西国巡拝の旅 続
         西国霊場札所巡礼の旅  第20番~33番~番外4寺

 第20番 天台宗
西山 吉峰寺  本尊 千手観世音菩薩   京都市西京
 
阪急京都線長岡天神駅、JR京都線向日町駅よりバスあるが下車して徒歩かなりある。車ではすぐ近くに駐車場ある。歴史ある由緒のお寺。源算上人が1029年此の地に入り一寺を建て自ら刻んだ十一面観世音菩薩を祀ったのがはじまり。降りて1042年洛東鷲尾の千手観音菩薩を移したのが今の本尊、十一面観世音菩薩は脇仏として安置してあるらしい。此処では大蛇の様な五葉の松が見物である。1053年頃後三条天皇のお妃、藤原茂子が懐妊、貞任皇子を出産、この事を吉峰寺に祈願し後に白河天皇となられたので報恩のため本堂、阿弥陀堂、薬師堂、三重の塔など建立されたと言う。更に鎌倉時には後鳥羽天皇、源頼朝らが帰依し寺勢盛んになり53坊の大寺になった。5代に渡り法親王が入山されたので西山の宮と呼ばれたらしい。応仁の乱で消失したがその後豊臣秀吉や徳川5代将軍綱吉、其の母桂昌院が驚く程に帰依し堂伽藍を再建した。地を這う様に伸びた五葉の松は樹齢600年を越えているそうです。初夏の眺めが美しい。開創1029年。

野をすぎ 山路に向かう
雨の空 吉峰よりも
  晴るる夕立  


第21番 天台宗
菩提山 穴太寺 本尊 聖観世音菩薩   京都府亀岡市

 穴太寺はJR山陰本線亀岡駅から路線バスで穴太寺下車歩く約10分田園の路、村中を通りのどかな田園の中にあります。京都と言えばお寺の塀まで住宅が商店がビルなどの開発がのし掛かる様に迫っているが穴太寺は田圃の中に静かに歴史を秘めて立っている。亀岡と言えば保津川下りの起点で知られ、お酒も知られるし、安土時代には明智光秀の居城があったところ。お寺の山門を入ると正面に本堂、多宝堂、鐘楼、念仏道、33所堂。本坊書院など境内に配置してある。寺園も素晴らしい。鎌倉後期の作と言われる涅槃仏も有名という。安寿姫が厨子王丸に渡したとされる小さな肌護り観音像に心引かれる。此の身変わり観音にはとても哀しい美しい姉弟愛の物語が残されている。肉親の愛も異性の愛も与える歓びを教えられるのも霊場巡りの喜び。開創705年。

かかる世に 産まれあう身の
あな憂やと 思わで頼め
   十越え 一声   
                                                           


第22番 真言宗
補陀洛山 総持寺  本尊 千手11面観世音菩薩   大阪府茨木市

  阪急京都線、総持寺駅下車徒歩数分で山門にたどり着く。石段を上がると大変立派な仁王門、広い境内に諸堂が配している。従古の総持寺は東西5丁南北6丁に及ぶ大伽藍であったという。此のお寺は菅原の鎌足公第八世中納言山陰卿の創建でその哀しい言い伝えがある。総持寺の住職が1日1善とは何でしょうかと説いておられます。毎日ご飯の用意をしたりお家の掃除をしたりは悪い事では無いが仏から見たら善ではなく当たり前の事です。当たり前の行いの上に1日1つ例えば道路の塵を拾うとかそれが善なのだと。1日1善、満足した日々を過ごしながら自分自身を向上させることができる。開創886年。

