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このページでは彫刻家・田中等および宮崎の彫刻に関する最新情報をお届けします。

過去の日記

2012    1-2    3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2011    1-2    3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2010    1-2    3-4    5-6   7-8   9-10   11-12

2009   1-2   3-4    5-6   7-8   9-10   11-12


2012 2月29日(火)

☆朝のうちは曇天だったが、じきに雲が切れて晴れとなった。

日中はとても陽射しが熱く、Tシャツ一枚でも過ごせそうなほど。

作業場ではホーホケキョも鳴きわたって、もうすっかりの春気分であった。

夕刻からは再び黒い雲に覆われてくる。

関東は逆に雪だったようだが、以前はこの時期には必ず3年ごとに寒の戻りの大雪があった。

自然のリズムが崩れていないということに、ほっとさせられる。

☆今日は高鍋では三度地震があったようだ。

一度目は午前1時20分頃で震度2、二度目は午前2時10分頃に高鍋と川南だけで震度1。深酒をしてぐっすり眠っていたのでまったく気がつ

かなかった。

そして三度目は夜の7時33分頃に震度1。夕食の準備中だったはずだが、こちらもまったく気がつかなかった。

☆今日は閏日だが、うるう年といえばその昔、父が墓石店は4年に1度不況が来ると言っていたのを思い出した。

うるう年に墓を建てるのは良くないという迷信があったので、うるう年には墓の注文が減っていたからである。

ネットで調べてみると、地方によってはまだこの迷信が生きていて、うるう年には墓を建てない傾向があるようだ。

なぜうるう年に墓を建ててはいけないか、というと、昔はうるう年は他の年より1日多いので13ヶ月と計算され、例年より1月多いので贅沢は

控えよう、高価な出費となる墓は建てない様にしよう、ということだったらしい。

☆一日、墓碑マケット制作。

☆ブログの容量が倍にUPされたので、当分は今のブログが使えそうだが、画像をアップロードしようとしてもサーバーブラウザーが表示され

ない。

多分、システムの障害が起きているのだろう。


2月28日(火)

☆お昼過ぎまではどんよりとした重い曇天。

とても冷え込んだ。

午後から雨。夕刻からは本降りとなる。

☆午前は特定健康診査。いわゆるメタボ検査。

今日は血圧が異常に低くて問診の医者も看護士も首をひねるばかり。

医者は、血圧は心配することはないですね、というし、看護士は薬が強すぎるのでは、という。

腹回りは86だったので、異論の多いメタボ基準が85cmのままだったら、またメタボと診断される。

☆午後から墓碑マケット制作。

雨が降り始めたので、工場の中で作業する。

☆今夜は仲町公民館の庚申講。

雨が本格的になった中、正装して夕刻6時に火産霊神社境内の庚申碑に参拝。

引き続き今年の講宿の岩崎氏宅(津久見屋果実店)に移り、私の作った仲町庚申碑にお神酒を注ぎ、家内安全、商売繁盛、そしてお互い

の健康を祈念し、お神酒を回し飲みして会食。

仲町では講宿での会食は、刺身・酢の物・煮豆の3品を定めている。

講宿の岩崎邸は本来は昨年が講宿だったのだが、道路拡張での新築が今年になったので順を入れ替えての当番となった。

したがって今夜の庚申講は岩崎邸の新築祝いをも兼ねていた。

☆講宿での会食から2次会の”たかなべギョーザ”に座を移して、本格的な宴を持った。


2月27日(月)

☆今朝は久しぶりに冷え込んでフロントガラスが氷結。

しかし快晴の一日で、陽射しはとても暖かく、野辺の緑や草花に春を感じる。

夕刻からは雲が多くなってきた。天候は下り坂のようである。

☆墓碑のプラン作成が一段落したので、ようやくデスクワークから開放されて、久しぶりに作業場へ出かける。

早速今日から墓碑のマケット制作にかかる。

手のひらサイズのものを作るはずだったのだが、デスクワークが長引いて空港展の作品や他のグループ展に出品する作品を作る暇がなく

なったので、この墓碑マケットを空港展出品作品として作ることにした。

☆やはりトルコのDenizliシンポジウム担当者は、2009Antalyaに採用されたプランは、すでにトルコで作られた作品なので私たちは他の異な

ったタイプのシリーズ作品をあなたに求めた、と言ってきた。

それで、この作品はまだどこでも拡大制作されていないが、一度トルコのシンポジウムで採用されたことのあるプランを望まないのならば、

私はあなたたちの要求に応じる旨、返信する。

2009Antalyaと同系列の縦長の”The door of the wind”シリーズの作品を2点、参考に送っていたのだが、どちらも良いと言ってきたので、こ

れらをミックスしたプランをあらたに作成することになるか。

☆一方、Niyaziがオルガナイザーを務めるシンポジウムは、今日は特定の作家指名であなたたちのプランを送って欲しい、と言ってきた。

ん、どういうことか?


2月26日(日)

☆午前のうちは洗濯物が干せたが、午後からはどんよりとした寒々しい曇天となった。

夕暮れからは小雨となり、かなり冷え込んできた。

☆昨夜は夕食後から歯が浮いてきて、案の定、夜中になって痛烈に歯が痛くなって眠れなくなった。

視察研修が長距離移動だったので腰に来てしまって、腰の痛みが背中から首筋までバンバンに張ってきている。

最近は肩が懲りすぎるとこうして歯に来る。

夜中はずっと首筋を揉み解しながらまどろんだ。

起きて、首筋にシップを張ったらなんとか食事が摂れるくらいに治まってきた。

☆墓碑の実施図面の残りを3枚描く。

今日は休日だが、午後に石販店に見積もり依頼と発注依頼のメールを図面添付で送信しておいた。

明日一番に打ち合わせができるであろう。

☆先日、シリアのダマスカスでの木彫のシンポジウム案内が来ていた。

メディアの報道から察するとシリアは大混乱状態に見えるが、実際は騒動が起きているのは一部の区域で、そうでないところはまったく通常

なのではないかと思う。

日本でも1年前の大震災と原発事故は、海外の人にとっては日本中が津波と原発事故による放射能汚染に見舞われたと思い込んだのと同

じである。

それでFacebookでシリアのアクタムのページを開いてみたら、私と共通の友人たちがやはり心配してコメントを送っているが、ごく最近のアク

タムからの返信コメントは”Hello My friend we are good in Damscus......everything is well.”というものや、”thank you My friend .......hope to

see you soon in Damascus........
”といったものである。

やはりダマスカスはまったく平常なのである。

国際シンポジウムが開催できるほどなのだ。

日本の新聞記事報道を鵜呑みにしてはいけない。


2月25日(土)

☆夜中から小雨。暖かい朝。

9時過ぎには雨脚も止まり、午後半ばまでは陽射しも出て小康状態が続いた。

夕刻から再び小雨。

☆幸い、2日目の元気市の間は雨があがってくれたようだ。

(まちなか情報局 高鍋まちなか元気市最終日

☆トルコのDenizliシンポジウムから、制作する作品はもうひとつのプランが好いといってきた。

ただし、プランを少しアレンジして欲しいということ。

変更になったプランは2009Antalyaに最終選考されたもので(2009高松トリエンナーレと重なったので参加をキャンセル)、同じトルコのシン

ポジウムに採用されたプランなので、そのままでは・・・・ということのようだ。

☆墓碑の最終プランが確定したので、最終的な実施図面を描く。

これで来週頭には石販店へ石材の発注ができる。

☆午後に妻と宮崎市へ出て、カイロプラクティックの技術習得無料説明会に出かける。

妻がひどい肩こり、ストレート首等で毎晩マッサージをさせられるし、海外シンポジウムに行くと必ず参加作家たちにマッサージをせがまれる

ので、きちんと勉強して資格を取ったほうがよいのではと思う。

(もっとも、カイロプラクティックは骨の矯正でマッサージではないが)

☆帰路にアートスペース”色空”に寄る。


2月24日(金)

☆天気予報では晴れマークだったが、昼近く前までは曇天。

雲が切れても風が出て寒かった。

お昼には風も止んで暖かくなったが、午後からは再び雲が出て、夕刻からは冷え込んでくる。

☆一日、この日記の研修旅行の報告部記載。

☆昼前に今日と明日開催の元気市に顔を出す。

新聞効果で前回よりも人出が多かった。

人気はなんと言っても焼き牡蠣だが、天然もので圧倒的に採取量が制限されているので、今日も1時間半で完売。

(まちなか情報局  高鍋まちなか元気市初日


2月23日(木)

☆朝方まで本格的な雨だったが、次第に雨脚が弱くなって、午前10時くらいには雲が切れて青空が広がってきた。

気温も上昇して、とても暖かい一日となった。

晴れても雲は多く、すっきりとした青空にはならず。

☆ブログの容量が制限いっぱいになって画像のアップロードができなくなった。

サーバーに問い合わせたら、28日にシステム移行して、容量制限のUPが行われる予定だということ。

「宮崎の現代彫刻展」HPもブログと同じサーバーなのだが、暮れに同じようにシステムの移行があってから、なぜかファイルのアップロード

ができなくなってしまった。

FTPの転送設定は間違いないのに、アップロードできない原因がわからない。

☆視察研修初日の”黒壁”の画像までがUPできたので、Facebookへ投稿したらAntonellaからコメントが届いた。

”Always working for your town, it is good that an artist brings his toughts in the community! ”

(いつもあなたの町のために働いているのね、アーティストが地域の中に彼の思いを導入するのはとても好いことよ!)

それで、明日から開催される高鍋まちなか元気市のチラシにあかりモニュメントの写真が使われているので、彼女のサイトに投稿してあげ

る。

☆夜は火産霊神社修築委員会。

☆修築委員会を終えて部屋を出ると、隣の部屋でロータリークラブの例会が行われており、ロビーで黒木・商工会頭が一服しておられたの

で、今回の視察旅行の報告をする。

一緒に一服しながら談笑されていたのが、現在、まちなか物産館(仮称)として空き店舗を修復作業をされている岩切建設社長とその空き

店舗のオーナーである岩村氏だったので、視察研修中に提言のあったPetreのあかりモニュメントのまちなか物産館敷地への移動の提案

の話をする。

三方とも理解を示していただいた。

黒木会頭も、やはり1点集中してまちなみ景観形成をやったほうが効果的だということであった。

長浜のまちづくりは四つ角の”黒壁”から始まった。

高鍋町商店街も四つ角に建つまちなか物産館、津久見屋果実店、そしてこれから改築される宮崎銀行(県内では初めて高鍋の城下町にあ

わせた建物になる)の新しい建造物の作る景観が、これからの商店街再生の顔になる。

この四つ角に集中して、あかりプロジェクト・のれんプロジェクト・町屋プロジェクトによるまちなみ空間をまず作り出す必要がある。


2月22日(水)

☆研修3日目。

9時30分に新宿駅を発ち、新幹線で長野駅へ。

長野駅のコインロッカーに荷物を預けて駅前に出ると、快晴の好い天気でまったく寒くない。雪は何処にもない。

長野へ来たのは、高校2年のときに全日本学生キャンプで”カヤの平”へ来て以来である。

☆長野電鉄に乗り換えて最終視察地の小布施町へ向かう。

小布施に近づくと野山に雪が残り、駅から降り立つと道沿いには雪が残っていた。

しかしまったく寒くない。むしろ陽射しが暑い。

来る前に、ネットで今週の小布施の天気予報を調べたら、今日は最高で3,4度、最低でマイナス5,6度とあったのでハルピン並みの防寒準

備をしてきたのでまったくの肩透かしであった。

☆小布施ではまちづくり株式会社、”ア・ラ・小布施”の関さんが出迎えて下さった。

小布施の町並みを細かく案内していただいた後、寄り付き料理”蔵部”で昼食を摂りながら、小布施のまちづくりと”ア・ラ・小布施”の活動に

ついてお話をしていただく。

☆関さんは町議をしておられ、急に議会が入ったからと、途中から活動を共にされている役場職員の青年に交代してお話を伺う。

☆小布施も長浜同様に、前・小布施堂社長で現・小布施町長の市村良三氏という観光カリスマを中心にしたまちづくりで成功した事例であ

る。

だがここでも共通していたのは、まちづくり株式会社の”ア・ラ・小布施”は補助金を受けず、出資者による資本金確保と、「小布施方式」と呼

ばれるイベントの運営やさまざまな事業運営で独立採算制で運営されている。

そしてまちづくりには歴史財産と文化が核となっている。

町内の商店の多くにはギャラリーがあり、絵画や現代彫刻が展示されている。

☆さらに長浜と小布施に共通しているのは、観光化のためのまちづくりではなく、自分の住んでいる町を楽しく住みやすいものにしようと言う

住民自身の幸福感のためのまちづくりであることだ。

それが結果的に多くの観光客を呼び込んでいる。

☆町並みの景観保全も、出発は道路沿いの商店のものではなかったという。

以前の商店は住居と繋がっており、住居同士も密着して非常に風通しの悪い環境だった。

加えて交通の発達によって、道路沿いの家は車の騒音に悩まされるようになった。

それで店と住居を切り離し、住居を風通しが良く車の騒音の届かない奥の位置にずらし、その費用に対しての補助事業として行われたのだ

という。

それが結果的に商店の景観事業につながり、家が奥へ引っ込んで空いた空き地に新しい外からの店舗が入って景観に合った店構えをす

るようになって、今の町並み景観が作られてきたのだという。

出発はあくまでも、住民の住環境を好環境にするためのものであったということ。

☆やはり小布施でもまちづくりへの根本的な姿勢について学ぶことが多かった。

まちづくり株式会社の事業運営についても学べることが多くあった。

☆滞在時間は短く、慌しく15:07発の長野電鉄で小布施を後にする

長野から新幹線に乗り、羽田空港へ。

19:05発のJAL最終便で宮崎へ。

宮崎は小雨模様であった。

☆今回の視察研修は移動時間の長いハードなものだったが、私たちの活性化事業の方向性が決して間違った方向ではないことを確認させ

てくれたと思う。

もちろん、4月からの自主独立に向けての資金確保等の問題は非常にハードルが高い。

知恵を出し合っての議論が必要であろう。

☆この旅行中、朝食はコンビニで買ったものを新幹線の中で食べるといったものだったので、血圧の薬を飲むタイミングを失っていた。

それで羽田空港へ着いたころから非常に頭が重くなって気分が悪くなってきた。

帰宅して血圧を測ると、やはりすごい数値!


