ひとし(290) 題名:青春紀行(13)フランス(1) 投稿日 : 2002年11月4日<月>17時10分

 
7時半に目が覚める。列車は緑の絨毯のような草地や可愛らしい家々、そしてポプラの木立が続く風景の中を疾駆する。フランスだ。とうとうフランスに来たのだ。
 外は雨がそぼ降っているようだが、そんなことは気にならない。昨日の日本人学生と一緒にビッフェに行きコーヒーを飲む。隣のテーブルは昨日、親切にしてくれた貿易会社の社長さんが2人でお茶を飲んでいる。
 森川氏の連れはギリシャのジャナリストらしい。自分は平和主義者、反文明主義者で。ひとりの日本人僧侶(原水爆反対運動をアピールすべくギリシャに来たある宗教使節の一員だったとの由)に深く影響をうけた、とそのジャナリストがはなしてくれた。佐藤某という名の僧が今、どうしているか知らないか。と聞かれたが無論、知る由がない。彼はほこにも興味深い話を聞かせてくれたのだが、そのような話題ではこちらに英語で応答するには能力がなく残念だった。
 
午前9時30分、「プエルタ・デル・ソル」はパリ。オーステルリッツに静かに滑り込んだ。列車の中で知り合った日本人学生のY君と一泊ツインに泊まることにして。両替後、ホテルを探す。
 メトロのブルバール・サン・ミシェル駅で降りてあたりのホテルを回ってみたが、何処も2つ星で高い。結局、3軒目のHOTEL[HOTEL LATIN]という
1つ星で手を打つことにした。朝食、バス付きツインで税込み146FR。まだ高いが彼に誘われて今日は贅沢をしようという気になった。
 
部屋で1時間ほど休んだ後、お見産げの買い物を先に済ませてしまおうと外に出かける。ホテルの近くのレストランで27FRの昼食(まことに安くて、美味しい)を取ってからシテ島へ。
 
はじめてみるノートルダム。感激はそれほど無い。愛読の森有正の著書であまりなれ親しんできただけに驚きがないのだ。このカテドラルを見る前から僕の中でノートルダムは一つの形を作りはじめてしまっていたといえるかも知れない。しかし、それは、あくまでも森の目を通してみた、そして森の思念によって抽象された。いわば森のノートルダムに過ぎない。僕は、この瞬間から自分の言葉であらわさねばならなくなった訳だ。
ひとし(291) 題名:青春紀行(14)フランス(2) 投稿日 : 2002年11月6日<水>17時17分

 今日は連れがいるのでゆっくり見るのは後回しにしてシテ島を通り抜けセーヌ右岸に沿って歩く。ルーブルの横を抜けてパレ・ド・ロワイヤルからサン・トノーレに入る。森川氏の紹介してくれた店はすぐ見つかった。日本人の店員が愛想よく応対してくれる。
 お土産にネクタイ2本、スカーフ1枚、コイン入れ1つ。キーホルダー1こを買い。3割近く値引きしてもらうことが出来た。森川氏に感謝。
 サン・トノーレからシャンゼリゼ通りに出てコンコルド広場を経てエトワールまでウインドウ・ショッピングしながら歩く。店頭に飾られた商品のすばらしさに、ついつい、いままでの倹約旅行を忘れ高級品に手を出したくなってしまう。
 ロンドンのリージェントストリートと並び、とにかく物欲を刺激するところだ。
 凱旋門の近くのカフェで1時間程過ごしてからエトワールからシャルル・ド・ゴール駅に出て地下鉄でプル・ミッシュ間で戻る。ホテルに帰って一休み。夕食はカルチェ・ラタンの学生たちがごったがえすとおりにあるギリシャ料理店でメニューを注文。野菜サラダ、メイン・デッシュ(黒鯛の焼いたもの)エビ、ポテト、ミートパイそれにコーラで60F一寸。
ホテルに帰る途中、街角で偶然知人旅行者に会う。近くのカフェでお互いの情報交換をしながらしばらく休んだ後、ホテルに戻る。風呂につかって就寝。
ひとし(294) 題名:青春紀行(15)フランス(3) 投稿日 : 2002年11月8日<金>07時26分