おしなべて 老いも若きも
総持寺の 仏の誓い
   頼まぬはなし   


第23番 真言宗
応頂山 勝尾寺 本尊十一面千手観世音菩薩      大阪府箕面市

 此の勝尾寺は以前は難所のお寺だったと思われるが現在は箕面、茨木方面から道路は貫通しているが曲がりくねった山坂路を行く。此のお寺は神亀年間、義仲、義算という兄弟が此の地に庵を建てたのが始まりという。その後、光仁天皇の皇子開成が義仲、義算の仏弟子となり、大般若経600巻を書き写し、お堂を建て十一面観音をお祀りした。開成皇子は自ら薬師如来像を作彫、薬師堂を建てて安置したという。清和天皇が病気になり住職が病気平癒を祈願効験があり、天皇が帰依を受けて寺勢大いに榮へ寺名を弥勒寺から勝王寺、勝尾寺となったらしい。その後多くの功徳があった。現在の本堂は淀君が建立し十一面観音も同時代のものらしい。滝と紅葉で有名な箕面公園の上にあり山に配した伽藍となっていて山門を入り石段を登り上がると大きな本堂、多宝堂、大師堂、など老樹、大樹の中にある。山門前がバス停、開創727年。

重くとも 罪にはのりの
勝尾寺 仏を頼む
  身こそやすれど    


第24番 真言宗
雲山 中山寺 本尊 十一面観世音菩薩  兵庫県宝塚市
  阪急宝塚線中山駅から門前町の商店街を少し歩くと徳川家光公が建てたという山門に至る。山門から参道石段と行くが両側には堂、塔、仏院が多くある。此の参道は何時も参詣者で賑あっているが、若いお母さんと姑さんと思われるが赤ちゃんを抱いてお詣りの姿で華やいでいる。それもそのはず当寺は本邦随一の安産祈願の寺で安産祈願や安産お礼詣りの若い女性が多い。安産の「腹帯」を「鐘の緒」という。多田院荘の領主、源行綱の妻の不信心を寺の本尊様が戒められた古事を伝えられ「鐘の緒」は今も寺に保存され、女性の厳粛な喜びである出産の大役を果たせる様に安産を祈願し腹帯を授かり、安産の暁には新しい腹帯を奉納し、次の人がそれを授かる遠い昔から現在も続いており海外からの祈願者も多いという。明治天皇の聖母中山一位局が「鐘の緒」を受けられ明治天皇を平産された事が良く知られているという。開創604年。



野をもすぎ 里をもゆきて
中山の 寺へ詣るは
   後の世のため                      


外 真言宗
東光山 花山院菩提寺 本尊 薬師瑠璃光如来 兵庫県三田市

 JR福知山線三田駅、よりバス約20分車も近くまで行けるが以前は多分難所の一寺であったと思われる。阿弥陀ヶ峰といい、眺めが素晴らしい。御詠歌に詠われているとうりである。秀峰有馬富士は阿弥陀ヶ峰より低いが霧の朝など海に浮かぶ島の様に見えるという。その先に瀬戸内海が望める。西国33カ所の観音霊場中興の祖と仰がれる花山法皇、霊場再興を成し遂げ終焉の地を此処に定め終生仏道の修行に励み1008年2月当山で崩御されたのです。元慶寺、法起院と花山法皇縁のお寺を巡りて、花山法皇のお陰で札所巡りが今日こんなに盛んに行われている。
開創651年。
                                                                                             
有馬富士 ふもとの霧は
海に見て 波かと聞けば
  小野の松風 


第25番 天台宗
御嶽山 清水寺 本尊 十一面観世音菩薩  兵庫県社町

 御嶽山(みたけさん)清水寺は難所の一つに数えていたらしいが現在は標高500Mの境内まで車でいくことが出来る。別名5岳山とも言い5つの峰から形成されその中の本丸に清水寺は建っている。清水寺の名は、開山の法道仙人が、水神に祈願して清水が湧きだし其の名が付けられた、いわれがあるらしい。此処の冷泉は枯れる事は無く「お陰の井戸」と言い根本中道の左裏にある。推古帝の頃に、法道仙人が根本中道を建立し、11面観音を安置したことにはじまるらしい。行基上人、坂上田村麻呂、祗園女御、禅尼、後白河法皇、源頼朝などが数々の堂塔を建立したが明治から大正に火難で消失し昭和50年頃から再建されたと言う。心洗われる札所である。開創627年と言う。
あわれみや 普き門の
品々に なにおか波の
  ここに清水       
                                   雪の中の巡礼