2月21日(火)

☆穏やかな快晴の一日。

☆視察研修2日目。

8時31分の電車で長浜を発ち、米原で8時54分の新幹線に乗り換える。

10時34分に小田原駅着。

☆今日の視察前半は、4月から自主独立採算で運営をしてかなければならないまちなか商業活性化の運営についての学習で、昨年度にま

ちなか会社を立ち上げた”合同会社 まち元気小田原”への研修。

☆代表社員の中戸川氏に、資金調達の詳細や事業内容についてお話しいただいた。

☆小田原駅は観光の拠点として年間3,500万人の乗降客があるが、しかし商店街には流れていかないようだ。

駅前の裏通りはかなりの人通りで賑わっていたが、中心商店街は半分が空き店舗という閑散とした状態であった。

それでいろんな勉強会を開かれて、昨年4月にまちづくりの合同会社を設立されたということである。

まだ設立間もないので、それほどの実績が出ていなかった。

資本金の確保、事業資金の確保などについてお話を伺う。

☆お昼は中戸川氏に案内していただいて小田原駅構内の海鮮料理店で摂ったが、地理的に新鮮な素材で味も良くヴォリュームも満点であ

った。

☆午後は13時41分の新幹線で東京へ出て、さらに北上して千葉県の村上駅(八千代市)へ向かう。

目的地は”やちよ絵手紙の森美術館”。

ここは協議会会長の伯母の個人美術館で、黒木・商工会会頭がまちなか物産館を単なる交流拠点にするのではなく、文化の発信地として

活用すべく、絵手紙美術館と絵手紙教室を併設したらということで、視察に訪れた。

美術館の後は、八千代市でまちづくりに熱心に取り組んでおられる手打ち蕎麦と会席料理の”さわ田茶屋”を案内していただく。

☆今夜の宿泊先の東京新宿のホテルへたどり着いたのは午後6時半を廻っていた。

☆夜は、宮崎県民にとっては有名店の”みやこんじょ”で飲む。

”みやこんじょ”はその昔、宮崎出身の在京彫刻家たちと飲んだときに、スペイン在住の画家・又木啓子さんに連れてきてもらって以来であ

る。

昔は場末にあったが、いまは新宿のど真ん中の明るい店になっていた。


2月20日(月)

☆今日から3日間、高鍋町まちなか商業活性化協議会の、補助事業最終の視察研修。

今回の視察先は、この4月から独立採算でまちづくりを進めていかなければならないので、街づくり株式会社を立ち上げて成功している先

進商店街と、同時に街並み景観にも取り組んで成功している先進地である。

☆好い天候だが、最終日が長野なので、氷点下に耐えられる準備をして出かける。

☆9時45分のANAで宮崎空港を発ち、伊丹空港へ。

伊丹空港からリムジンバスで京都駅へ向かい、新幹線でとJRを乗り継いで、最初の視察研修先の長浜市へ。

☆駅前の宿泊先のホテルへ荷物を預けて、早速、長浜市の商店街へ出かける。

長浜市内には先週の雪がかなり残っていた。

☆長浜市では、長浜市のまちづくりの仕掛け人であり、観光カリスマ第一号でもある前・黒壁社長・笹原司朗氏に直接、お話をお伺いするこ

とができた。

曳山博物館で、長浜市の豊臣秀吉の時代からの流れ、そしてこの地にまったく縁もゆかりもなかったガラスの導入によって街づくりを進めて

来られた”黒壁”の経過について、パワーポイントを使って約3時間お話いただいた。

☆昨日の日記にも書いたように、長浜市の黒壁は笹原氏個人のカリスマ性と事業資金に負うところが大きいので、資金運営や組織運営は

ほとんど参考にならないと思っていたが、実際の話ではまちづくりへの心構えなど私たちにとって最も大事な視点について語られ、これまで

の視察研修の中ではもっとも得るものの多いお話であった。

☆特に日本で最初に設立したまちづくり株式会社”まちづくり役場”は、非営利活動の拠点でありながら補助金等をもらわないで自主運営を

目指して設立されており、それが行政等の意向に左右されない自由なまちづくりにつながっているということである。

☆そしてまちづくりには文化が核とならなければ成功しないということ。

行政からの補助金に頼らない理由のひとつは、行政は文化を伝承していかないからだということ。

文化情報を発信する事業でしか、人はまちには絶対来ない。

自分の町の文化を新しく作り出すこと、新しい文化を発信していけば、訪れてきた人々がそのまちの魅力を発信してくれる。

☆長浜市の商店街衰退の要因も大型店舗の進出があったが、大型店舗に勝つためには金ではない方法で勝つしかない。

すでに死滅した長浜商店街だったので、まちづくりはダメ元で始め、”長浜市”という固定概念を捨ててゼロから出発したこと。

そして、お金の力ではできない何か、と考えたときに、1.建物を含めた歴史性、2.祭りを含めた文化芸術性、3.国際性豊かなものという

視点で試行錯誤してたどり着いたのが、長浜市とは何のゆかりもない”ガラス”という芸術の選択であったということ。

☆もうお気づきと思うが、これらの理念は、私たちが取り組んでいる活性化事業と重なるのである。

私たちは”城下町高鍋町商店街”を冠としているが、しかし飫肥などのように城下町の街並みを再生させようという考えは持っていない。

”歴史と文教の町”という対外的なイメージに添った文化的空間を持った独自の商店街景観を目指そうとしている。

あかりプロジェクトとのれんプロジェクトはそのための事業である。

独創的なあかりとのれんが高鍋町商店街に万遍なく行き渡れば、こんな独自な表情の商店街は日本には他にない。

そしてあかりモニュメントは国際シンポジウムの形を取り、世界に通用するものである。

笹原氏の話を聞きながら、私たちの方向は間違っていない、という確信を強く抱いていくのであった。

資金力もまちの規模もまったく比べ物にならないが、私たちは高鍋町うという身の丈にあった商店街活性化ができると思う。

成功するまで続ければよいのである。

☆夕食は地ビールの店で摂る。

黒壁スクエアーを散策しながら、私たちメンバーの思いは私たちの取り組んでいるまちなか活性化事業の展開と重なっていく。

そしてあるメンバーから、一番街駐車場入り口のPetreのあかりモニュメントを、3月末にオープンする町屋物産館(仮称)に持ってきたらどう

か、という提案があった。

長浜のまちづくりは黒壁スクエアーに集中したところから始まっている。

まちを訪れる人たちも、黒壁スクエアーの一角周辺で長浜の魅力を感じている。

高鍋町の商店街は南北に2km、東西に1kmという散漫とした広さであり、そこにプロジェクトを等しく配していたのでは、いつまでたってもプ

ロジェクトの完成した姿が見えてこない。

それよりも、完成する町屋物産館を中心とした一区画を集中してプロジェクトの完成した景観として示すべきではないか。

あかりモニュメントは各商店街のシンボルとして設置されているが、町屋物産館は現在設置場所の駐車場と同じ一番街に属しているので移

動しても何の問題もないし、まちなみとしてはより効果的である。

確かにそうである。すぐに手を打とう。

ほかにもいろんな具体案が出てきた。

これが視察研修のよいところである。思考が活性化される。


2月19日(日)

☆朝のうちは雲の多い曇天。

10時過ぎから一気に晴れてきて快晴となった。

☆明日からまちなか活性化協議会の最後の視察研修に行くので、その視察先をウエーブサイトで検索。

資料をプリントアウトしてファイリングする。

街づくりに成功したところは、何処にも強烈なカリスマ的主導者がいる。

そして街づくりにはアートや文化が核となっている。

私たち高鍋町とは背景的にも人材的にも大きな乖離がある。

しかしどこかに高鍋町独自の展開へのヒントがあるだろうから、客観的な視点で学んで来たい。

☆夕刻に岡山の小林照尚氏来訪。

雪で高速が交通止めになった中を長時間かけて来ていただいた。

用件はメールで済む今の時代、わざわざ私を訪ねてきていただいたのは、芸術家による震災地への復興支援についてであった。

詳細等については後日、明確になってから報告したい。

☆また私も、まちなか活性化事業のあかりプロジェクトの展開について小林氏にいろんなアドバイスをお伺いした。

小林氏はこうした事業への資金確保等のノウハウについて詳しい。

☆多忙な小林氏は、話が済むと再び岡山へ帰って行った。

帰路は雪は大丈夫だったろうか。


2月18日(土)

☆好く晴れたが、底冷えの一日。

☆午前前半に空港展への新規案内作家への打診等の作業。

とりあえずのリストを田村へ送付。

6月9日(土)の懇親会に来られることが確定的な作家の方は、ソラシドエアーが片道1万円を切っているので(宮崎ー東京のみ)、今のうち

に押さえておかれるとよいです。

ただ6月は結婚シーズンで早割りもすぐに埋まってしまうし、トルコからの帰っての宮崎便もソラシドエアーは残席がわずかだったので、でき

るだけ早めに確保されたほうがよいです。

☆昼前からずっと墓碑の図面作成。

墓碑の形は決まったので、サイズを少し変えた2つの図面を作成。

午後は、全体平面図を3案のパターンで図面3枚作成。

添付メールで依頼主へ送付。

☆朝一番にfacebookでテヘランの女学生アシスタントのアライエとチャットする。

テヘランの女学生たちはやはり外とのコンタクトを求めているのだろう、時々他の女学生たちからも”Hiiiii・・・!”とコメントが届いているときが

ある。

アライエはシリアのアクタムのアシスタントだった。

彼女は自国へのイスラエルからの攻撃におびえながらも、すでに内乱で大変な状況にあるシリアのアクタムのことが心配でならないだろう。

そうした不安で、眠りに着く前に私たちにチャットを求めてくるのだろう。

私は毎日、イランの平和を祈っていると伝える。


2月17日(金)

☆雲ひとつない冬晴れの一日。

午前は寒風が吹いて冷え込んだが、午後は風もなく暖かくなった。

夕刻からはじんじんと冷え込んでくる。

☆午前にまちなか事務所にて、宮日新聞本社経済部記者によるまちなか活性化協議会の取材。

各プロジェクトのキャプテンが揃って対応する。

記者は先日のMRT・Miccでの「商店街リーダー育成事業」成果発表の場に居られて、まちなか商業活性化事業に関心を持たれたというこ

と。

取材は紙面での記事ではなく、ネット上の宮日ビジネスePRESS”みやビズ”での協議会の紹介だということ。

☆午後にO医院での血圧定期健診、そして散髪。

☆空港展の出品案内リスト作成の続き。

休会が続いている作家への近況打診のメールを送付。

及び新規案内作家への打診。

☆新規作家には昨年の空港展の様子をHPで見てもらおうと思ったが、昨年暮れにサーバーがインフラ移行をしてからHPが表示されなくな

っていたのを思い出した。

夕刻からずっと転送設定を確認して試行錯誤してみたが、何処も設定は間違っていないはずなのに転送されない。

URLをクリックしてもエラー表示しか出ない。

お手上げで、サーバーへ問い合わせフォームを送る。


2月16日(木)

☆雨は朝のうちにはあがって、午前10時前から陽射しがさしてきた。

しかし、午後には再び雲の多い空模様となった。

日中はとても暖かかったが、夕刻からは冷え込んできた。

☆朝のうちに確定申告の書類を高鍋税務署に提出。

☆その足で、妻に借りた車で宮崎市へ出て、11時から宮日新聞社にて宮日総合美術展彫刻部門の今年度の審査員選定会議。

彫刻部門は今年度から新しい審査員となる。

☆宮日新聞社を出て、アートスペース”色空”に寄ってコーヒーを飲んで帰る。

☆今年の空港展の会期が決まった。

私のスケジュールに合わせて1週間ずらしていただいた。

6月9日搬入・懇親会。会期は6月10日(日)〜24日(日)までの2週間。

昨日から出品案内作家リストを作成している。

新規参加希望の方、作家推薦をされる方は早めにご連絡ください。

近日中に田村から出品案内を送信する。

☆夜は商店街連合会理事会。

3月17日、18日に開催される、まちなか活性化協議会の拠点となる町屋完成行事と共催するイベントの打ち合わせ。


2月15日(水)