 ホテルの朝食はクロワッサンとフランスパン&カフェ・オ・レであった。クロワッサンの味はさすがとしか言いようが無い。新鮮なミルクと芳醇なバターの国ならではの味だ。
でもこの料金ではとても1週間居座るわけにはいかない。また、トイレに灯りがつかなかったり、シャワーの湯が悪い。という理由で結局別のホテルを探すことにする、
 今晩、夜行でドーバーを渡るというY君と別れ、ホテル捜しだ。
 リュー・デ・ゼコール、サン・ジャック・などをさんざん歩き回ったがどれも皆、シングル100F近い。どうしたものかと困っていると、通りがかったおじさんが声をかけてくる。“VOUS CHERCHEZ UNE BONNE HOTEL”(ホテルを捜しているのか?)当方、“OUI、MONSIEUS,JECHERCHE UNE HOTEL TREZCHERE”(ええ、安いところ捜しています)
 
いいところがあるよ、と教わった、そのホテルの名は(HOTEL DE COMMERCE)といい、サン・ジャック街の裏通りにあった。でっぷりと太ったおばさんと、やせて小柄な旦那が出てきて親切に応対してくれる。値段をきいてみるとなんと税込み、シャワーなしで37Fということなので、一も二もなく決定。チェックインは12時ということなので、それまでの間荷物を置かせてもらってノートル・ダムを見に行くことにした。
 近くで見るこのカテドラルはやっぱり素晴らしい。今まで見た教会の中で最も優美だ。
これにはウイーンのシュテフェン教会もミユンヘンのザンクトフラウエンもフィレンチェのドウオモも遠く及ばない。
ひとし(305) 題名:青春紀行(16)フランス4 投稿日 : 2002年11月14日<木>13時12分

 直線的な建築であるにも拘らず全体のフォルムは丸みを帯びて見える。その落ち着いた女性的な外観は僕の心を和やかにする。
「吾等が女性」という、その名が心よりうなずける。石で出来た建築で、このカテドラルぐらいやわらかなフォルムを持ったものを僕は知らない。
 中に入ると両脇の巨大な円形のヴュトロが目をひく。ガラス模様は幾何学的だ。礼拝堂で行われているブチ・メス(小ミサ)を30分ほど拝見した。神をもたぬ異端者たる僕にとってのこの体験の意味するものは何なのか、が問題となるだろう。一つ確かなことは、それが非常に美しいものに映った。、ということだ。
 ノートル・ダムの前にサン・ソプリンという小さな教会がある。おの内部の壁に書かれている言葉がとても美しく心ひかれた。
「COMME LE PERE MA AIME AUSSI JE VOOS AL AIME ,DEMEEUREZ EN MON
AMOUR (私の父が私を愛したように私も汝等を愛したのである。私の愛のうちに生きよ)」
聖書の1節であるがとても気に入った。これは神の言葉ではない。キリストという一人の人間のことばだ。どうにかして教会でオルガンを聞きたい。どこかでやっていないだろうか。
ひとし(308) 題名:青春紀行(17)・フランス5 投稿日 : 2002年11月16日<土>20時41分

 1時少し前にホテルに戻りブルバール・サン・ジェルマン沿いのセルフで昼食をとってからモンマルトルへ行くことにする。部屋はエレベーターのない5階の屋根裏、床は傾き壁ははげ落ちてあり値段がうなづける。
まさに僕にぴったりの場所だ。しかし、お湯はバッチリ出るし裏道りで静かだ。主人のおかみさんも一見、怖そうだが実に優しい。こんなところに1年か2年滞在してパリの空気を吸ってくらせば、さまざまな外部からの刺激に反応する自分というものの存在のありかたが見えてくるような気がする。ボードレーヌのパリ、ロートレアンのパリ、森有正のパリ……。
 昼食を終え地下鉄でモンマルトルに着いたのは3時過ぎ。暗くならないうちにサクレ・クールに足を速める。
 ゾラ・ハイネ・オフェンバッハ・スタンダール・ベルリオーズなどの眠るセメタリーからヌーラン・ド・ラ・ギャレット、ラバン・アジールとミシュランヲ片手に見て回る。坂の多い階段の街だ。町並みがなんともいえず、さびて美しい。ユトリロが心を引かれて、うろつき回った歩き小径を僕もたどる。
 自分の中のわけの判らない悲しさ、寂しさを表現するのにふさわしい」場所を求めて。
 ユトリロ、それにロートレック。この町並みを愛した画家たちの絵は、どれも深い哀しみを引きずっている。
(315) 題名:青春紀行(18)フランス6 投稿日 : 2002年11月21日<木>12時21分

