鉄人になった音楽家
鉄人と言っても、「鉄人28号」ではありません。そうです、某テレビ局で放映されている番組の、あの「料理の鉄人」です。
[ジョアッキーノ・ロッシーニ]
・1792年〜1868年
・イタリア人
・父は管楽器奏者、母はソプラノ歌手という音楽一家 の一人息子として生まれる。
・幼い頃から音楽の英才教育を受けるが、当の本人 は父親の期待に反し、あまり音楽に関心を示さな かった。
・12〜13歳の頃には歌手として、ヴァイオリン奏者とし て、そしてハープシコード奏者として活躍していた。
・たくさんの器楽曲やオペラの作品を残していて、 今日でも親しまれている。
もしもベートーベンが28歳の時に高級レストランを開くためにピアノを売り払ったとしたらどうなったでしょうか。そうなれば、数々のピアノソナタも「運命」や「合唱」と言った交響曲も生まれることはなかったでしょう。そんな話は現実離れしたあり得ない話だと誰もが思うはずです。
しかし、ロッシーニはそれをやってくれたのです。
青天の霹靂(へきれき)
ロッシーニは21歳ですでに高給取りの有名な作曲家で、オペラや音楽ドラマを天才的に楽々と書き上げていました。熱狂的なロッシーニのファンが劇場の切符売り場で殴り合いをするほど、人々はこぞってロッシーニの作品を聞こうとしていました。パリでは音楽家として最高の地位である、イタリアオペラの指揮者という地位が与えられ、その他にたくさんの勲章や称号がたっぷりと与えられました。ですから、ロッシーニはヨーロッパの音楽史上において、明らかに天才的な人物なのです。彼の最高傑作である、《セビリアの理髪師》はたったの13日で仕上げています。そして、毎年6本の音楽ドラマと喜劇を作曲していました。
そんな天才作曲家ロッシーニは1829年、《ウイリアム・テル》の初演が大成功を納めた後、突然、いっさいの音楽活動から引退するという声明を発表しました。当然世間は大騒ぎです。色々な噂が飛び交い、不治の病、記憶喪失、悪魔の仕業などと言うデマまで飛び出したほどです。
当時ロッシーニは37歳です。ちょうど、人生の半ばに達した頃です。そして彼は残りの37年間でとびきりおいしい料理の傑作を作り上げようと思い立ったようです。実は、ロッシーニは作曲家としてだけではなく、グルメとしても知られていたのです。以降彼は、ボローニアでは豚の飼育とトリュフの専門家として活躍し、パリではプライベートな美食家用レストラン「グルメのための天国」を開きました。
たいてい彼は自分で客に料理の腕を振るいました。そして、音楽同様料理の世界でも彼はその天才的才能を発揮したのです。彼がパリで創り出した名物料理「ロッシーニ風トゥルネードー(牛のヒレ肉料理)」は現代にも伝えられています。なぜ、彼が指揮棒を包丁と替えたのか、なぜ聴衆よりも豚の方を愛したのか、それは今でも謎とされています。
謎を解く鍵
ロッシーニがすっぱりと音楽界から身を引いたのにはかなり意図的なものを感じます。つまり、後世に名を残すために、わざと絶頂期に引退したのではないかと思われます。それに、彼はグルメです。グルメはおいしい物をおいしい時に食べ、まずい物は食べません。彼の引退は緻密な計算によるものかもしれません。
ロッシーニは自分の音楽家としての人生でもっとも美味しい時に、そしてまずくなる前に引退したかったのではないでしょうか。
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