伊予の国(菩提の道場:愛媛県)
ぼだい
第四十番札所観自在寺から第六十四番札所前神寺
(写真154枚)

伊予の国札所(「四国八十八ヶ所詳細図帖」:雑誌四国発行より)
丸数字をクリックするとその段落へ行きます。
| J | JR宇和島駅から第四十番札所観自在寺へ(逆打ちです) | 2007年6月16日(土)
〜17日(日) |
| K | JR宇和島駅から第四十三番札所明石寺へ | 2007年6月23日(土)
〜24日(日) |
| L | 第四十三番札所明石寺から
第四十四番札大宝寺へ |
2007年7月17日(火) |
| M |
久万高原役場から第四十五番札所岩屋寺へ
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2007年8月23日(木) |
| N |
久万高原役場から第四十八番札所西林寺へ
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2007年9月2日(日) |
| O |
第四十九番札所浄土寺から第五十一番札所石手寺まで
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2007年9月9日(日) |
| P |
第五十二番札所太山寺から
第五十三番札所円明寺まで |
2007年9月30日(日) |
| @ | 第五十四番札所延命寺から
第五十八番札所仙人遊寺へ |
2007年4月18日(水) |
| A | 第五十九番札所金光山国分寺から
第六十一番札所香園寺へ |
2007年5月20日(日) |
| B |
第六十一番札所香園寺から 第六十四番札所前神寺へ |
2007年5月27日(日) |
| C | 第六十二番札所宝寿寺から
伊予三島駅へ |
2007年6月3日(日) |
| D | 伊予三島駅から
第六十五番札所三角寺へ |
2007年6月9日(土)〜10日(日) |
J JR宇和島駅から第四十番札所観自在寺へ
2007年6月16日(土)〜17日(日)
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自宅からJR宇和島駅へ 2007年6月16日(土) 午後8時ごろJR今治駅に愛車プリウスで到着。駅前の駐車場は安くて何時間止めても一回たった500円だとのこと。今治駅から特急に乗り込むと、お遍路姿の75歳ぐらいの女性が座っていたので、「何処の札所に行かれますか?」と声をかけると、宇和島(仮名)さんは「高野山に行ってきた帰りです。41番札所の龍光寺の近くの家に戻ります」と。「何がきっかけでお宅はお遍路されてます?」と逆に聞かれたので、「いろいろ訳は沢山あるのですが、3年前に両親と義母が亡くなったので、弔うことも目的です」と答えると、「私は12年前に交通事故で命拾いした、そのお礼参りです。自転車に乗っているところを後ろから車に当てられ、側溝に落ちて、骨盤と肋骨7本を複雑骨折し、胸に溜まった血液を抜くけど、なかなか出血が止まらず、いつまでも止まらなかったら命がなかったところです」と。宇和島さんは俳句の同人誌とメモを持っておられたので、「どんな俳句を作られているのですか?」と聞くと、彼女の名前があるページを開いて見せてくれました。4句あるうちのひとつは「ゆきやなぎ 風にもまれる 高野口」でした。列車を降りるとき宇和島さんは体を大きくゆすって足をひきずる歩行でした。私は彼女の腕を抱えて一緒に降りました。 宇和島駅でベンチに座っていると、やがて終列車が着いて、しばらくすると駅員が「戸を閉めますよ」と言うので、仕方なくバス停のベンチに移動。腕時計式の蚊取り線香のスイッチをいれ、ベンチに寝袋を敷き寝ようとするのですが、車や足音でなかなか寝れません。しばらくすると、酔っ払いの男性が2つ向こうのベンチで寝転んだので、仲間が出来たので心強く思ったのが大間違い。大いびきで、ますます寝れず。(教訓:大きな駅の近くでは野宿しないこと)
6月17日(日) 宇和島駅から第四十番札所観自在寺(かんじざいじ)までは約44キロ。朝4時半ごろ宇和島駅を出発。駅近くの番外札所龍光院前に来て急な階段の上の山門に向かって一礼。約4キロは町の裏道を通り国道56号線に合流。さらに面白味のない国道を5キロ進むと1710mの長い松尾トンネル。急ぎ足でトンネルを歩いていると、真ん中あたりで自転車を手で押している60歳ごろの男性に出会い、「逆うちですか?」聞かれ、「いや、この区間だけ逆に歩いてます」と返事。88番札所から逆に遍路する人はベテランが多いので尊敬されます。トンネルと出るとすぐ、この田舎にはふさわしくない洒落(しゃれ)た喫茶店「磯」(いそ)が見つかり、モーニングサービスを注文。「磯」(北宇和郡津島町高田TEL0895-32-5035)のマスターが「長いトンネルを通らんでもすむよう、私らーがすぐ上に遍路道を整備したんですよ」と言われるので、壁に貼ってある地図を見れば、地元のライオンズクラブが整備したあまり遠回りにならない遍路道が示してありました。
松尾峠遍路道
津島の町に入るとと、初めは岩松川の東土手、次に芳原(よはら)川の西土手をずっと国道とほぼ平行に綺麗な草木の花がいっぱいの素敵な遍路道が続いています。地域の方に大感謝です。大門という所で、国道を横切り案内看板を見て峠に向かう古い遍路道柏坂越えへ入りました。
柏坂越え(「DE・あ・い・21」のHPより)
途中休むところもなく、4キロ急な土道を登ると「茶堂」休憩所にやっとたどり着いたところが、20匹の蚊の大群のお出迎えです。 「茶堂」 急いでシャツを着替えて、さらに登り、つわな奥展望台近くのベンチで一休み。蒸し暑いと倍疲れる感じです。ここからは由良半島が日本画のように眼下に。少し登ると柏坂峠(標高約460m)で、ここからは急な下り道です。
つわな奥展望台から望む由良半島
下り道には次から次に10ヵ所近くもベンチなどの休憩所が配置してあるのです。私は逆に歩いているから登りに休憩所がなくて大変なので、普通に順に歩いている人にとってはベンチが多いほうが登りだから都合いいわけです。柏(かしわ)という町でまた国道56号線に。ここから西側の海には真珠やヒオウギガイ(帆立貝に似たカラーフルな貝)の養殖いかだの浮かんで静かな湾が熱帯の赤い花の咲いた木々の間から眺められます。4時ごろやっと第四十番札所観自在寺につきほっと。本堂の右手には観自在観音のブロンズ像が優しく微笑んでいました。 観自在観音 大師堂の前には、大きな五鈷杵(ごこしょ)も3鈷(さんこ)も単鈷(たんこ)も並べてあり、魔よけのご利益があると言うことで参拝者がつぎつぎ触っていました。 3鈷 単鈷 4時半ごろには観自在寺前の平城札所前バス停に乗り心地の良い宇和島バスがすぐきて、一路宇和島駅に。 義兄が7月初めに心臓のバイパス手術を受ける予定なので、姉が心配してよく私に電話をかけてきます。義兄のためにもいい音色の鈴のお守りをゲット。親戚も知人も周りには重病人が沢山。お守りがいくらあっても足りません。良いお守りを手に入れて、病む人に手渡すのも、私のお遍路の大切な目的になっています。
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K JR宇和島駅から第四十三番札所明石寺へ
2007年6月23日(土)〜2007年24日(日)
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自宅からJP宇和島駅へ 2007年6月23日(土) 今治から一般道路を130キロ延々と走り、午後11時ごろJR宇和島駅に到着。駅から300メートルほど南にいった所の番外札所龍光院前の駐車場にプリウスを止めてひと寝入り。
JP宇和島駅から第四十一番札所龍光寺まで 2007年24日(日) JP宇和島駅から第四十一番札所龍光寺(りゅうこうじ)までは約10キロ。朝4時ごろ、駅前の一時間100円の有料駐車場に入り、もう小雨が降り出していたので、大きなこうもり傘を手に、ビニールのポンチョをかぶり出発。梅雨の中を歩いているようなお遍路さんへ他に誰もいません。菅笠は頭が蒸すので、傘のほうが、雨が止めば日傘の効果もあり、快適だということがわかりました。県道57号線に沿って歩き、小さな峠に差し掛かったところで、地域のボランティアが建てた新品の光満休憩所という東屋が見つかり、ありがたく使わせてもらいました。その壁には四国各地の遍路道にゴミの不法投棄が見つかり、ボランティアが大量に回収したという新聞記事が貼ってありました。備え付けのノートに私も一言「私もビニール袋を片手に、空き缶を拾らいながら歩いてます」と。
光満休憩所
龍光寺の石段の上の正面にはお寺にふさわしくない真っ赤な鳥居がでんと。もと「三間のお稲荷さん」と呼ばれていた場所の手前に本堂が建てられたためだとか。
龍光寺の正面
納経所で中年の女性が「今日は和尚さんは居られないのですか?ここにくるたびに和尚さんからいい話をしてもらっていたので、楽しみにしていたのですが」と話しかけると、和尚さんの奥さんらしき人が「昨年ガンで亡くなりました。本人はガンだと知っていたようですが、黙っていました。ここにあるタオルの絵はみな和尚さんが書いたものです」といってかもいに掲げてある3枚のタオルを指さされました。やさしい顔立ちの観音様のデザインのタオルを1枚購入。奥さんに近道を教えてもらい、裏山を越えて県道31号線に出ました。
