小川晃美・撮影



極めて少ない作法

 近世の茶道、香道では、「畳の目を数えて置き場所が定める」ことに象徴されように、作法は極めて細かく、またその数は数千に及ぶと言われています。
 千家流茶道の祖・千利休は太閤秀吉を茶と焼麩、焼海苔でもてなしました。そして、利休の座法は正座などではなく胡座(あぐら)だったのです。また、木片香道の祖とされる三条西実隆は香をたいて大酒を飲んでいました。当時の書物からも分かるように、原点は共に作法の数は極めて少なく大らかであったと言えます。

 当道における基本作法は、座法、礼法、薫法、催法の四法十六段六十四式となっています。
 このように、当道の作法が極めて少ないのは、まず第一に「作法は心をデガージュ(degage:解放)するためにあり、アンガージュ(engage:拘束)してはならない。」という考え方に立脚しています。第二に、香道とは文化であり、芸術性を希求するだけでなく、精神性を重んじるものであると位置づけているからです。そして、第三には、平安朝の「公的儀礼」をもって作法とするのではなく、普段の振る舞いにおける「私的所作」をもって作法としているからです。



平安朝の座法

 座法については、平安時代の有職故実書に細かな定めがあるわけではなく、礼式以前の常識であったことが窺い知れます。
 一方で、江戸時代以降に祭神として描かれた菅原道真公の肖像画のように(  参物  に掲出した江戸時代に描かれた嵯峨天皇像も同様。)足を組まずに両足の裏を密着させて座る形式をもって平安朝座法とする見方があります。
 しかし、この両足の裏を密着させた貴人の座像は、江戸時代以降に描かれた肖像画の特徴であること。また平安時代の有職故実書にその様な記載はないこと。そして、『源氏物語絵巻』、下掲の『年中行事絵巻』といった平安時代の絵巻物にもそのような描写がないこと。以上の三つの理由から、少なくとも平安時代においてそのような座法が礼式としてオーソライズされていたとは考えられません。


京都大学所蔵『年中行事絵巻』第一巻、「朝覲行幸」の部分図
紫宸殿・額の間に座す摂政・藤原基房の図(当道模写修復図)



平安朝の結手

 当道では結手(むすびて)と称していますが、両手を重ねて親指を交差させる作法のことです。古神道、禅宗などでもこの言葉が遣われていますが、これについても平安時代の有職故実書に明確な記載はありません。
 この結手の正しい作法を行うためには、その手をどの位置に当てるのか、またどちらの手を上にするのかの二点が重要となります。
 資料が乏しい中、平安朝有職を知る上で最も頼りとなるのが『年中行事絵巻』です。
 宮中の弓場殿(ゆばでん)で執り行われる「弓場始(はじめ)」という儀式が描かれた場面で、以下の画像のように二條天皇が御倚子(みいし)に空手で腰掛けられている図があります。このように空手で描かれているお姿は極めて珍しく、笏(しゃく)または扇を携えているのが常です。
 さらに、田中家所蔵『年中行事絵巻』別本第二巻、「宮内省鎮魂祭」の部分図においても同様の結手での立ち姿が描かれており、鳩尾(みぞおち)と太淵(たいえん)の間の位置で手を重ねるのが正式な作法であることを知ることができます。


京都大学所蔵『年中行事絵巻』別本第二巻、「弓場始」の部分図
弓場殿で御倚子に掛けられる二條天皇の図 (当道模写修復図)

  当道の原典『薫集類抄』は、二條天皇の勅により藤原範兼が著す。

 つぎに、どちらの手を上にするかなのですが、平安朝礼式では笏を持つときも、空手の時も手を隠すのが作法でしたので、これらの図から窺い知ることはできません。
 当道では左手を上にして結手をしますが、これについては小笠原流礼法、また剣道の静座においても同様です。
 当道ががその根拠としているのは、当時の平安朝礼式の範であった唐国の礼式、すなわち儒教の作法です。儒教では男性は左手を上にし結手をして揖(ゆう。胸の前で結手をし礼をすること。)を行い、逆に忌事の時は右手が上となるのです。



薫物合わせ

 薫物合わせは、『源氏物語』の梅枝の帖に書かれているように、最も古い香道の形式であり、判者(はんじゃ、判定者)が判詞(はんし、判定の言葉)を述べるなどの作法が確立されていました。

 当道の薫物合では、まず二つの御題を定めます。一つは「香り写し」の御題で、菊花、梅花、荷葉(かよう。蓮の花)といった具象的な香りを模して香を調合し創作します。
 もう一つは「心写し」の御題で、和歌の気色(けしき。心情、情景)を基に抽象的な香りをイメージして香を調合し創作するのです。

 もとより当道の祖である藤原範兼は、歌人として多くの和歌を残しただけでなく、歌学者として歌集の撰定に携わった知識人であり文化人でしたので、範兼の和歌が収められた「新古今和歌集」、「千載集」などから選んで御題の和歌としています。

 「心写し」の御題では、判者が御題の和歌を披講した後、順次奏香することになります。奏香者は、その和歌に因んで名付けた薫物の名と調合を懐紙に筆書きした「方書」を読み上げます。




源氏物語が手本

 当道では、現存する我が国最古の薫物指南書である『薫集類抄』を原典、すなわち「拠り所の書」と位置づけ、また『源氏物語』を「考証の書」と位置づけています。後者の有様を描いた『源氏物語絵巻』は、『年中行事絵巻』と同様に平安時代後期に、すなわちほぼ同時期に作成されましたが、有職という観点からは両絵巻物には大きな違いがあります。
 『源氏物語絵巻』が私的情景を描いたのに対し、『年中行事絵巻』は公的実景として描かれています。そして、その違いの象徴が笏(しゃく)なのです。前者では、笏を持つ姿は一度も描かれていないのに対し、後者ではその姿は数百と描かれています。
 『源氏物語絵巻』では、月見の宴に興じる冷泉帝が、また碁に興じる今上帝が描かれています。宴や碁の対局は私的遊び事であり、笏などは持たず座を崩して行われています。(冷泉帝の御前でお相手をする光源氏は柱に寄りかかっています。)
 薫物を作る。薫物を薫く。薫物を競う(薫物合わせ)。これらは全て『源氏物語』に記されている世界であり、公的儀式・行事ではありません。
 私ども「薫物合わせ」などの催しは、このような私的遊び事であり日常の所作、すなわち「普段の振る舞い」をもって作法とすることが、お分かりいただけたでしょうか。