親友が語る手塚治虫の少年時代
(講演記録)
司会:プラネタリウムでいいますと、手塚少年が手作りでこしらえたとい うことで、大森先生もそれはご覧になったんじゃないかと思うんですけども。そこらへんの思い出などございましたらお願いします。
大森:今の話にもございましたけども、何でも手塚君は探求好きな子ども でしたから、自分でドームの中に映し出される星座なんかを自分の家でもぜひ自分でやってみたいと、ベルベッドの石鹸の箱に穴をあけましてね、中に裸電球を いれましてね、こう押し入れの天井にそれを映してプラネタリウムを再現しようとしたわけですね。ところが中に入れた裸電球のフィラメントがね、ぼやけて線 のように映ったというふうに言われてる、失敗したと言われてるわけです。でも、彼がそのころに身に付けました、これは原田三夫の「子どもの天文学」という 本を電気科学館の売店で買ってもらって、またそれを学校に持って来てみんなに見せてくれたわけです。それをみんなで回し読みしまして、一時私どものクラス の中で「天文ブーム」が起こったこともあるんですけども。もちろん彼がその中心人物なんですけども、家で今お話になった土星の輪があることとか金星の縞模 様だとか、ハレー彗星だとか、そんなのを描いては持って来て、きれいに描いてるわけです極彩色で。持ってきてはみなに解説しながら見せてくれて、それをみ とれて聞きほれた思い出がある。そのころに身に付けた彼の宇宙への興味や知識が後に、彼のアニメの中の、非常に広い、広大な舞台となって生かされているん じゃないかと、私は今でもそう思っていますけども。
美奈子:プラネタリウム、私もたまに連れてってもらったんですけども、 まだ小さかったんで、あんまり興味が無くて。ただ、音楽がとても素敵だったんです。エルガーの「威風堂々」が、いろんな説明があったあと、世が空けてくる ときに、それを鳴らすんですよね。それがとっても印象的だったのを、そっちの方が私は、星の話よりも印象的だったのを覚えております。
浩:兄貴のですね、とてつもない発明、発想というんですか、さきほど綾 子さんのお話で、火星人を作って紐で動かしたという。お話を聞いてるうちに思い出したんですけどね、「皆さん、火星人の声を聴いたことがありますか?」っ て兄貴言うんですよね。もちろん聴いたことあるわけないんですけども。「今からお聞かせします」と。その火星人の声をね、私、さされたんですよね。(会場 笑)いやそれはね、ちゃんと指導があったんです。それを、火星人の模型を動かしてる部屋にですね、たまたま水道と、なんて言うんですか、水道を受ける部 分、なんていうんですかね、あったんですね。流しじゃなしに、洗面台のできそこないみたいのがあったんですけども。それをね、非常に普段使ってないから水 を溜めこんで一挙に流しますとね、ガーッという音がするんです。「浩、お前黙ってていいから、水をいっぱい入れとけ」と。「で、僕が『火星人の声をみなさ んにお聞かせします』と言ったときに水を流せ」と言うわけです。いっぺんに流したらアカンと。少しずつ流せということで、私は言われたとおりしましてね。 やっぱりガーッという音がするんですね。「これが火星人の声です。皆さんわかりましたか」と。それを2、3度繰り返さされて、それは全部私がやったんで、 お話聞いてね、思い出しましたけれども。そういうとこはね、すごい発想だと思いますね。私が下手な声でギャーギャーいうよりも、水道の水の流れる音、それ が兄貴のイメージだったんでしょうね、火星人のね。それは大森先生、覚えてらっしゃいませんか?
大森:ちょっとそれは覚えてないですねえ。
美奈子:どなたがいらっしゃったの?
浩:んーとねえ、荻野さんが来てらして、アンタ(美奈子)もいたし…
美奈子:宝塚のグループの中?それとも…
浩:7、8人くらいいたんじゃあ…
美奈子:そしたらやっぱり大森さんんたちも入ってらしたんじゃないの?
