




当道では結手(むすびて)と称していますが、両手を重ねて親指を交差させる作法のことです。古神道、禅宗などでもこの言葉が遣われていますが、これについても平安時代の有職故実書に明確な記載はありません。
この結手の正しい作法を行うためには、その手をどの位置に当てるのか、またどちらの手を上にするのかの二点が重要となります。
資料が乏しい中、平安朝有職を知る上で最も頼りとなるのが『年中行事絵巻』です。
宮中の弓場殿(ゆばでん)で執り行われる「弓場始(はじめ)」という儀式が描かれた場面で、以下の画像のように二條天皇が御倚子(みいし)に空手で腰掛けられている図があります。このように空手で描かれているお姿は極めて珍しく、笏(しゃく)または扇を携えているのが常です。
さらに、田中家所蔵『年中行事絵巻』別本第二巻、「宮内省鎮魂祭」の部分図においても同様の結手での立ち姿が描かれており、鳩尾(みぞおち)と太淵(たいえん)の間の位置で手を重ねるのが正式な作法であることを知ることができます。

つぎに、どちらの手を上にするかなのですが、平安朝礼式では笏を持つときも、空手の時も手を隠すのが作法でしたので、これらの図から窺い知ることはできません。
当道では左手を上にして結手をしますが、これについては小笠原流礼法、また剣道の静座においても同様です。
当道ががその根拠としているのは、当時の平安朝礼式の範であった唐国の礼式、すなわち儒教の作法です。儒教では男性は左手を上にし結手をして揖(ゆう。胸の前で結手をし礼をすること。)を行い、逆に忌事の時は右手が上となるのです。
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薫物合わせは、『源氏物語』の梅枝の帖に書かれているように、最も古い香道の形式であり、判者(はんじゃ、判定者)が判詞(はんし、判定の言葉)を述べるなどの作法が確立されていました。 |

当道では、現存する我が国最古の薫物指南書である『薫集類抄』を原典、すなわち「拠り所の書」と位置づけ、また『源氏物語』を「考証の書」と位置づけています。後者の有様を描いた『源氏物語絵巻』は、『年中行事絵巻』と同様に平安時代後期に、すなわちほぼ同時期に作成されましたが、有職という観点からは両絵巻物には大きな違いがあります。
『源氏物語絵巻』が私的情景を描いたのに対し、『年中行事絵巻』は公的実景として描かれています。そして、その違いの象徴が笏(しゃく)なのです。前者では、笏を持つ姿は一度も描かれていないのに対し、後者ではその姿は数百と描かれています。
『源氏物語絵巻』では、月見の宴に興じる冷泉帝が、また碁に興じる今上帝が描かれています。宴や碁の対局は私的遊び事であり、笏などは持たず座を崩して行われています。(冷泉帝の御前でお相手をする光源氏は柱に寄りかかっています。)
薫物を作る。薫物を薫く。薫物を競う(薫物合わせ)。これらは全て『源氏物語』に記されている世界であり、公的儀式・行事ではありません。
私ども「薫物合わせ」などの催しは、このような私的遊び事であり日常の所作、すなわち「普段の振る舞い」をもって作法とすることが、お分かりいただけたでしょうか。