☆暖かい夜明け。

そして今日も一日小雨。

気温はあがらず。

☆午前に確定申告書類の清書。

☆そろそろ今年の空港展の準備にかからなければならない。

先日から空港ビルに会期の打診をしていたのだが、6月2日(土)搬入、会期は6月3日(日)から17日(日)までの15日間では、という返事

が届いた。

確かに毎年、第一土曜日が搬入だった気がするが、しかしそれでは私がトルコから帰ってくるのが6月7日なので、また今年も搬入・懇親会

に不在となってしまう。

1週間ずらせないものだろうか。

会期が決まり次第出品案内を田村から発信する。

新規での作家推薦があれば、早めにご連絡ください。

☆墓碑は、提案した中からひとつの方向を選んでもらった。

これで、一歩先に進める。

とりあえず、全体寸法で石材を発注しておいて、その間にマケットを作ってプランをより納得のいくものにまとめたい。

☆イランのTaherから、今年のテヘランシンポジウムで再会したい、とメールが届いた。

本当に呼んでもらえるのなら是非今年も参加したい。

何よりアシスタントの女学生たちに会っておきたい。

しかし果たしてそれまでにイスラエルがイラン攻撃を我慢できるのだろうか。

イスラエルがイランの核施設をミサイル攻撃すれば、全面戦争に突入するだろう。

実際は米英と中露との代理戦争になる。

けれど今最も懸念されるのはシリアである。

米英の仕掛けた外人部隊による”反乱”に乗じて、スンニ派であるアラブ湾岸諸国が、この機にシーア派であるシリアのアサド政権を倒して

しまおうという宗教戦争を仕掛けようとしているのが明白なのに、国際世論は独裁者”アサド”攻撃になびいている。

シリア国民はアサド大統領が大好きなのに、シリアは欧米の我欲とアラブ諸国の利欲によって滅ぼされようとしている。

友人・アクタムの身が案じられてならない。


2月14日(火)

☆一日、雨。

気温の冷え込みは無し。

宮崎は例年より3週間も遅い梅の開花日だったようだ。

☆今日も引き続き墓碑のプラン。

油土のマケットを作ったり、世界遺産の遺跡の写真を見たりしながら、夕刻までに3つの異なったタイプのプランをラフスケッチ。

マケット画像とラフスケッチを依頼者へ添付送付。

プランの決定ではなく、どの方向でのプランが好ましいかの選択をしいていただくとまとめやすい。

☆世界遺産の本は中近東方面の遺跡を中心に眺めているが、魅力的な遺跡、あるいは現代でも独自な文化遺産の空間で生活している魅

力的な街の多くが、現在大混乱の只中にある西アジアや北・西アフリカの地中海沿いにある。

これからいっそう懸念されるミサイル攻撃等の紛争や内乱によって、これらの文化遺産が無差別に破壊されていくのではと案じられてならな

い。

☆アルジェリアに、ル・コルビジェが「インスピレーションが枯渇するたびに、私はガルダイアへの航空券を買う」と語った要塞都市・ガルダイ

アを含むムザブの谷がある。この谷にある5つのキュビズム的な街は新しい建築の可能性を求めるヨーロッパの前衛建築家たちを魅了し、

インスピレーションの源となったという。

そういう街がまだあちこちに残っている。

そしてネットで調べてみると、これらの国々には近年の内戦で観光客は立ち入れなくなったのではと思いきや、実際はアルジェリアでも日本

の旅行代理店がツアー旅行を組んでいる。

みんなが怖い国だと言っていたイランも実に平和な国だった。

シリアも動乱が起きている以外の地方は意外と平和な日常が続いているのかもしれない。


2月13日(月)

☆一日、雨。

比較的暖かく過ごす。

☆今日もデスクワークで過ごす。

行き詰っている墓碑のイメージの参考のためや、他の資料調べのために、彫刻関係や世界遺産関係の本を眺めたり、読んだり。

日本での屋外に設置されていく石の”彫刻”の歴史は戦後の1950年辺りからから始まっていて、実に歴史が浅い。

つまりちょうど私が生まれたあたりからしか日本の屋外彫刻の歴史はない。

これまで全国各地に設置されてきた石の屋外彫刻の写真を眺めていると、みんなかなり七転八倒しながら、多くは未消化のままの作品で終

わっているものが多い気がする。

一方で紀元前に建立された遺跡のおびただしい石の造形を見ていると、石工たちによる手彫りの仕事の強さがストレートに伝わってくる。

日本にも石工による寺社仏閣の各種石造物や路傍の道祖神等のしっかりした石の歴史はある。

墓地に行っても日本の石工たちの技と感覚に感動させられる。

現代彫刻って・・・・という問い直しはいつも念頭に置いておかなければならない。

☆まちなかブログに、東児湯五町連携協議会の作成した高鍋散策の旅の動画がUPされた。

私が写っているので9月30日に開催されたものである。

散策の旅の様子がよくわかるので、ご覧ください。

まちなか情報局   高鍋散策の旅動画


2月12日(日)

☆快晴の一日。

陽射しは暖かいが空気は冷たい。

☆午後3時からまちなか活性協議会会長・小澤君の結婚披露宴。ホテル四季亭にて。

所属する消防第4部のみんなによる余興が底抜けに楽しくて、愉快な披露宴であった。

(青空未来通信記 披露宴で )

☆来賓で出席されていた黒木・商工会会頭から、あかりプロジェクトの石あかりがまちなか活性化に活かされていないという指摘を受けた。

重々理解していることであるし、あかりオブジェをもっと増やしていかなければ商店街回遊の仕掛けもなかなかできないので、後日また会頭

と対応について意見を交わしたい。


2月11日(祝・土)

☆雨上がりのすっきりした朝。

空気は冷たいが、風もなく穏やかな冬晴れ一日。

☆一日、墓碑プラン。

袋小路に迷い込んだまま、まったく打開なし。

ハルピンから帰ってもう1ヶ月が経とうとしている。

☆夜に夕食を作っているときに、突然、大きな胡蝶蘭が届いた。

なんと昨年暮れに建てた墓碑の依頼主からであった。

墓碑建立の御礼、ということであった。

依頼された方もとても落ち着く墓碑だといってくださったし、私もとてもよい仕事をさせていただいたと感謝している。

☆今、プランが袋小路に入ったままの墓碑も、これまでとはまったく異なったタイプの墓碑を求められている。

依頼主の要望に私の能力が対応できていない訳だが、こうした依頼主との出会いによって私自身も新たな展開を切り開くことができる。


2月10日(金)

☆一日曇天。気温は上がらず。

暮れてから雨となる。

☆トルコから、4月29日発のAEROFLOTのフライトが確保できたというメールが届いた。

成田出発時刻はトルコ航空と同じで、モスクワで乗り換えてのイスタンブール着はトルコ航空便とほぼ差がない。

ネットで調べるとAEROFLOTは世界最安値で、イスタンブールへ行くのに、最近はよく利用されているようだ。

確かに価格もかなり安いし(87,000円の差!)、席もまだ空きがあった。

問題ないので、確保してE−チケットを送ってもらうように返信する。

イスタンブールからは国内線でイズミールまで飛んで、イズミールからはタクシーでデニズリーまで行くとのこと。

イズミール周辺も遺跡の多いところである。

羽田までの国内線も、各社比較したらソラシドエアーが一番安かったので予約を済ませた。

これで、無事にトルコ行きはフライトの手配が着いた。

☆今日はイラン・イスラム共和国の33周年の革命記念日。

先輩の案内で、日本とテヘランで今日の正午にイランの平和を祈る。

☆午後は宮崎市MRT・Miccにて、平成23年度「商店街リーダー育成事業」成果発表にまちなか活性化事業のメンバーと参加。

この「商店街リーダー育成事業」は、私たちまちなか活性化事業と同様に宮崎県商業支援課による補助事業で、今年度から3年間の事業

だということ。

延岡市、西都市、日南市の商店街が、高校生を含んだ商店街のリーダーを育成しながら商店街の活性化に取り組もう、というもので、外部

講師の指導の下に取り組んできたこの1年間の研修成果発表会であった。

個別事業を支援するのではなく、”ヒト”を育てる事業で、高校生を交えた長期展望のリーダー育成事業というのは全国でも例がないというこ

と。

同じ宮崎県商業支援課の補助事業による私たちの「まちなか商業活性化事業」は、商店街の独創的な取り組みによる商店街の自主独立

を目指した支援事業であるが、一つの商店街再生活動の実績報告事例として、事業報告の依頼が来たようだ。

各商店街のリーダー育成事業の研修成果発表の後に、私たち高鍋町まちなか協議会の井上副会長が、パワーポイントを使ってこの3年間

の事業経過を説明した。

こうして通しで見ると、3年間と言っても実質は2年半にも満たない期間の中で、私たちの高鍋町まちなか活性化協議会は実に多様で確実

な事業を進めてきたな、と客観的にも驚く。

現時点では、肝心の商店街に人が戻って来て活性化するという成果までにはいたらないが、商店街の活性化は20年、30年、50年という

長期展望で進めなければならないので、これから先の取り組みこそが正念場となる。

☆名寄からの連絡で、今年の名寄雪像大会は、私たち彫刻家チームは無冠に終わったということ。

雪像大会は、彫刻のプロ・アマ混合の大会なので、私たちプロの彫刻家から見ると、その受賞結果については納得のいかないことが多い。

一昨年の、同じ無冠に終わった私のプランの作品は、今でもfacebookではとても評価が高い。


2月9日(木)

☆今日はすっきり晴れた。

空気は冷たいが風がなかったので、午後は暖房を切って過ごせた。

☆トルコから、フライトスケジュールをこちらで調べてくれれば、お金を送ると言ってきたので、HISに調べてもらった。

そうしたら予定していた4月29日出発のトルコ航空はもう残席は1席しか残っていなかった。

しかもネットで調べた出発時間と違っていて(多分、4月以降は時刻が変更になる)、前日に宮崎を発たなければならない。

やばい!

たとえ今日のうちにフライトを予約したところで、3日以内には購入しないと無効になる。

墓碑の契約が進まないので私にはまったく手持ちのお金がないし、トルコから送金してもらったのでは時間がかかりすぎる。

それで、状況を付記して、すぐにそちらでフライトを確保して欲しい、とトルコへメールを送る。

確保できなければ26日の便(27日、28日はすでにソールドアウト)か、30日の便を確保するしかない。

だが、26日ではあまりにも早すぎるし、30日ではオープニングパーティーに出席できない。

日本と違って、海外の国々はすべてがスローである。

おそらく機敏な対応はできないから、この1席を押さえることは不可能だと思われる。

最悪の場合は、お流れも覚悟が必要か。


2月8日(水)

☆夜明け前は冷え込むかと思ったが、むしろ寝汗をかくくらい暖かかった。

しかし夜が明けてから、次第に雲が多くなって冷え込んできた。

一日、うす雲(雪雲?)の多いすっきりしない天候だった。

夕刻からはしんしんと凍えてくる。

☆トルコに2つのプランを送っていたのだが、オルガナイザーからそのうちのひとつが好きだといってきた。

暮れの色空の個展に出品した大理石の、横長の”The door of the wind”である。

この作品は高鍋町美術館の個展のときに作ったもので、その後は木箱に納めたまますっかり存在を忘れていた。

色空の個展準備で出品作をチェックしているときに、その存在に気づいて、急遽リストに入れた。

そして個展会場で眺めていたら、悪い作品ではなく、機会があったら何処かのシンポジウムにエントリーしたいと思っていたのである。

トルコではトラバーチンで作ってみようと思う。

☆トルコも一段落したので、行き詰っている墓碑のプランに集中する。

まだ石の材料費の見積もりを出していなかったので、墓碑の大きさを仮り決めして、それで全体の仮見積もりを出して依頼者との打ち合わ

せを進めることにした。

逆算して墓碑の容量を割り出したほうが先に進みやすいからである。

中国の石が今年に入って値上がりするということだったので、石販店に現在の単価を問い合わせてみた。

そうしたら白御影石で2,6割、桜御影石で3割も単価が上昇している!

