乾癬と暮らす』

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随想&短歌の300字の世界へようこそ

Welcome to the world of 300 characters “living with the psoriasis ".

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 今年の森林総合研究所の桜の開花は、去年より10日も遅れた。514日の短歌会の方々と一緒に訪れたが、7分程度に咲いていた。昨年の場合、満開とぶつかり、見事であったが今年は比べると若干劣ったがそれでも十分楽しませてくれた。ただ、車の乗り入れが規制されたため、足の弱い自分には歩くのに苦労し、疲れたが皆さんは楽しめたようだ。

総研の園地彩る桜花底冷えしたる時節しのぎて

2010522日記

Contents

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ようこそ 「乾癬と暮らす」へ

私がネットに傾注し始めアクセスし始めたのは199841日であった。56歳の時である。当時、乾癬を主題にしたホームページは存在しなかったが、間もなく「サクラの館」が出現し、そのサイトを通じて交流が進み、全国の患者仲間に大きな影響を与えていた。「サクラの館」のサイトが閉じると、間もなく「大阪乾癬患者友の会」、「乾癬に負けるな」が出現し、乾癬患者会活動と並行して、ネットを介しての患者交流が大いに進んだのである。

以前から作ろうと考えていた私はこれらの動きに誘発され、20001月、「乾癬と暮らす」を立ち上げた。記憶では乾癬を正面に掲げたサイトの5番目か6番目のHPであったように思う。しかし、吾がサイトは乾癬をメーンテーマにするものの、乾癬の治療法や薬の情報を流し交流するものではなかった。もっぱら日常生活のあれこれをエッセイと短歌を中心に書き上げ「乾癬という病をもっていても普通に暮らしているよ」という内容で、しかも、他と違って、私の想いを一方的に知らしめるものであった。

「乾癬と暮らす」の開設以来8年余の歳月が過ぎた。アクセス数の極めて低い吾がHPにもかかわらず、塵が積もれば…の例え宜しく今年5万件を超えた。よく見ているよと言っていただける方が少なからずいるが、飽きずにご訪問いただいた方々に心から感謝申し上げたい。

さて、ネットを知ってからの10年は、吾が人生に様々な変化と稀有な経験を与えてくれた。当時勤めていた会社営業所を独立事業所にしたり、豊富町営の温泉湯治保養宿泊施設「湯快宿」管理人に採用されたり、乾癬の会役員の末席で全国的、国際的活動に参加できたり、それまでに持っていた乾癬やCMT病の他に脳溢血などの病歴を経験したのである。特に湯快宿管理人時代は相当数の乾癬やアトピー患者と湯治生活を過ごし、誰もしたことのない大変貴重な経験を6年にわたって体験したのである。そして、それらを体系的に教訓化し、書き記すことができた。HPに記すことは、私にとって人生活動期の後期を記録する自分史ともなったのである。

体力的限界を感じた私は、肉体的労働を伴う湯快宿管理人を、2008331日付をもって退職し、6年ぶりに札幌へ戻ってきた。退職したことによって何人かの方から「老化」のご心配をいただいた。一般的に一つのことを終了した時「ボケ」たり、急速な体力の衰えをする現象が多々見られるが、そうした方達と同じと思われたのであろう。つまり、生きる糧を失ったと思われたものと思う。

私はかねがね人生は「教育期」「社会生産活動期」「熟年期」に分かれているという人生哲学をもっている。湯快宿管理人退職によって社会生産活動期を終えた私は、人生最後の熟年期に入ったが、この熟年期は外部からの強制や、社会的ルールに縛られず、こう生きたい、こうしたいという自分の思いを自由に選択できる時期だと考える。ただ、なんでもできるというわけではない。経済力という制限が存在する。私はその範囲内で与えられた熟年期を生きていこうと思う。(2008920日記)

2010年という区切りのいい年を迎えて、このHP にかつて掲載していた患者会のページを整理し始めた。その量の多いのにわれながら驚いているが、よく書いたものだとも感心している。それだけ患者会運動に情熱を注いでいたのだということに改めて気付かされた。(201017日記)

 

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