龍光寺本尊十一面観音
第四十一番札所龍光寺から第四十二番札所仏木寺(ぶつもくじ)まではたった3キロ。境内に柔和な救世観音様がお迎えでした。
救世観音
仏木寺では、毎年6月の丑(うし)の日に、牛や馬の厄病払いのお祭りを行うそうです。そこで売っていた牛の形をした車用の反射板ステッカーをゲット。納経所のひとが「この牛の形をしたのは珍しいので、人気があるんですよ」と。
仏木寺のステッカー
第四十二番札所仏木寺から第四十三番札所明石寺(めいせきじ)までは約11キロ。途中歯長(はなが)峠というすごい急峻な坂があり、ロープ代わりに鎖が張ってあったりして、峠に着いたとき下着はじゅくじゅく。峠に歯長峠休憩所があり、その中に掲げてある看板によると、この峠に歯の長さが1寸もある豪傑が庵を構えていたのがこの峠の名の由縁だそうです。
歯長峠の由来
さっさと服を着替えて、小雨の中出発。急な下り坂はすごく危ないのですが、こうもり傘がもう一本の杖となり、大変重宝しました。(教訓:危ない下り坂では杖を2本使うこと。) 明石寺の仁王門はずいぶん立派で古くていい雰囲気。門の真下に入ると山門修理の募金箱が置いてあるので、少し寄付。
明石寺の仁王門
ここでも本尊さんは公開されていませんが、納経所の棚の上にあるひょうたん型のお守りを口から覗いてみると、ここの本尊さ十一面観音の美しいお姿が見えたので、喜んでこれを購入。
明石寺のご本尊お守り
門前の駐車場の横の大きな食堂で、ひとり手打ちうどんを食べて、元気を出し、卯之町の商店街をつき抜け、JR卯之町駅に近づいた頃雨足が強くなったので、今日は速めに打ち切りにして、列車に乗り宇和島駅に。 「憲法九条は仏の願い」(http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31810179)という本を最近読み、念仏者9条の会(http://www18.ocn.ne.jp/~hongan9/)というのがあることを知りました。そのホームぺージで6月26日小倉で「念仏者9条の会第4回全国集会があることを知り、元津田塾大学教授ダグラス・ラミスさんの講演を聞いてきました。十善戒で「不殺生」がまず掲げてあることを考えれば、憲法九条は当然仏教徒の考えだとは思っていましたが。私は十善戒を頭に浮かべながらお遍路をし、蚊は別として、虫も殺さぬよう気をつけています。会場で久しぶりに下関から友達のFさんに会い、話もできたのは嬉しかったです。Fさんは「浄土真宗遺族の会」の活動を熱心していて、靖国神社に自分たちの遺族を合祀するのに反対しているそうです。「念仏者9条の会」にはもう1000人以上の賛同者がいるとのこと。私も早速加入しました。仏教徒に憲法九条を守る活動が広まる事願わずにおれません。
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L 第四十三番札所明石寺から第四十四番札大宝寺へ
2007年7月17日(火)〜7月22日(日)
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JR卯之町駅からJR内子町駅へ 2007年7月17日(火) 午前1時家を出て四国までは高速を走り、経費節約のため今治ICで高速を降り、一般道を松山ICまで走り、また高速に乗り卯之町に着いたのは6時ごろ。最後の道は大洲南ICから西予ICまでの約20キロの新しく出来た有料道路宇和道で、50キロ制限で料金550円にはムカッ。JR卯之町駅の南に隣接する宇和文化会館に遠慮がちに車を置いて、いざ出発。 10キロ歩いて、鳥坂(とさか)峠の登り口の手前で喫茶店「ペチカ」に入り、マスターに「鳥坂峠は険しいですか?」と聞くと、「それほどでもないですよ。でもトンネルより峠は倍ぐらいかかるので、歩く所は狭いけど、大抵トンネルをあるいてですよ」と。鳥坂峠の登り道に入るとすぐ趣(おもむき)のある「鳥坂番所跡」の家屋。説明板には「・・・巡拝者については比較的楽に番所を通行できたそうです」と。トンネルを通っていたら、この史跡は見られないところでした。 鳥坂番所跡の説明板
鳥坂番所跡
あわてて家を出たので、シューズを忘れドライブ用のサンダルで坂を登っていると両足の親指が痛くなってきて、足をひきずりながらの苦行となりました。でも、鳥坂峠の頂点では、神妙な表情のお地蔵さんが迎えてくれました。
鳥坂峠のお地蔵さん
峠を越、急峻な坂を降ると、突然トンネルの出口が現われ、これからは楽な国道56号線の下り道です。約3キロ歩くと番外札所「札掛(ふだかけ)大師堂」。札掛大師堂は弘法大師が休憩するときにお釈迦さんの御影(おすがた)札を掛けたというのが名の由縁だとか。門には立派な鐘が吊るしてあるのですが、住職不在で、境内は草や雑木が生い茂り荒れ放題。そこで私は腕まくり。草を抜き、雑木を折り、弘法大師像に巻きついた蔓を取り除きました。一時お遍路さんが住職の変わりに住み込んでお寺を管理していたそうです。どなたか、お遍路さん、住み込みませんか?
札掛(ふだかけ)大師堂
札掛(ふだかけ)大師堂の山門
鳥坂峠から焼く10キロ歩くと、レンガ舗装の大洲の観光街にはいり、何かのみやげ物の卸業らしき店にはいり靴屋の場所を聞くと、おかみさんが「これお接待」と、腹ペコの私にお饅頭を2個。すぐ近くの小さな靴屋で、「靴を忘れて、サンダルで歩いていると足が痛くなったので、安い軽い靴をください」と言うと、店主のおじさんが「これは特価品ですよ」といいながら、奥から2300円の黒いビニールのウォーキングシューズを引き出してくれました。それを履くと足に羽が生えたようで、嬉しくなりました。肱川(ひじかわ)橋の手前にある休憩所で、すぐ北の小山の上の小さいけど重厚な構造の大洲城を見ながら、「古城ながめ饅頭くらう幸せよ」と下手な句をひとつ。 肱川(ひじかわ)橋から訳5キロ行った所に有名な十夜ヶ橋(とよがはし)。十夜ヶ橋に隣接する番外札所永徳寺を参拝し、御影を購入。十夜ヶ橋の下で弘法大師が一晩野宿したけど、あまりの寒さでまるで十夜のように長く感じたというのがこの橋の名の由来とか。今は石の弘法大師がぐっすり寝ておられました。
永徳寺の御影札
十夜ヶ橋の下の弘法大師 十夜ヶ橋から約5キロ歩き、JR五十崎(いかざき)駅の近くからは山中の小道。その道は不思議に、人工的か自然か、ずっと芝生で敷かれていて、JR内子(うちこ)駅の近くまで続いていました。疲れて、痛む足に、天の恵みかとすごく感謝。内子駅では列車運悪く、1時間も待って、列車で出発点の卯之町へ。 今日歩いた距離は約40キロ。四国のお遍路の全行程は約1400キロ。まだ半分にも達していません。梅雨の時期は蒸し暑く、倍疲れる感じです。春や秋がお遍路のシーズンと言われていますが、私は四国の春夏秋冬を体験したいので、夏も冬も歩くつもりです。
______________________________________ JR内子駅から第四十四番札所大宝寺へ 2007年7月22日 JR今治駅に車を止め、終列車でJR内子駅へ着き、駅の硬いベンチで4時間ばかり仮眠、曇り空のまだ薄暗い早朝5時に出発。 JR内子駅から第四十四番札所大宝寺(だいほうじ)までは約37キロ。内子の古い町並みを約1キロ歩いて、内子橋を渡ると、ここからは小田川に沿ってひたすら北上。川底には緑がかった巨石が多く、水も緑っぽく、流れを楽しみながら時を忘れてスタスタ。内子駅から約8キロ来たところに立派なお遍路無料宿があり、中に入っておにぎりをひとつ。こんなに良い宿泊所がるのを知っていたら、前の日に来てここに泊まればと悔やみました。万歩計を見れば、7000歩ぐらいで、一歩が約1mだと解りました。
内子駅から約14キロ来た所に千日宿記念大師堂という建物があり、どういう意味だろうと考えながら、中に入って説明文を読むと、この地域の人が1000人に宿を貸し、手打ちうどんを振舞ったという記念のお堂だそうです。
千日宿記念大師堂
さらに1キロ進むと、弘法大師が美味しい水を飲んで楽になったと伝えられている楽水大師堂。私もその美味しい水をガブガブ飲んで楽に。
ここらの大宝寺へ向かう遍路道には次から次に大変な数のお地蔵さんや菩薩さんがお遍路さんを見守ってくれます。コンクリートの防災壁が作られたところでは、1m角の祠(ほこら)となって、石像がきちんと祭られています。大宝寺を敬う、地域の人の心がうかがえます。
内子駅から約30キロ、大宝寺の手前8キロのところは険しい峠、下坂場峠。標高は570mと。峠を下ったところは葛城(かつらぎ)神社。神社名を刻んだ大きな石柱の草書の重厚さが目を引きました。そこで道が鋭角に曲がり解りにくいポイント。
