30周年「万歳!!」「万歳!!」「万歳!!」     

 

*25年間のお天気」の続きです。  水野秀輝

 

5年間30周年パーティー・・・・・。

25周年の元旦は元気に初日の出を迎えたような記憶がありましたが・・・。

5年前は・・・そうです!!「今後5年間は、その前の10年間に比べ多少風が強くなりそうですが、晴天続きでしょうという予報だったと思います。

 

30周年目に入ってから、人事院の給与勧告制度が始まって以来のマイナス勧告、底の見えない日本経済(平均株価8000円を割ろうとするような)に反発して、ヨット部の活動に=勢い⇒⇒が見えてきました。 

 

 

えば、毎月の月例会の復活20年以上休止していました)

えば、ヨット教室の復活(愛知国体で中止して以来、10年ぶり)

えば、組織的な練習の再開(個々では、ぼちぼちしていた。何?練習?)

 

等が上げられます。

 

 

毎月の月例会の復活

平成13年7月17日復活(公式平成13年10月9日)

これまで必要に応じて個々に連絡を取り合っていましたが、毎月第二火曜日に西庁舎小会議室で月例会(兼委員会)として、午後6時から7時までの1時間、ヨット部の会務の処理とセーリングの研究(チームレースを考慮した効率的な練習方法の模索等)を行っています。又その後、お楽しみ会として1時間程度の懇親会を行っています。(懇親会のみの参加者もあり盛り上がっています。参加者は毎回8名程度です。)

 

 

ヨット教室の復活

平成14年7月21日復活

久しぶり(10年ぶり)のヨット教室では、6名(1名、5名)の受講生がありましたが、ヨットに興味はありそうですが、入部するまでには至りませんでした。また、9月のクルージングにも誘いましたが、予定日が近づくにつれ、複数の者が偶然?親戚の法事と重なり不参加でした。「じゃあまた今度ね」と言いつつも残念・残念・・・だわ。こんなのも作ってPRしたんですけどね〜

3年前に入部した佐藤、知田の2名以来、新入部員の入部がありません、この先を考えると、年一回と言わず、数回実施しても部員の確保に努める必要があると思います。(下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる?)努力!努力あるのみだ〜「ヨット教室」やりまくったるでなも。

 

テキスト ボックス: 富永
花岡
鈴木
高見 水野
佐藤
知田 尾村
有馬
野中 竹内
山田
吉岡
             【 ヨット教室参加者名 】

【名古屋市少年少女ヨットトレーニングセンターにて】 もう一人カメラマンの川浪さんがいます。

 

 

組織的な練習の再開

ーリングは、帆走技術の向上は勿論のことですが、長年培われたクラブの伝統の継承が重要であると思います。一度途絶えると復活するまで長い年月を要します。実際、戦前名古屋市役所にヨット部がありましたが、第二次世界大戦で自然消滅?してしまい、再び復活するまで「四半世紀余り」という年月が必要でした。新入部員がないと言うだけで、好き勝手な個々の「ぼちぼち練習」では、伝統の継承は途絶えてしまいます。(クラブチームとして意味のある練習の再開)

んな中で今年の第29回全日本自治体職員ヨット競技大会(鼠ヶ関)へは、総勢9名の参加がありました。今回の参加チームの内では、2、3位の人数で感動した!!

た、組織的な練習の再開により、久しぶりに秋から冬にかけ、艇のハリヤード、ステイの交換等マスト整備を始め、ハル、ブーム、船台を含めた大規模な整備を行うことができにした。

 

 

 「わずか2チーム」全日本自治体職員ヨット競技大会29回連続出場

1回から全て出場している自治体は、東京都庁名古屋市2自治体だけです。事務局のある東京都庁は別として、組織として考えるとこの大記録は、簡単に達成できるものではありません、レース成績は必ずしも良くありませんが、我がヨット部員のヨットに対する意気込みが、ひしひしと感じられます。この記録は、全日本自治体職員ヨット競技大会(連盟)が存続する限り永遠に更新していくものと信じています。

 

5年間35周年パーティーまでには、ヨットの数が不足する位の部員で練習できるようになっていることが夢です。夢を現実にするため、組織存続のため、努力を惜しむことはないでしょう・・・(部員勧誘で、これ以上続けると「セ○ハ○ですよ(^^;)」と言われながら)

 

の時のためにも、かつて我がヨット部のシンボルであった、チェリーレッド色ハルの木造船、ハル15850(シャチ)の整備を急ぐ必要があります。(何?こじつけ?)

ざらしの野積み場で木造艇のハルが残っていることが奇跡!!・・・感謝(デッキの裏面には、むか〜し、むかし、蒲郡ヨットハーバー当時、熱き志を抱き整備に参加した部員のサインが多数書かれています。)

 

事ですが、現在生涯スポーツとしてヨットと深く関わり、楽しんでいられるのは、家族の愛情とヨットに対する理解?それから名古屋市役所ヨット部という母体があるからで、このことを忘れるようなことがあったら、ヨットと私の関わりは、「おしまい」と思っています。

 

んなこんなで・・・・・さあ!!

 

5年間は、「新入部員の獲得、増員をヨット部の第一目標」として、頑張ろうではありませんか。他のヨット関係の仕事を少し減らしてでも、ヨット部活動の活性化に微力ながら協力していきたいと思っています。

(現役と言える期間は後僅かだ 急げ〜!! (時計はいつもティータイム 

年後、35周年の天気予報も「本年も晴天なり」「本年も晴天なり」かな?・・・・・。*

 

それでは、誠に手前勝手で御座いますが、パーティーにご参加頂きました皆様のご健勝と、名古屋市役所ヨット部の、益々の発展を祈念して、万歳三唱でお開きにしたいと思います。ご唱和下さい。

ばんざ〜い!!」「ばんざ〜い!!」「ばんざ〜い!!」 


 が名古屋市役所ヨット部の「エンブレム」です。
 デザインは、我がヨット部員、交通局建築課の西田正幸氏です。
 中心部に、つがいのシャチホコと県連盟旗、波の上には、寡ってヨット部が所有していたスナイプ4艇(シャチ・ホワイトベアー・日商丸・名工ブルー艇SSS)とレーザー1艇がデザインされています。
 SINCE1938とあるのは、大橋郁夫著「東海ヨット風土記」で調査したもので、中部日本ヨット協会の昭和15年当時の名簿に、代議員・理事(近藤義治氏)を出していた記録があることから、この少し前1938に決定しました。(東海ヨット風土記に市役所ヨット部が出てくるのはこの個所だけです。理事を出しているのでもっと前だろうと言う意見もありましたが・・・。)なお、当時のヨット部員数は24名でした。
 登録番号A174朝風→この名前は、セーリングクルーザー朝風Uとして継承しています。

 

               ヨット部35周年につづく

 5年後のヨット部

 まけです。

 

的パソコン5周年訳も解からず突き進む⇒ったく、困ったもんだ」へGO

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