2003年“ 26号室のゼリー” |
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2003年 1月 31日(金)<あこがれは続いてゆく・18> |
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さあ、ここで村上氏の本を開くとします。(読んだことのある人はごめんなさい)【香川県のうどん屋のありかたは他の地方のうどん屋のありかたとは根本的に異なっている。ひとことで言えばかなりディープなのである。ちょうどアメリカの深南部に行って、小さな町でなまずのフライを食べているようなそんな趣さえある。(村上春樹 著“辺境・近況”平成十年四月刊行 より)】なるほど。コロラド州デンバーに行ってロッキー・マウンテン・オイスターを食うようなものですね。『肘井くん、そらちょっとちがう』。あーあ、ソウデスカー。まあ、なんにしろワクワク感高まる文章ですな。つづく。 |
2003年 1月 30日(木)<あこがれは続いてゆく・17> |
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最後に徳島の友人(ヤツは「知らん」かったが)の語った“香川はまたそこだけの特別な食べ方があるらしい”。これは2番目の謎とよく似てますが、強いて言えば【地場でしか味わうことの出来ないネイティヴ饂飩の存在】。以上、この3点が長年に渡り大きな謎として俺の中でとぐろを巻いていました。つづく。 |
2003年 1月 29日(水)<あこがれは続いてゆく・16> |
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次に映画で見る“雑然とした環境での饂飩喰い”とPVで見る“倉庫や納屋での饂飩喰い及び饂飩制作&販売”。いずれにも共通するのは【我々の社会通念では有り得ない状況下での饂飩の存在】っつー言うことになりますな。つづく。 |
2003年 1月 28日(火)<あこがれは続いてゆく・15> |
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その本で判明したことを色々と書いてしまう前に、まあ、とりあえず俺が思い続けていた讃岐うどんの謎について、ここで今一度まとめてみることにします。まず、一人の人間が一食の食事に3玉も食べられ、しかも廉価なうどんとは?普通3玉は食わん。ちょっと考えてごらんなさい。饂飩屋に行き「かけうどんトリプルで」とはあんまり言わん。まあおらんこともないでしょうが、あんまりおらんでっしょう?その人がよほどの大食漢だったのか?しかし、だ。その発言に対し、疑問符を持ち合わせていないかのような地元の人。と言うことはその【3玉トリプル喰い(安モンのAVのタイトルみたいですみません)可能な饂飩の存在】がそう珍しいことではないのではないか?ならばそれはナゼ?つづく。 |
2003年 1月 27日(月)<あこがれは続いてゆく・14> |
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正も邪も、善も悪もとんでもなく入り交じってゆく村上氏の物語の最中に和食を食べるシーンが出てくると、俺はいつもホッとしてしまう。うなされる様な描写の合間に一瞬の和らぎをもたらす。その書き手の名手が“辺境・近況”の中で讃岐うどんについて書いてあるのです。面白くないわけがない。《もうサイコー&今すぐ食いてー》である。つづく。 |
2003年 1月 26日(日)<あこがれは続いてゆく・13> |
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随分と前に投げたブーメランが自分にケガをさせない程度に、しかも絶妙のタイミングとインパクトでもって戻って来るような文脈のとっ散らかり方の巧妙さや、深さも重さも手応えも充分ありながらもスルッと読めてしまうので満足度は高いが、読了後、話の内容そのものに、どうにも得心が行かんことが多く、全体にハッピーに終わることはあまりなく、スタイリッシュな生活感を資質として持っているかのような主人公やサブキャラにこの上ない嫌味を感じてしまうことが多々あるのに、繰り返し読んでしまい、新作を楽しみにしてしまう村上氏の小説。今や米国でも大受けということであるが、彼の小説の中で和食の話は数多く出て来る。つづく。 |
2003年 1月 25日(土)<あこがれは続いてゆく・12> |
