西邑画廊 Nishimura Gallery                   03-3278-1420 本文へジャンプ
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田中 一村 (たなか いっそん)




田中一村 掛軸 「春蘭」
本紙寸法 140.3×34.7
巻留めにサイン有
*在庫ございます(H23.11.18現在)

明治41年   栃木県下都賀郡栃木町に生まれる。(本名:田中孝)
彫刻家であった父は孝の画才を見抜き“米邨”と画号を与える
大正元年   東京市麹町に移る。
大正10年   芝中学校に入学。南画の制作、研究を行う。
大正12年 関東大震災で家を焼き、南画家小室翠雲の家に一時身を寄せる。
大正14年 全国美術家名鑑(大正15年度版)に“田中米邨”の名が載る。
大正15年 東京美術学校(現在の芸大)日本画科に入学するも、3ヶ月で退学する。
(同期生19人の中には加藤栄三、橋本明治、東山魁夷らがいた)

第1回新興文人画展覧会の「現代名士書画」に“田中米邨”の名が
載る。
昭和 6年 将来進むべき画風の作品を発表するが賛同者を得られず当時の
支持者全てと絶縁する。
昭和22年 画号を田中米邨から“柳一村”に改める。第19回青龍展に「白い花」
を出品し入選する。
昭和23年 第20回青龍展に「秋晴れ」「波」の2点出品し、「波」が入選する。
自信作であった「秋晴れ」が落選したことに納得できず「波」の入選を
辞退する。
昭和30年 四国、九州を旅し、南国の自然に魅了される。
昭和33年   千葉市のアトリエを売り払い、奄美大島に移り住む。
絵画制作のかたわら、生計を立てるために染色工として働く。
妥協を捨てて自身の良心を納得させる「本道と信ずる絵」のみを描き
続ける。
 昭和52年 心不全で倒れ、69歳の生涯を終える。