もう中国神話は昔の話になりつつある。

これではこれからのあかりモニュメント公開制作は、昨年の予算では不可能になった。

☆Yahooのニュースで、アメリカがシリアの反体制派へ軍事支援する見込みだという。

ようやく大義名分をかざして正面からシリアへ軍事介入するようだ。

なんどもこの日記で書いたように、シリアの反体制運動はすべてアメリカの策略であり、多くのシリア国民はアサド大統領が大好だ、とシリア

の友人彫刻家・アクタムは語っていた。

イランへもそのうちアメリカが正面から軍事介入してくるのだろう。

先輩からもメールが届いた。

”シリアにはリビアでもう用済みになった、いつどんな死に方をしようが誰にも気に掛けられてない使い捨て用にと利用されていた、カダフィー

が殺されるまではリビアで戦ってきた連中がかなりの量でシリアに送り込まれて来ているので、これからも欧米は徹底的に武器や人等戦力

を増大させてシリアを攪乱し、奴らの数十年前からの「大中東計画」を推し進めるつもりなのでしょうかネ・・・”

こういう情報が、アメリカサイドの情報しか流さない日本のマスコミからは出てこない。

(日本のマスメディアでは流れないシリアの実情勢はこちらにも詳しいです。

”ぴ的こだわり”    2011シリア情勢  

またアサド大統領についてはこちらを ”ぴ的こだわり” バッシャール君 

このページを読むと、アサド大統領は独裁者顔ではなく思慮深く温厚で、大変なイケメン。

アクタムがシリア国民はアサド大統領が大好きだと言っていたのが納得できる。

ついでにこちらも必読。 ”ぴ的こだわり”  日記 

日本のマスメディアの報道は嘘ばかり! )


2月7日(火)

☆朝のうちまで雨。

程なく雨も上がって陽が射してきた。しかし洗濯物を干そうとしたら再び雲に覆われてきて、午後は完全な曇天となった。

朝はとても暖かくて暖房も要らなかったが、午後からは次第に冷え込んできた。

夕刻には雲も切れ、満月が煌煌と輝く。

明日は再び冷え込むとのこと。

☆昨年、トルコのチケットが残席がなくて慌てた経験から、今回は5月の連休にかかるので早めに予約を入れないとまずいのでは、とネット

でフライトを調べてみた。

ところが、ところが・・・・・格安チケットは何処もすべて満席で、まったく空席がない。

やはり5月の連休はトルコは団体客の観光シーズンなのだ。

4月28日に日本を出ようと思っていたら、連休前の27,28日は正規運賃もまったく空席はなかった。

席が残っていても、この時期は運賃がめちゃめちゃに高い。

シーズンオフの運賃からすると、2倍、3倍もする。

そして出発地もいろいろ調べてみたが、やはり昨年同様に東京(成田)からが一番安い。

結局、午前中はずっとフライトの検索で過ぎた。

急いで予約を押さえないとトルコへは行けない。

しかし今の私はまったくの無一文。

☆昨日のトルコからのメールではフライトは私が手配するか、あるいは日程がわかればトルコ側で手配するとあったので、今日の検索結果

を記して、トルコ側で至急に手配してもらうようにメールする。

午後はずっとトルコへの連絡関係の事務作業で過ぎる。


2月6日(月)

☆一日雨。

夜中は蒸し暑くて寝汗をかきそうなほどだったが、日中は陽が射さないので冷え込んできた。

☆トルコ・Denizliシンポジウムから日程等の詳細が届いた。

会期は5月1日〜5月31日なのだが、4月30日にオープニングパーティーがあり、クロージングセレモンニーは6月5日だということで、シン

ポジウム会場には4月30日以前に着いておかなければならないし、6月5日以前に帰ってはならないということ。

そうなると4月28日くらいには宮崎を発たなければならないし、宮崎に帰ってくるのも空港展搬入直前になる。

素材はトラバーチンか大理石。

作品のサイズの規定はないようだ。

☆夜に先日のまちなか元気市の反省会。引き続いて懇親会。

少しずつ、高鍋町は面白くなってきている。

出店者から、せっかくまちなか活性化協議会が主催しているのに、進めているのれんプロジェクトやあかりプロジェクト、町屋プロジェクトと

連動した高鍋商店街独自の会場ディスプレイが必要ではないかとの指摘を受けた。

たしかにそうである。

☆2次会まで付き合う。

2次会のスナックにはT君のコレクションの昔懐かしいLPジャケットが壁にディスプレイしてあり、その中にPPM(ピーター・ポール&マリー)

のジャケットが数枚あった。

私がクリスマスプレゼントでポールからCDが送られてきた話をしたので、カラオケでPPMの歌を歌おうということになって、T君と40年ぶりく

らいにPPMの懐かしい歌を歌った。

☆懇親会で同席した商工会議所のM君の話では、彼も商工会関係の仕事で世界中を廻ってきたが、イスラエルにも行ったことがあり、イス

ラエルではホテルから一歩も出ることができなかったという。


2月5日(日)

☆朝のうち少し小雨がぱらつくも、日中は曇天状態。

午後後半から雨となる。

陽が射さない分、冷え込んだ一日となった。

☆トルコのDenizliのオルガナイザーから、喜んで参加を受け入れるとの返事が届いた。

これでトルコ3大遺跡のひとつであり世界文化遺産のパムッカレ近くのDenizliシンポジウムへの参加が決まった。

Cpajak(空港展に2回参加)からもFacebookで参加要請のコメントが届いていたので、Cpajakとようやくシンポジウムで一緒になる。

会期が5月31日までなので、空港展の搬入・懇親会までには充分余裕を持って帰ってこれる。

☆一方、夜になって再びNiyaziがオルガナイザーを務めるシンポジウムから案内が届いたが、今回はBCCに記載された一斉送信先の作家

アドレスがおびただしい数で、普通の公募スタイルのシンポジウムだということがさらに明確になった。

そうなると応募者は140名は超えてくるので、参加できる確率はいよいよ低くなってくるし、私がエントリーを取りやめてもNiyaziを裏切ること

にはならないと思うと、ほっとする。

☆夜になってようやく墓碑の設置工事の見積もりがあがってきた。

ほぼ私の想定した見積り額で安心する。

残るは私の墓碑のプランである。

墓碑のプランがまとまらないと、石販店への石材の見積もり依頼が出せない。

墓碑のプラン作成に今日も頭を悩ますが、ふん詰まってしまった思考回路は一向に次の扉を開いてくれない。


2月4日(土)

☆朝は冷え込んだが、日中は風もなくとても暖かいポカポカ陽気となった。

外出にも防寒ジャンパーは暑いくらい。

☆よだきぼママから預かっていた尾崎慎氏の小作品を津久見屋果実店に届ける。

尾崎ファンのよだきぼママが、個展で尾崎慎氏の作品を買ったは好いが、自宅には置く場所がないのに気づいて、高鍋町内でどこか預か

って展示してくれるところはないないかと打診され、預かっていたものである。

津久見屋果実店の新店舗オープンの話をしたら、ぜひ、ということであった。

津久見屋店主の岩崎議員も個人のコレクションで空港展出品の尾崎作品を所持しているし、隣接した仲町ポケットパークにも尾崎作品があ

るので、ちょっとした尾崎コレクション空間となる。

☆また外部工事の造園業者が工事中だったので、社長のK君とアキホ・タタ氏のあかりモニュメント設置場所と基礎工事の打ち合わせをす

る。

☆トルコのシンポジウムのことで、Niyaziにはエントリーの返事はしたものの、本音はキャンセルしたDenizliのシンポジウムに切り替えたほう

がよいと思えてきた。

条件(報酬等)はNiyaziのシンポジウムのほうがずっといいのだけれど、どうしても空港展との兼ね合いで次第に気が重くなってきた。

ひとつは会期が6月8日までなので、空港展の開催時期が例年通りなら6月9日が搬入・懇親会となるだろうし、もし参加が決まれば2年連

続して搬入・懇親会に不在となってしまう。

ただ、作品を早く仕上げてしまえばぎりぎりで帰ってこれるのだが、エントリーの結果がわかるのが4月2日であり、それでは海外作家への

空港展案内が間に合わないのである。

私が不在中に作品が届いても受け取れないので、海外作家には私が自宅にいる間に作品を送ってもらわなければならない。

その期限指定を4月2日以降の文書で送っていたのでは、作家たちは作品を準備する時間はない。

どう考えても、Niyaziのシンポジウムでは不都合が大きすぎる。

それで気持ちにけじめをつけるために、これからの参加返事はもう受け入れが出来ないかどうかを、Denizliのオルガナイザーへ打診する。

☆今夜は奥さんが妻のジム仲間で、私の高校美術部後輩でもあるTさん夫妻を招いてのハウスパーティー。

私は午後から料理の下準備にかかりっきりになる。

今日は入念に下準備したおかげで、ガチガチであった先日のハウスパーティーのときよりも上出来の料理を提供することが出来た。


2月3日(金)

☆この冬一番の冷え込み。

宮崎県内でも宮崎市では観測史上最低気温だったようだし、五ヶ瀬町鞍岡でマイナス12,4度というハルピン並みの記録であった。

陽射しは強かったが、何しろ空気が冷え込んでいるし、寒風も吹いて底冷えの一日であった。

☆今日の午前は実に妙な感覚で過ごした。

私は時々、ふとした瞬間に、つい先ほどのことや昨日、あるいは数日までのことを思い出しながら、実は実際にはそういう実体験はしていな

いことに気づいて妙な感覚に陥ることがある。

しかもその記憶があまりにもリアルなものなので、この世にはいくつかの同時進行の次元空間があって、別な次元で活きている私と瞬間的

に意識が入れ替わってしまうのではないか、と思ったりする。

このことは昨年あたりにこの日記にも書いた。

デジャビューという現象は、人のDNAが螺旋構造なので脳細胞に伝えられる情報が螺旋階段を伝わっている途中で、何かの弾みで階段を

踏み外して段跳びしてしまうことがあり、意識が先に記憶領域に到達してしまっているので、視ると同時に先に到達してしまった記憶領域か

らの情報が伝わって来ることになり、視ながら同時に過去の記憶となるのだと言われる。

だが私の先述した経験はデジャビューとは異なる気がする。

最近では夢の中の出来事があまりにもリアルなので、夢と現実の体験とが区別がつかなくて困ったこともある。

今日の午前中の私は、ずっとこの現実にはありえなかった意識から抜けては、また非現実な意識から抜け出すという繰り返しであった。

文章では説明しにくいのだが、私は現実の次元の中で肉体的には普通に行動しており、時間の経過もまったく日常と同じなのだが、私の意

識は同時進行での記憶はまったく現実にはありえなかったことばかりなのである。

自分の肉体と時間経過はまったく日常なのに、私の記憶領域はまったく非現実の世界なのである。

いま思い出している先ほどの行動の中での思考が、すべて非現実だと気づく。

そして、そう気づいた瞬間に、気づいた自分がまた非現実という、夢から覚めても覚めてもずっと夢の中であった状態に似た感覚であった。

これまでは、ふとした瞬間に感じる不可解さだったのが、今日は午前中ずっと続いたので、もう現実と非現実の境目が区別できなくて、頭を

かかえて発狂しそうになった。

なにか磁力軸が狂っているのではないか・・・・!

☆午後に先輩からのメールで、イスラエルがこの春(4月〜6月の間)にイランの核施設を攻撃する可能性が高いというニュースを知った。

あわててYahooのニュースを見た。

テヘランの女学生たちの顔が浮かんで涙が出そうになった。

当面は核施設への攻撃予想だが、イランとイスラエルが全面戦争になれば第3次世界大戦の始まりだとも言われており、どう展開していく

かわからない。

イラン・イラク戦争の時にはイランの女性たちも機関銃を持ってレジスタンスとして戦った。

そして、イランとイスラエルの間にはシリアとイラクがある。

アクタム(シリアの彫刻家)の話では、今のシリアの反政府運動はすべてアメリカの策略であり、シリア国民はアサド大統領が大好きなのだ

と語っていた。(日本で流されるニュースはすべてアメリカ寄りの偏ったニュースなので、日本の新聞、メディアでは本当の中東情勢は伝わら

ないようだ)

イランとイスラエルが戦うことになれば、当然シリアとイラクも巻き込まれる。

なんとかイスラエルの攻撃を回避させて欲しい。

☆今日は節分。

今年も私は貧乏神を背負って妻に豆を投げつけられた。

トルコのシンポジウムがコンペだと判明したので、今年は春から先の予定はまったくの白紙となった。

墓のプランも中座したまま、当分無収入・無一文が続く。

先日の脳みそを食べる夢は何だったのだろう。


2月2日(木)

☆今日も快晴の冬晴れであったが、昨日に引き続き寒風が吹き荒れ、昨日以上に冷え込んだ。

☆午前に、昨夜届いたトルコのシンポジウム募集要綱の和訳作業。

☆午後に墓碑のプランの練り直し作業。

いったん踏ん詰まってしまうと、まったく先に進めなくなるいつもの悪癖に陥ってしまっている。

☆先週依頼した設置工事と洗い出しの見積もりの返事がまったく返って来ない。

設置工事依頼先にはFAXで催促。

洗い出しの見積もり依頼先には電話で確認。


2月1日(水)

