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私の好きな人物 2
京都府京田辺市に臨済宗大徳寺派の
酬恩庵(しゅうおんあん)と言う、お寺があります。
整然とした石畳の参道の奥に本堂 方丈 庫裏
唐門などが建ち並んで、禅寺らしい雰囲気がただよっている。
この寺は文永4年(1267)建立された(当時は妙勝寺と言った)
のですが、戦火で荒廃したこの寺を125年後(1456年)再建、
その時につけられたのが、師の恩に酬いると言う意味の酬恩庵です。
この再建を行ったのが今回の人物です。
現代流に言うと家庭の事情で七歳の時、
現在の京都四条大宮付近にあった安国寺に
小僧として、出され21歳の時、恩師と死別、
滋賀県石山まで師としたう僧を、
探して来たが、逢えず途方にくれ、
入水自殺を計る、その時、助けてくれた僧に誘われるがまま寺に、
着くと一杯のお茶を出してこう言った。
「ゆっくりとお飲みなさい」そういって出かけていった。
たった一杯のお茶で心が落ち着き休まることを感じその後、
この寺で修行した。修行の後、大阪府堺市の南宗寺の住職となった。
参詣者にお茶を振舞った。茶の湯の始まりであろう。
その後、この南宗寺では茶人千利休が、茶の湯の極意を確立した。
その後、京都大徳寺(1474年この和尚の再建)の住職となり
こしに乗って毎日通勤した。大徳寺では納豆を保存食として開発、
今では大徳寺納豆で有名との事です。堺の南宗寺で知り合った
盲目の美女、森女と77歳の時、酬恩庵で同居、南の庭は石の変わりに
サツキを植え、東の庭には16の石での16羅漢の庭があり、
北の庭には蓬莱山をかたどった、枯れ山水の庭と、その庭を眺めながら、
御門であれ将軍であれ、歯に絹を着せぬ言動と正義を一生涯貫き通した。
高僧として88歳までの長寿をまっとうしたそうです。
現在の住職の話によりますと酬恩庵境内の3本杉は現在2代目で、
初代3本杉は当時のみかどとマンガでも名前のでる進エ門と3人で
植えたとの記録があるそうです。
その初代3本杉では映画「大菩薩峠」の撮影も
行われたそうです。
この寺は俗に一休寺と呼ばれ、とんち話で
皆さんもおなじみの、 一休さんの寺として
親しまれております。 一休さんは小松天皇の
子供であったことが後で判明したため、
境内にある一休禅師のお墓は宮内庁の管理に
よるために遠くから 拝むしかありませんが、
一度皆さんも訪れてみてはいかがですか。
人間一休和尚に一歩でも近づくことお勧めします。