第26番 天台宗
法華山 一乗寺 本尊 聖観世音菩薩  兵庫県加西市

  兵庫県加西市に位置し建築物の見学会やレクレーション会でも訪ね巡礼も二巡目です。古くて由緒あるよいお寺であるとは聞いておるしその通りでありましょう。JR姫路駅から路線バスで山間部を暫く走り山門前がバス停であるが本堂への石段が急で其の一段一段の高さが高いので冬でも汗ばむほど、途中に平安時代に造られたと言われる国宝の三重の塔や堂、堂々たる佇まいでである。上がり詰めた本堂、護摩堂、妙見堂、弁天堂何れも重要文化財に指定され、本堂内に祀られている聖観音立像などは奈良地代前期の仏像で重問。仏像画として聖徳太子像、天台高僧像などが国宝に指定されている。法華山の木立の中の寺がうつくしい。開祖649年

春は花 夏は橘 秋は菊
 何時も 妙なる 法の華山


27番 天台宗
書写山 圓教寺 本尊 六臂如意輪観世音菩薩     兵庫県姫路市

 西国観音霊場最西端、書写山は西の比叡山とも呼ばれているらしく信仰の山である。武蔵坊弁慶縁のこのお寺に弁慶が鬼若丸と呼ばれた7歳から10年間修行したと言われ、室町時代の義経記に記されているらしく、弁慶の遺品が今も遺されているという。以前は難所であったと思われるが今はJR姫路駅より路線バスで書写山下まで其処でロープウエイで中腹まで行き後は鶯の囀りを聞きながら山中を登。石垣の上に堂々たる壮大な舞台造りの摩尼殿、観音堂又は如意輪堂とも言うらしい。如意輪観音様が守り本尊である。急斜面な山坂中心的伽藍、食堂、大講堂、常行堂など何れも重文建造物豪壮で釈迦三尊祀られている。性空上人の開山で開創966年。

 はるばると 登れば 書写の 山おろし
  松の ひびきも 御法なるらむ


第28番 真言宗
成相山 成相寺 本尊 聖観世音菩薩      京都府宮津市

 山号と寺号が同じの成相山成相寺。貴方の悩みお願い何でも聞きましょうの成相寺。松島、宮島と並ぶ日本三景の一つ「天の橋立」3、6Kの帯の様な松林はさすが、ケーブルで上がると股覗きでお馴染みの「笠松山公園」試しに股覗きで観る天橋立は「まっこと」絶景。股覗きはあの「小野小町」が初めと言う。笠松山で用足し中橋立の絶景を発見したらしい。バスを乗り換え成相寺に向かうが、マイカーや貸し切りバスは参道が整備され驚く程の坂道を登り境内近くまで行ける。日本海の景観を楽しめる展望台もある。
 此のお寺については様々な書がある。一人の修行僧、真応上人が草寺で修行していたが雪が積もって食べ物を運べなくなり、餓死寸前、僧は観音様に命をつなぐ食を与え給えと祈り続け、目を堂外に移すと狼に傷付けられた鹿が倒れていた。此を食するは禁を破ると悩んだが、飢えには勝てず其の肉を食べてしまった。破戒の罪を犯した事を嘆き観音様にお詫びをしていた。やがて里人上がって来て食べ残しの肉を見ると檜を刻んだものであった。更によく見ると観音様の肩が削り取られていた。鹿の肉と思って食べたのは実は観音様であった。元通りになるよう祈ると里人の目前で元の観音様に成り相ったと言う。掛けた願が成り相うと言うので成相寺となり広く信仰を集めていると言う。704年開創。


