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住職の雑談(住職の我儘ページ) 平成23年11月25日一部更新 |
お寺に対する疑問や質問のうち、身近なことを載せました。
仏教の大事な教義のことは、多くの学者が書かれている本
を通して学んでください。学びたいと興味を持ってくれる
ことがこのコーナーの目的です。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
< 目 次 >
[1≫浄徳寺本堂での仏前結婚式 H23・11・3 写]
[2≫東日本大震災・大津波の災害について H23・11・25 記]
[3≫真宗高田派の特色 H22・4・16 一部追記]
○ 作家五木寛之さんと住職が対談したときの写真掲載
[4≫篤志面接委員の仕事 H22・4・16 一部追記]
[5≫親族が亡くなった時の、御葬儀までの手順]
[▽クリック!]
1≫ 檀家のご子息夫婦が浄徳寺本堂で仏前結婚式を執行しました。
○ 本堂で本尊に婚姻奉告のため式表白を住職が読み上げています。
○ 新郎新婦とその親族の結婚記念写真を本堂前で撮りました。
壇信徒で仏前結婚式のご希望の方は、住職までどうぞ!------
2≫ 東日本大震災・大津波の災害について H23・11・25 記
東日本大震災・大津波の災害について
愚僧は、宮城県仙台市生まれで、東京での4年間過ごしたのを抜くと30年間近く故郷
仙台で過ごしました。その後、関東に転勤となり10年間過ごした後、今から20年前に
当山浄徳寺住職就任の為に、伊勢の地に住み現在に至っています。岩手県、宮城県、福島
県は、記録の残っている江戸時代から現在までかなり多くの災害を受けています。-------
宮城県の資料から見ても、震度4以上の地震は、平成20年6月震度6強(M7.2)、同年
7月震度5強(M6.8)、昭和53年2月震度4(M6.7)、震度5(M7.4)、昭和36年、39
年、38年に震度6、昭和35年震度7(M8.5)等が自分自身の体験として残っています。
地震大国といわれている日本の中でも群を抜いた地震地域といっていいと思います。------
江戸時代からの資料から見て、災害の大きいところは、新興住宅地が中心で、旧来からの
地域での災害は少ないようです。古来から日本では、地震との付き合い方を知っていたのか、
地震の強い地盤の所に生活拠点を実体験から作ってあったのでしょう。これこそ、先人の知
恵で生き残ってきたのだと思います。 -------------------------------------------
海岸線でも、海辺に家を造るようになったのは現代になってからで、それまでは漁業の作
業小屋というべき番屋を海辺に造り、実生活は米、野菜栽培が行われる、高台に生活拠点が
あり津波をいつでも受ける状態で生活していたのです。---------------------------------
近代は合理化、簡素化そして時間の無駄を嫌います。そのことは地震との付き合いをやめ
ることにつながります。しかし、津波の想定をその時の基準よりもかなり高く想定して堤防
を作った三陸の町がメデアで紹介されていました。-------------------------------------
つまりは、津波や地震の自然災害には想定など出来ないことを知らなくてはなりません。
安全性は基準等で定められるものではありません。また、法律は国民の生命財産を守ると思
っている方が大半だと思いますが、法律は日本全体の基準ですので、一部の地域が災害を受
けても全体を重視し一部の地域だけを守るというは少ないことも、知らなくてはなりません。
科学の不確実性に触れてみます。原子力発電所の災害について大阪大学の小林教授が発表
された、科学の不確実性というリポートを読んでみて、今まで同じような考え方が自分たち
にもわかっていたのですが、能力の違いで言葉にできないことを、的確に文字にあらわして
くれています。それは、科学は従来不確実性もので、科学の進歩の為に、安全性などを後付
けで考えるだけで、社会に送り出しているというのです。-------------------------------
原子力発電も同様で、資源の乏しい我が国で社会が要求している電力を、不確実ながら効
率性の良い原子力発電事業推進のために、とりあえず東海村で実験的にやり始めて、安定供
給のめどがついた段階で、全国に原子力発電所を造ってきたのです。そこには、当然安全性
は後付けですから、想定も甘くなるわけで、古文書等に書かれている何百年前の地震の経緯
等は、科学の進歩の前に無視することになります。 ---------------------------------
今回の地震津波は想定外ではなく、古文書を紐解けば想定内の災害であったと思います。
科学の進歩を取りますか、不便でも安心した生活を取りますかと、今回の災害を通じて、私
達につきつけられているような気がします。 ---------------------------------
このことは、原子力事業ばかりではなく、科学の進歩優先ということで、水俣病、四日市
喘息等公害問題を造り出してきました。そこには人間の生活を無視することによって、日本
は近代日本を構築してきたのです。医学の面でも同様なことが考えられます。医学の進歩は
人間の長年の夢とでもいいますが、人間はいつかは死ぬ運命を持って生きてます。---------
死は煩悩の根幹でもあると思います。病気にならないで、死ぬ定めを少しでも長引かせた
いということが医学の進歩でかなうような気持ちになるのは当然だと思います。しかし、科
学の不確実性と同様、医学も不確実性を持っていることに気づかなければなりません。どん
な難病を抱えても、何にも問題のない身体を持っていても、全ての人間は死をまぬがれるこ