次に向かうのは鴇田(ひわた)峠。登り坂の途中で切ったばかしの杉の木に道を塞がれ、遠回りしていると、上のほうから若い木こりが「すみません、通れますか?」の元気な声。久万町は杉の産地で有名なのだそうです。それから、さらに何人かの木こりに会いました。頂点に着くと、標高800mの標識。しんどいはずです。 峠を越え2キロ下ると国道33号線。35キロ歩いたのに万歩計を見るとなんと70000歩。1歩が平均たったの50cmというわけ。万歩計は距離計の役目は全然しませんでした。もう午後4時なので、あと2キロで大宝寺だけど、5時ごろのバスに乗るため、近くの久万タクシー会社に行き、大宝寺に大急ぎ、タクシーを待たせて参拝を済まして、納経所でお守りと「おくま饅頭」を購入。家に帰って、その「おくま饅頭」の説明書を読むと、弘法大師に山里のおばあさん「おくまさん」が美味しい饅頭をご馳走したのが、この久万町の名の由来と聞き、納経所で饅頭を売っていたことに納得。
おくま饅頭
おくまさんの逸話
午後5時ごろ久万高原(くまこうげん)バス停からバスで国道33号線をひたすら北へ向かい、途中でつづら折が何箇所かあり、ずっと眼下には砥部(とべ)の町明かりがキラキラと、久万高原が随分高いところにあることが実感できました。途中うとうとし、あわててバスを降りるとき、バスの運転手さんに「久万高原バス停から松山駅までどれくらいかかりますか」と聞くと、「時間帯にもよりますが大体1時間10分です」と。 今日は他のお遍路さんにも会わず、ほとんど人と話はしませんでしたが、歩く私に何十人もの人が一言、「ご苦労さん」とか、「暑いですね」とか、「気をつけて」とか、「雨に降られんといいですがね」と。大宝寺に向かうこの道の厳しさを知ってか、やさしく声を掛けてくれました。掛けられた声に背中を押されての正直しんどい遍路でした。
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M 久万高原役場から第四十五番札所岩屋寺へ
2007年8月23日(木)
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久万高原町(くまこうげん)役場に目立つプリウスを目立たないように一番隅にそっと置いて、すぐ隣の喫茶店「アップル」に。喫茶店「アップル」の隣は障害者のための共同作業所「アップル」で、4人がテーブルコースターを作っていました。障害者の男性が入れてくれたコーヒーは一杯がたったの200円。コーヒーを飲みながら「これから岩屋寺に行くんですが」と言うと、「今頃ここらも暑いですから気をつけてください」と。共同作業所の経営する喫茶店の例はテレビで見ていて、一度使ってみたいと思っていたけど、偶然入るとは!
喫茶店「アップル」
久万町の商店街を抜けて総門橋を渡ると、背の高い総門が見下ろすように立っているので、この道で間違いなし。大宝寺は前回納経を済ましたので、礼拝だけ。 第四十四番札所大宝寺から第四十五番札所岩屋寺(いわやじ)までは約9キロ。大宝寺からすぐ山奥に小道を登ると、峠に平たい原石で組まれた祠(ほこら)の中に微笑の非常に良い石仏が座っていました。この峠の真下を通る県道12号線のトンネルは峠御堂(とうみどう)トンネル。
峠を降りるとトンネルの出口に着き、県道をぼつぼつ歩いていると、半ズボンの白髪頭の頑丈な男性に追いつかれ、それからは彼と一緒に国民宿舎古岩屋荘まで退屈をしない二人遍路(同行3人?)となりました。彼は東京の会社を有給休暇を全部使って前倒し退職してきたそうです。「祖父と父が行きたいと言っていたお遍路を自分が代わりにしているんですよ」とか、「高知県は一日中歩いても、一軒の店も休憩所も無い所もあり、しんどかったです」とか「まめが三つも出来てつぶれて痛かったです」とか話していました。 話しながら歩いていると、古岩屋という蜂の巣のように大きな穴だらけの岩山が突然現れびっくり。
古岩屋
そのまん前が古岩屋国民宿舎。ここで温泉だけでも入れるそうです。
国民宿舎:古岩屋国民宿舎
そこから2キロ進むと右手に岩屋寺入り口の標識。入り口近くに眼鏡を掛けた托鉢のお遍路さんが立っていたので、小銭を入れて「暑いですねー」と言うと、「岩屋寺の山を越えるとあとは歩きは楽ですよ」と。バス遍路をしたことのある親戚のおばさんが話していたのは、「岩屋寺の石段がすごくきつくて長いので、一緒に行った一人の女の人が、自分は下で待っているから他の人は行ってきてというのを、全員がゆっくり登るから一緒に行こうと言って登ると、不思議にその人も最後まで登れたんですよ」と、感慨深そうに話していました。岩屋寺は後ろに聳え立つ山が本尊なので、大師堂が本堂より大きいのが特徴。
岩屋寺(2枚一組です。一度に写真が撮れませんでした。)
大師堂の裏から峠まで、急な石段と坂、いわゆる修行場があります。奇岩怪石に囲まれた険しい道で、修行者を守るように道に沿って種々の名前のついた不動明王が点々と45体並んでいました。峠を越えると尾根伝いにづーと緩やかな坂が約4キロ。また県道に出て、帰りは楽をして峠御堂トンネルを、蛍光タスキをトンネル入り口の小箱から取り出して、大急ぎで走り貫けました。 車で帰る途中、役場の次の信号の南かどのおくま饅頭本店で、家内のお気に入りの「おくま饅頭」をお土産に。私の親戚にこの地方出身の久万(くまん)さんという人がいます。もしかして、弘法大師に饅頭を差し上げた、この町の名前の由来ともなった「おくまさん」の子孫かも知れません!?。
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N 久万高原役場から第四十八番札所西林寺へ
2007年8月23日
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久万高原(くまこうげん)役場から第四十六番札所浄瑠璃寺(じょうるりじ)までは約17キロ。また久万高原役場の駐車場の隅に車をこっそり留めて、国道33号の緩やかな上り坂を三坂峠(みさかとうげ)を目指して出発しました。役場から最初の信号の角に、おくま饅頭の店がありました。
おくま饅頭店
少し歩くと久万高原カントリークラブの入り口の二十番館という喫茶店でモーニングサービスを注文。「ゴルフ場はどこにあるのですか?」と聞くと、女店員さんは「ここの奥すぐ300メートルの所です」と。美味しいコーヒーと女店員の笑顔で元気をもらい、こうもり傘をさし、炎天下の国道をボツボツ三坂峠へ。
約7キロ国道を歩いて、三坂峠のバス停から右手に入る編と道の角に道標がありました。優しい弘法大師様の手が(?)彫られていました。
左:松山道:右へんろみち、の道標
そこから転げ落ちそうな急な坂を少しくだり、木のベンチに座りサンドウィチを食べていると、40さんぐらいの男性、高野さん(仮名)がにこやかに「もう昼食ですか?」と話しかけてきました。高野さんは7年間高野山で真言宗の修行をし、住職もしていたそうで、今は事情があってやめているそうです。「真言宗について少し質問をしていいですか?『おんあぼきゃべいろしゃのう・・・』とかの真言の意味を勉強したほうがいいですか?」と言うと、野さんは丁寧な説明で、「真言は仏教発祥の地の言葉サンスクリット語で、意味は解らなくても唱えるだけで霊力があると言われています。たとえば、十一面観音菩薩(四十四番大宝寺の本尊)の本尊真言は『おん、まか、きゃろにか、そわか』で、その意味は『悲(慈悲のこころ)のこころをもっておられる仏様、あなたにお慕い申し上げます』と言う意味です。真言の意味を知れば、より心をこめて唱えられると思います」との話に納得。野さんは今度で4回目のお遍路で、「こんど高野山にお参りに行くときには、手のひら大の金属のお大師像が売っているので、座っている像はいま家の棚に祀っているので、今度は立っている像を買うのが一番の目的です」と。
急な坂約2キロを降りて、村落に入ってすぐ坂本屋という接待所があり、麦茶を呼ばれながら、ボランティアの二人の若い男性が「もう稲刈りはすましました」などの話。きょうは猛暑のせいか私を含め歩いてきたお遍路さんは今までのところ、たった3人だそうです。 (注:坂本屋のホームページ(http://www.nora.or.jp/sakamotoya/)によれば:むかしむかし〜明治末期に建てられた、坂本屋(船田家)は表を旧土佐街道が通っていて遍路宿として又、馬子の休息所として賑わいを見せていたそうです間口六間の土間が特徴で2階からは瀬戸内海も望むことができます。戦後まもなく休業閉鎖したためかなり荒廃していましたが平成16年春NPO法人や地元の有志や大学教授さらに松山市、国土交通省などの協力で復元されました。土間には囲炉裏や竈(かまど)も復元し雨漏りやトイレの修理もしました。平成19年で4年目になります。旧遍路宿ですのでお遍路さんの接待を中心に活動することを協議決定、毎週 土・日に午前9時より午後3時まで開放し湯茶の接待をメンバーが交代でしています。) さらに少し歩くとめずらしい直径が4メートルもある「網掛け石」がでんっと。弘法大師が網をかけて引っ張った跡だとか。
「網掛け石」
浄瑠璃寺の境内はうっそうと格好の休憩所です。木々の間のベンチで服を着替えて、おにぎりをひとつ。大きな仏足石があり、ご利益があるからと参拝者の人たちが裸足で踏んでいました。
微笑む観音様の足元からに延命水が出ていたので、一口。「延命」という言葉に惹かれるのも年のせいでしょうか?