 日が落ちる寸前にサクレ・クール寺院に着く。リュー・ド・リュスチィークから見る白亜のカテドラル。ユトリロがカンパスをおいたであろう場所に佇む。狭く、汚い露地と、その向うに神聖な姿をみせるサクレ・クール。苦しい現実の「生」の果てにある美しい「夢」。それこそユトリロがその絵を描きながら見つめていたものではあるまいか。いや、夢と限定し得ない、現実の彼岸にある願いや祈りみたいなもの、言い換えれば非現実、それがここから見るサクレ・クールの姿だ。
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題名:青春紀行(19)フランス7 投稿日 : 2002年11月21日<木>12時43分

 サン・ピエール教会からカテドラルを一周する。モンマルトル界隈はパリ郊外の小高い丘になっていて、そこからは市街が一望できる。テルトル広場ノカフェにはいる。シーズンオフで数は少ないがそれでも広場はカンパスで埋まっている。一時間半ほどカフェで手紙を書いたり、ポケッとしたりして過ごした後、丘を下る。
 クレープを食べながらアベニュー・ド・シシリーを歩く。ムーラン・ルージュ道傍に佇むびっくりするほど綺麗な娼婦。ちんばのロートレックにとってどれも自分には縁遠い世界であったに違いない。彼は自分を拒む世界を恨みはしない。ただ、悲しみを込めた目でみつめ、カンパスに表現する。孤独なちんばやアルコール中毒患者にとってこんなにさびしい場所はない。自分のそんな想いを表現したいがためにこの場所に魅きつけられる心をどうすることもできない。
 そんなことを考えていると僕も亦、この界隈から離れ難くなる。
 カルチィエ・ラタンに戻り58Fの夕食をとってから、タバ(煙草屋)でジタン二箱を買い、ホテルに戻る。
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ひとし(318) 題名:青春紀行(20)フランス8 投稿日 : 2002年11月25日<月>10時22分

 9時半起床。ホテルを出てサン・ジェルマン大通りに面したカフェでカフェ・オ・レとサンドウイッチ・アベック・ジャンボン(ハムサンド)の朝食。前の広場に出ているマルシェ(市場)をみながら、ゆっくり食べる。
 11時少し前にカフェを出てモンパルナスへ、サンジェルマン・デ・プレで降りて回るつもりだったが、途中でメトロに乗ってきた大道芸人の若いカップルの歌がすばらしかったさので一駅乗り過ごしてしまった。
 駅前の郵便局で昨日のはがきを出し終わると12時。それからブールデル美術館。
パッスール・インステイチューションと回ってSNCFの駅の近くでピザを食べる。
ナポリターマの入った少し生臭いもののなかなかいける。
 昼食を終え、セメテイエール・モンパルナス(モンパルナス大墓地)でボーd0レールの墓を見る。うっかりすると見落としてしまいそうな小さな質素なものだ。
(ボードレールよ、あなたを憂鬱にぢたこの街がいつか僕をも憂鬱にするときがあるだろうか)そんなことを考えながら手を合わせた、
 トウール(タワービル)を横目にみながら駅に戻り終点。近代的なビルやホテル、高層のアパルトメントが目に付いた。
 古い街のほうはあっさりとして静かだ。モンマルトルのような町並の美しさもない。これでも夜は面白いと聞いたのでもう一度夜に訪れてみたい。
題名:青春紀行(21)フランス(9) 投稿日 : 2002年11月27日<水>17時35分

