
私の少しの記憶と母、兄の記憶を聞きながら印象的な出来事を書いて見ました。
| 1〜3歳ごろ | *ある寒い朝、知らない家で父が頭を下げてお願いして居る姿、桶にお湯を貰い手拭で私の足を暖めるように拭きマッサージしている、その家の方も一生懸命さすってくれていました、私は良くわからなかったけど、 *10歳頃かな、この不思議な光景の事を聞いてみた。 *用事があって父の実家に行く事になり寒い朝、私をおんぶって昔良く見かけた原付自転車に乗り静岡の山家(ヤマガ)父の実家「大原」と言う所に行く途中、 私が大きな声で泣き出したので 父は自転車から降りてみると私の体が冷たくなっていたのに驚き、 咄嗟に近くの少し知り合いの農家に飛び込んだ。 *お湯を貰って私の足を桶の中につけ全身を摩擦、其処の家の方も一緒 になって私を一生懸命さすってくれたそうです。 今、思って感じる事は、お金の掛かる病弱な私でも、いつも親は子供の為に 自分の身を削ってでも守ってくれるですね。 |
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4歳〜6歳ごろ |
中耳炎とか腹痛とか病気の合間、又や事件です、 *戦後の焼け野原(自宅の裏)、近所の友達と遊んでいて大きな石を集めて城を作る話になり私は、自分の頭より大きい程の石を欲張り運んだところ、 目の前の空井戸が有るのをすっかり忘れ板を敷ただけの井戸の上を乗った瞬間アァ〜! 板が割れて石と共に井戸に墜落(以前注意するようにと聞いた事が有りましたが、 その井戸には水は無く割れ物、瀬戸物などの捨て場になっていた) 遊んでいた友達が私の家に連絡母は「大工をしている父の現場に連絡、 父は梯子を持って井戸へ!近所の方と私の名前へを呼んだら泣き声が聞こえたそうで 梯子を2本つなげ(≒6mほどらしい)私を抱え自宅に戻り 取り合えず水で、頭を冷やし近所整形の先生往診してくれた。 *その結果奇跡的に軽い打撲、その頃は冷蔵庫が無く氷を買ってきては冷やし、 自宅で寝ていただけ!どの様に氷を保存したか分かりませんが其れは大変だったと思います、今でも頭の上の部分が凹んでいます、これが原因で脳の発育が止まったのかしら、ウッフ、アハハ! *又、事件です、私が迷子に、親が警察へ連絡? ここは母との思い出 *母のお供で税務署へ、母が直ぐ戻るから正面玄関脇の待合所で待っていた、 私の感じだと一時間ほど待ったでしょうか、(長い感じ)母より後から行った方が出て来ました *母は戻らず、心配して税務署の中を探してみましたが 私の目の高さからは母の姿は見えず私は手っきり、忘れられたと思い始めた。 *先ほど来た道を薄々ながら思い出し一路家路へ一人で帰ってきた。 その頃、母は税務署の正面玄関に居ない、事故事件だと思い警察へ届を出し、 急ぎ足で自宅へ、其処へ得意げに迎えた私を、もう凄い剣幕で怒る母、 怒りその光景にたまりかねたのか 父は私を自転車の後ろに乗せ本署警察へ無事で有る事の報告に、 その時の父と母の顔は今でも恐ろしい! 実は私、母を余り好きではなかった、頭が悪く病気がち、母も私の事好きでないと思っていたし、私はいつか母に捨てられると思っていたので、 こんな行動を取ったかな? 父、に置き換えた場合だったら、私はきっと待っていただろう! どんな時でも、失敗した時でも、私をカバってくれた父、信じてくれた父、 父の大きな背中におんぶされていると、安心! どんな状況でも絶対に私を捨てはしないだろうと信じていたから、 子供って日常生活の中で、 結構鋭く見ているんです! |
| 10歳〜 14歳ころ |