延命水
第四十六番札所浄瑠璃寺から第四十七番札所八坂寺(やさかじ)までは約1キロ。入り口の橋や本堂の欄干がきれいな朱色なので、納経所の女性に「京都の八坂神社のような感じですが、八坂神社と関係があります?」とつまらない質問をすると、きっぱりと「関係ありません」と。 (注:八坂寺の名の由来;建設時に八つの道を切り開いたことによるそうです。)
境内に極楽の道と地獄の道があり、中の極楽図と地獄絵を見ましたが、後者は見たくない図で、見た後で後悔しました。
第四十七番札所八坂寺から第四十八番札所西林寺(さいりんじ)までは約5キロ。八坂寺から1キロ行ったところに四国遍路の元祖衛門三郎を祀った文殊院徳盛寺がありました。ここに衛門三郎が住んでいたそうで、彼の生涯を物語る新しいみかげ石のレリーフが並んでいました。この近く衛門三郎の亡くなった8人の子供を祀った八塚があると聞いたのですが、それは見つけれませんでした。
西林寺の山門
西林寺の山門の仁王像がすごい迫力なので、金網を通してどうにかして雰囲気だけどもと、写真を一枚(目つきを見てください)。
西林寺の境内
西林寺の本尊十一面観音菩薩
白い萩の花
西林寺の福寿地蔵
西林寺の庭が立派なので眺めながら、水遣りをしている大柄の男性、真庭さん(仮名)に「久万高原町役場にバスで戻りたいのですが、ここから一番近い33号線沿いのバス停にタクシーで行きたいのですが・・・」と聞くと、「少し待ち、わしが帰りに連れて行ってあげよう」と。真庭さんは運転をしながら、「西林寺の住職は10数年前に亡くなったので、サツキで有名なこの寺の水遣りをずーとやっとるです。元バスの運転手をしていたんで、ここの住職さんと高野山へ近くの人をつれて毎年行ってたんですよ。わしも70過ぎて、バスツアーを止めたいと思っとるが、わしが運転して連れていかんのなら皆も行かんと言うので・・・」と困った様子。森松バス停まで送ってくれて、真庭さんは「まだ大分待ち時間があるが、乗り遅れんように早めに立っとくんよ」と、まるで息子に注意するように。
西林寺の納経所前の庭
午後6時10分のJAバスにのって、三坂峠の九十九折(つづらおり)を戻り、久万高原町に。バスはエンジンをブオンブオンと一杯にふかして怖いほど飛ばすけど、役場についたのはもう暗い7時前でした。 実に多くの人がお遍路を支えていることがだんだん解てきました。四国4県庁も遍路道を世界遺産にする運動しているようですが、拡がりはいまいちのようです。お遍路さんには、真言宗以外の宗派の人も、キリスト教徒も、自然崇拝の人もいます。(八十八ヶ所霊場で真言宗以外の寺は、天台宗4、臨済宗2、曹洞宗1、時宗1寺だそうです。) 宗教を越え、宗派を超えて、お遍路は現実に多くの人の心を癒しています。世界遺産に是非して欲しいです。
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O 第四十九番札所浄土寺からJR伊予和気へ
2007年9月9日(日)
| 第四十八番札所西林寺の納経所に行き、先週車で森松バス停まで送ったもらったお礼をいい、さらに車を置かしてくださいとずうずうしく頼み、車を山門右手の駐車場隅の桜の木の下に押し込んで出発。
第四十八番札所西林寺から第四十九番札所浄土寺(じょうどじ)までは約3キロ。畑の間を歩いていると道端に薄紫の花が沢山ならんでいました。(後で調べてみたら、メキシコ原産のヤナギバルイラソウでした。園芸種でしょう。)
ヤナギバルイラソウ
次に迎えてくれたのは見事な白いフヨウです。 「垣根越し 芙蓉の花の お接待」
白い芙蓉
突き当たりにきて、どちらに行こうかと迷っていると、右手に見えにくい角地に道標が立っていました。(ほんとうは、ここを左に行ったほうが今では近道です。)
突き当たりの角の道標
しばらく行くとピンクの夾竹桃の花が見事に咲いていました。 ピンクの夾竹桃
すぐまた道標がありました。ところが左に曲がる道がなかなかありません。多分私有地で塞いでしまったのでしょう。
浄土寺への道標
畑や静かな住宅街の中の道をを真北に進み、伊予鉄横河原線の踏切を越えると突き当たりにもう浄土寺が。左手の見事な白いサルスベリの花が山門を引き立てて。
浄土寺山門
浄土寺本堂
浄土寺の弘法大師が「まだ修行が足らん」と私に怒っているように見えます。
浄土寺の弘法大師
200円の美味しいアイスクリームを門の横のベンチに座りたべました。 アイスクリーム屋
ちんどんやのようにどらを胸の前に掛け、口から南無阿弥陀の6文字が6体の仏となって連なり出ている空也上人の布教姿の木彫は鎌倉時代の傑作として有名でどの仏像写真集でも必ず取り上げられています。京都の六波羅蜜寺以外に、ここにも一体あるとは!!!残念ながら「人手が足りないので、公開していません」と、納経所の人が。(宝の持ち腐れでは!?)この像は空也上人がここに泊まったときに自分で彫られたそうです。 [注:空也(903〜973年)は平安中期の僧で阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人と称され、民間における浄土宗の祖とも評価される。尾張国の国分寺で出家。若い頃から在俗の修行者として諸国を廻り、南無阿弥陀の名号を節をつけ歌うように唱えながらひろめて、また道・橋・寺などを造るなど社会事業も行い、東山西光寺(のち六波羅蜜寺)建立し、、70歳で死去。]
空也上人立像の説明
第四十九番札所浄土寺から第五十番札所繁多寺(はんたじ)までは約2キロ。 繁多寺の山門はすっきりとして、重厚でした。
繁多寺山門
本堂の上には珍しく宝珠が載っています。
繁多寺本堂
年配の住職さんに「境内にある銅像の経興大師はどんなひとですか?」と聞くと、真言宗の振興に尽くされた京都の仁和寺出身のお坊さん覚鑁(かくばん)です」と。 (注:覚鑁[1095〜1143]は新義真言宗の始祖。諡号興教大師【こうぎょうだいし】。
興経大師像
繁多寺の境内で、主婦らしき人3〜4人がお茶やお菓子の接待をしていました。私も沢山のお菓子を頂戴。 繁多寺の山門(内側から)
第五十番札所繁多寺から第五十一番札所石手寺(いしでじ)までは約3キロ。石手寺は大きなお寺です。入り口には龍に乗った凛とした観音様が目を引きます。入り口から山門まで店屋が十数軒並ぶ回廊があり賑やか。
石手寺の入り口の観音像
伊予の城主河野家に誕生した子息が衛門三郎の再生の証として小石をにぎっていたことにちなんで石手寺と改号されたそうです。
衛門三郎像
門前のみやげ物店街のひなびた食堂ですが、うどんが美味しかったです。
五十一番食堂
仁王門は長宗我部元親の戦火をまぬがれ、国宝に指定されています。
石手寺の山門
三重の塔の前にはイラク戦争反対の立て看板があり、平和供養のため折鶴の奉納も行っています。宗教者九条の会の賛同者募集もしていました。境内には沢山の参拝者が見えます。嬉しくなります。きちんと仏の教えを説くお寺は栄るのでしょう。 イラク戦争反対の立て看板のある三重の塔
本堂の写真は2010年の1月3日のものです。参拝者の長蛇の列でした。参拝者を歓迎する垂れ幕や仏像の幟で賑やかでした。
石手寺本堂
鎮魂パコダの中にはビルマの戦争の写真や遺品が展示され、大きなパネルに犠牲になった四国の人の名前が、ぎっしり並んでいました。
鎮魂パコダ
平和万灯会のお知らせの200円のうちわには「憲法九条は仏者の悲願」と印刷してありました。
「憲法九条は仏者の悲願」と書かれたうちわ
石手寺から道後温泉に向かう途中、お母さんと女の子がの乗った小型の車が歩いてる私の横に止まり、小学校5年生だという子が「お接待です」といって、飲み物やお菓子や地図の入った袋を窓から差し出してくれました。その中の手書きの地図が、複雑な道後温泉町を抜けJR伊予和気に行く道を見事に教えてくれました。あまりに親切に役に立つ情報が載った地図に感心。家に帰って早速お礼の手紙を書きました。湯築小学校と学年と苗字しか解りませんでしたが、学校宛に。(後で、この小学5年生の女の子から、石手寺のお守りの入って手紙が来ました。)
小学校5年生の手書きの地図の一部
っこの地図のおかげで、国道でなく、山の中、畑の中を通り、景色のいい近道をJR伊予和気まで歩き、後は電車で鷹子(たかのこ)駅へ、そしてタクシーで西林寺へ。今年の気候は異常で、まだ残暑厳しいけど、多くの人に励まされて元気に遍路できました。
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P 第五十二番札所太山寺から第五十三番札所円明寺まで
2007年9月30日(日)
| JR伊予和気駅から第五十二番札所太山寺(たいさんじ)までは約3キロ。6時すぎ車を太山寺の駐車場に停めて、先回の巡礼の終点JR伊予和気駅に戻り、そこから西のほうに太山寺に向かい、曇りだという天気予報がはずれ、雨の中菅笠とポンチョをかぶり出発です。真っ直ぐな道を真西に進みます。太山寺は大きなお寺で一の門がまず現れ、そのずっと奥に仁王門(二の門)があり、それから300メートル行ったところに山門(三の門)と本堂があります。なかなか本体の山門に辿りつけません。やっと着いた山門はなんとミツバチが巣を作っているので潜り抜けは禁止でした。
一の門(奥に小さく見えるのが仁王門)
本堂は県下で最大級で、国宝にもしていされているだけあって、堂々としています。薄暗い雨天の中灯篭の光が幻想的です。(写真がうまいでしょう!?)