メトロでサン・ジェルマン・・デ・プレ駅に戻り、サン・ジェルマン・・デ・プレ教会のカテドラルを見てからあたりをうろつく。ギャラリーがたくさんあって一軒、一軒回ってみるが興味がつきない。喉が渇いたのでカフェにはいって休憩してから、マルシュエ・サン・ジェルマン(サン・ジェルマン市場)オデオン座と見て回りリュクサンプール公園にただりついてまた一休み。公園を見渡せる広場の椅子に座り。ボンヤリと寛ぐ人々の姿を見ながらマルシェデ買ったオレンジを齧る。ここはパリの市街のなかで最も長閑な場所のひとつだ。(たくさんあるカフェの中も同じようなのかも知れないが)周りをみると僕の外にも椅子に座ってボンヤリ景色を眺めている人々がたくさんいる。それも若者だ。パリの人々は、いったん腰をおろすとなかなかそこを動こうとしないらしい。
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ひとし(328) 題名:青春紀行(22)フランス(10) 投稿日 : 2002年11月30日<土>10時51分

 サン・シュルピス教会で人々が賛美歌を歌い、夕べの祈りをささげているのを見るともなしにながめていた。こうした体験を積み重ねていくうちに自分がキリスト教にだんだん近づいているような気がする。
 ブルヴァール・サン・ジェルマンを歩いてカルチエ・フタンまで戻る。今日はだいぶ散在したので夕食はマクドナルドでとり、映画でもみようとカフェに入って時間をつぶしていると、急にミラボー橋が見たくなった。矢も盾もたまらず10時過ぎだというのにメトロに飛び乗る。
 ミラボー橋へはメトロで20分弱で到着。橋の上を何度も行ったり来たりしたり欄干にもたれたりしながら。しゃれ男アポリネールを気取ってみる。行きかう車の光が水面に映えて美しい。
 ”SOUS LE PONT DE MIRABEAU COURT LA SEINE . COURT NOTRE AMOUR………。”
 水は流れ、時は移ろう。ともに2度とは戻らない。音も無く流れる夜のセーヌ川を見つめながらアポリネールの姿を自分にダブらせて、しばらく橋の上で時を見送った。
ひとし(331) 題名:青春紀行(23)フランス11 投稿日 : 2002年12月1日<日>12時24分

 12時過ぎにホテルに戻ると玄関が閉まっている。呼び鈴をおしてみたが応答なし。どうなることかと途方に暮れてしまった。幸いホテルのあるブロックの隣が警察署になっているので、そこから出てきたおまわりさんに泣きついた。事情を話すと彼は笑った。「そりゃあ君、ドアをドンドン叩くしかないよ。」と冷たい返事。
 こうなったら、やるしかないと腹を据えて、なりふり構わず大声をだしてドアを叩くことしばし。やっとのことでおばさんが眠い目をこすりながらおきてきてくれた。
 ひたすら謝ったが怒りもせずやさしく肩を叩いてなぐさめてくれる。その暖かい思いやりが身にしみて嬉しかった。
 あとで思い出したのだが、ドアの隙間から手をっこめばロックに届いて外から開けられる、と最初に聞いていたのだ。頭に血が上ってそのことをすっかり忘れていたという次第。もうあのおばさんには頭が上がらない。
 明日はH君がパリに着く日だ。早起きしてサン・マルタ運河を見てから迎えにいくことにしているが、しっかりおきられるかどうか。
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ひとし(332) 題名:青春紀行(24)フランス12 投稿日 : 2002年12月2日<月>16時35分

8時30分起床。サン・マルタは諦めホテルを出て近くのカフェに寄ってカフェ・コンプレ(15F)の朝食を注文する。クロワッサンとトーストにたっぷりのジャムとバターが美味しい。
 朝食後、オーステルリッツに行きH君を迎える。彼も同じホテルに泊まることになった。一服してからH君に付き合って2度目の朝食を摂る。今度は向かいのカフェに入る。クロワッサン2コで13F。
 二人で相談の結果、雨も降っていることだし、ルーブルへ行って見ようということになった。地下鉄のルーブル駅では構内の壁にまで展示品が置かれてあり、さすが世界一の美術館であることを納得させられる。
(333) 題名:青春紀行(25)フランス!3 投稿日 : 2002年12月3日<火>09時07分