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そうして長年のワタクシ・肘井の讃岐うどんに対する謎がほぼ全て解明・判明したのが、村上春樹の“辺境・近況”によってである。ハイファッションという雑誌に連載されたモノを一冊にしたその本には、著者が様々な土地を旅してまわった時のことが書かれてある。モンゴル、アメリカ、メキシコ等に混じって香川・讃岐のこと、しかも“讃岐・超ディープうどん紀行”と題し、地場のうどん屋めぐりをしたことが書かれてあった。つづく。 |
2003年 1月 24日(金)<あこがれは続いてゆく・11> |
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と、まあ話がズレまくってゆくのはゼリーではいつものことでございますが。さて、そんなすっかり観光気分のノリの中、次の日はシッカリとカッチリと資料集めに奔走し、徳島にバック。彼のマンションでシャワーも浴び、深夜のゆっくりとした時間を味わいながら、明日の大阪戻りを控えた俺は彼に問うた。「四国っちいうたらうどんがウマイっち聞くけどどうなん?」「うーん、そうやなあ、四国っちいうより香川がウマイっち聞いとるけどなあ。よう讃岐うどん、っち言うやろ。讃岐は香川のことやけん。でも俺はまだ香川まで足を伸ばしたことがないったい。毎日、授業が忙しいけんくさ」「なら徳島にウマイうどん屋はないと?」「ないことはないけど香川はまたそこだけの特別な食べ方があるらしいっちゃんねえ。同じクラスの香川のやつが言いよった」「なっ、なんね、その特別な食べ方っちいうのは?」「知らん」知らんのかあっ!つづく。 |
2003年 1月 23日(木)<あこがれは続いてゆく・10> |
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さて、徳島を朝早くから出発し、ようよう高知・桂浜に到着したのが夕間暮れだったせいか一帯は閑散として、まわりの土産物屋もなんだか荒んで見える。薄曇りの中、俺達以外にはまったく人の居ない桂浜を歩く。太平洋の果てを見つめる坂本龍馬のブロンズ像も、先日のモアイ像落書き事件の様なバカな輩を警戒してか、とてもよじ登れそうもない位置に立っている。なので見上げてばかりでなんだか全体が見えにくかった。したがって然したる感動も無し、って感じだったなあ。その後、自分用のおみやげに高知の銘酒・司牡丹を購入し、電話帳で探したビジネスホテルへ。晩飯は近くの居酒屋でウマくもない鰹のたたきをアテに。つづく。 |
2003年 1月 22日(水)<あこがれは続いてゆく・9> |
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彼は自分を律するため地元以外の場所で勉強することを選んだ、という筋金入りである。わけあって文系から理系に突然進路変更した彼にとって、その受験はそれは過酷なものだったらしい。しかし彼は激烈なる努力の末、自分の夢への旅券を勝ち取った。そして今はすっかり医師である。どっから見ても医師である。奥さんも居る。家も在る。やっぱスゲエ。マジでスゲエ。“夢はきっと叶う”とか“叶わない夢はない”等と簡単に、無責任に、ノー天気によく人は言うが、その夢の大きさによって“努力の程度”がまったく違うことをその人は言わないし、歌わない。ですから今度ワタクシが歌います。で、その辛い勉学期間にラジオから流れて来る極めてサーワやかな“コナウィンズ”を聴きながら『俺はこれからいったいどうなってゆくのであろうか?』と悶絶するような不安と苦しみと闘っていたのだ。そら、そんな時期に聴いた曲を後に聴いたら泣けるよな。俺もそんな曲なら売るほどあるだい。つづく。 |
2003年 1月 21日(火)<あこがれは続いてゆく・8> |
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遠かった。高知までは遠かった。どれくらいかかったかは忘れたが、彼の車で連れてってもらいながらも『もっと早く着かんのか!』と心で毒づいて、あっ、そうだ。今これを書きながら唐突に思い出した。行く道すがら車内のBGMはもっぱらワタクシの持ってきた数本のテープ。あの頃の俺はカセットウォークマンが無いと生きて行かれんかったもんね。その中に前述の“コナウィンズ〜風の伝説”も入っていた。それが車内で流れ始めた瞬間、かの友人は「俺はこん曲、聴くと泣けるったい」と博多弁&北九州弁混じりで言う。別段、セツなくなるような曲でもなく、徳島から山々を越えてゆく高知へのロードにはまったく合わない曲である。出来ることならばニッポンに持って来て、この澱みきり、汚れきった空気を一掃したいほどの、あのハワイのカラリとした風がウソでも吹いて来そうなサーワやかな曲である。「そうなん?」」と俺は曖昧な声で返事をした。つづく。 |
2003年 1月 20日(月)<あこがれは続いてゆく・7> |
