| JR観音寺から第六十八札所神恵院(じんねいん)は約1.5キロ。JR観音寺から真北に進み財田川を渡り、赤い琴弾八幡宮の社の前をすぎれば、もう到着。神恵院本堂のコンクリートの門にはギョ。(兵火や失火で何度も堂宇が焼失した過去の歴史を考えれば、気持ちはわかりますが・・・)
(注:神恵院の本尊:空海が行脚中、琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を染筆し本尊として安置し、札所と定められた。)
(注:本地仏【ほんじぶつ】:如来等が姿を変えて現れたのが、菩薩や権現で、本地仏は菩薩や権現の元の仏。)

神恵院のコンクリートの門
本堂もコンクリートですが、少しまし。小窓の奥に金色に輝くご本尊薬師如来さんが照明で見えたので、ありがたく礼拝しました。

神恵院の本堂
第六十八札所神恵院(じんねいん)と第六十九八札所七宝山観音寺(かんのんじ)は同じ境内にあります。観音寺は徳島にもあるので、区別するためにここのお寺は七宝山観音寺と呼びます。

七宝山観音寺の本堂
観音寺と言うだけに、5観音のそろい踏みは見事です。観音寺の納経所で神恵院の納経も同時に出来ます。しかし、2寺分600円が必要です。
(注:明治の神仏分離令により、第68番札所琴弾八幡宮の本尊聖観世音菩薩(空海が刻んだと言われる)が七宝山観音寺の西金堂に移されたためにひとつの境内に二つの札所となった。)

観音寺の5観音
第六十九八札所七宝山観音寺から第七十札所本山寺(もとやまじ)までは約4.5キロ。財田川の東側の土手をひたすら南に歩くと、はるか遠くに本山寺の五重の塔が見えてきて、あそこまでだ、と元気がでます。

↑本山寺の五重の塔
本堂は1300年建造で香川県唯一の国宝建造物で、どっしりとして威厳があります。

本山寺の本堂(国宝)
五重の塔は明治43年に再建されたと、前の石碑に書いてありました。3年前に無くなった父の誕生の年です。凛と聳えるこの塔はなんだか父の魂もここにあるような気がし、深く礼拝しました。
(注:五重の塔:四国札所には五重の塔はたった4基しかなく、他は31番竹林寺と75番善通寺と86番志度寺です。)

本山寺の五重の塔
第七十札所本山寺から第七十一札所弥谷寺(いやだに)までは約12.5キロ。ほとんど国道11号線に沿った遍路道を東にずっと歩きます。山道を登りかけたところに足湯があったので、疲れた足を入れたら、心地よい冷泉でした。

いやだに温泉足湯
海辺の観音寺から、死者は山に登るという山中他界説の形を弥谷寺は残していて、参道には非常に沢山の地蔵像や観音像が並んでいます。昔は、地元で人が亡くなると、身内の者が両手を背中に回し、死者を背負う格好をして弥谷寺に連れて行き、降ろすと振り返ることなく帰ったそうです。この話は、死者に安らかに成仏して欲しいという優しい心の儀式だと、心を打たれました。その風習のせいでしょう、山内には8万4千体!!の石仏があるそうです。

弥谷寺参道の地蔵像や観音像
境内に足を入れると、突然巨大な観音様が見下ろしています。仏像の中では観音様が一番好きなのですが、でもあまり巨大で威圧的な観音様はどうも・・・

弥谷寺境内の観音像
弥谷寺では岩盤の中に堂宇があるので、急な階段の直前が堂宇の正面です。本堂には300段もの階段を上る必要があります。お年寄りがふうふう言って休み休み上っています。

弥谷寺の本堂
第七十一札所弥谷寺から第七十二札所曼荼羅寺(まんだらじ)までは南東へ約4.5キロ。曼荼羅寺近くの山は綺麗に紅葉していました。
(注:曼荼羅寺の由来:弘法大師が金剛界と胎臓界の両曼荼羅を安置したことにちなんで、曼荼羅寺と名づけられました。)

