真言宗本山
(写真43枚)
2008年10月4日(土)、5日(日)、家内と念願の高野山お礼参りに向かいました。
| 新幹線の新大阪から地下鉄で約15分で難波に行き、南海電鉄難波駅で特急「こうや」に乗ります。
南海電鉄難波駅の特急「こうや」
列車の中で、笈鶴(おいづる:上の白衣)と輪袈裟と山野袋をつけると、心が引き締まります。1時間20分で極楽橋駅(高野山口)に着き、駅と隣接するケーブルカーで約5分でとうとう高野山駅です。
極楽橋駅のケーブルカー
細いつづら折りの道をバスで約10分揺られて、警察前バス停で降りて、少し行くと予約してある宿坊の無量光院らしき古めかしい門が見えます。宿坊は高野山宿坊組合に申し込む方法もありますが、私たちは知り合いの福岡の内科医から紹介されて決めました。越後の上杉謙信が得度したお寺です。
無量光院
朝6時から1時間半お勤めがありました。10数人のお坊さんが読経し、護摩法要も左側で同時に行われました。締め切った部屋で護摩木や種類を焼くので、少しむせました。尼さん3人の声もよく響きました。素晴らし混声ハーモニーでした。私と家内のご先祖供養もお願いし、読経のなかで、「OO様ご先祖供養ため・・・」という様に唱えてもらいました。代金は気持ちだけでいいといわれてので、言葉に甘え僅かな献金でしていただきました。
無量光院の石柱
無量光院に荷物を置いて、無量光院から千手院橋交差点に行くまでの間の「さんぼう」という店で、昼食にりっぱな精進料理を頂きました。高野山の町並みの中心が千手院橋交差点です。記憶に整理しやすいよう、西の端から高野山を見ていくことにして、まず、高さ20メートルもある大門の前に行きました。ここから天気がよければ淡路島が展望できるそうですが、今日はかすんで近くした見えませんでした。高野山は西端の大門から、東端の弘法大師御廟まで約2キロの盆地です。
高野山大門
「阿形」(あけい)仁王は江戸時代の仏師康意の作です。金網はあるけど、仁王全体を見るのにあまり邪魔になりません。(他のお寺の仁王門もこの金網を習って欲しいです。)
「阿形」仁王
「吽形」(うんけい)仁王は運長の作です。共に、非常に安定感と重量感があります。
「吽形」仁王
残念ながら、金堂の本尊薬師如来は秘仏でした。
金堂:壇場伽藍
根本大塔は高さが約50メートル、日本一の多宝塔だそうです。内部には大日如来、四仏、十六大菩薩が祀られ、それは立体曼荼羅となっています。大きな柱にも仏画が描かれ、絢爛豪華さに目を見張ります。特に薬師如来の柔和な表情が気に入りました。
根本大塔:壇場伽藍
壇場伽藍の西と東に鮮やかな東塔、西塔の多宝塔があります。
東塔:壇場伽藍
個人的にはこういう銀閣寺風な建物が好きです。三昧堂の向かって左手には西行法師お手植えの桜の木がありました。
三昧堂:壇場伽藍
高野山霊宝館はあまりに沢山の仏像や掛け軸や、曼荼羅や、書類が展示してあり、とても理解しては見れませんでした。次の機会に、勉強に来たいです。
高野山霊宝館
壇場伽藍(だんじょうがらん)から金剛峰寺へ通じる蛇腹路(じゃばらみち)はもみじのトンネルで有名なのだそうですが、まだ早すぎて、ほんの少ししか紅葉していませんでした。
蛇腹路
大師教会の奥の受戒堂で戒牒(かいちょう)を授かる受戒の儀式を受けました。ろうそくが僅かにともる、暗闇の中、大阿闍梨(だいあじゃり)さまが十善戒(じゅうぜんかい)などの読経をされ、信者が一人一人檀上にあがり、お言葉を受けてお札を頂きました。
大師教会
十善戒の戒牒です。「なかなか十善戒を守ることは難しいが、日々反省して、守る努力をすることが大切です」と話されました。この十善戒の内、私は不綺語(ふきご)という教えが好きです。ざれごと、すなわち不誠実な言葉を慎みなさいということです。特に、日本の政治家にお願いしたいものです。
十善戒の戒牒
総本山金剛峰寺の入り口参道からして、まねできない大変な美しさです。花は咲いていないけど、両側のしゃくなげの長い葉が目に付きました。 (注:境内のしゃくなげは天然記念物に指定されています。)
金剛峰寺山門への石段
とうとう、高野山真言宗総本山の山門が目の前です。。
金剛峰寺山門
金剛峰寺は高野山真言宗総本山の座主の住寺で、社務所があります。読経をして、納経しました。
金剛峰寺大主殿
金剛峰寺の庭が素晴らしいと聞いていましたが、ほんとでした。
金剛峰寺蟠龍庭の石碑
蟠龍庭(ばんりゅうてい)は石庭としては日本一の広さで、雄雌2匹の龍が雲海の中で、奥殿を守っているように石が並べてあるとの説明をお坊さんから受けました。
金剛峰寺蟠龍庭:西側から北方の眺め
蟠龍庭の石は四国産の石、白砂は京都のものだそうです。
金剛峰寺蟠龍庭:中央から西側の眺め
金剛峰寺新別殿では、約10分間のお坊さんの法話を聞きながら、お茶とせんべいのお接待を受けました。後正面の来迎図は神々しく綺麗でした。
金剛峰寺新別殿の来迎図
真然廟の中には二代目座主真然のお骨があるそうです。
真然廟:金剛峰寺
無量光院の2件南隣が普賢院(ふげんいん)です。
普賢院山門