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今は立派に歯科医院を経営している高校時代の友人がまだ徳島の学校で歯医者になるべく勉学に勤しんでいた頃。徳島から高知までどのくらいの距離があるか、など全く無知なワタクシの「高知まで案内しちゃらん?」の横暴発言に「いいぞ。来(き)やい」と彼は快諾。まったくイイヤツだ。早速、フェリーに乗ってまずは徳島へ。しかし、だ。今思えば『饂飩と言えば四国』、もしくは『四国と言えば饂飩』と言うくらいの大雑把な括りの認識しかなかったな。俺はね。つづく。 |
2003年 1月 19日(日)<あこがれは続いてゆく・6> |
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何を隠そう、ワタクシの卒論のテーマは“経済人としての坂本龍馬”。クーッ、ハーズカシー。普段は貿易会社として機能し、戦が始まると軍隊になると言う東インド会社の様な形態を取っていた海援隊を鋭く探求。と言えば聞こえはヨカですが、8割方は資料を丸写しし、残り2割は坂本龍馬への熱い想いを語ったと言うまことに身勝手なシロモノではございましたが、ゼミの教授から「肘井君の文章はとても面白かったですよ」と言われ、なかなかの評価をしてもらった時はめっちゃ嬉しかったなあ、って思い出語ってどーする。まあ、それを書く際の資料集めとして4回生の春に初めてはるばる高知へ行ったわけです。つづく。 |
2003年 1月 18日(土)<あこがれは続いてゆく・5> |
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柳ジョージさんきっかけ(って言うのがシブイでショ?)で高校生時代に読んだ司馬遼先生の“竜馬がゆく”の龍馬像にハマり、命日の11月15日には彼の好物だったと言う炊き込み御飯を買って来て仏壇に供えたり、また司馬遼先生も前述の小説を書く際に叩き台にしたと言う、坂崎紫瀾著“汗血千里駒”の復刻版を注文したため、ある日突然、高知新聞社から荷物が届いたりして家族の者にかなり気味悪がられたのでした、つーか「レコード聴いたり、こんなしょうもないことばっかりせんでもっと勉強せんか!」とよう怒られたのじゃ。ぶー。つづく。 |
2003年 1月 17日(金)<1.17> |
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もう8年になる。あの時の事を思い出すと泣けてしょうがない。“決して抗うことの出来ない圧倒的な暴力の様なモノは常に自分の隣にある。そしてそれに囲まれて人は生きている”と言ったのは誰だったか。それが人間が生きて行く限り(それは時間の流れと同じように)止めようのない、どうしようもない事実であるならば、“今日”を生きることの“大切さ”が自ずと明確になって来るはずだ。俺はもうそろそろ無闇に泣くことをやめようと思っている。そう努力しようと思っている。『辛度い』とか、『うまくいかない』とかでこぼす涙を、泣く以外のことが何も出来ないほどの本当の哀しみに出会った時と、嬉し泣きするほどの喜びに出会った時のために取って置こうと思う。それが少しでも“強く生きること”につながってゆけばいい、と俺は願っている。心からそう思っている。 |
2003年 1月 16日(木)<あこがれは続いてゆく・4> |
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サニーデイサービスが好きだった。と、まあそんなことはどうでもよろし。問題は彼らのプロモーションビデオ(曲名は忘却)の導入部分。飽く迄、日本人なら誰しも原風景として心に持っていそうな“田舎”の映像。心地よさそうな風が木々や青い草を揺らしている。やがて田圃のど真ん中にある倉庫の様な建物からメンバー3人が登場。何かを手に持っている。そして境界線らしき低い混凝土ブロックに腰掛け、割り箸を割り“何か”を食い始める。よく見ると丼鉢に入ったうどんである。もちろん“外で”である。なんじゃそら?!なにゆえ、そんな状況で饂飩なワケデースカ?いや、それよりも何よりも理解不可能なのはその“倉庫の様な建物”が何なのか?である。そこは倉庫、と言ってもあの海っぺりによく在るそれではなく、どう見ても農作業用マシンや肥料等その他、まあとにかく、農業に関係するモノを収納しておく“倉庫及び納屋”にしか見えないのである。だからさー、君たちは何でそんなとこからうどん持って出てくるのじゃ?またも増え続ける疑問符。ガンツ先生もビックリ。つづく。 |
2003年 1月 15日(水)<あこがれは続いてゆく・3> |