☆天気は好く晴れたが、一日強い北風が吹きすさび、時々雲も湧いて、底冷えの一日となった。

☆今日も墓碑のプランの練り直し作業。

しかしまったく何も浮かばない。

☆ボーっとして時間を無駄に過ごすのも耐え難いので、先日役場から届いていた”平成24年経済センサスー活動調査”を合間に書き進めて

いる。

しかし”売上金額、費用総額及び費用内訳”という欄が、ほとんど確定申告の収支内訳書の書類計算を済ませないと書けない内容なので、

昨日から結果的に確定申告の書類を下書きしている。

夕刻までには経費の計算が終わり、所得金額も出た。

経費を計算していて意外な事を知った。

光熱費の電気料金が、昨年はソーラー発電による売電料金が支払い金額をはるかに上回っているのである。

昨年は私の海外滞在が長く、日中は誰もいないことが多かったので電気使用量も激減したし、それ以上にソーラー発電による売電量が一

気に増えた。

ソーラーの設備投資支払いもあと数年で終わるので、昨年同様に私の不在期間が長く続けば、数年後からは電気料金は完全にマイナス支

出となる。

帳簿上は完全に電気料金の要らない生活になる。

やはりソーラーシステムを取り入れて大正解だった。

☆夜になってようやくNiyaziがオルガナイザーを務めるトルコのシンポジウムの要綱が届いた。

しかし、Niyaziは招待だといっていたのに、コンペである。

しかも一斉送信で送られてきたアドレスを見ると、招待作家10名に対して、20名近い作家に案内が送られており、しかも大半は私の好く知っ

ている作家ばかりで、なおかつ錚々たるベテラン作家ばかりなのである。

Kartalの参加作家も半数以上は声がかかっているので、彼らも私同様にNiyaziから”招待する”というメールを受け取っていたに違いない。

招待決定だと思っていたが、これは難関になってきた。

しかも会期が5月14日から6月8日までで、またも空港展の搬入・懇親会と重なってしまう。

2年連続しての搬入・懇親会不在は避けたいので、もっと早く要綱が届いていれば、先日不参加を表明したほうのシンポジウムに切り替えた

であろうに。


1月31日(火)

☆快晴の一日。

朝は冷え込んだが、日中は風もなくとても穏やかなポカポカ陽気となった。

☆一日、墓碑プランの練り直し。

頭の中はまったく白紙状態に戻ってしまったので、なかなか次のプランへの手がかりがつかめず、悶々と過ごす。

日中はおだやかな気候だったので、午後からは庭にディレクターチェアを出して、日向ぼこをしながら過ごす。

我が家の庭の木枝には丸々太った雀が5,6羽、ほとんど飛び立つこともなく寛いでいた。

静かで穏やかな時間であった。


1月30日(月)

☆夜中というより朝方に近い午前3時19分に大きな揺れ。

朝のニュースでは日向灘を震源地とする地震で、高鍋は震度2。

関東も昨日は地震が続いていたし、こちらも地震が続く。

☆夜は蒸し暑い気がしたのだが、今朝は妻の車のフロントガラスが凍っていたので、冷え込んだのだろう。

日中は昨日より冷え込んだ。

☆一日、墓のプランのやり直しで悶々と過ごす。

☆夜に商店街連合会理事会。

昨年暮れに私がイランへ発った直後に開催され、初の試みであった夕暮れの散策の旅の反省等。

参加された方々のアンケートを読むと、あかりプロジェクトやのれんプロジェクトを軸とした夕暮れの商店街散策は大変印象的で好評だった

ようだ。

私の提案した提灯を提げての道案内も、案内する側にもされる側にも好評だったようである。

是非今後とも定期的に継続していきたい。

また3月にはまちなか活性化協議会の町屋拠点も完成するので、商店街連合会と組んだイベントを行うことになった。

津久見屋果実店に本設置となるアキホ・タタ氏制作のあかりモニュメントの本設置点灯式も同時に行う予定である。

☆昨夜は夜中に実に奇妙な夢を見た。

最近風邪気味で、夜中に気持ちの落ち着かない状態に陥ることが多かったのだが、今日の夢は今までに見たことのない夢だった。

夢の中に出てきた見覚えのある少女(若い女性?日本人ではなかったような・・・)がいつの間にかシャレコウベになって、私は彼女の頭蓋

骨の中の脳みそを食べ始めたのである。

周りの人が仰天しているにも関わらず、当の私は頭蓋骨から脳みそをすすって食べているのである。

脳みそは刻み野菜と一緒に調理してあってとても美味しいのだった。

夢の中での私はまったく正常な人間で、ちっとも怖くない。

しかし、夢から覚めたときにはさすがに怖くなってしまった。

どうしてこんな奇妙な夢を見てしまったのだろう、昨日の法事で墓参したときに、周囲の古い墓が面白くて調べて廻ったりしたからだろうか、

とも思ったり・・・・。

☆この夢の状況は何を意味しているのだろう。

一日、気になって仕方がなかった。

手持ちの夢判断の本を調べてみたが、さすがに”脳みそ”は夢判断材料のシンボルには記載がなかった。

それで、念のためにネットで検索してみると・・・・

☆たちまち、”脳みそを食べる夢は・・・・”と解説された夢判断のサイトが一気に表示された。

まさかとは思ったが、”脳みそを食べる”という夢は、夢判断のちゃんとしたシンボルになっていたのである。

しかも、どの夢判断もみな同じ解題であった。

つまり、” 脳みそを食べる夢は、臨時収入や遺産相続など大きな金運アップを意味します。”、というのである。

☆そんな運気のよい夢だったのだろうか。

しかし現実の私は、そんな臨時収入や大金が転がり込む要素はまったくない。

それどころか、当面の唯一の収入のアテである墓碑の仕事がプランの練り直しで 白紙に戻ってしまったので、契約にいたるまでの無収入

生活がさらに延びてしまった。

当面は無一文生活なのである。

どこから臨時収入や大金が転がり込んでくると言うのだろう。


1月29日(日)

☆今日はすっきり晴れてとても暖かい一日となった。、

一方で、尾鈴山の山並みが薄汚れた黄褐色の霞でまったく見えなかった。

黄砂であろうか。

☆午前11時から叔父の17回忌法要。

☆お昼の会食でビールを飲んだので、午後はだらりとして墓碑のプラン練り直しなどして過ごす。

☆ベトナムのMinh(2009空港展参加作家)から分厚い作品カタログが届いた。

”SCULPTURE HO CHI MINH CITY FROM 1975-2010”というホー・チ・ミン市の彫刻家たちの1975年以降35年間の作家カタログである。

ほとんどの作品は社会主義国のプロレタリアアートによる具象彫刻ばかりである。

そうした流れの中で、Minhたちの若い作家たちが、海外のシンポジウムや展覧会に参加したりしてあたらしい動きを作ろうとしているのだろ

う。

☆どうにもまだ風邪が抜け切らずに、今日は一日胃が重く口の中も荒れている。

夜には胃痛がひどくなって、胃腸薬を飲む。


1月28日(土)

☆一日、曇天。

寒々しい底冷え。

☆朝のうちに、墓碑依頼者と打ち合わせ。

昨日までの図面は、とりあえずの見積もり概算と具体的なプラン打ち合わせのためのもので、提示した見積もり概算と図面プランを元に、

次の段階として依頼主の考えを具体化させていく作業となる。

普通の一般的な墓地とは違うので、これからの作業が依頼主の思いを具体的に形にしていく作業となる。

今日の打ち合わせの中で、依頼主のイメージが、墓地というより、私の作品がモニュメンタリーな存在で建っているというものだということが

明らかになってきた。

そうなると私の墓碑本体の制作費も一般の墓地とは比較にならない価格になるし、基礎工事もそれなりの彫刻設置基準の基礎工事が必要

になり、設置にも重機クレーンが必要になってくる。

こうした依頼主のイメージに添ったプランを具体化して、再び見積もり概算を出して、予算的に実現可能なプランなのかのすり合わせを行っ

ていく。

したがって契約までにはかなりの時間を要する。

しばらくは、今日の打ち合わせに添ってのプランの練り直し作業になる。

☆どうにも風邪の状態が回復しない。

今日はずっとデスクワークで過ごしたので、体がだるくて集中力がなく、早めに寝る。


1月27日(金)

☆今日も好く冷え込んだ。

朝のうちは曇天で寒々しかったが、じきに雲も切れ陽射しの暖かいぽかぽか陽気となった。

☆午前に、まちなか活性化協議会と東児湯五町連携協議会、地場産業振興協議会主催による”まちなか元気市”に顔を出す。

この市は、道路拡張で当面空き地のままとなった宮崎銀行前の角地を利用して、先月から開催されているものである。

今回の目玉は高鍋牡蠣を買ったその場で焼いて食べることの出来る牡蠣小屋の登場である。

牡蠣小屋は全国各地で行われているが、高鍋の場合はまったくの天然資源なので、捕獲量が圧倒的に少なく、実際的には養殖牡蠣を使っ

たほかの牡蠣小屋のような運営は出来ない。

今回は数量も限定ということで実現できたようだ。

私たちは小さいころから自分の家で焼いて食べているけれど、町外の人たち、町内でもそういう経験のない人たちにとっては念願の体験と

なったようだ。

(まちなか情報局 まちなか元気市一日目報告 )

☆午後に、墓碑の全面石張りの図面を作成。

夕刻までに、2つの案それぞれの設置工事の見積もりを依頼発送。


1月26日(木)

☆この冬一番の冷え込み。

庭には久しぶりにバリバリと霜柱が立っていた。

日中は風もなかったので、午後は暖房を切って過ごせた。

☆一日、墓碑の図面作成。

今回の墓地は敷地面積が広い上に、枯葉がたまらないようにフラットな敷地にして欲しいという施主の希望で、敷地を全面石張りにするか、

部分を洗い出しの土間にするか、と2案を考えている。

今日は洗い出し土間での図面を引いて、夕刻までに造園業者へ洗い出しの見積もりを依頼した。

☆イスラエルの担当者から、外国からの訪問者には治安の問題は一切ない、という返事が来た。

ネットで調べてみても、イランへ行った人が数ヵ月後にイスラエルに行っても何の問題もなく入国できたという報告もあった。

いまは、イスラエルが今日明日にでもイランへミサイルを打ち込もうとしているから、数年前とは状況は一変しているだろうけれど・・・・・

私がイランへ行くときもみんながあんな危険なところへ、と心配したが、実際はすごく平和であったと同じように、イスラエルも場所によっては

平和なところもあるのだろう。

実際、日本の旅行会社からも死海などの観光地を組んだイスラエル巡りのツアーがこの春にも結構組まれているようだ。

☆新燃岳が本格的な噴火を起こして今日が1年目である。

1年前の今日はあかりモニュメント公開制作の3日目であった。

これから日を追って、爆発音、空振、降灰が続いて、その後の3,11に連なった訳である。

今年はいったい何が起きるのだろう。

イラン・イスラエル戦争が起きれば第3次世界大戦の始まりだという。

私の大好きなイラン(の人たち)はどうなるのだろう。

イスラエルは実行力のある”北朝鮮”だという喩えもあるようだ。


1月25日(水)

☆今日もよく冷え込んだが、日中は風もなく陽射しも暖かかった。

☆墓碑の油土マケット制作ほか。

☆午後に、高鍋高校へ銘板見積書の届け。

☆イスラエルのシンポジウムの案内が来ていて、条件は悪いが(旅費が出ない)、これまでに私の知人友人の日本人作家が多く参加してい

るので、少し関心を持ってみた。

過去に参加した知人のKさんにも様子を聞いてみた。

しかし、Kさんが参加した時点でも、いつミサイル攻撃があるかわからない状況で、ホテルのレストランも軍人ばかりで、つい床の小銃を踏

んでしまったこともあるとか。

今はイランとイスラエルが一触即発の極めて危険な状況だから、何が起きるかわからないし、特に私は昨年暮れにイランへ行っているので

イスラエルへは入国できいないだろうという。

ネットで調べてみると、こんな危険な状況のイスラエルでも、シンポジウム会場の近くで日本旅館を経営している方のブログがあって、読んで

みると、昨年暮れもミサイルが3発飛んできたとか、あるいはシンポジウム会場の村ではかつては大虐殺があったとか・・・・・

やはり、今年はエントリーは避けたほうがよさそうである。

☆一方、トルコのNiyaziからあいかわらず何も言ってこない。

だんだん不安になってくる。

Kartalも案内が来て、招待が決まったのがシンポジウム1ヶ月前だったので、まだ会期等の詳細が決まっていないのかもしれないが、それな

らそれで状況報告の返事が来てもよさそうだ。

Kartalのエントリーのときは、Niyaziからの返事は迅速だったので、やはり今ネット環境のない場所に行っていて私のメールを見ていないの

ではないかと思うのだが、まったく予定が立たない。


1月24日(火)

☆冷え込んだ一日。

午前のうちは風もあって冷たかったが、午後は風もなく陽射しはとても暖かかった。

午後後半から雲が多くなる。

☆今日も一日デスクワーク。

☆暮れに水漏れが生じていた太陽光温水器の修理にようやく業者が来た。

修理を依頼したのは12月17日だから、1ヶ月以上も漏水が続いていたことになる。

最近は軒の内側からベランダに水が滴り落ちていたから、天井裏は水浸しになっているのではないのだろうか。

この太陽光温水器は最近は毎年のようにパイプの破損が起きているが、今回はパイプだけではなく本体にも亀裂が入って水が漏れていた

ということ。もう寿命なのか。

☆昨日不参加の返事を出したトルコのシンポジウムの場所は、Pamukkale(パムッカレ)という世界遺産のすぐ近くにあるのだそうだ。

特にこの遺跡の石灰棚は、私が学生時代に見た鬼才・パゾリーニ監督の映画「王女メディア」だったかに出てくる大きな石灰の千枚皿であ

る。

映画では巨大な千枚皿の上に不気味な月が浮かんでおり、非常に幻想的な情景で忘れられない。

一度行ってみたいと思っていた場所である。

私はそこがずっとイタリアの景観だと思っていたのだが、最近トルコの遺跡だと気づいたばかりだった。

その遺跡が、昨日不参加の返事をしたばかりの場所にあったなんて!