曼荼羅寺近くの山
曼荼羅寺の大師堂の綺麗な大師像さんは見事にライトアップされていました。

曼荼羅寺の大師堂の本尊
曼荼羅寺の本尊は大日如来で、境内にも女性的な大日如来の石像がありました。

大日如来の石像
曼荼羅寺の境内には弘法大師お手上の笠松の老木が2002年に枯れてしまって、今ではその幹に彫った大師像が祭られています。

笠松の老木に彫られた大師像
第七十二札所曼荼羅寺から第七十三札所出釈迦寺(しゅしゃかじ)までは南の方へたったの約0.5キロ。境内には求聞持大師の像が。

求聞持大師(くもんじだいし)像

求聞持大師(くもんじだいし)の由来
出釈迦寺の由来は、弘法大師が7歳のとき、「仏門に入って多くの人を救済したい。それが叶わないなら、身を捨てて諸仏に捧げる」と断崖から身を投げると、釈迦如来と天女が大師を助けたとうい伝説です。境内の裏に出ると捨て身ヶ嶽禅定(すてみがだけぜんじょう)の屋根がかなたに見えました。
(注:禅定(ぜんじょう)とは禅に入り修業するする所)↓

尾根の上の捨て身ヶ嶽禅定
出釈迦寺からJR多度津まではタクシーで約2000円。途中大きな中国の宮殿のような、少林寺拳法の総本山が山手に聳(そび)えていました。今日歩いた距離は23キロ。
10月の半ばには私の実家(岩国市)に友達から譲ってもらった身長約1mのお地蔵さんを安置しました。静寂な表情が大変気に入っています。2007年11月初めの連休に、奈良の法隆寺と薬師寺と興福寺と国立博物館を廻りました。多くの仏像を見て、その魅力に引き付けられました。今日の遍路コースは特別に多くのすばらしい仏像に会いました。私が仏像に関心を持ち始めたせいもあるでしょうが。この地域の人の信心の歴史を痛感しました。

私の実家のお地蔵さん
________________________________________ B 第七十三番札所出釈迦寺から第七十八札所郷照寺 2007年11月17(土)〜18日(日) 11月17日、JR善通寺駅に汽車で夕刻5時前に着き、急いで善通寺の宿坊に到着。一泊2食付きで5900円。新しい鉄筋コンクリートで、4人部屋を一人で占めるという贅沢。泊り客は約25人。私にとって部屋も温泉の風呂も食事も大満足でした。18日の朝、6時から御影堂で読経。十数人のお坊さんの読経のハーモニーはゴスペラーのアカペラ以上のすばらしさで、お堂全体に響く読経に感動しました。読経のあと、御影堂の真っ暗な約100メートルの地下の戒壇(救済が実現する場)めぐりに皆向かいます。これは表現しがたいすばらしい体験でした。私が説明するより、皆さんに是非体験して欲しいので、詳しくは報告しません。 第七十三番札所出釈迦寺から第七十四札所甲山寺(こうやまじ)へは北東へ約3.5キロ。タクシーで先回の到着点の出釈迦寺に戻りました。タクシーの運転手さんが「小学のとき、遠足でここらのお寺は七ヶ寺詣りで来ましたよ」と。私は「お遍路の予行演習みたいですね」とコメント。彼方にきれいな三角形の山が。甲山寺は毘沙門天の甲のように裏山が見えたから、名づけられたそうです。
甲山寺のある甲山(こうやま)
甲山寺の境内には山に掘ったトンネルのような新しい毘沙門天洞がありました。