浩:あ、大森先生のねえ、私ひとつ思い出しました。木下さんという方い らっしゃいましたね。ごめんなさい、失礼しました。木下さんじゃなしにね、よく治を訪ねて遊びに来られた方で、カワシマさんだったかな…お二人で喧嘩を始 められて、もう一人(カワシマ?)の方が石を投げつけて、大森先生の横っ腹に当たったかなんかでね、門のところで随分痛そうに顔をしかめてらしたのを今思 い出したんですけど覚えてらっしゃいます?(会場笑)
大森:いや覚えてませんねえ。
浩:随分痛そうでしたよ。(会場爆笑)
浩:何をしゃべってもいいんだったらね、とっておきの治虫の思い出。こ れ、いまだに忘れませんけども、それ言うと美奈子が怒るかもしれないなあ…
美奈子:恥かかせないでよ。
浩:いや、アンタのことじゃない。まあ、まあ、いいでしょう。私の部屋 の隣がトイレだったんですよね。汚い話で恐縮なんですけども、治虫がトイレに入りますと、何秒かしますと中で何か一生懸命に喋ってるんですよね。覚えて る?あ〜覚えてない。え〜とねえ、何喋ってるかわかんないんだけども、時々「ドカーン」「ヒュー」とかいうてね、擬音入るんです(会場笑)。あれはトイレ 入る度に言うんです。トイレ入ってそれだけ喋ったり声を出したりするわけですから大きいほうのトイレですよね。大のトイレの時に、必ずというほどやってま したね。だから自分が漫画の主人公になったつもりで、何か一生懸命セリフ喋ってたのか、ディズニーの漫画なんかのシーンを思い出して、それを自分の気持ち の中で再現してつい声に出してしまうのか。もちろん学校行ってる時ですから小学生のときですよ。中学に入ってそんなことできないでしょう。
美奈子:やりかねない。(会場笑)
浩:小学校5、6年の頃だったと思います。それだけです。(会場笑)こ れは今まで出た治虫の伝記、本の中に全然書かれてなかったでしょう。(会場爆笑)書けませんからね。これは本当の話。嘘じゃありません。
美奈子:付け加えますと、終戦直後にその年の10月、11月に宝塚の公 演を、大歌劇場は接収されてましたので、北野劇場という映画館でで再開したことあるんですよね。そこでね、私達は「ピノキオ」と言いますが、その頃は「ピ ノチオ」と言ってね、それに兄がハマりこみました。もう、明けても暮れても「ピノチオ」で。何べんか場末で上演したのをわざわざ追っかけて、私も一緒に観 に行っていたんですけども。兄は音楽、歌、セリフを全部覚えてそれを私どもの前で全部披露してくれました。コタツに3人であたってたら、春日野八千代さん がピノチオを演っていたんですけども、その名セリフで「ぼくあなたを知らないなあ」ていうのがあったですけど、名セリフですごく流行ったんですけど、そこ から始まりましてね、女神様が淡島千景さんで、コオロギが○○さんで、それを声色をそっくり真似て、音楽を口三味線でやって全編やったんです。それほどハ マっておりました。だから、そういったことが日常茶飯事に行われておりました。
大森:はい、今も手塚君が記憶力が良かったという話が美奈子さんの方か らありましたが、小学校の時にヒナガミドリさんという女の子がおりまして、小学校2年生の時に手塚君がクレヨンで描いた絵を何枚か見せて「この中で好きな のあったらあげるよ」と言って、箕面の滝にモミジを描いた絵が気に入ってそれをもらったらしいんです。ところが卒業する真際になって、そのヒナガさんに 「前にあげた箕面の滝の絵を返して」と言われたらしんですよ。(会場笑)何年も前の絵をあげたということだけなんですね。それを覚えていて、その記憶力に ヒナガさんがびっくりしたというお話があるんですが、そのヒナガさんが今日見えてますから紹介いたしましょう。
---拍手---
大森:同級生のヒナガミドリさんです。その本の中にそのエピソ−ドが書 いてあるわけです。で、悪いと思ったのか、手塚君がその絵の代わりにお父さんの写真の作品10枚くらいくれたと。そんなことも書いてます。これもエピソー ドなんですけどね、小学校の茶話会で、手塚君が中島君とコンビを組んでその頃有名だったエンタツアチャコの早慶戦をやったわけですよ。茶話会で披露したわ けです。ところが中島君がすっかり上がってしまいましてね、セリフは忘れるわトチるわで進行がうまくいかないんです。手塚君が躍起になって「違う違うこう や」と彼のセリフまで教えてあげるという。演説は上手い、記憶力がある、というので我々びっくりしたことが経験があるんですが。そういうくらい彼の記憶力 は抜群なんです。
司会:ありがとうございます。手塚先生の記憶力が人間離れしていたとい うのは、後々漫画家としてデビューして実践を積まれて以降も、アシスタントに外国から電話で原稿の校正の指示を入れると。その時に手塚先生の手元には原稿 が無いわけです。で、アシスタントに電話で「そこのページの左から何コマ目のセリフはこうだから、それをこう直してくれ」と。今のようにFAXがない時代 なんで、それをやっていたという信じられないエピソードもありました。それは大森先生のご紹介にありましたように、昔から、小さい頃からそういう能力、特 種能力があったんじゃないかと思います。