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そして数年後、芦原すなお著“青春デンデケデケデケ(傑作)”を読み香川県・観音寺に想いを馳せ、それ原作の大林映画(もう俺的には飽きが来ていた。が、これは傑出した快作)を観た時、見たこともない状況でうどんを食う主人公達に目が釘付け。なんじゃ、その雑然とした環境の饂飩屋は。つづく。 |
2003年 1月 14日(火)<あこがれは続いてゆく・2> |
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その曾ばあちゃん家に行ったのが20数年前。その時、香川県・琴平町・金比羅宮の参道にある手打ち饂飩店“虎屋”で食べた天麩羅饂飩。若輩の俺のくせに『さすがに本場だけにウマイね』等とプクプクしたわけ知り顔で思ったのだが、その帰り道の土産物屋で耳にした、おそらく讃州ネイティヴ人達の会話。「今日も行ったんね」「ああ、あっこのうどんは毎日食ても飽きん」「安いしねー、何玉食た?」「3玉」「ほー、テンプラは食わんかったとな?」「ちくわとゲソ天」。その場の俺思惟。『うん?!さっき食べた“虎屋”は安なかったぞ?で、何玉って何?何?その問いは?何?何?普通1玉やろが?ちくわとゲソ天?なんじゃそら?テンプラうどんは普通は海老でしょうに。だって“虎屋”で「ゴボ天うどん下さい」ち言うたらそんなん無いち言われたぞ?』と、必要以上の疑問符を背負って。つづく。 |
2003年 1月 13日(月)<あこがれは続いてゆく・1> |
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ワタクシの郷里、北九州市・若松はその昔、石炭産業華やかなりし頃、石炭の積出港として隆盛を極めた。アメリカのゴールドラッシュよろしく、全国から人々が仕事(金)を求めて訪れ、街は大いに賑わったと言う。なーんてことは火野葦平著“花と龍”を読めば明らかですが、まあワタクシの遠い遠い親戚等をたどって行くと、四国は香川に曾ばあちゃんの妹なんかがいまだ元気に御存命だったりするのだ。つづく。 |
2003年 1月 12日(日)<HIZZY STRIKE ULTRA LIGHTS> |
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今年になって初めて購入したCD“HALCALI(ハルカリ)”の“タンデム”を聴きながら部屋でステップ。リップスライムのメンバーがプロデュースを手がけるこのデュオは14才と15才の中学生ラップユニット。なんとも軽〜い空気がたまらなくよろしい。てんこもりでダーンス・シャバダバランバダエビバーリってな都合。で、決めた。俺の今年のテーマ“反省しない”。どうだ!って言われてもよ。 |
2003年 1月 11日(土)<風の伝説・4> |
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では、久っしぶりに聴いてみることに。“♪コーナウィン・かまかみぷめはなあ〜”とサビを歌いながらターンテーブルへ。が、俺が居ない実家では誰一人アナログレコードなんぞをかける人間が居ないわけで、当然、配線もバラけられアンプの後方にクルクル巻き。その他のホコリまみれのシールドも加わってまさにオーディオ・スパゲティー( TM 村上春樹)。気が付くとスピーカーもトンデモない場所に移動され、これでは試聴不可能。残念ながら我が仕事部屋にも聴く設備がないのだが『せめて気分だけでも』と、泣く泣く大阪まで持って帰り、目の前に飾り、今これを書いているのです。誰かこのシングルレコード聴かせてくれないかなあ? |
2003年 1月 10日(金)<風の伝説・3> |
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どういう経緯でプランが立てられ、この音源が制作されたのか今となっては知る由もないが、作曲はタケカワユキヒデ。そうです。今や大家族持ちコメンテーターで有名なゴダイゴのVoである。まあゴダイゴはブレイクする前はCMソング沢山やってたもんね。だからわからんでもないよね。うーん、それにしても良い曲を作るもんです、ホンマに。で、作詞はカポノ氏。そしてこの度、中ジャケを読んでいて気付いたのだが、この曲はすべてハワイ在住のミュージシャンでプレイされているのだった。そうか。それでこんなに“南”感(アイランド感)が心地よく渦巻いているのだな。20年経って初めてわかったよ。じゃあレコーディングもTDもハワイのとあるスタジオかも。マスタリングとプレスだけはJAPAN。って感じか。つづく。 |
2003年 1月 9日(木)<風の伝説・2> |