太山寺本堂
本堂ではご本尊十一面観音菩薩が公開されていました。写真禁止とも書いてなかったので、写真を撮りましたが、優しく威厳のある顔なのですが、写真が暗く小さくて解りづらいので残念。後ろの黒い扉の中には、6人の朝廷の勅願による十一面観音菩薩が安置されているようです。いずれも国宝だと。
太山寺本尊十一面観音菩薩
第五十二番札所太山寺から第五十三番札所円明寺(えんみょうじ)までは約3キロ。今度は同じ道を東に向かい円明寺へ。天井近くに4メートルの左甚五郎作の龍の彫り物があるというのですが、暗くてよくわかりません。御本尊阿弥陀如来の像もよく見えません。先達の話を聞いて、見ようとした団体の参拝者も「見えない」、「解らない」と口々に言っていました。
左甚五郎作の龍の彫り物(多分隙間に見えるもの)
団体客の先達さんが「これはおびんずるさんのぞうです。なぜ必ずお堂の外に座っているのか解りますか?」・・・「おびんずるさんは釈迦の弟子16羅漢の一人で、釈尊に神通力をもてあそんだと呵責(かしゃく)されてしまいました。それで、お堂の外で衆生の健康を祈願させられています。おびんずる様の身体の一部をなでて、自分もなでるとご利益があるといわれています」と。
おびんずる様
第五十三番札所円明寺から第五十四番札所延命寺(えんめいじ)までは約38km。途中の道は国道や小さな集落の海岸沿いの歩道や堤防の上。海岸沿いの歩道や堤防の上を歩いたほうが気持ちがいいけど、小川にぶつかると橋のところまで戻らなければならないので、少し遠回り。見ながら楽しく歩ける立岩海水浴場などきれいな浜が多いです。立岩海水浴場の向かいは風早(かざはや)道の駅。
立岩海水浴場
菊間の町に入ると瓦屋さんが何十軒も並んでいます。遍照院という立派なお寺があり、そのこ門には仁王さんでなく鬼瓦が守護していました。
遍照院の山門
境内には高さが5〜6メートルもある美しい観世音菩薩の石像がありました。一般的に観世音菩薩像は好きですが、ここのは少し大きすぎです。
遍照院の観世音菩薩像 延命寺に一番近いJR大西駅についたのはもう4時近く。そこからJRに乗ってJR伊予和気駅に戻って、あとは車で家に戻るだけ。10時間かけてあるいた遍路道も列車に乗ればたったの40分。でも、たとえるなら遍路道はフランス料理のフルコースで列車の帰り道はインスタントラーメン。 ______________________________________ JR大西駅から延命寺まで 2007年10月25日(火) JR大西駅から第五十四番札延命寺までは約5キロ。延命寺に車を停めて、タクシーに乗りJR大西駅に戻り、前の回時間切れで歩けなかった区間を律儀に歩きだけ。暖冬のせいか、地球温暖化のせいか、今回やっと秋らしい気候で、絶好のお遍路日和。2キロほど歩いたところで、たくま饅頭の看板を見つけ、2箱買うと出来立てのを一個をお接待。昔、葬式饅頭と言っていた、懐かしの味の美味しい饅頭でした。「どうして、たくま饅頭というのですか?」に主人が「ここの地名が宅間(たくま)だからです」と。
たくま饅頭本舗
______________________________________ 観音像をインターネットで購入 2007年10月5日 お遍路で廻っていると観音菩薩(観世音菩薩とも、聖観音菩薩とも、観自在菩薩とも言う)を祀(まつ)っているお寺が増えてる印象です。私も影響されて、約30cmの木造の観音菩薩像をインターネットで購入しました。右手は転法輪印(教えの印)で、左手には水瓶(すいびょう)を。台座は蓮の葉です。姿勢に変化があり、バランスがよく、大変気に入っています。今、講談社が週刊で「日本の仏像」(全50巻)という雑誌を出しています。私は関心のある号のみ選んで一冊580円で購入しています。「四国遍路の旅」(全30巻)も今発売中だそうです。(
観音菩薩の木像
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@ 第五十四番札所延命寺から第五十八番札所仙遊寺へ
2007年4月18日(水)
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朝6時半頃広島駅北口を出ると、イルカのデザインの付いた鮮やかなスカイブルーの大型バスが3台待っていました。一号車の添乗員鶴田さん(仮名:鶴のようにスマートで若い女性)がペーパーホルダーを持って立っている所に行き、「すみませんが、家内が雨なので、体力に自信がないから欠席します」と伝えて、バスに乗りこみました。車内は38名の乗客でほぼ満席。車内では鶴田さんが、納経帳を集めたり、「四国遍路のしおり」やサービスの輪袈裟(わげさ)や100枚綴りの納札を配ったりで忙しそう。その後、鶴田さんは沢山のお遍路用具の注文品も配っていました。出発前に、珍しく運転手さん自ら、バス会社の説明です。「このバスは本四交通といいます。関西汽船が経営していて、会社は尾道にあります」と。運転手さんが話をすると、なんとなく安心します。 次に先達(せんだち)紺野さん(仮名:紺色模様の日本タオルを頭に巻いている)が「遍路のしおり」や寺院の説明コピーを使いながら、遍路の作法と今日の日程を説明。「私は歩きで7回四国遍路をして、その後再々遍路さんを案内しています。お遍路さんが最近増え、毎年10〜15万人も遍路をしていますが、歩きの人はわずかで数千人にすぎません。大阪や京都発のツアーは今まで何回もありましたが、広島発は初めてです」などと。 このツアー「がんばる歩きの旅」は、今入院中の太田さん(仮名:太腹なので)が新聞の切抜きを持ってきてくれて知りました。広島市の街中のYMCAでひと月前頃説明会があったので、話を聞きに行き、その場で申し込みをしました。企画は高松市にある四国巡拝センター(http://www.junpai-center.net/)です。初回は一人6000円で、家内は夫婦割引で4000円とずいぶん割安。2回目からは一人10,800円となり、月1回のペースで企画されていて、3年後に結願(けちがん:88ヶ所終了)です。 広島駅から第五十四番札所延命寺(えんめいじ)まで車で2時間半。しまなみ街道を渡り、今治インターを降りて西のほうへ2km行って、午前9時半ごろ到着。本格的な雨の中、いつものように水屋に行き、本道で礼拝し、軒下で先達さんの後ろに濡れないようにぎゅうぎゅう詰めになって読経開始です。先達さんがまず何を言ってるのか解らない早口で前口上。読経は他の案内本より少し長く、下記の順でした。 懺悔(ざんげ)文:(我昔所造諸悪業〔がしゃしょぞうしょあくごう〕 皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち) 従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう) 一切我今皆懺悔〔いっさいがこんかいざんげ〕) 三帰(さんき):(弟子某甲〔むこう〕 尽未来際〔じんみらいさい〕 帰依仏 帰依法 帰依僧)を3回 三竟(さんきょう):(弟子某甲 尽未来際 帰依仏竟 帰依法竟 帰依僧竟)を3回 十善戒(じゅうぜんかい):(弟子某甲儘未来際(でしむこうじんみらいさい) 不殺生 不偸盗〔ちゅうとう〕 不邪淫〔じゃいん〕 不妄語〔ふもうご〕 不綺語〔ふきご〕 不悪口 不両舌 不慳貪〔けんどん〕 不瞋羔〔しんに〕 不邪見)を3回 発菩提心真言(ほつぼだいしんごん):(オンボウジ シッタ ボダハダミヤ)を3回 三摩耶真言(さんまやしんごん):(オン サンマヤ サトバン)を3回、 般若心経 光明真言:3回 本尊真言:3回 南無大師遍照金剛:3回 回向文
小さな木魚のコンコンという音に合わせ、早口で唱えるので7分ぐらいですぐ終わります。 次に大師堂の前に移動。紺野さんは「一蓮托生(いちれんたくしょう)、みんな濡れて読経しましょう」と。大師堂の屋根は小さいので、全員雨の中、「しおり」を見ながら読経するのですが、しずくがしおりに落ちてきて、ページを開きにくく、先達さんの読経についていくのが大変で、他の人ももたもたして小声です。大師堂では本尊真言は省いて、そのかわり「南無大師遍照金剛」を7回繰り返します。 今治インターチェンジから約2キロ北西に第五十四番札所延命寺があります。
延命寺仁王門
仁王門を入ると巨木の桃色のアセビ
今治城より移転された門が山門