 ぐるっと3時間ほど見て回ったが目新しいものといえばフランスのロココ風の優美な絵画ぐらいのもので、他はあまり興味を引かない。しかし、フランスの中世絵画というのはイタリアルネッサンス、フランドル派などに比べ、いささか見劣りするような気がするわずかにアングル、ブラマンク、クーベルが目立った程度だった。それからフラゴナールの色使いは、印象派へのつながりを予感させて面白かった。
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334) 題名:青春紀行(26)フランス14 投稿日 : 2002年12月3日<火>09時33分

 三階のミレー、コローの等の部屋が工事でしまっていたので、そこそこにルーブルをあとにして印象派美術館へ向かう。
 ここは僕にとって見れば、ルーブルなどよりもはるかに価値の高い、まさに宝の美術館だ。僕の愛する画家たちの絵がこれほどまでに集まっている場所はほかに無い。
 建物は小さなギャラリー風で、その中に印象派、後期印象派はもちろんのこと、バルビゾン派、エコール・ド・パリの画家の作品までもが所狭しとぎっしりと詰まっている。
 ドガ、マネ、モネ、ルトール、セザンヌ、ルノアール、ユトリロ、ロートレッツーク、ゴッホ、ゴーギャン、シスレー、スーラ、ビサロ、ルソー等々。
 芸術的感動の洪水である。中でもモネ、マネ。ルノアールは圧巻。その他にも色彩を細かく分解したビサロやスーラの技法は印象派活動の行き着く所を示していたし、セザンヌの大胆な構成は野獣派の到来を予感させるものだある。
題名:青春紀行(27)フランス15 投稿日 : 2002年12月5日<木>16時21分

印象派の画家達はそれぞれが自分の感情を表現するにふさわしい固有の色を持っていることがわかる。ルノワールの絵のどこかしらに必ず使われている鮮烈でしかも限りなく優しい赤、モネの全体に漂う淡いピンク、シスレーの茶色っぽい白のもの寂しさ。セザンヌの青が表現する深く沈んだ理性と感情。そのいずれも画家たちが自分の内部を表現するべく、悩み苦しんだあげくたどりついたものであるからこそ、見るものに深い感銘を与えるのだ。
 5時に印象派美術館を出ると夕暮れは近い。セーヌの岸辺の散歩道をエッフェル搭までそぞろ歩く。15Fを出してエレベーターで2階の展望台に登って下りた。そこからエトワールに出て凱旋門を近くで眺めたあと、焼き栗をほおばりながらシャン・ゼリゼをしばし歩き、とおりに面したカフェで休む。メトロでサン・ミシェルに戻り”DYONISOS”というギリシャ料理店で31Fのメニューを食べホテルに戻った。11時30分になろうとしていた。
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(342) 題名:青春紀行(29)フランス17 投稿日 : 2002年12月9日<月>12時31分

ルビュブリックで昼食を採ってからメトロでバステイーユ広場へ。そしてマレー地区の古いホテル街を回る。崩れかけた石の壁が目に付く。堅固な石の建築物は永遠に残るように見えるが、それだけ一層その崩れたすがたは哀愁を帯びて胸に迫ってくる。朽ちていく人間の営為。それは過ぎ去った時間を目のあたりにしているようでもの悲しい。一つの建築に幾世代もの人々が生活し、そしてやがてその建物も朽ちて行く。にもかかわらず世代は時を越えて脈々と尽きることなく続く。
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(343) 題名:青春紀行(30)フランス18 投稿日 : 2002年12月9日<月>17時18分

 マレー界隈を彷徨った後、ボンビードセンターに立ち寄った。それはフランス人の独創力の豊かさをまざまざ見せ付けている建築だ。壁と柱のない建物。いや。建物と呼ぶのにためらいを覚える程この建築物は異常なのである。
しかしながら同じように異常であるとはいえ、この建築はバルセの聖家族教会と対照の位置にある。聖家族教会が与う限り機能を排除した純粋な自己表現であるとすれば、ボンビードセンターは機能を徹底して追及したところに生まれる表現なのだ。
 
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(344) 題名:青春紀行(31)フランス19 投稿日 : 2002年12月10日<火>09時31分