そういうこととは知らず・・・・、これは来年は是非行ってみなくては。


1月23日(月)

☆昨夜も蒸し暑かった。

天候は回復して夜明け前から満天の星。

日中も朝のうち少し寒風が吹いたがじきに止んで、暖房も防寒ジャンパーも要らない暖かい陽気となった。

夕刻からはしんしんと冷え込んでくる。

☆雑務が一段落したので、依頼されている墓碑の図面プランにかかる。

最近いつも参考に目を通しているのは、河出書房新社・ふくろうの本の「東京お墓散歩」(工藤寛正)。

日本の墓の美しさに、何度見ても見飽きないし、墓石を紹介されて入る著名人たちの経歴やエピソードを読んでいても面白くて時間のたつ

のを忘れてしまう。

これまで何度も書いているように、日本の古い墓地は見て歩いてとても面白い。

手彫りの文字の美しさ、時間を経た石の表情、歴史・・・・日本の墓地は特級の文化財空間だと思う。

本当に昔の日本の墓は美しい(機械制作以前の墓)。

そう思いながら、自分の作る墓は機械作業、文字もサンドブラスト。大いなる自己矛盾である。

☆携帯の修理が終わったので取りに行く。

ついでにタブレットの使い勝手(料金のことなど)を聞いてみる。

タブレットはターミナルとしての機能を持っているので、パソコンのプロバイダーを解約して、タブレット本体をパソコンのワイヤレスのターミナ

ルとして使えば、料金の負担が抑えられるということであった。

ただしそうすると、私がタブレットを家から持ち出すと、その時点で妻のパソコンはネット環境を失ってしまう。

やはり今の時点では、経費的にタブレットは持てないということだ。

☆今日もNiyaziから応答がないので、もうひとつのシンポジウムに参加を切り替えようと思った。

それでもう少し詳しい情報を得ようとウエブサイトで昨年のシンポジウムの様子を見てみた。

ところが、制作環境が工場の片隅の雑然とした雰囲気、作品レベルも全然よくなくてまったく魅力のないシンポジウムであった。

昨年が第1回でほとんどトルコの作家ばかりで行われ、今回から国際的なレベルにしたいということなのだろうが、一気に気持ちが醒めてし

まった。

それで、すぐにこちらのシンポジウムに不参加の返事を出し、Niyaziに予定通りにあなたのシンポジウムに参加する旨、メールを送る。


1月22日(日)

☆一日、曇天。

夕刻に少し小雨。

今日も暖かい一日。

☆昨夜のグッチの会への御礼のメールが皆さんから届いたが、”川越シェフ”を越える”等シェフ”に感謝とあり、恐縮する。

私の妻が美味しいといってくれる我が家の食卓をそのまま提供しただけの素人料理である。

大きな失敗もなく、喜んでいただけたのは嬉しい。

☆ハルピンへ発つ日に、5月に開催される別なトルコのシンポジウムから招待が届いた。

すでに大晦日にNiyazi氏から5月のシンポジウムの招待が届いていたので、私は先約のこちらのシンポジウムへの参加を決めていた。

ただNiyazi氏からの誘いのシンポジウムの会期や詳細がまったくわからず、2つのシンポジウムの比較の材料がない。

それで、Niyazi氏から案内のシンポジウムの会期等の詳細がわかってから、明確な結論を出したいと思い、Niyazi氏へ何度も確認のメール

を送るのだが、多忙でメールを見ていないのか、一切の返事がない。

そこへ来て、今日になってもうひとつのシンポジウムの複数の関係者から、、参加の可否の返事を急いでいるという催促のメールが相次い

で届き、私の気持ちが完全に揺らいでしまっている。

こうなったら、詳細のまったくわからないNiyazi氏のシンポジウムではなく、詳細の明確なもうひとつのシンポジウムへの参加に切り替えざる

を得ない。

今日、明日のうちにNiyazi氏から返事がなければ、もうひとつのシンポジウムに参加の返事を送ることになるだろう。

☆夕刻に高鍋高校へ出向き、見積もりのための銘板の大きさを割り出して計測する。

石碑(「明倫堂記」、「清観公碑」)に登って、もう一度刻まれた文字を確認するが、磨耗劣化の気配は微塵もなく、刻まれた当時(両碑とも昭

和4年建立)のノミ跡が実に鮮やかにそのままの息遣いで保たれている。

(多分、ノミの熟達した技術から、石碑を制作したのは関東の石材店ではないかと思う)

こういう味は、現在のサンドブラストによる荒っぽい刻字ではなしえない。

手彫りによる丁寧な作業はサンドブラストでは不可能である。

昭和40年代からのサンドブラスト導入によって日本の石の刻字の文化は途絶えてしまった。


1月21日(土)

☆妙に蒸し暑い夜で、暑くて寝汗をかいてしまった。

日中もとても暖かかった。

☆今夜は、妻の昔の職場の気の合った仲間で作っている”グッチの会”の田中家でのハウスパーティー。

いつもは美味しいレストランで会食したり、一泊旅行をしたりして、日ごろのストレスをほぐしているのだが、私の妻が私の手料理が美味しい

とみんなに吹聴しているらしく、私がイランに行っている間に次回の会食は私の家で私の手料理で、ということになったのだそうだ。

気の合った仲間が集まって、我が家で食事をするのは別に特別なことでもないが、しかし今回は、普段は専門レストランや居酒屋の専門店

で摂っている会食を我が家で会費を払っていただく、というのだから気楽に楽しんでもらうというものではない。

料理のど素人がいきなりレストランを任せられて、お客をもてなすに近い大変なプレッシャーである。

昨日、今日と大変な重圧感で、落ち着かなかった。

☆朝からピザの生地を練って寝かせたり、ハルピンから帰った翌日から仕込んでいたベーコン用のばら肉の塩抜きをして陰干しをしたりス

モークをかけたり、ばたばたして過ぎる。

そして夕刻から料理にかかると、プレッシャーと緊張とで体がガタガタであった。

☆なんとか会食が始まると、皆さんが”美味しい!”を連発してくださって、一安心であった。

ベーコンのスモークウッドが途中で切れて、燻製が中途半端になったくらいで、大きな味の失敗もなく、皆さんに最後まで喜んでいただいた。

これを機に、もっとリラックスした状態で我が家でのホームパーティーが開けるとよい。


1月20日(金)

☆一日曇天。

お昼前には青空が広がったが、午後には再び重い雲に閉じられる。

気温はかなり緩め。

☆昼前に建築士の岩切平さんが訪ねて来る。

今日から高鍋町美術館で「建築の美といのち 塔の提案」展を開催されている。(詳細はこちら

我が家の建築中に一度来られたことはあるが、家が立ち上がってからははじめての来訪であった。

なかなかいい家だね、とほめていただいた。

しばらくお互いの近況を語る。

建築士業界も今は大変厳しい時代になってしまったようだ。

なんだか今の時代、すべてのことが閉ざす方向へ行ってしまっている。

締め付けばかりである。

☆風邪の状態もずいぶん持ち直してきたので、午後からは小学校廃校記念碑の水磨き作業。

☆ハルピンの画像89枚をFacebookにUP。

アルバムのURLです。


☆午後5時37分にグラッと、かなり大きな揺れ。


1月19日(木)

☆朝のうちから雨となり、雨は一日降り続く。

☆正午過ぎに高鍋高校創立90周年事業関連の打ち合わせで、雨の中、スクーターで高鍋高校へ。

宮崎県教育委員会の通達により、統廃合が進む県内の教育施設の状況から、一切の記念碑的建造物は設置してはならないということにな

って、新しい記念碑を建てることは出来なくなった。

つまり、宮崎県内においては、学校関係のモニュメントの仕事は今後はまったくない。

他の県の教育委員会もこんな馬鹿な通達を出しているのだろうか?

例えば平成の市町村合併が推進された時期に、そのうち合併されるからその行政地区に関する記念碑的建造物を一切建ててはならないと

いう通達があっただろうか?

そんな話は聞いたこともない。

と言うわけで、高鍋高校敷地内にある歴史的・文化的に非常に価値の高い2つの石碑の碑文が現在の私たちには読めないので(同窓会関

係者は文字が磨耗して読めないのでと言われるが、とんでもない、文字はまったく劣化しておらず、ノミ跡も実に鮮やかに保たれている)、こ

れらの石碑の価値を伝えていくために説明の銘板を創立90周年事業で設置したい計画があるので、見積もりを出して欲しいという依頼で

あった。

前述のように、新しく銘板をはめた構造物は建てられないので、現在ある石碑の台座にはめ込みたいと言うこと。

☆若杉早苗氏の告別式と高鍋高校の打ち合わせ時間が重なってしまったので、宮崎彫刻グループ名で弔電を打っておいた。

☆風邪は夕刻からは昨日よりは少し楽になった。


1月18日(水)

☆今日もさわやかな好いお天気。

日中はぐんぐんと気温が上がる。

夕刻からは雲が多くなって来て冷えてくる。

☆日中は小学校記念石碑の続き。

風邪の状態がさらに悪化して、体がきつい。

午後から水磨きに入ったが、合羽を持っていっていなかったので上半身ずぶ濡れになり、風邪の悪化を懸念して早めに帰宅する。

☆帰宅して、朝に印刷をしていた寒中見舞いはがきの宛名書き。投函。

☆夜に火産霊神社修築委員会例会。

風邪の状態が最悪の状態になって、ほとんどボーっと座っているのが精一杯であった。

☆夕食後は、すぐに床に就く。

☆若杉早苗さんが亡くなった。95歳であった。

最晩年まで精力的な制作活動を展開し、近年は体力的に彫刻が出来なくなり絵画に再転向して、昨年の宮崎県美術展では彫刻と絵画部

門での史上初のダブル大賞受賞、昨秋の宮日美展でも絵画部門で特選を受賞するなど、そのエネルギーは留まるところを知らなかった。

100歳を過ぎても旺盛な制作活動は続くのではないかと思っていたのだが、昨暮れに体調を崩されたようだ。

若杉さんに出会ったのは私が宮崎大学の学生のときで、それまでの絵画制作から一転して彫刻を取り組み始められ、FRPの使い方を学び

に来られたときであるから、もう40年以上の付き合いである。

宮崎彫刻グループにお誘いしたこともあるが、自分は自分の歩みをしたいのでと丁寧にご辞退されたことがある。

常に私たち若輩を刺激続けていただいた先達だった。

ご冥福をお祈りいたします。


1月17日(火)

☆雨上がりの好いお天気。

昨夜の冷え込みの中での雨は山間部では雪となったようだ。

尾鈴山も初冠雪していたらしい。

日中は風もなくて暖かく、午後の作業では防寒ジャンパーが暑かった。

☆昨夜の深酒と風邪の悪化で、午前は頭が上がらず。

☆午後からやりかけの某小学校の廃校記念碑の作業にかかる。

しかし風邪で体調が思わしくなく、日暮れ落ちる前に作業を止めて帰宅する。

土田氏からのメールだと、彼も帰国してから風邪で発熱状態だと言う。

やはりハルピンの寒さで体力が弱っていたのかもしれない。


1月16日(月)

☆一日雨。

天気予報では夕刻からは雨は上がると言うことであったが、夜になっても雨は止まず、午後からはしんしんと冷え込んできた。

☆風邪で体調は芳しくない。

一日、体を休めて過ごす。

☆夜は中町公民館の新年会。

中町はこのところずっと戸数減、少子化傾向が続いていた。

しかし道路拡張による街並みの一新、そして後継者たちに次々に子供が生まれ、右肩下がりの勢いがここに来て運気を得て来た。

ここ数年の世界的な激動はまったく先が読めないが、中町公民館は明るい再生の息吹で活気付いてきた。

前向きに新しい中町公民館の姿をみんなで作り上げて行きたい。

というのが、中町公民館長としての私の新年の挨拶の概要である。

☆まちなか活性化の補助事業は3月で終了するが、この3年間で取り組んできたことはこれから20年、30年先の日本中で高鍋町にしかな

い独自な商店街を作っていくための礎作りである。

補助事業は終わっても、私たちの活性化事業は延々と続く。

地道にあかりオブジェの設置を増やしていかなければならないし、あかりモニュメント公開制作も単発で終わらせずに継続の可能性を探っ

ていかなければならない。

あかりキャプテンとしての私の仕事はこれからも生涯をかけて続く。

差し入れの日本酒や私の中国土産の白酒を飲み交わしながら、深夜まで熱い気持ちの酒宴は続いた。

☆今年のうちぬき21の開催案内が届いた。

興味のある方はエントリーしてください。

うちぬき石彫公開制作2012

(HPでは日本文の年号が2011年のままですが、追って修正とのこと)