延命寺には「近見二郎」という梵鐘があり、この鐘には地域の歴史が書かれているため、戦時中の軍事供出を免れたそうです。
梵鐘 近見二郎
延命寺の鐘突堂
延命寺本堂
第五十四番札所延命寺から第五十五番札所南光坊(なんこうぼう)は東の方へ約3.5km。畑の中にお遍路さんを元気づける道標が。
お地蔵さんの道標
大きな大谷霊園の真ん中を突き抜けます。
大谷霊園の戦死者忠霊塔
広い墓地を通り抜けると遠くに天守閣が見えました。紺野さんが、「向こうに見える天守閣は、皆さんよく今治城と間違われますが、本当はマンションです。高井城ハイツといいます」と。
姫坂神社と高井城ハイツ
ツ 別宮大山祗(べっくおおやまずみ)神社
「南光坊は元大山祗(おおやまずみ)神社の別当寺だったので、〔坊〕と呼ばれています。四国88ヶ所のなかで〔坊〕と呼ばれているのはここだけです」と紺野さんの説明。大三島に大山積(おおやまづみ)明神の法楽所として24坊が文武天皇の勅願で建てられ、そのうち8坊がこちらに移され、兵火ですべて焼失したが、南光坊のみが再建されたとのこと。山門の東西南北を守護する四天王も見事でした。特に憂いを目にした広目天が気に入りました。
四天王が守護する南光坊の山門
山門の広目天 ( 右手に筆を、左手に巻物を)
境内の句碑「来島の潟にも遊び秋遍路」
南光坊本堂
南光坊では優しい表情の智拳印(最高の悟りを意味する)を結ぶ大日如来が目に付きました。
大日如来
第五十五番札所南光坊から第五十六番札所泰山寺(たいさんじ)は西の方へ約3km。今治駅の近くの住宅街の中、車も信号も多い狭い道を歩くので大変。途中の民家の庭で、みごとな白木蓮が迎えてくれました。
ここの御本尊は延命地蔵で、延命地蔵の「十大願」の第一が女人安産(泰産)なので、泰山寺と名づけられたそうです。このお寺には山門がないのだそうです!
泰山寺本堂 私は日頃から、男性より女性のほうが「えらい、すごい、重要」と思っています。生物学的に考えても、子どもを生んだり、育てたり、看病したり、命を繋ぐという一番大切な仕事を女性がしているのですから、女性のほうが一般的に行って仏道に近い生き方をしていると感じています。肉食動物では筋力で雄(男)が威張っている種もありますが、本質的には生き物の主役は雌(女)です。神や仏を男性としている宗教が多いですが、むしろマリア様や観音様を崇(あが)めるのがいいのではと。(大仏様は男でも女でもなく中性だと聞いたことがありますが?!)
千手、馬頭、如意輪、観世音菩薩のそろい踏み
帰りの時駐車場から振り返って見れば、社務所と、大師堂の宝珠が見えました。
泰山寺遠景
第五十六番札所泰山寺(たいさんじ)から第五十七番札所栄福寺(えいふくじ)は南の方へ2.5km。ここのお寺にも山門がないのだそうです!!
栄福寺の本堂
栄福寺の本堂の前に仏足跡という、足跡が刻んである石碑があったので、その石に触り、その手で自分の膝に触りました。今野さんに「仏足跡に触って、次に自分の体に触るとご利益がありますか?」と聞くと、「仏足石は、仏教初期の頃偶像崇拝が禁じられていて、仏さんの足跡を石に刻み、その上に仏様が立っておられると想定して拝んでました。インドにある仏足石を真似て作ったのがこれで、のちの時代に仏足跡に触れれば御利益があるとされたのでしょう」と。栄福寺で仏足跡のミニチュアのついたお守りを購入。(戻って、このお守りは足を永く患っている太田さん(仮名)にプレゼントしました。)
栄福寺本堂
栄福寺仏足跡
本堂の縁側に木製の三輪車が奉納してありました。この3輪車に乗せられて きた人が歩けるようになったので、いらなくなったので奉納したのでしょう。
三輪車
第五十七番札所栄福寺から第五十八番札所仙遊寺(せんゆうじ)は南の方へ2.5km。雨天なので、どっちの方角を向いて歩いているかさっぱり解らないので、方向音痴にならないためにはコンパスは必需品です。仙遊寺は山の中で、金属の手すりを持ってかなり急な坂を登っていきます。途中こんな素敵な休憩所がありました。
休憩所(2011年11月撮影)
さらに進むと、紅葉のすばらしい池を囲んだお庭がありました。
庭園(2011年11月撮影)
最後の急なカーブを曲がると新しい立派な山門が見えました。この山門をくぐって急な階段を登ります。
仙遊寺山門
急な階段の途中に、弘法大師お加持水という札が見えました。予期せず美味しい水をいただきました。
仙遊寺の入り口では子安観音様がお迎えです。
仙遊寺の子安観音 この寺で40年間読経三昧で暮らしていた仙人が、ある日突然消えたと言う伝説にちなんで、この寺は仙遊寺と名づけられたそうです。そういえば、まわりの林がうっそうとして仙人がいそうな雰囲気です。すでに幾寺か廻り、この寺ではみんなの読経が合ってきて、大きな声になってきたのが不思議です。 仙遊寺の納経所で「四国へんろ道文化」世界遺産化の会」(設立年月日
2000年9月23日、代表世話人:小山田憲正・武田信之・塩崎満雄:事務局長 松木周二
仙遊寺本堂
仙遊寺の納経所のひとが、「本尊は京都の国立博物館の修復所で今年修理が終わったばかりなんです。火事があったとき、寺の人が背負って避難し、お堂は全部やけたのに、本尊だけはぶじだったのですよ」と言いながら、蛍光灯とろうそくをつけて見せてくれました。
第五十八番札所仙遊寺から第五十九番札所金光山国分寺(こくぶんじ)までは東のほうへ6km。まず人一人しか通れない山道に入ります。
五郎兵衛坂
五郎兵衛坂五郎兵衛坂の看板
この小さな峠を越えて、あとはずっと単調な平坦な道です。 坂を下るとすぐ禅宗らしく綺麗な禅寺の前庭がみえました。
吉祥禅寺
今日のツアーも終わりに近いので、国分寺に向かう道で紺野さんに少し質問をしました。 「四国には国分寺は4つあるのですか?」と聞くと、「はい、聖武天皇が奈良に国分寺総本山として大仏殿を建てたとき、日本各地に地方を収める目的で建てられ、四国には4つ建てられました」と。「国分寺の一番偉い人は官僚でしたかお坊さんでしたか?」と聞くと、「お坊さんでした。しかし地方を治めるという役もしていました」と。「今治にはなぜお寺が多いのですか?」と聞くと、「国分寺があって、町が栄えたからで、昔は今治がこの地方では一番栄えた町でした」と。「先達(せんだち)さんはみんな真言宗なのですか?」と聞くと、「他の宗派のひとも結構多いです。私の父の寺は日蓮宗だったので、私も日蓮宗です」と。 一緒に歩いていた中年の男性が「国分寺の屋根が見えてきましたよ」といって遠くの屋根先を指差すと、ほっとしました。
伊予国分寺入り口
伊予国分寺本堂
到着したのは5時半頃なので、もう納経は出来ません。濡れた菅笠やポンチョをバスの下のトランクに放りこんで、乗車。帰りのバスの中で、紺野さんの法話のような話。「般若心経は葬式の場でよく唱えられますが、その中に死者を弔う言葉はひとつもありません。般若心経は読経しているお坊さんの後ろに座っている人に対しての言葉で、生きる力を与えてくれる言葉です。響きがいいのでただ音読するのでもいいですが、意味を勉強するとその奥の深さが解り、もっと心に響くものとなります」と。 バスツアー巡拝の良い所はとにかく楽なことです。バスでの送り迎え、遍路道の案内、弁当の用意、遍路の作法の説明、寺院内のガイド等々。次に同行している人たちとのおしゃべり。ときどき周りの人と話をしていると、あっという間に目的地に着いてします。そしてなんといっても、先達さんの言葉はためになります。おまけに旅費が安いこと。 悪いところは、マイペースで歩けないこと。前の人の足元を見ながら歩くことが多いので、周りの景色をあまり見ないこと。足音、人声、鈴音、杖音が少し騒がしいこと。寄り道が出来なく地域の人と話しが出来ないことなどです。 一人歩きが良いか、団体ツアーが良いか、優劣はつけられません。両方したほうが良いでしょう。今日は、袖やズボンの裾がずぶ濡れになり体は冷たかったけど、良いお遍路をして欲しいという旅行会社の人と先達さんの気持ちが痛いほど解る、心温まる旅でした。
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A 第五十九番札所金光山国分寺から第六十一番札所香園寺へ
2007年5月20日(日)