甲山寺の毘沙門天
第七十四札所甲山寺から第七十五番札所善通寺(ぜんつうじ)へは南東へ約1.5キロ。弘法大師の父の名前「佐伯善通(さえきよしみち)」が善通寺の名前の由来。広い境内に入ると天然記念物にもなっている大師が幼少の頃から生えていた大楠木がまず目に付きました。、
樹齢1300年以上の大楠
境内には、新しい5百羅漢や四国33ヶ所霊地のご本尊さんもずらりと。古いお地蔵さんも、不動明王さんも、その他いろいろ。私が気に入ったのは、壊れかけの四国33ヶ所霊地のご本尊さんです。現代的には美人ではないけど、親しみのある表情の観音さんが多かったです。
古い四国33ヶ所霊地のご本尊さ
御影堂の正面の池には空海の銅像と、父君の佐伯善通(さえきよしみち)と、母君の玉依(たまより)御前の石像が。
空海の銅像と、父君の佐伯善通と母君の玉依御前の石像
空海が生まれ、空海の自画像が奉納されている御影堂の前には、少年時代に「真魚(まお)」と呼ばれていた頃の銅像が。
少年時代の空海「真魚」
四国八十八ヶ所札所には五重の塔は4基しかなく、そのひとつです。向かって左手が南大門です。二階から上が金色に輝いているのは一部金箔が使ってあるのでしょう。見事の一言です。向かって左の金堂の金色の薬師如来も是非礼拝する価値があります。
五重の塔と南大門
第七十五番札所善通寺から第七十六札所金倉寺(こんぞうじ)へは約4.5キロ。仁王門は新しく、仁王像の周りには珍しく見るのに何の障害物もありません。金倉はこの土地の郷(ごう)の名前だそうです。
金倉寺の仁王像
ここは延暦寺五代座主(ざす)、智証大使の誕生の地だそうです。
金倉寺境内の智証大使の像
新しい七福神の像が点在していましが、ほとんど芸術的に疑問です。このこの太った子供のような弁天さんだけは可愛らしいので写真をとりました。
金倉寺の弁財天石像
第七十六札所金倉寺から第七十七番札所道隆寺(どうりゅうじ)へは約4.5キロ。この寺領が和気道隆の荘園で、開基も和気道隆だったので道隆寺となずけられたそうです。ずらりの並んだ百観音像はみごと。で、
道隆寺の百観音像
柔和でかつ気品にあふれる顔立ちの黄金色に輝く本尊薬師如来が左右対称に二体安置されていました。
道隆寺本尊薬師如来
第七十七番札所道隆寺から第七十八札所郷照寺(ごうしょうじ)へは約8キロ。ありがたく次の寺までのちょうど中間点にボランティアが作ったうちわのデザインのおへんろさん休憩所が。
おへんろさん休憩所
今日出発するときは讃岐富士(さぬきふじ)を東方に見ながら、丸亀市内では南方に見ながら、そして坂出駅近くでは西方に見ながら歩きました。讃岐富士はいい道しるべでした。
讃岐富士(さぬきふじ)
途中であった歩き遍路をしている中年の男性から、ここの地蔵餅のあんこがすごく美味しいと教えられたので、ひとつを口の中に、4個をお土産に買いました。うわさどおりの美味しさでした。この店のまん前にお地蔵さんのりっぱな祠(ほこら)が。この店の角を曲がれば郷照寺はすぐです。
地蔵餅本舗
郷照寺(ごうしょうじ)の千体観音堂の上に大きな黄金色の観音像が立っていました。なんとなくこの観音像はマリア像に似てると思うのですが?!郷照寺の宗派は時宗で、鎌倉時代に一遍(いっぺん)上人により始められた「南無阿弥陀仏」と唱え踊り念仏をする道場だったとそうです。納経所の人たちも笑顔で迎えてくださり、これも遊行上人、一遍上人の影響かと。「踊念仏はいまでも継承されていますか?」とお寺の人に聞くと、「もう踊られていなく、具体的にどのようなものかも解りません」と。いまでも踊り念仏があれば、是非踊ってみたいものです。 (注:四国八十八ヶ所霊場の宗派:天台宗は4ヶ寺で、禅宗は3ヶ寺で、時宗は1ヶ寺:ご存知でしょうが鎌倉時代に時宗以外に浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗が始まり、現在の主な宗派が出揃ったと教科書にあります。)
(注:一遍【1239
–1289】は鎌倉時代中期の僧。時宗の開祖。一遍は房号で、法諱は智真。遊行上人、捨聖(すてひじり)とよばれる。伊予国の豪族、別府通広の第2子として生まれる。幼名は松寿丸。生まれたのは道後温泉の奥谷である宝厳寺の一角といわれる。10才のとき母が死ぬと天台宗継教寺で出家。一時伊予に戻るが、32歳で再び出家、六字名号「南無阿弥陀仏」を記した念仏札を配り始める。さらに、各地を行脚するうち、信濃国で踊念仏を始めた。踊り念仏は尊敬してやまない市聖空也に倣ったものという。16年かけて陸奥(むつ)から九州大隈(おおすみ)まで日本中を遊行(ゆぎょ)した。51歳で兵庫津の真光寺で没した。盆踊りや、出雲
阿国(いずも おくに)の歌舞伎踊りも踊念仏がルーツ。)
黄金色の観音像
大きな黄金色の観音像の真下の入り口を下っていくと千体観音堂。千ではなくて、万ではないかと。ほとんどがろうそくのともし火で金色にまたたき、荘厳な雰囲気でした。
千体観音堂の本尊
第七十八札所郷照寺からJR坂出駅までは約5キロ。途中三叉路で迷って、きょろきょろすると正面に鳥居のようなモニュメントがあり、その横に見事にすっきりとした道標が。そろそろ5時近くなったので、今日は歩くのお終い。
坂出駅手前の道標
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