語・平易なドイツ語・英語に翻訳して、このホームページで、初めて公表する次第です。

 終わりに、この書簡を翻訳し、公表するに当たりましては、ブランデンシュタイン氏をはじめ、ドイツ語の先生、長崎大学、(財)長崎県国際交流協会、シーボルト記念館、シニアネット長崎、フリーライターの方々のご協力をいただいたことを記して、深く感謝の意を表します。 (郷土史研究家 岩田祐作)

(この訳文の無断転載はお断りします。)

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