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今日はワタクシの誕生日。と、言うどうでもいいことはほっといて続けましょう。まず、声がいい。少しネバりのあるようなナマりのあるような歌い方。歌抜けパーツの微妙なヴブラート。キャリアがもたらす余裕のスケール感。サビ歌詞の“Kona winds Kamakani pumehana”と言う言葉もよくわからん(きっとハワイの言葉でしょう)がグッと来た。また、音も水ぽいと言うか、海っぽいと言うか、まあそんな“南”を感じさせる透明なリヴァーブ感が素晴らしくよかった。もちろん、憶えやすい曲メロも最高。いまだに俺、歌えるからな。そう、当時の俺にとってはどれを取っても真新しく感じるモノが多分に在ったわけだ。つづく。 |
2003年 1月 8日(水)<風の伝説・1> |
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帰省した際、その昔購入したシングルレコード300枚程を引っ張り出して眺めていると、ヘンリー・カポノの“コナウィンズ〜風の伝説”が出てきた。1983年の音源で、当時流行ったトロピカルドリンクのCMソングだった。まだ玄界灘の海以外にはあまりお目に掛かったことのない当時の俺にとっては、そのあまりにも涼しげで、クールで、それでいて灼熱の空気を感じさせるその曲にすっかりトリコになってしまっていたのだ。つづく。 |
2003年 1月 7日(火)<メットと白い長靴> |
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やっと味覚がまともになってきたが、どうにもジャンクで濃いーモノが食べたくて仕方ないので中華の出前を。寒空の下、岡持から受け取る五目あんかけそばは幸せの極みであった。 |
2003年 1月 6日(月)<小さな黒豆15粒> |
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いつぞやに書きましたノスタルジックなドメスティック弁当、東筑軒の“かしわめし”。帰りの小倉駅で晩飯として購入しました。かしわの甘み、海苔の湿り気、錦糸卵のポソポソ感、どれをとっても相も変わらず旨かったですが、箸休めの煮豆がお正月モード対応の黒豆に変わっておりました。これって少し嬉しいよね。 |
2003年 1月 5日(日)<俺、まだ帰りたくないんだけど。何にもしてないんだけど> |
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といったわけで、楽しみにしていた若松・本町の“一番”と戸畑・天籟寺の“龍王”での北九州ラーメン昼飯時にダブル攻めも、黒崎の“丸ちゃん”で豚バラ焼き&焼き鳥で焼酎も、八幡・枝光の“のぶ”さんでゆっくり一杯も、高校時代の友人達に会うことも、楽しみにしていた未定の予定は全て叶わず。まだまだ充分に風邪が抜けないまま、キャンセル待ちで取れたひかりレールスターにて雪天候のため27分遅れで大阪へ戻ったのでした。 |
2003年 1月 4日(土)<“くしくし”感> |
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ただただ眠る。が、寝過ぎと疾病による関節痛でカラダ中がイタくてイタくて“くしくし”する。ここまで酷いと『何か他の病かも』等と要らぬことを考えてしまう。完全に弱気。 |
2003年 1月 3日(金)<“グズグズ”感> |
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ハナミズが止まらず“グズグズ”する。 |
2003年 1月 2日(木)<完璧に引き込みました> |
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本日は弟が仕事の合間を縫って帰省するということもあり、年始恒例のお楽しみ、虎河豚三昧(刺身、皮湯引き、ちり、唐揚げ)をおふくろが料理し、振る舞うということなのですが、酒はおろか水道の水さえマズく感じるといったすこぶる劣悪の味覚状態。少しでも温度の低い所へ行くとクシャミが止まらんのじゃ。&震えも出るのじゃ。 |
2003年 1月 1日(水)<明けましておめでとうございます!!!> |
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みなさん、今年もよろしくお願い致します。それぞれに良いお正月を迎えていらっしゃることと思います。が、ワタクシ、郷里の北九州・若松にて大晦日より喉痛、鼻痛、頭痛、おまけに高熱と風邪の諸症状各種取りそろえて羽毛布団の一部と化しております。早い話が何年ぶりかで純度の高い大風邪を引いてしまったのです。 |