| 1333〜1573 | 室町時代末期頃 | 熊野神社(東熊野)が勧請され 別当寺として常楽院が草創されたと推察される |
| 1559 | 永禄2年 | 『小田原衆所領役帳』に前野村の記載あり。 上杉謙信軍 小田原城を攻め途上の諸寺院を焼く この時常楽院も焼き払われたと思われる。 |
| 1590 | 天正18年 | 後北条氏亡ぶ。徳川家康江戸へ入部する。 |
| 1592 | 文禄元年 | 前野村 高田直政の知行地となる。 |
| 1603 | 慶長8年 | 家康 江戸幕府を開く。 |
| 1624〜1643 | 寛永年中 | 幕府の基盤固まる。 この頃 権大僧都賢鏡 常楽院を中興す。 |
| 1670 | 寛文10年 | 4月21日 賢鏡 逆修(生前に自分のために仏事を 修して死後の冥福を祈ること)のため墓碑を建立。 |
| 1680 | 延宝8年 | 2月21日 賢鏡 示寂 |
| 1688〜1703 | 元禄年中 | 庶民生活も安定し 物見遊山を兼ねた寺社詣でが盛んになる。 |
| 1716 | 享保元年 | 徳川吉宗「享保の大改革」を行い 農民への圧迫が激しくなる。 大飢饉が諸国を襲い 多数の餓死者を出すまでになる。 |
| 1726 | 享保11年 | 六世良融(りょうゆう)梵鐘鋳造す。 2月26日 馬頭観音造立 |
| 1736 | 天文元年 | 見送地蔵尊造立。 この頃より宝暦年中(〜1763)頃までの間に 八世栄道(えいどう) 慈猛流(じみょうりゅう)を継承。栄道を法流開基と称す。(この頃から常楽院の寺運が隆盛す) |
| 1766 | 明和3年 | 12月13日 栄道示寂 |
| 1776 | 安永5年 | 2月 巡行地蔵尊造立 |
| 1796 | 寛政8年 | 4月 九世常明 東熊野神社の鳥居を建立 |
| 1850 | 嘉永3年 | 13世光専 西熊野神社の狛犬を造立 |
| 1868 | 慶応4年 | 江戸幕府滅ぶ。神社分離令により東西熊野神社の別当職を解かれる。廃仏毀釈(神と仏の混合が否定され 仏法を廃止し釈迦の教えを棄却仏像や経巻が焼き払われる)運動が起こる。常楽院は宗教活動にまで支障をきたす状態に陥るが檀家77軒が14世興賢和尚のもとに結集し寺門を支え続けた。 |
| 1872 | 明治5年 | 14世興賢 「本末一派寺院明細帳」を提出 山号を清涼山と記している。 |
| 1877 | 明治10年 | 15世賢隆 「寺院明細簿」を提出。境内に中仙小学校開設 |
| 1916 | 大正5年 | 18世良澄 |
| 1919 | 大正8年 | 子育地蔵尊造立 |
| 1938 | 昭和13年 | 境内および周辺一帯より多数の土器が発掘される。 前野町式土器と称す。20世聖真これを収集展示す。 このことから俗に「土器寺」と呼ばれる。 |
| 1957 | 昭和32年 | 平和地蔵尊造立 |
| 1967 | 昭和42年 | 20世聖真 伝灯大阿闍梨耶大僧正 示寂 |
| 1974 | 昭和49年 | 21世大樹 本堂・庫裏・書院を改築 |
| 1984 | 昭和59年 | 弘法大師1150年遠忌法要 |
| 1989 | 平成2年 | 墓地・山門・塀の大改修 |
| 1990 | 平成3年 | 幼稚園舎新築落成大法要 |
| 1991 | 平成4年 | 21世大樹 伝灯大阿闍梨大僧正 示寂 22世祐弘住職就任 |