広場前のカフェで歩き回った後の疲れた体を休めていると、客の若者たちが唐突に訳の判らないパフォーマンスを始めた。見ていてもまったく理解できないが、こういう情景を自然に受け入れてしまっている自分に気が付く。日本にいたら考えられないことだ。パリの風土そのものが、こういった風潮を許容し、育んでいるのだ。
 4Fのギャラリーを一巡してピカソの複製画を買う。オーステルリッツにでて両替したあとホテルに帰り、シャワーを浴びてから夕食に出る。カルテイエ・ラタンの小さなピストロ風の店で食べたブラ・ド・ジュール(日替わりメニュー)はなかなかのものだった。
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345) 題名:青春紀行(32)フランス20 投稿日 : 2002年12月10日<火>10時03分

 8時少し前に起床。今日がパリの最終日だ。いつものカフェで朝食を食べてからホテルに戻って荷物を纏める。5日間滞在したばかりのこのホテルの屋根裏部屋だがとても愛着が感じられて立ち去り難い。この見知らぬ都会の片隅の部屋ですごしたひとりぼっちの孤独な時間を僕は一生忘れることはあるまい。そして、この部屋は僕が立ち去ったあとも亦、新しくこの都会にやってきたエトランゼたちに孤独な時間を提供し続けるのだろう。何かをもとめてパリに来て、何かを得て(あるいは失って)パリをいく人間が存在する限り永遠に。
 さて、HOTEL DE COMMERCE をチェックアウトしてからボルト・ド・クリニャンクールの蚤の市へ出かける。有名なこの市だが、行ってみると意外、そこは安物・半端物の露天のマーケットに過ぎない。これではたいした掘り出し物も見つかりそうもない。がっかりしてひと廻りしてからパリに引き返した。
ジュー・ド・ボム(印象派美術館)に寄って一昨日見た中で最も気に入ったモネとルノワールの複製を2点買ってからシャルル・ド・ゴール空港へ。ノール(北)駅からロワシー・レイルという名のSNCFで40分ほどで着く。
 パリを離れて北上する列車の窓からは、モンマルトルの丘のサクレ・クールが遠ざかりながらいつまでもその姿をみせていた。(まるでここを立ち去り難い僕の気持ちに応えるかのように。)
AU REVOIR,PARIS!いつか必ず又会おう。お互いの上に新しい時間を刻んだあとで。
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題名:青春紀行(33)フランス21 投稿日 : 2002年12月12日<木>09時18分

 空港に着くと思いがけないことが僕たちを待ち構えていた。一ヶ月前にロンドンで別れたきりのツアーの連中と再会し、無事を確かめあって喜んだのも束の間、イギリス国家公務員のストライキで飛行機が飛ばぬというのだ。旅行社の手配で急遽フェリーに変更しバスでカレーに向かうことになった。
 4時に空港を出発し。7時半カレー着。ドーバー行きのフェリーに大急ぎで乗り込んだが、今度はそのフェリーが故障で欠航となってしまった。
 皆駆け足でフォークストーン行きに乗り換えようやく一息。まったく何という日だ。フェリーのなかでは、それぞれの思い出話に花を咲かせる元気もなく一同グッタリ。
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題名:青春紀行(35)ロンドン1 投稿日 : 2002年12月12日<木>10時57分

 9時過ぎに隣のベッドのH君に起こされた。眠い。昨日一日の精神的・肉体的疲労がまだ体に重くのしかかっているようだ。が、今日も飛行機は飛ばず、ロンドンでの思わぬ一日がプレゼントされた。これを有効にすごさぬ手はない。ベッドから出るのを嫌がる肉体に鞭打って起きだし、下のコーヒーショップで約一ヶ月ぶりのメトロポールのコンチネンタル・ブレックファーストを味わう。
 ひと月前に食べた時は最高に美味しいと思ったクロワッサンであったが、やはりフランスの方が数段上のようだ。こうしてみると、フランスではクロワッサンを食べたりなかった。惜しい。
 外は雨、この一週間天気に恵まれない。だが、雨は好きだ。いそいそと街に出かけたくなる。11時頃ホテルを出てさてどうしたものか。見残したところを回ろうと思えばかなりある筈だが、そういう気持ちは全く起こらない。ここロンドンで一日ゆっくり過ごしてこの人月に感じたことを確かめて見ることにした。