波の音 松乃響きも
成相の 風吹き渡す
  天の橋立       


第29番 真言宗
青葉山 松尾寺 本尊 馬頭観世音菩薩      京都府舞鶴市

 丹後の宮津市成相寺から日本海の風景を眺めながら舞鶴に向かう。大戦後中国、ソ連から幾多の復員者、遺骨を迎えた舞鶴港。今日は帰るか、明日帰るかと息子の帰りを待ち通い続けた母、戦後歌謡界の名曲「岸壁の母」の舞台。以前からの軍港で肉じゃがの料理は此の軍のことらしい。肉じゃがは東郷元帥の大好物だったらしい。現在海上自衛隊の総監部があり数々の自衛艦の停泊を見ながら進み標識を見て松尾寺に行くが道が狭く注意がいる。大型車との離合には一際注意がいる。山間山頂近くで坂道を登と駐車場がある。列車バスは後はタクシーとなる。西国札所中、馬頭観音は此処一ケ寺。数々の古文化財があり養老年間に加賀の白山を開いた泰澄が来山し抄理大権現を山頂に祀ったのが奥の院。鳥羽天皇、美福門院が崇信、七堂伽藍と坊舎65を建立、寺領4000石寺勢は最高潮に達した。天文年間織田の兵火で消失、天正年間再建今の本堂は1730年修理されたものであるらしい。青葉山の中腹にあり山の高低を巧みに利用老樹、大樹の中にドッシリして有り難い。開創708年。

往昔は 幾代経ぬらん
便りをば 千歳もここに
  松乃尾の寺  


第30番 真言宗       
厳金山 宝厳寺 本尊 千手千眼観世音菩薩      滋賀県琵琶町

 西国札所中唯一船で行く日本最大の湖琵琶湖の竹生島。大津、長浜、彦根、海津大崎から定期船がある。此のお寺も数回訪ねたが、何回訪ねても情緒あるお詣りとなる。今回は暑い最中、彦根から船で凪ぎで鏡の様な湖面を40分で竹生島桟橋に着く、桟橋から数店のお店の前を抜けるといきなり167段の石段を登る。竹生島は周囲約2k、高さは120M。二股の竹から竹生島と呼ぶらしい。弁財天、宝厳寺、都久夫須麻神社など多く祀られ唐門、渡廊等国宝重要文化財など狭い斜面を利用して建てられている。開祖714年。難所の1寺と思われる。

月も日も 波間に浮かぶ
竹生島 船に宝を
 つむここちして     


31番 健康長寿母山
姨綺耶山 長命寺 本尊 千手十一面観世音菩薩   滋賀県近江八幡市

 水郷近江八幡を抜けて石段下まで来ると湖水が近くまで来ている。西国33カ所長命寺案内石柱から808段の石段を上がると本堂前に着く。覚悟を決めて掛からないと途中でへばる事になりそう。小型車であれば本堂近くの下まで行ける。本堂は12間4方、単層入母屋造り、檜皮葺、総朱塗りの堂々たる建物。国宝の千手十一面聖観音三尊をお祀りしてある。本堂の他数々の堂、塔、僧院があり大変立派なお寺、長い石段を登って長寿をお願いしたい。とにかく長生寺の歴史は古い天智天皇時代勅願所となり花山法皇の霊場復興の後源の頼朝が本堂、宝堂、護摩堂など再建したとある。暑い時期でも此処まで上がると涼を感じ清々しい。開祖91年

八千年や 柳に長き
命寺 運ぶ歩みの
 かざしなるらん      


第32番 単立寺
繖山 観音正寺本尊 千手千眼観世音菩薩      滋賀県安土町

 30番から難所続きの西国巡礼。西国札所の中には巡礼泣かせの札所がある。観音様は難所を設け巡礼に修練の場を与えて下さっているようで、巡礼を成し遂げた時本当の有り難さを感じるのであろうと思う。標高433M麓のバス停からは有に30分は掛かる。車は林道を抜け本堂近くまで行ける。聖徳太子が近江の国を遍歴中、葦の繁る湖の中から人魚が現れ、私は生前殺生をこととし、仏法を信じなかったため、このような姿になり果てました。何とか此の苦道からお救い下さい、と哀願するので聖徳太子が建てた寺が此の観音正寺であると言う。鎌倉から室町時代は寺勢大いに興隆子院も33院を数えたらしい。応仁、文明の乱以後戦国時代に戦乱に巻き込まれ消失、再建を繰り返し1606年教林坊、宗徳法橋が現在地に復興した。開祖605年。