<父との思い出に戻ります> ある日、歯が痛くなり歯医者へ、治療後もっと歯が痛くなり、歯科院は出たものの痛い! 自宅まで15分泣くのを我慢して知っている人に会わないように急ぎ足で 自宅の前に来た途端 こらえ切れなくなり大声で泣いてしまった! この声で驚き工場から飛び出して来た 父は私を連れ歯医者へ文句を言いに、 もっと悪くするとは何事だ!痛いから医者へ行っただろう?この迫力に私は 一瞬、歯の痛みが飛んだ様な記憶があります。 *12才ごろ貧血で倒れたりお腹が痛くてお灸をしたり、温泉飲料水を取り寄せたり 痔の手術をしたり、いくつかの検査をする時も父は行ってくれて帰りには 美味しいものを買ってくれた。 *13歳、盲腸になり入院 この時も盲腸を取る事で胃の方もすっきりするかも?期待をもっての手術、 父が心配して一番最初に見舞いに来てくれた。今何を食べていか?と言ったので味噌汁? 自分でもびっくり普段、余り好きでなかった味噌汁?何で言ったのか判りませんが 一瞬、父が困った顔!料理とは考えてなかったらしく!よしといって立ち上がり自宅で 味噌汁を作って病室へ 持って来てくれたくれた、良く見ると薄くてお味噌が沈んでいた味噌汁! 初めて作ったそうです、薄かったけど、とても美味しいよ! 父が心配そうに見ていた顔に美味しい〜い!の言葉しか浮びませんでした。 後で思うと、初めてで最後の父の料理。 美味しいものは手に入ると買って来ては時間関係なく お起し無理やり食べさせられた思い出 家族分平等に分け父の分をそっと私にくれた父 時には海を見ながら色んな病気を経験した事は無駄ではないよ、 病気に成った人にやさしくなれる心が養われる これから色んな事がが来ると思うけど 一つ一つ乗り切れば「学問」勉強より、やさしい心を勉強できるよ! と教えてくれた、「人生は学問勉強だけではない」と |
| 15歳 | 父が体調を崩す 父は12月頃から風邪気味のような症状で近くの内科に通院中、しかし段々ひどくなる 頑固な父は病院を変えようとしない、家族で2週間説得後 3月、別の病院へ其処で至急、総合病院で至急検査を!と言われた。 検査の結果肺がん「家族に手紙を渡された」 後3ケ月から半年、手術は出来ず抗がん剤で進行を抑える事しか出来ない状態 本人に知らせない方向で行く事で決まり辛い日々が続く 学校の帰り毎日病室へ 5月6日から13日間、修学旅行「長崎、熊本、博多、雲仙、1週間」 父の事が心配でしたが父が思い出に成るから行ってきなさいと! お小遣いが決まっていたが内緒で父が下着にポケットを付けてとお金を持たせてくれた。 旅行先長崎の旅館へ父から電話?そんな事をする父では無いのに 外に出たら信号は良く見て注意して渡るように何度も言われた! 旅行から帰って直ぐに病院へ出発前より可なり元気が無くて、点滴点滴の毎日 母と居る時は何も言わないが私一人になると辛いから点滴したくない、コバルト後も食欲が無くなりとても気持ちが悪いと弱音言っていた。 6月5日(日曜日)呼吸が苦しそう!日曜日の当直の先生を呼んだ 早く楽にしてあげましょうね! 胸に注射を打ちました、そして一分も経たない内に心臓が止まりました)父がぐったり 子供ながらに本当に楽にしましようという事を当時は元気に成ると思い込んでいた私、 母にどうして?どうして心臓が止まってしまったの? 家族に説明も無く相談してくれた??? 今の時代ならこれは事件ですこの信じられない光景に この病院不信に病室から見る風景は何事も無く車行き来している 目の前の現実は父が亡くなった、それでも地球は回っている 両方とも現実しかし15歳の私、受け止めるには重すぎる。 今でもその病院は嫌いですし行きません。 最近、取り上げているように先生が家族に良く説明し納得てからにしてほしかったです。 あの光景は私の頭から一生が終るまで消える事は無いでしょう。 父との15年間短い思い出、しかし父からの教えは私の原点 父から見たら今の私の生き方は? 不器用な私、教えをベースに一つ一つ乗り越えよう懸命に |
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