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朝5時半家を車で出発。しまなみ街道を渡り、家から約170キロ、第五十九番札所金光山国分寺(こんこうさんこくぶんじ)に着いたのは、8時頃。四国には国分寺が4ヶ所あるので、土地の人は伊予の国分寺と呼んでいるようです。境内に入ると右手に等身大の御影石(みかげいし)のお大師さんが立っていて、横の立て看板に「握手をしながら、ひとつ願い事をしてください」とあったので、「良い行いができますように」を言って、冷たい手を握りました。
修行大師像
左手には小さな祠(ほこら)があり、中を覗くと思いがけなく琵琶(びわ)をかかえて小さな弁天さんが優しい表情で座っているので、写真を撮りました。 琵琶を抱えた弁天さん
第五十九番札金光山国分寺から第五十一番札所香園寺(こうおんじ)へは約18キロ。なんの変哲もない真直ぐな国道196号線を初夏のような日を浴びてひたすら南へ。湯浦インターあたりの植え込みのアカメが赤ワインンのように太陽光で見事に輝いていました。次に小さな峠を超えると、彼方に頂上に雲をいただいた連山、東から西に笹ヶ峰(ささがみね)(1860)、瓶ヶ森(かめがもり)(1896)、石鎚山(いしずちさん)(1982m)が見えてきました。頂上の雲が逃げたら写真を撮ろうと、ずっと石鎚山を見ながら歩くと、時間を忘れます。ちょうど行程の半ばで山頂が現れたので、電柱を避けて写真を一枚。山頂はのこぎりの歯のようなので、多分石槌で先に小さな突起が沢山ついたのがあるので、それに似ているからではないかなと思いながら。 石鎚山
第五十一番札所香園寺(こうおんじ)に着いたのは午後1時。本堂がこげ茶色の高さが20メートルもある大きな長方形の鉄筋コンクリートなのにはびっくり。弘法大師が難産で苦しんでいる婦人をこのお寺で見かけ、栴檀(せんだん)の香を焚いて護摩(ごま)修法されると、安産となったことが、この寺の山号(栴檀山)(せんだんさん)のもと。「栴檀は双葉より芳(かぐわ)しい」(優れた人は小さいときからその素質を持っている)ということわざを思い出しました。納経所で「子安大師(こやすだいし)」の札のついた花柄模様のかわいい鈴のお守りを5個ゲット。夕刻まで急いで帰る用が出来たので、納経所でタクシーを頼んでもらって、車を置いた国分寺に向かいました。タクシーの運転手さんが「石鎚山は見方によっては女性が横たわった姿にみえますよ」というので、後ろを振り返ってみると、見事にそのようにみえるではありませんか。また「石鎚山はいつ頃まで雪をかぶっていますか?」と聞くと、「2月頃まで雪があり綺麗です。スキー場もあります。私の会社の窓の正面に石鎚山あるんですよ。ここら人は有難いことです。」と。
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B 第六十一番札所香園寺から
2007年5月27日(日)
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36万キロ以上メーターのまわった愛車のプリウスで広島の自宅から188キロ、第六十一番札所香園寺(こうおんじ)に着いたのは朝7時半ごろ。山門がなく、入り口が分かりにくいです。
香園寺入り口道標
本堂が大きな窓の少ない黒っぽい鉄筋コンクリートなのには一瞬ギョとしました。
香園寺本堂
本堂の右の階段から二階に上ると、ご本尊大日如来と赤ちゃんを抱いた子安大師が神々しく迎えてくれました。「孫が無事生まれますように」と、爺ばかぶりを発揮して拝みました。
香園寺大日如来
大師堂(だいしどう)(ここでは、子安大師堂[こやすだいしどう]と呼んでいます)に向かい、赤ちゃんを抱いた優しい顔のお大師さんを参拝。納経所にいって、職場の人たちに人気のあった安産のお守りの小さな鈴をさらに5個購入。
香園寺の子安大師堂
香園寺の子安大師 大頭交差点経由コース 大師堂の手前に道しるべが見つかったので、西に向かう道を歩き始めました。第六十一番札所香園寺から第六十番札所横峰寺(よこみねじ)(標高約700m)まで約13キロ。国道11号線の少し南に平行に生活道路が走っています。約3キロ先の大頭(おおとう)交差点から、こんどは真南に向かいます。道路標識には大頭から横峰寺まで9.5キロと。遠くの山が黄砂のせいか黄色くかすんで見えます。しばらく行くと、林の中で6〜7人のおばさんがしゃがみこんで何かしています。近づいて「何をしておられるんですか?」と聞くと、「柿茶を作るために、柿の葉を取ってるんです。今頃の若葉が一番いいんです」と。「あとは干すんですか?」と聞くと、「茹でてから干すんです」と。「では失礼しました」と言って去ろうとすると、「お接待です」と言ってミルクコーヒー飴を3個。大頭交差点から約4キロ進むと、まさに砂漠にオアシス、 「てんとうむし」(http://homepage2.nifty.com/tentoumushi , TEL 0898-72-2601:月、火、水は休日)と看板のある素敵な喫茶店が見えてきたので、中に入ると店内になんとピカピカに磨き上げた部品もすべてオリジナルのスバル360(愛称がてんとうむし)が飾ってあります。モーニングサービスを食べながら、マスターに「私もスバル360を持ってるんですよ。息子が乗りまわしています」などと話すと、「現役で走ってるんですか。すごいですね。これはもう乗らないんで、壁も閉じてしまって、もう出れないんですよ」と苦笑い。 喫茶店てんとうむし
スバル360
車道をさらに歩き湯浪(ゆなみ)休憩所の東屋(あずまや)に着くと、見るからにスポーツマンの逞しい青年が二人休んでいて、「向こうに飲める水がありますよ」と言うので、指差すほうを見ると、山水がジャージャーと水受けに落ちているので、胃の中とペットボトルにいっぱい注ぎました。ここからは、人ひとりがやっとの細い急な坂道。「四国遍路一番の難所」と案内板にあるように、山道や石段のきついこと。なかなか足が進まず、やっと12時頃に横峰寺に到着。元は神社だったという本堂の右手に異常におどろおどろしい狛犬(こまいぬ)が見下ろしていました。
横峰寺の狛犬
横峰寺本堂
本堂横のジンジソウ:ユキノシタ科(2010年11月3日)
手水のダイモンジソウ:ユキノシタ科(2010年11月3日)
横峰寺奥の院経由の道(2010年11月3日):少し東よりのコースです。秋の草花を楽しみながらの、素晴らしいお遍路でした。
香園寺から1,5キロ、奥の院まで1キロの道標
白滝奥の院
峠の東屋
峠近くの丁石(三十二丁)
横峰寺周辺の美しい草花
ヤクシソウ:キク科オニタビラコ属
ヤマハッカ:シソ科
ヨメナ(周りの葉の広い花)とシオン(真ん中の茎の長い花):シオン属
ヒメキンミズヒキ:バラ科
ゲンノショウコ:フウロソウ科
ナギナタコウジュ:シソ科
コウヤボウキ:キク科コウヤボウキ属
アキチョウジ:シソ科
第六十番札所横峰寺から第六十三番札吉祥寺(きっしょうじ)までは約12キロ。ここら辺の札所は順不同に巡ったほうが効率的です。大師堂の左手の遍路道に入り、急なすごい葛折(つづらおり)の道を延々と八キロ下ると右手にこの日照りで干上がりぎみの黒瀬湖が見え、その湖畔の「京屋」という大食堂にばて気味でたどり着きました。黒瀬湖からの涼しい風を受けながら、食べたうどん定食の美味しいこと。暑いはず、今日は今年初めての猛暑日(最高気温が35度を超えた日)の所が多かったそうです。そこからさらに北のほうへ4キロ坂を下ると吉祥寺。境内に左手に如意玉珠(にょいぎょくじゅ)を掲げた柔和な表情の女神、吉祥天(きっしょうてん)が迎えてくれました。ここは七福神を祭った唯一の札所で毘沙門天(びしゃもんてん)が御本尊。ここではの七福神のミニチュアのついたお守りをゲット。
吉祥寺の吉祥天
六十三番札吉祥寺から第六十四番札所前神寺(まえかみじ)までは約3.5キロ。国道11号線に沿って一筋南の裏道を真東に、石鎚神社口の宮の前を通り、さらに1キロ行くと前神寺。本堂に向かう道の右手にどこかで見たことのあるような普通のおじさんのような微笑んだ大師像が立っていました。 前神寺の弘法大師
前神寺から車を置いてきた香園寺までは約6キロ。ぼつぼつ歩いて6時半ごろ駐車場につくと隅に小さなオレンジ色のテントが張ってあり、すぐ横には大きな車輪のキャリアーが置いてあり、その中から澄んだオカリナの音が流れてきました。この大きな車輪のキャリアーが荷物が多い野宿が主な遍路には楽だそうです。 運転するのに目がぼーとするので、途中洗面所で見てみると、結膜がひどく真っ赤。後で聞いたのですが、中国から黄砂と共に飛んできた大気汚染物質がこの高温で光化学スモッグを発生させたそうです。今日、運動会が光化学スモッグのせいで中止になった中学校が何校かあったそうです。「光化学スモッグのため、今日はお遍路は控えてください」などという警報が気象庁から出ないことを願います。