あなとうと 導きたまえ
観音寺 遠き國より
 運ぶ歩みを    


第33番 天台宗
谷汲山 華厳寺 本尊 十一面観世音菩薩       岐阜県谷汲村

  西国巡礼最後満願の札所、1番和歌山県勝浦青岸渡寺からそう述べ巡礼幾キロに成るのかな、随分と昇り、下り歩き歩き巡ったのも満願の喜びです。此のお寺も3回のお詣りとなった。観光バス、自家用車、今度は列車を使った。大阪より新快速で米原、そして快速で大垣、養老鉄道で鴟尾、其処から路線バスで参道口まで、緩やかな広い参道を登、両脇には門前町の土産もの当地の物産、お詣り用品や仏具店、お休み食事処など一杯。仁王門を潜ると長い石段と成る。紅葉の時期で紅葉のトンネルを潜りながら本堂へと続く。
  以前の巡礼者は33カ所巡礼満願を祈念し左手の笈摺堂に着て廻った笈摺、菅笠、笈杖等を納め普通の生活に戻ったと言われるらしい。花山法皇の笈摺も伝わっており奉納された絵馬や千羽鶴で一杯である。奥州会津の大口大領という人が京都に来て11面観音を作らせ郷里に持ち帰る途中、谷汲で動かなくなり大領は此処を結縁の地として、此の地で修行中の豊前上人と共に一寺を建て観音様をお祀りしたのが始まりと言う。開祖798年。谷汲山の門前町はかなり長く門前町散策も楽しみ。かなり遠距離で度々のお詣りは叶わず、折角のお詣りは時間を取ってお詣りしたい。

世を照らす 仏の験し
ありければ まだ灯も
  消えぬなりけり

万世の 願いをここに
収めおく 水は苔より
   出る谷汲

今までは 親と頼みし
笈摺を 脱いで納むる
  美濃の谷汲  

        


番外 大日本仏法最初
荒陸山 四天王寺    大阪市天王寺区

  都会の中の古寺、聖徳太子が開かれたと言うからその歴史は遠くに及ぶ。JR・近鉄・地下鉄と駅に近く、大規模な境内に堂・塔が多いお寺で何時でも参詣者が多い。縁日には各駅から境内一杯の参詣者で賑やか。御詠歌にあるように法の初めの天王寺、幸せを運ぶ亀さんがお池に沢山泳いでいる。境内に高校も併設してあり子弟の教育も熱心なお寺の様です。
ありがたや 法のはじめの
天王寺 亀井に浮かぶ
  み仏の影     


八十八カ所お礼詣り   真言宗大本山
高野山 奥の院    和歌山県高野山

 空海、弘法大師開山、四国88カ所巡礼のお礼参りの御山。此の高野山金剛峯寺、奥の院など何回となくお詣り
した。古い杉木立の中の由緒ある歴史上の方々のお墓の中を奥の院まで進む。石道丸縁の刈萱堂、ず-と手前の女人堂など物語の中をお詣り巡拝する。

 
 有り難や 高野の山の 岩陰に
  大師は いまだ 在りしますらむ


3カ所お礼詣り   宗派以前のお寺

定額山 善光寺         長野県長野市
  其の昔から善光寺詣りは余りにも有名で一生に一度は伊勢詣りと共に善光寺詣りは一般庶民の願いであったようです。西国33カ所巡りでは最後のお礼参りのお寺となります。其の昔は相当に気合いを入れてお詣りされたと思われますが現 在交通機関が発達し気楽に行けます。もう団体の観光旅行や温泉巡りなど幾たびかお詣りした。何度お詣りしても有り難 さには変わりない。宗派が出来る以前からのお寺でその歴史は古い。無事満願出来たお礼詣りをして納める。

身はここに 心は信濃の
善光寺 導き給え
  御陀の浄土へ  

古道歌

 いにしえの 道を聞いても 唱えても
    我が 行いを せずば 甲斐無し 
                    
          道と言う 言葉に迷う ことなかれ
              朝夕 おのがなす 技と知れ


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