赤白の鮮やかな八角堂摩尼殿(まにでん)が目に付きます。 普賢院摩尼殿
普賢院の金剛菩薩を訪ねるよう知り合いから薦められていました。真新しく、すがすがしい雰囲気で、かつそれぞれの5体の仏の姿勢、表情が違ったもので、みごとでした。
普賢院摩尼殿金剛菩薩
西の入り口普賢院四脚門は珍しい唐門です。
普賢院四脚門
高野山の町並みの中心・千手院橋交差点から500mばかり西に行ったところに成福院(じょふくいん)の摩尼宝塔(まにほうとう)という多宝塔があり、そこはビルマ仏教の博物館でした。「ビルマの竪琴」の舞台の様々な遺品も展示されていました。ビルマ仏教文化の素晴らしさが解ります。入場無料です。必見です。
成福院摩尼宝塔
奥の院の入り口が一の橋です。一の橋バス停でバスと降りました。
奥の院一の橋
鬱蒼とした広大な墓地です。まず、親戚の地域の加賀藩の墓地を拝みました。藩主の墓は五輪塔の形の墓が一番多かったです。 (注: 五輪塔は密教で言う「地・水・火・風・空」という宇宙を構成する五大要素をあらわしています。)
加賀藩墓地
私の故郷の岩国の毛利藩墓地は崩れかけでした。岩国市そのものも基地問題などで、モラルもなにもかも、崩れかけです。
毛利藩墓地
中の橋を越えたところに汗かき地蔵尊があります。覗いてみましたが、そのときは汗をかいておられませんでした。 (注:汗かき地蔵尊は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって代わって受けて、それで汗を流しておられるのだそうです。黒っぽい石材に地蔵尊が半肉彫りされていて、実際にツユが吹いて、汗が流れているように見える時があるそうです。)
中の橋と汗かき地蔵
高麗戦争の、敵と味方を共に慰霊した記念碑です。武士道の見本とされています。 (注:高麗戦争;一三世紀後半の対元・高麗戦争【元寇】)
高麗戦争慰霊碑
高麗戦争慰霊碑のすぐ横には色んな墓碑が立っていました。 (注:宝篋印塔(ほうきょういんとう);塔婆の一形式。中世以降主として石造塔に用いられた。宝篋印塔の名は、内部に『宝篋印陀羅尼』を納めたことに由来する。『宝篋印陀羅尼』とは、一切如来の全身舎利の功徳を集めた呪であって、四十句からなる。これを誦すれば、地獄の先祖に極楽に至り、百病・貧窮の者も救われるという。)
鳥居:三重の塔:角塔婆:宝篋印塔(ほうきょういんとう)
御廟橋の手前の川のほとりに沢山の色んな仏像が並んでいました。
水向地蔵
御廟橋から先は聖域なので写真撮影は禁止です。
御廟橋
御廟橋の奥に見えるのは、性格には御廟の礼拝堂:燈籠堂です。その奥に小さな建物がありそれが本当の御廟:納骨堂です。 (注:燈籠堂;御廟の前室として真然[しんねん]が創建。参道正面の石段上にあり、たくさんの灯籠が堂内いっぱいに下げられている。なかでも1016年(長和5)祈親[きしん]上人が高野山の復興を祈念して献灯した祈親燈は、貧しいお照という娘が髪を切って売り、献じたものと伝えられており、俗称貧女の一灯ともいわれる。1088年(寛治2)に白河法皇が献じた白河燈とともに「消えずの燈明」とよばれ、絶えることなく燃え続けている。)
御廟橋から御廟を望む
まだ記憶が新しい、1995年の阪神淡路大震災の物故者の慰霊碑がありました。
阪神淡路大震災物故者慰霊碑
奥の院の東の区域に、多くの戦没者の慰霊碑があり、その奥に英霊殿がありました。
英霊殿
昼は「花菱」でまた立派な精進料理を頂きました。お土産は饅頭の「みろく石」とごま豆腐を買いました。「みろく石」は粒餡(つぶあん)がいっぱいで、絶対お勧めです。そして、私へのお土産は「般若湯」という名のお酒。これはまた美味しい。冬の間は寒いので、高野山でも「般若湯」を頂くことは昔からゆるされていたそうです。それなら、私も、坊主の修行ができそう?!
般若湯
帰りは預けていた荷物を取りに無量光院に寄り、一番近い警察前バス停からバスに乗りました。来たときはこれが警察の建物とは気がつきませんでした。
高野警察交番
ケーブルカー高野山駅の周りは寂しく、うどん屋が一件あるだけです。
ケーブルカー高野山駅
帰りは臨時便のケーブルカーなので、正面から景色を楽しめました。
下りケーブルからの景色
高野山のご詠歌は「ありがたや野の山の岩陰に大師はいまだおわしますなる」です。標高900メートルの盆地にある、117のお寺の並ぶ高野山は、俗界から離れた独特の雰囲気をもった宇宙都市ラピュタのようでもあり、その美しさは京都のようでした。特に印象的だったのは、@無量光院での護摩法要(ごまほうよう)を含む朝のお勤め、A金剛峰寺新別殿では、お坊さんの法話、B大師教会での受戒の儀式の体験でした。参拝者を温かく迎えるこの聖地には確かに、弘法大師さんがいまだおわします。 (注:高野山;弘法大師が真言密教の根本道場として816年に開創されました。2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されました。)
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