1月15日(日)

☆夜中、ずうっと暖房の風力が強く、喉が痛くて何度も目が覚めてしまった。

おかげで風邪をひいてしまったようである。

午前5時過ぎに起きて6時前にチェックアウト。

☆朝食が6時からだったので、急いで数品の食材とお粥を2杯すすりこんで、簡単な朝食を済ます。

慌しく6時15分のホテル発リムジンバスに乗り込んで北京空港へ向かう。

北京空港前は大渋滞であった。

☆中国国際航空のチェックインをすると、私の荷物はover baggageなので、over baggage窓口へ行くように、と指示される。

預け荷物のサイズが規定より大きいと言うことなのだろうから、超過料金でも取られるのかと不安な面持ちで窓口へ行くと、ベルトコンベア

ーに荷物を載せて通過させて終了、というあっけないものであった。

☆北京発は8時40分の予定だったのだが、空港が混んでいるのか、管制塔からの指示でかなり長いこと離陸を待機させられた。

今回も福岡行きは大連経由で、大連ですべての手荷物を持って飛行機を出て、出国審査。

☆北京発が遅れたので、出国審査を済ませて免税店でお土産を買って搭乗口へ行くとすぐに搭乗が始まった。

☆11時20分の定刻を少し遅れて大連を出発。

定刻より遅れて午後2時30分に福岡国際空港着。

残った中国元を日本円に両替すると、1元は10、35円。

円を元に両替したときは1元=14、07円だったので、元を使い残してきてしまうと大変な損失になる。

☆地下鉄で博多駅へ移動。

高速バスの出発は夕刻の5時30分なので、それまでを重い工具箱を引きずりながら時間を潰すのは大変だった。

☆5時30分博多駅発、高鍋着の”みとシティーライナー”に乗車。

最終目的地が高鍋なので大変助かるが、乗客が10人前後だったのが気の毒であった。

☆宮崎へ入り、えびの辺りから雨となる。

バスに乗ってから咳き込み始めたが、宮崎市内へ入ってから風邪の症状がきつくなって、辛かった。

☆乗客が少なくて途中の下車立ち寄りが省略されたので、運行表より1時間半も早く午後10時前に高鍋駅に着いた。

高鍋駅からタクシーで自宅へ帰宅する。

☆昨日、ハルピンのホテルを出たのが朝の10時過ぎ。

高鍋へ帰ってくるまでまるまる1日半かかった。ヨーロッパより長い旅路となった。

妻の話では、宮崎は朝からずっと雨だったと言うことである。


1月14日(土)

☆昨夜飲みすぎて、やっと8時前に起きる。

朝食の前におおよその荷造りを整える。

☆朝食を摂って、しばらくして10時前にチェックアウト。

☆午前10時過ぎに、今日帰国する私たち日本チームとカナダチーム、タイチーム、マレーシアチームなどの20名近くがホテルを出てハル

ピン空港へ。

松村君はもう2泊してハルピンへ留まる。

またほかの多くのチームも今日までホテルに滞在して、ショッピングをしたり、今夜開かれる氷彫刻の大きな祭典の観光を楽しむと言うこと

であった。

☆尾崎君は上海経由なので、尾崎君とはハルピン空港で別れ、ほかは同じ便で12時35分に北京へ発つ。

北京には午後2時25分に着。

みんなは北京からそれぞれの国へ乗り継いで帰国したが、福岡へはハルピンからの当日乗継が出来ず、私のみ北京に一泊することになっ

た。

☆ホテルは空港近くの大きなホテルを取ってあったが、タクシーの運転手がホテルの場所を知らず、散々見当違いのところを走り回って、

ホテルへ着いたのはもう4時前であった。

☆ネットをしようと思ったら、有料であった。

部屋ではLAN接続で、ロービーのみワイヤレスが使えると言うことで、カウンターで前払い金を払ってユーザー名とパスワードをもらって部屋

でLAN接続をしようとするが、いくらやってもログイン画面が表示されない。

それでPCを持ってカウンターへ行き、問い合わせると、PC担当者がワイヤレスを接続してくれた。

再び、部屋に戻ってLAN接続をしようとするが、結果は同じでLAN接続ではネットはつながらなかった。

結局、部屋ではネットは出来ないと言う結論になった。

ネット接続の試行錯誤だけで、もう夜になってしまった。

☆ホテルのレストランで夕食を摂ると、滅茶苦茶高いうえにまったく美味しくなかった。

シーフードヌードルというものを頼んだら、うどんに中華味の具が載っていると言う奇妙極まりないものであった。

昨日もらった特別賞の賞金が丸々、まずい夕食で飛んでいってしまった。

☆夕食後にロビーで、ワイヤレスを使ってブログの更新をする。

こんなことなら、安いビジネスホテルに宿を取ればよかった。


1月13日(金)

☆ハルピン最終日。

☆天気予報では昨日より気温の高い最高マイナス12度、最低マイナス22度ということであったので、今日はスキーウエアの下にはセータ

ーを着用せず、帽子も暖かいイランの帽子ではなく、薄い毛糸の帽子をかぶった。

それでも作業中はとても暑かった。

☆作業は午前11時半で終了だったが、昨日のうちに大まかな形が出ていたので、今日は仕上げに専念して10時半くらいには作業を終わ

った。

ほかのチームの作品を見て廻ったが、どのチームも手際よく作業に慣れていて、私が審査員だったら何を基準に評価していいか大変苦労

するだろうなという印象を受けた。

具象系の作品ではかなり作品レベルの高いものがあるし、作品レベルは高くなくても技術的にはこなれたチームが多い。

道具も名寄の雪像大会参加のチームより、使い勝手のよいさまざまな道具を持ってきているチームが多かった。

劉さんの話では、多くのチームは雪彫刻コンクールの直前まで開催されていた氷彫刻コンクールにも参加していて、参加歴も長いのだと言

うことで、納得であった。

☆今回の私たち日本チームの作品は、一番若い松村晃泰君のプランで、タイトルは”Link Of hope”、昨年の大震災での人々の絆のつなが

りをダイナミックなうねりで表現したものである。

その意図は充分に表現できたと思う。

☆ただ、劉さんの指摘で、作品には高さ50cmの台座が必要だと言うことであった。

確かに規定に、”Except leaving a pedestal of 0.5m. high, the block of snow shall be used entirely,”という一文があるのだが、私はこれを5

0cmの台座が前提条件とは理解しなかったのである。

したがって規定違反と解釈されれば、そういう採点がなされるかもしれない。

☆昼食後にホテルへ戻り、夕刻4時半から閉幕式。

最初は3,4チームずつ呼ばれて表彰されたので、全参加チームに参加賞は授与されると言うことがわかった。

私たち日本チームは呼ばれずに残ったので、上位入賞の期待を持ったが、まだ周囲に呼ばれていないチームがあるのに残念ながら呼ば

れてしまった。

ただ呼ばれて壇上に上がったのは、日本チームだけであったので、単なる参加賞でないことはわかった。

表彰状を見ると、”創意賞”とあった。

いわゆる特別賞である。

一位のロシアチームの作品は誰が見ても非のつけようがない、群を抜いて優れた美しい作品だったが、2位(2チーム)、3位(3チーム)の

中にはどう見ても完成度も作品レベルも入賞レベルには達していないチームが見られた。

私たち彫刻家の観点からは、日本チームが3位以内に入れなかったのは理不尽な思いもするが、ここは工芸的技量中心の中国である。

地元枠と言うものもある。

今回は特別賞ということで、溜飲を下げ、次回にリベンジを果たすよりないであろう。

☆ところで上位3位までは賞金が出るのだが、思いがけずに、特別賞の私たちにもわずかばかりの賞金が出た。

お土産代にはなりそうで、少しは救われた思いがする。

☆5時半からサヨナラパーティーが開かれた。

私たちは場所がわからなくて、広大なホテルのあちこちを彷徨ってようやくたどり着いたので、セレモニーはすでに終わってしまっていた。

今夜はワインが用意されていたので、おもにワインを飲んで酒宴を楽しんだ。

日本チームの作品に大きな関心を持っている作家たちが集まってきて、お互いに情報交換した。

やはり彼らも私たち同様に普段は石を彫っている作家たちばかりであった。

☆宴会場に残ったグループ(特に韓国チーム)と盛り上がって、場所をロシアチームの部屋に移して夜中まで気炎を上げて飲み語った。


1月12日(木)

☆ハルピン3日目。

☆朝のTVの天気予報では、今日のハルピンの最高気温はマイナス14度、最低気温はマイナス23度だった。

そして今日は作業中にとても暑くなって、イランで買った山岳民族の防寒帽子は暑くて暑くてびっしょり汗をかいてしまった。

マイナス14度でこんなに暑いのだから、じんじん冷え込んだ昨日は確実に最高気温がマイナス14度以下だったと言うことである。

こんな寒い中で、汗をかくと、たちまち風邪を引く。

さすがに、夕刻には風邪気味で気分が悪かった。

☆作業のほうは夕刻までにはおおよその形は出る。

☆夜は火鍋(しゃぶしゃぶ)の専門店での特別夕食で、会場からバスで直接店まで行ったので、バスが出るまで暮れ落ちた中でライトをつけ

て作業する。

こちらは4時半にはもう夕暮れて、5時には真っ暗になる。

☆火鍋はとても美味しかった。

特にナツメなどの入ったスープは、火鍋の具を食べてしまった後に飲むと格別に美味しかった。

しかしスキーウエアのままだったので、熱い火鍋を食べるのは汗だくになってしまった。

風邪をこじらせないようにしなければ。


1月11日(水)

☆ハルピン2日目。

荷物が届いたのでスキーウエアに雪靴を履いて出かける。

今日は朝からすっきりした青空が広がり、そのせいか昨日以上に冷え込んで、スキーウエアでもとても寒く、手の感覚がなくなるほどであっ

た。

☆昼食は同じ太陽島にあるレストランで中華料理が次々に出てきて、ビールも飲み放題なので、ほとんど宴会状態で午後は眠くて仕様がな

い。

しかし寒さで、作業を始めるといつの間にか酔いは抜けている。

中には、寒さ防止の気付けでブランデーを飲みながら作業をしている東南アジアのチームもある。

☆夜に、夜中過ぎまでかかって2日分のブログを更新する。

このホテルはネットは無料でワイヤレスが使えるのだが、Wi-Fiの不具合でワイヤレスが使えず、LANケーブルで接続できた。

しかし速度がとても遅いので、メールの受信にも、ブログの画像UPにもすごく時間がかかる。

☆中国でもやはりFacebookには規制がかけてあった。

イラン同様、規制を抜けるプロバイダーからFacebookへ入ることが出来た。


1月10日(火)

☆ハルピン初日。

8時30分にホテルをバス3台で出発。

雪彫刻コンクールの会場は松花江という川の中州である太陽島で、ホテルからは20分余の距離である。

☆10時から開会式。

今回の作家チームは14カ国、25チーム。1チーム4名だから、総勢100名でのコンペになる。

☆私は道具箱が届かないので、普段着に大会から支給された防寒ジャンパー、尾崎君が貸してくれたパラシュートズボンを着用してマイナ

ス20度近い開会式に参加したが、寒さはそれほど感じなかった。

ただ髭は開会式のときからずっと凍っていたようである。

☆開会式の後、早速、競技開始。

ハルピンの雪のブロックは3メートル幅に4メートルの高さで、名寄より1メートル高い。

雪質は名寄より作業しやすい。

今日は雪で北京からのフライトがない、と言うことで、私の工具箱は届かず、ずっと普段着で作業した。

手袋はホームセンターで買った安物、靴は普通の靴に少し厚めの靴下。

雪のない凍土の地面に立っているとさすがに足裏がしびれてくるが、雪の上は意外と暖かくて寒さを感じなかった。

☆今日は寒さもあって、みんなくたくたに疲れてしまった。

競技は7時までで、夕刻からは明かりをつける(4時半にはもう暗くなる)ということであったが、他のチームも疲れていて、5時で終了してホ

テルへ帰った。

☆夜は、一昨年の名寄で一緒だったハルピンチームのパン・ユーさんとメン・シャングオさんにハルピンの夜の街を案内していただき、美味

しい”春餅”の料理をご馳走になった。

これはライスペーパーのような生地にいろんな具材の料理を包んで食べるもので、とても美味しかった。

2人はハルピン工業大学学徳学院芸術興伝媒学院の先生で、パンさんは彫刻科の副主任、メンさんはデザイン科の副主任である。

パンさんは明日から北京の別の雪と氷の彫刻のコンペに参加するということで、明日から不在だと言うことであった。

☆夕食後にハルピンの有名観光街、中央大街を散策する。

この通りは50件もの西洋建築が残されている美しい街並みとして、ハルピン市民に愛されている。

しかし気温はマイナス16度。さすがに寒い。

急いでホテルへ帰ろうとするが、ビールを飲みすぎていたので、ホテルまで身が持たない。

かくして私と松村君はホテル手前の凍てついた松花江の凍った川の上で放尿となった。

こんな経験もハルピンならであろう。

よい思い出になった。

☆ホテルへ戻ってすぐに劉さんから連絡があり、北京から道具の荷物が届いたので取りに行き、ホテルの大会事務所の部屋に預けてある

と言うことで、すぐに受け取りに行く。

ちゃんと折りたたみキャリーも一緒に届いていた。

一昔前の中国では考えられない手際のよさである。


1月9日(祝・月)