とは出来ないのです。---------------------------------------------------------------
3≫真宗高田派の特色 H22・4・16 一部追記
住職が本山執事・高田派総務のとき、作家の五木寛之さんの百寺巡礼
「滋賀・東海」第4巻の取材で「念仏する心という原点」という題で、
五木さんと住職が対談したときの写真です。この対談内容は関東圏の
フジテレビBSで放映されました。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
根本道場下野本寺と一光三尊佛 高田教団が下野高田の如来堂を中心として起こっ
たことは皆さん高田門徒の方はご存知ですが、如来堂はやがて高田専修寺として寺院威
容をととのえました。寛政六年(1465)第十代中興真慧上人が教腺強化のため本山
を伊勢の国一身田に移されるに際し、下野の専修寺(せんじゅじ)を本寺(ほんじ)と
呼んで本山と区別することになりました。下野の本寺は、聖人の御在世の昔を最もよく
伝える聖域として、昭和42年、国の史跡に指定されましたが、古くから真宗の根本道
場と言われ、全真宗念仏門徒の故郷であります。こうした聖人直接の御旧跡を護持して
いるのは高田のみであり、根本教団の威光を輝かせています。 この本寺の如来堂に安
置する本尊は、聖人の夢に現れて長野の善光寺から貰い受けたと伝える一光三尊佛であ
ります。聖人が自ら親しく御恭敬あそばした尊像として現存唯一のものであり、永く秘
仏として扉を閉ざされていましたが、第17代円猷上人の時代になって初めて本山に出
開帳され、爾来17年目毎に出開帳を仰ぐことになりました。そもそも真宗の御本尊は
観無量寿経の「住立空中」の仏にたかどったものと言われていますが、そこに見えてい
るのは正しく三尊佛でありまして、弥陀一仏といっても、阿弥陀仏の右手が慈悲(観音)
を、左手が智慧(勢至)をあらわしていることから、逆に阿弥陀仏一仏が三尊佛をあら
わしているともいえるのであります。聖人みずから御恭敬あそばした御本尊が三尊佛で
あることは、このように見てきますとむしろ自然なことであります。私達は一光三尊佛
の中に、聖人の深い願行を仰がずにはいられないのであります。 〜〜〜〜〜〜
「念仏高田」と高田門徒は呼ばれてきました。その言葉に示されているように、信行
具足の念仏重視の傾向であります。今日の真宗教団に、称名念仏を信後の報謝行として、
信心の蔭に追いやろうとする傾向があります。それは高田の宗風にそぐわないところな
のです。それは親鸞聖人のお心にそぐわないことと考えます。聖人は「教行証文類」に
も行文類の次に信文類を次第せられており、御和讃にも「弥陀の名号となえつつ 信心
まことに得る人は 憶念の心つねにして 佛恩報ずる思いあり」とし、まず念仏を称え
るということがあって信が展開するのです。高田の宗義は、この行信のお心を正しく相
続してきたのです。従来、高田の宗義をけなして「半鎮半台」と言われてきました。こ
れは、高田は半分は浄土宗鎮西派で半分は天台宗の自力念仏宗だという意味です。しか
しながらこれは、念仏重視の宗風を表面的に受け取って非難したものなのでしょうが、
むしろ、こういう非難こそが、念仏を置き去りにして、真宗教団の衰弱化を進めます。
4≫ 篤志面接委員の仕事 H22・4・1 一部追記
現在の私の仕事となっている、篤志面接委員という仕事をご紹介致します。この仕事は
法務省を退職し浄徳寺住職となったわけですけれど、その翌年に以前の上司が法務省名古
屋矯正管区長として赴任してきて、三重刑務所の篤志面接委員の就任を請われ、平成5年
からその職についています。篤志面接委員の仕事は全国の矯正施設(刑務所、少年院等)
の受刑者や少年院在院者等の改善更生と社会復帰を図るために,各種の処遇・教育が行わ
れていますが、これらの人々の抱える問題は、現代社会の状況を反映して複雑で多様であ
るため、公務員である矯正職員の力だけでは十分対応できない場合には、専門的知識や豊
富な経験を持つ民間の篤志家の協力を得る必要があります。そこで、篤志面接委員制度が
設けられ、法務省から委嘱を受けた篤志面接委員が受刑者や少年院在院者等の改善更生の
ために様々な奉仕活動を行っているいるのです。私の三重刑務所での仕事は、仮釈放(受
刑成績優秀者を刑期終了前に仮に釈放する制度)者の出所前に社会に出た時の心得、現社
会の状況などを講話形式で教育活動を行っているのですが、最近の傾向では、現在の社会
の不況などで、社会そのものの就業率が低いこともあるのですが、釈放後の就職が90パ
ーセント近く決まっていないことです。これでは再犯を促すこととなってしまいます。本
来は、刑務所に任せて、社会復帰するのではなく、社会全体が社会復帰させるといった行
動をおこさなければ、本来の社会復帰は実現しないのです。受刑収容者は、社会が生み出
したものなのですから、単に社会から隔離しておけば良いという事にはなりません。犯罪を
生み出した社会が手を伸ばすことが、犯罪者を社会に復帰させる大きな力となりうるのです。
21年の暮に名古屋テレビの番組UP!で篤志面接委員活動状況を取り上げていただき、受
刑者に民謡を指導している先生と愚僧が取り組んでいる仮釈放前教育の講義中の様子が放映
されました。犯罪者を憎む前に、犯罪そのものは社会も生み出す因を持っているわけですか
ら、犯罪を憎んでも、犯罪者も犠牲者の一人であることも知って欲しいし、このを興味本位
ではなく、身近なものとして捕らえて欲しいと思っています。受刑者の釈放後の仕事が本当
に無い状態が続いています。このテレビ放映から社会がもっと人間と犯罪に対して関心を持
って欲しいとの願いが通じてくれればいいと願っています。-----------------------------
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