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作者のプロフィール

岩田祐作

長崎市出身
昭和9年生 郷土史研究家
長崎県立長崎東高校、国立鹿児島大学文理学部卒。

平成7年公務員を定年退職した後、郷土史に興味を持ち、長崎の郷土史の掘り起こしに生き甲斐を感じ、現在活躍中です。

既存の郷土史に捕らわれず、図書館などに保存されている資料を独自の観点から分析し、新説を発表して注目されています。

生涯学習の郷土史担当の講師として活躍中です。

最近、長崎市立シーボルト記念館が一般公開しました資料から、「シーボルト発伯父ロッツ宛書簡」、「シーボルト発アポロ二ア宛書簡」、「お滝発シーボルト宛書簡」を発見し、それらの書簡から、シーボルトが来日して間もない頃の活動状況や楠本滝・イネに関する新たな史実の解明に努めています。

著書に「シーボルトを支えた楠本家の墓地に眠る人たち」、「出島生まれのおイネさん」があります。

常に新しいものに関心を持ち、インターネットでホームページ「長崎のおもしろい歴史」を運営しています。

2001年政府が後援して開催しました「インターネット博覧会」の自由参加パビリオンに参加し、竹中平蔵大臣から賞状を授与されました。


シーボルト・お滝さん・おイネさん

アジサイは長崎市の花である。(1968年選定)

シーボルトは、アジサイにHydrangea Otakusaと学名をつけてヨーロッパへ紹介したが、この"Otakusa"という名はシーボルトの日本人妻お滝さん(1807〜1865)にちなんで名づけられた。
シーボルトは1823(文政6)年8月に来日したが、その3か月後の11月付けで、伯父ロツ宛の手紙に、「小生もまた古いオランダの風習に従い、目下愛くるしい 16歳の日本女性と結ばれました。彼女をヨーロッパの女性取替えることはあるまいと存知ます。」とお滝さんとのロマンスをしたためている。

巷間伝えられるところでは、シーボルトとお滝さんの出会いは、シーボルトが丸山遊郭で遊女其扇(お滝の源氏名)を見染め、文政9年に出島へ呼び入れたと云われている。しかし、それが事実と異なることは手紙の日付から明らかである。

シーボルトとお滝のロマンスはどこで芽生えたのであろうか。

シーボルトは来日草々長崎奉行の計らいで、出島を出て日本人患者を治療することを許された。患者の中に美しい女性がいた。シーボルトはこの若い女性に心を奪われたのである。それがお滝であった。当時、出島の入口には、一、傾城の外女不入事という高札が掲げられていた。お滝は遊女屋の引田屋から其扇(ソノギ)という遊女名を借りて出島へ入ったのである。文政10年5月6日夜、お滝は出島の外科蘭人部屋で女子を生んだ。シーボルトがその女児を取り揚げ、以祢(イネ)と名づけられた。

長崎の遊女町の役人(寄合町乙名)は、長崎奉行所に「遊女其扇は銅座跡父親佐平方に於て昨夜女子を出産仕り候」と届けた。

上記のいかめしい高札の趣旨から、表向きそのように届けるより他に方法がなかったのである。

シーボルトは当時31歳、お滝21歳であった。

私はその史実を、客観的な史料により論証することにした。


「出島生まれのおイネさん」

出島生まれのおイネさんの本 内容
  1. シーボルトの娘の楠本イネは、出島の外科蘭人部屋で父シーボルトの手によって誕生した。
  2. シーボルトの妻の楠本瀧は、遊女ではなく、商人の娘であった。
  3. シーボルトと瀧、イネが暮らした部屋は出島の中央にあった。
等の新説を資料を駆使して論証しています。


著者 岩田祐作
 長崎市西山4丁目38−2
 TEL 095−826−0482


出版社 長崎文献社
 長崎市大黒町11−1
 TEL 095−823−5247


定価 600円
A4版 史料はすべてカラー刷 48ページ


 購入希望者は、メールで私へ申し込んでください。
 もしくは全国の最寄の書店で取り寄せ可能です。
 長崎の書店では販売しています。

メールアドレスoine@jasmine.ocn.ne.jp


おイネさん資料

寄合町諸事書上控帳 其扇が出島で出産した記録

乍恐口上書 寄合町諸事書上其扇出産記録の覚え

おイネのへその緒書 おイネの頭髪の包み紙

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