西邑画廊 Nishimura Gallery                   03-3278-1420 本文へジャンプ
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横山 大観(よこやま たいかん)


                         
       
                           横山大観 掛軸 「鷽(うそ)」 
                           本紙寸法 138.3cm×50.5cm
                            共箱 絹本 登録番号有

                          *在庫ございます(H24.5.22現在)

明治元年   水戸市に生まれる 父は水戸藩士 旧姓酒井
明治19年   洋画家渡辺文三郎に3年ほど鉛筆画の指導を受ける
明治21年   横山家の養子となる
明治22年  東京美術学校の開校とともに入学
橋本雅邦らに学び、岡倉天心の理想に触れる 
明治26年  第一期生として卒業 
明治28年  京都市立美術工芸学校の予備科教員として約1年間京都に赴任、同校
で教諭となったばかりの竹内栖鳳と一緒になる。
この頃から大観の雅号を用いる 
明治29年  東京美術学校図案科助教授となる
日本絵画協会第1回絵画共進会で二等褒状を受ける 
明治31年  辞職させられた東京美術学校校長、岡倉天心に殉じて橋本雅邦、
寺崎広業、下村観山らと共に同校を連袂辞職。天心らとともに
日本美術院の創立に参加 正員・評議員となり、その第1回展に
≪屈原≫を出品する 
明治36年  菱田春草らとインドを旅行 
明治37年  天心に同行しアメリカを旅行 
明治38年  ヨーロッパを旅行 
明治39年  日本美術院の経営が悪化 茨城県五浦に移住 
明治40年  第一回文展に審査委員として出品
文展開設にあっては新派の国画玉成会の結成に評議員として参加する
明治43年  中国を旅行 
大正 2年   天心が没する 
大正 3年  日本美術院を下村観山、木村武山らと再興
再興第一回院展に出品 以後多くの逸材を育成
その制作発表の場である院展を官展に並ぶ展覧会として軌道に乗せる 
大正 8年  帝国美術院会員に推されるが固辞 
大正12年  第10回院展に近代水墨画の傑作ともいうべき≪生々流転≫を出品 
大正13年  三越の淡交会に参加 
昭和 5年  ≪夜桜≫などを出品したローマ日本美術院のためイタリアを訪れる 
昭和 6年  帝室技芸員となる 
昭和 9年  前年の院展出品作≪虫の音≫で朝日賞を受賞 
昭和10年  帝国美術院会員となる 
昭和12年   最初の文化勲章を受章する 
昭和15年  画業50年を記念して個展、海に因む十題、山に因む十題を日本橋
三越と高島屋で開催 
昭和18年   日本美術報国会会長となる 
昭和24年  日本芸術院会員の辞表を提出 
昭和25年  日本美術院に基金を寄贈 院展に大観賞が設定される
昭和26年   文化功労者となる 
昭和33年  2月26日、東京都台東区で歿  享年89歳
昭和51年  東京上野 池之端の自邸に横山大観記念館が開館