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C 第六十二番札所宝寿寺から伊予三島駅へ
2007年6月3日(日)
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宝寿寺の観音様 宝寿寺から前神寺までは約5キロ。前神寺(まえがみじ)はもう納経を済ましているので、車を寺の駐車場の隅において、納経所の東側に門柱のように立っている2本のイチョウの木の間を通って遍路道へ。 第六十四番札所前神寺から伊予三島(いよみしま)駅までは約40キロ。40キロというのは国道11号線を歩いた場合で、国道11号線に沿って、すぐ南側に遍路道があり、この遍路道を歩くと2割ばかり遠回りになります。橋や峠のところではどうしても国道11号線に出なくてはなりませんが、8割がたこの遍路道があります。「四国の道」とか「旧街道」とかの立派な道標(みちしるべ)が所々に立っています。 2時間ばかり歩いたところで、国道の右手に「デリカ」という喫茶店が見つかったので、モーニングサービスを注文。先客は七人。みんな定年退職をした年頃。競馬のことなど、話に花が。日曜の朝、みんな家にいても邪魔だと言われるので、ここを溜まり場にしているのかな、と。小雨が降り出したので、菅笠(すげがさ)はリュックが濡れないようにリュックに括り付け、傘を片手に歩き始めました。防水ズボンやポンチョを車のなかに置いてきて、しまったと思ったが、歩き出すと傘のほうが蒸し暑くなくて快適だということが解りました。 しばらく行くと遍路道の左側に大きなイチョウの木があり、その右側には「お遍路さん ごゆっくりどうぞ」と看板のある自由文庫の小屋があり、冷たいお茶も用意してありました。お茶を頂いて、納め札を一枚食器棚に。
2本の大イチョウ
自由文庫兼休憩所 昼が過ぎて小さな峠の前のなんとか茶屋で美味しい定食を食べ終え、コーヒーもおまけで出てきたので飲み始めると、合席の男性がタバコを吸い始めました。コーヒーを半分残して、逃げるように席を立ちました。5月31日は国際禁煙デーで、世界的に公的な施設での全面禁煙が進んでいるのに、子どもも来ている大きな食堂で禁煙でないのは残念です。 雨の中、ほとんど他のお遍路さんにも会わず、黙々と歩いていると、後ろから自転車遍路の60台中ごろの男性が声をかけてきたので、歩きながら10分ばかり雑談。「私は5年前にくも膜下出血を起こし、そのときは水鉄砲のように頭の中がシャーといいましたよ。頭を大きく開ける手術を受けたんです。」と頭の天辺の大きな傷を指差されました。「なにか、高血圧とかきっかけがありませんでしたか?」と聞くと、「私はオムロンの血圧計を扱う仕事をしているので、自分は血圧が高いことは知っていましたが降圧剤は全然飲んでいませんでした。」私が「よく自転車に乗れるようになりましたね。手足の麻痺はないのですか?」と言うと、「さらに水頭症も続発して、頭から腹腔へシャント(髄液が流れるチューブ)を入れる手術も受けたのですが、幸いたいした後遺症もないのですよ。こうして元気にお遍路できるのもみなさんのお陰と、納め札にはお世話になった皆さんに幸福がありますようにと書いているんですよ」と納め札を見せてくれました。「じゃ、気をつけて」と言って、元気に走り去る彼を、感心して見送りました。 さらに2時間歩き土居町に入ると国道の左手に木造の雰囲気のある喫茶店「喜壽庵」(きじゅあん)を見つけ一息。そこで食べたチーズタルトの美味しいこと。奥さんに「このタルトは広島のそごうで売っているモロゾフのタルトよりおいしいですよ」と言うと、「ケーキもタルトも私が作っています。広島の人にあえてうれしいです。私たちは広島の佐伯町の出身です」と。「飾ってある欄間(らんま)や木製の置物はご主人が作られたのですかと?」と聞くと「はい、主人は元木工の仕事をしていましたので木製の骨董(こっとう)家具が大好きなんですよ」と。なるほど見渡すと使われている周りの家具も全部骨董品でした。
5時ごろ、三島駅前の目印の郵便局がもう見えてもいいはずなのに、と思いながら歩いていると、「三角寺まで二里半」と刻んだ角石の上にお地蔵さんが座っていました。三島駅から三角寺までは8キロなので、あと三島駅までは2キロだと解って元気が出たが、伊予三島駅に着いたのはもう6時過ぎ。
2里半の道しるべ
次ぎの列車まで1時間近くも待ちがあります。四国のお土産にはやはり柑橘(かんきつ)類のお菓子。キオスクでみかんとゆずとすだちの餅菓子をゲット。列車に乗ったけど、特急の追越や、乗り継ぎがあり、石鎚山駅に着いたのはもう8時過ぎ。前神寺の暗い駐車場に愛車プリウスを見つけて一安心。 ほとんどの田んぼで田植えが終わり、小雨の中、整然と並ぶ可愛い黄緑の苗を見ていると心がなごみます。私は最近朝食にほかほかのご飯に生卵をかけた、今流行の「たまごかけごはん」を食べいます。学校給食に和食がもっと取り入れられ、子ども達がご飯が好きになれば、日本から田んぼが消えてしまうという心配をしなくてもよくなるのですが。 たまごかけごはん楽会 http://www.tamagokake-gohan.com/index.html
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D 伊予三島駅から第六十五番札所三角寺へ
2007年6月9日〜10日
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五日市駅からJR伊予三島駅へ 6月9日(土) 午後11時頃三島駅に着き、ベンチへ向かうとホームレスらしき中年の男性がこちらを向いてニコニコしています。「今日ここで寝たいのですが」といえば「タバコ吸わん?」と言ってタバコの箱を差し出します。「タバコはすわんです」といえば、不満そうな顔。「何処の出身ですか?」と聞けば、三島(仮名)さんは「わしは鳥取の出身。タバコは一日30本ぐらい。長距離(トラック運転手)をやっとった」と、すごいがらがらの声で。多分一日中タバコを吸っているよう。「東京は小金井へよう行った。岩手にも行った。子どもの紙パンツを運んどった」と。「少ししかお金を持っとらんが」と言いながら、ポケットから千円に足らない小銭を手のひらに載せて出して見せるので、私に恵んでくれと示唆しているのだろうと無視していると、三島さんは席を立って、すぐ戻ってくるとコーラを二本買ってきて、一本を「飲まん?」といって差し出しました。(邪推して悪かった。)ホームレスの人にお接待を受ける人は珍しいのでは?!「ゆっくりでえーけー、一緒にあるかん?」と誘えば、「『ちんば』じゃけん無理。足に金具が入いっとる。母ちゃんにも話しせにゃあかんし、一緒に行くのは無理」と。三島さんの家は近くらしいが、どうしてホームレスに?と不思議に思ったけど、深入りはせず。少し寝袋で寝て、朝四時半少し空が白んできたので、もう起きて座っている三島さんに「じゃ、また」と言って出発。 伊予三島駅から第六十五番札所三角寺まで 伊予三島(いよみしま)駅から第六十五番札所三角寺(さんかくじ)(標高約430m)まで約8キロ。三島の町には新しい大きな道が出来て、地図では登山口がさっぱりわからず、4〜5人の人に聞きながら、やっと高速道路(高松道)の南側に目印の浄水場の建物を見つけてホッほっと。山腹の道端のアジサイの花の間から見える朝やけに映える三島の町が美しいはきれい。工場の大きな3本の煙突がもう白い煙を出していました。
三島の町
三角寺につくと弘法大師が三角形の護摩壇(ごまだん)を作って秘法を行じ、その跡に造られたという「三角の池」が境内の中央に。護摩壇の跡と思える小さな島がある、造園の素敵な池でした。
「三角の池」
戻るとき山門の内側に小さな真鍮(しんちゅう)のおびんずるさんが座っていて、頭と膝がてかてかなので、わたしもその膝を撫で、その手で自分の膝も撫でました。
三角寺のおびんずる様
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