☆寝不足のまま7時12分のJRで宮崎駅へ向かう。

宮崎駅東口から8時発の福岡シティーライナーに乗る。

宮崎平野部は上天気だったが、山間部に近づくにつれ寒々しい底冷えの曇天となった。

人吉に差し掛かるころには雲は切れたが、福岡は今にも雪となりそうな景色であった。

☆12時15分に博多駅着。

地下鉄で福岡空港へ向かうが、道具箱が大きすぎて自動改札口が通れず、駅員さんに切符を切ってもらった。

☆国際ターミナルへ着くと、じきに中国国際航空のチェックインが始まり、スムーズに済んだ。

しかし手荷物検査場で、これまで引っかかったことのない爪きりセットや裁縫セット、小チューブの歯磨き粉にクレームがついた。

結局、中国は一切のはさみは持ち込みない、と言うことで鼻毛切りのはさみを没収された。

☆搭乗口でワイヤレスが通じたので、メールのチェックとブログの更新をする。

☆15時10分発の北京行き中国国際航空に乗る。

中継地の大連でいったん飛行機を降りて、入国審査が行われた。

福岡のチェックインでは北京で入国審査があるということだったのだが。

パスポートの写真と実際の顔が違う人は徹底的に調べられて、審査には長い時間がかかった。

おまけに私は間違って出国カードを書いていたので、入国カードに書き直して最後尾で通過した。

☆搭乗口へ行くと、搭乗時刻ぎりぎりであった。

☆17時10分に雪の大連を発ち、18時35分に北京へ着く。

福岡のチェックインの時には、北京で入国審査があるので荷物をいったん受け取ってくださいと言うことであったが、すでに大連で入国審査

は済んでいるし、乗り継ぎのカウンターに聞くと、荷物はハルピンへダイレクトに運ばれるのでそのまま搭乗口へ行ってください、ということで

あった。

大きな不安を抱いたまま搭乗口へ向かったが、結果的にこれが大きなトラブルを生んだ。

☆北京を20時25分の定刻より少し遅れて出発。

ほぼ定刻どおりに22時20分過ぎにハルピンへ着く。

そして不安を抱えながら荷物受け取りのブースの前で荷物が出てくるのを待つが、やはりとうとう最後の最後まで私の預け荷物はベルトコン

ベアーの上には現れなかった。

☆送迎口には日本語堪能な劉さんという男性が待っていてくれていた。

事情を話すと、空港の手荷物トラブルの事務所と打ち合わせてくれた。

事務所はとても丁寧な対応で、明日の便で、うまくいけば午前のうちに荷物は届くでしょう、と言うことであった。

☆空港の外へ出ると、驚くべきことにまったく雪が積もっていない。

ホテルまでの小1時間の間、劉さんにハルピン市の概要を聞く。

ハルビンはほとんど雪は積もらないのだそうだ。

そしてハルビンは満州鉄道によって非常に栄えるようになり、鉄道が出来た当時は25カ国の領事館があり、ハルピン人口の半分は外国人

だったという。

現在の産業は重工業で、人口400万の大都市だと言うこと。

☆夜中過ぎて滞在先のホテルへ到着。

Harbin Friendship Palace Hotelという清朝様式の古く大きなホテルである。

案内された部屋は松村君との相部屋で、先着の土田、尾崎君の3人が飲みながら待っていてくれた。


1月8日(日)

☆昨日までの冷え込みはかなり緩んで暖かい朝であった。

日中は曇りがちで体感的には寒々しかったが、気温自体の冷え込みはなし。

☆朝一に、今年唯一入っている墓碑の仕事の打ち合わせ。

依頼者と墓地で立会いの具体的打ち合わせ。

☆日中はハルピンの道具作成にかかりっきりになる。

今回はスキーウエアも買ったし、スクレパーも持っていくので、雪靴と道具も一緒に入る大きなボックスを購入。

これまで海外に出かけた旅支度ではもっとも大きな荷物となった。

なんとか夕刻までに梱包完了。

☆夕刻からスーツケースの準備。

まったく何も準備していなかったので、おおよその準備が終わったのはもう午前1時過ぎ。

本当は今夜は町内公民館の新年会の予定だったのだが、都合で延期になった。

予定通りに新年会が開催されたら、まったく荷造りが出来ないところであった。


1月7日(土)

☆雲ひとつない快晴の一日。

陽射しは暑く、暖かい一日。

☆午前に町内田ノ上墓地にて、某墓所の納骨口作成作業。

この墓の一族は、田中家が高鍋に移住したときに一緒に香川県大川郡から移住してきた方たちで、祖祖父のいとこ方になる。

やはり石材店をやっていて、私が幼年のころはまだ田ノ上墓地の傍らで石材店を営んでおられた。

墓碑には2代目の石工であった方が墓碑を作られたと刻んである。

背面からの納骨口が小さくて骨壷が入らないので、正面からの納骨口を新たに作り直したものである。

今日は陽射しがとても暑くて、下着一枚で作業したかったが、すでに長年建っている墓の石粉を頭から全身にかぶるのはやはり気持ちのい

いものではなく、暑さをこらえて作業した。

☆午後に、先日少し作業をした一番街駐車場の、Petreのあかりモニュメントの水抜き勾配作業。

けっこぅ水溜まりの部分が水抜き穴よりかなり下がっていて、思ったよりずいぶんてこずった。

削っても削ってもスムーズに水が引いてくれなかった。

☆携帯の裏カバーが外れてはまらなくなってしまったので、ドコモで修理に出す。

本体とカバー双方のかみ合わせのツメが、何らかの圧力で閉じてしまっていてかみ合わなくなっていた。

ハルピンへは代用の携帯を持っていくことになった。

☆暮れてから少し、ハルピンの道具の作成作業。


1月6日(金)

☆よく晴れたが、底冷えの一日。

☆次男は昨夜に小学校時代の同窓会があり、午前3時過ぎに帰宅した。

そして朝のうちの高速バスで福岡へ帰っていった。

☆午後から軽トラを借りて宮崎市へ出る。

まず大型ホームセンターで、ハルピンの道具を調達する。

雪像用の道具が売っているわけではないので、建材金具を物色して、使えそうなものを自分なりにアレンジしてオリジナルの道具を作らなけ

ればならない。

☆ホームセンターを出て、ギャラリー色空へ出向いて個展の作品の搬出をする。

腰が痛いので搬出には大きな不安があったのだが、なんとか腰に今以上の負担を与えることもなく作品の積み下ろしが出来た。

☆夕刻に整骨院での腰の電気治療。


1月5日(木)

☆今日も冬晴れの上天気だったが、とても冷え込んだ一日であった。

夜には煌煌と半月が輝いているのに、霙のようなものが降って来た。

明日朝はこの冬一番の冷え込みとなるようだ。

☆高鍋町は今日が成人式で、我が家の次男も晴れて成人式を迎えた。

☆ハルピンへ行くのに9日発の博多行き高速バスに乗るのを、高鍋町から出発するバス会社に予約を入れていたのだが、今日になってバ

スがキャンセルになったという連絡があった。

なんということか、高鍋発のバスの予約客は私一人だったのだという。

それで、同じ会社の宮崎駅発のバスに振り替えてもらった。

時間的には宮崎駅発のバスのほうが30分早く博多駅に着くので、北京行きのフライトチェックインには少し時間の余裕が出来て助かる。

しかし宮崎駅までのJR運賃が余計にかかってしまう。

☆そのハルピン用のスキーウエアと道具が土田氏から届いた。

☆午前に、今日から営業開始の整骨院へ入って、電気治療をしてもらう。

どうやら足の筋の張りから腰に来ているようだ。

それに左足のふくらはぎが浮腫んでパンパンに硬くなっている。

水の溜まった右足をかばって左足に負担が来て、それが腰に連動してきたと言うことである。

☆SchoodicのFacebookへの画像UPが済んだので、今日はノルマンディーのCerisyシンポジウムの画像をセレクトしてFacebookへUPした。

アルバムのURLです。



1月4日(水)

☆風が止むと陽射しの暖かい陽気だったが、木枯らしが吹いて寒い一日となった。

☆腰は昨日以上に痛くなってきた。

☆そろそろ今年は動き始めなくてはならない。

今日はハルピンの道具を準備するつもりで、町内のホームセンターを廻ったが、使えるものはなかった。

やはり宮崎市内の大型ホームセンターでないと手に入らないようだ。

取っ手類のみ調達。

☆FacebookにUPしたSchoodicの画像にタグ付けしたり、寒中見舞いのはがきの下準備をしたりして過ごす。

☆以前のメールをチェックしていたら、8月31日に届いたChacoからのメールが締め切り変更のメールだったことに気付いた。

スペイン語だったのでメールの内容をよく確認していなかった。

私のミスと言えばミスである。


1月3日(火)

☆午前は暖かい陽気。

午後から風が出て冷え込んでくる。

夕刻からはしんしんと冷え込む。

☆朝一に、帰京する長男を宮崎空港まで送る。

正月に空港へ行ったのは初めてだったが、大変な混雑で、ANAの預け荷物検査の列がJR駅からの入り口まで続いていた。

当然、そのままではフライトに間に合わず、先発する飛行機への乗客から優先させてもらって、なんとかフライトには間に合った。

☆昨夜、焼酎を飲みすぎたのか、空港から自宅に帰ってきた途端に腰がぎっくり腰状態になって、背筋が伸ばせなくなった。

飲みすぎて肝機能が落ちると、腰に来るらしい。

数日以内に暮れの個展の作品搬出作業があるし、10日からはハルピンの雪像彫刻のハード作業が待っている。

整骨院は5日からだから、なんとか明日くらいにはストレッチで体をほぐしておかないと大変なことになる。

☆午後半ばまでかかって、某シンポジウムのエントリーデータを揃え、オンラインで一式を送る。

☆Chacoの事務局から、Chacoは11月30日で締め切ったが、ブラジルは12月30日で締め切りで、まだ受付け可能だと言ってきた。

ブラジルは今日エントリーした某シンポジウムと会期が重なるので、某シンポジウムの選に漏れたらエントリーしようと思っていた。

こちらも最初に受け取った要綱では締め切りは4月だったのである。

しかしまたもや締め切りが変更になってしまったし、Chacoとはテーマも作品サイズも異なるので、エントリーは見送る。

☆元旦にセレクトしていたFacebookへUPするSchoodicの画像を整理。

数を減らし、容量を落として、30枚ずつUPしていった。

UPした画像数は約170枚。これでSchoodicのおおよその内容が伝えられると思う。

アルバムはこちらから。Facebookに参加していなくても見れるURLです。



1月2日(月)

☆きょうも暖かい一日。

☆午前に成人式を迎える次男のスーツを買いに行って、その足で日向へ新年の挨拶に出かける。

☆午後にジャスコでハルピンに着ていくコートを買う。

☆午後3時半には日向を発ったが、すごい渋滞が続いて、高鍋へ帰ってきたのはもう5時半であった。

☆5時から始まっていた高校同窓新年会に遅れて顔を出す。

今日は例年になく参加者が少なかった。

幹事の話では、親の介護で正月は家を留守に出来ない人が多くなったのだと言う。

2次会まで顔を出し、明日は早朝に長男を空港へ送らなければならないので、今日のうちに帰宅する。


1月1日(日)

☆新年あけましておめでとうございます。

今年は昨年にもまして世界規模の波乱が予想される1年となりそうです。

今年も悔いのない1年となるよう、生きていきましょう。

☆雲は多かったものの、天気の崩れはなく、暖かい元旦となった。

☆いつもは正月は年賀状の宛名書きで費やしてしまうが、喪中で年賀状が出せないので、今日はみんなで昼近くまでだらだら過ごして、御

節を食べて新年の挨拶を交わしたのはもうお昼前であった。

☆午後はFacebookにUPするSchoodicの画像を選ぶ作業で過ごす。

☆次男が最終のバスとJRを乗り継いで11時過ぎに帰省してきた。

家族四人が揃ったのは昨年の正月以来。



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