読書メモ60
あくまで個人的な感想なので、独断と偏見があると思います。
その点を留意の上でお読みください。
は私のお気に入り作品。
青文字は各著書からの引用、末尾の日付は更新日です。
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『鬼平犯科帳(15) 特別長編 雲竜剣』 池波正太郎
『アイルランド田舎物語 わたしのふるさとは牧場だった』 アリス・テイラー
『フロスト気質』 R・D・ウィングフィールド
『鬼平犯科帳(14)』 池波正太郎
アセルスタン修道士シリーズ『神の家の災い』 ポール・ドハティー
『ストックホルムのキッチン』 ジュウ・ドゥ・ポゥム
『山猫』 ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ
『鬼平犯科帳(13)』 池波正太郎
『退屈姫君 これでおしまい』 米村圭伍
『パリのエピスリーと小さなお店』 オルネ ド フォイユ(谷あきら)
『鬼平犯科帳(15) 特別長編 雲竜剣』
池波正太郎
文春文庫(1985年8月)
ISBN4-16-714235-X
【Amazon:新装版】
二晩続けて、火付盗賊改方でも腕利きの同心二名が殺害された!
鬼平の脳裏に半年前の出来事が蘇った。半年前、鬼平は恐るべき遣い手の男に襲われた。殺された同心の一人が、そのときの太刀筋に似ていたのだ。
しかも亡き師・高杉先生が、昔見せてくれた傷痕と似ていているのである。相手は雲竜剣を遣う堀本伯道といった。
しかし生きていればかなりの高齢で、とても鬼平たちを襲撃し得そうにないが、取っ掛かりはこれしかない。そこで堀本の探索に、朋友・岸井左馬之助が派遣された。
一方、密偵の平野屋源助が、昔馴染みの鍵師(合鍵作り)・助治郎が、盗ばたらきの準備をしていることを知らせてきた。
助治郎の行き先は常陸だった。そこは左馬之助が向かった、高杉先生と堀本が決闘した場所と目と鼻の先だ。これは何の符号なのか?
盗賊改方が混乱している最中、富裕の商家が兇賊に襲われた。
さらにまたしても鬼平が襲撃され、役宅の門番までもが殺害された。火付盗賊改方では与力や同心、密偵たちを総動員して厳戒態勢に。
かすかな手がかり追って、江戸と周辺各地に探索の手が放たれる。忠吾とおまさたちは、東海道をゆく。
*
いやあ、抜群に面白かった!シリーズ初の長編だけあって、作者の気合いが感じられるかのよう。何度か読み返したけれど、飽きないんだな。
鬼平シリーズ中というだけではなく、時代小説としてなかなかの傑作だと思う。
火付盗賊改方が襲撃され、しかも手掛かりが掴めない。探索の網が四方へ拡げられ、江戸を離れて与力・同心は元より密偵たちが飛び回り、大捜査網が敷かれる。
鬼平が旅に出る以外に江戸を離れての探索は珍しく、その分、これまでにない苦労が描かれている。
なにしろ電話や車のない時代のこと、連絡をとるのに一苦労。
田舎に見知らぬ人が居たら地元民に怪しまれるので、見張りもラクではない。
こうした苦労が、短編ではほとんど書かれることがないのは、ページ数の関係上だろう。こうした地道な捜査がジックリ描かれており、それがリアリティーをもたらしていると同時に、緊迫感を盛り上げている。
ともかく全編に緊迫感が漲っている。丹念に手掛かりを拾って辿っていき、それが少しずつ成果を挙げていく。今作の面白さは、こうした捜査の過程が描かれていることにあると思うのだが。
そんな中、鬼平は同心・沢田小平次に付ける密偵に、ふと伊三次の名を挙げてしまう。そして、いまはもういないことに気づいて呻く。
そして、沢田に付ける密偵選びを佐嶋に任せてしまう。これがすごくリアルで、何も言わなくても鬼平の胸の内が伝わってくる。
亡き伊三次を思ってしんみりしてしまう。
木村忠吾がなかなか出てこないと思ったら、中半から大活躍。いつもはのんきでお調子者の忠吾だが、今回は人が変わったかのよう。いやあ、忠吾(うさぎ)も一人前になったのだなあ。
そんな忠吾の代わりに、不肖の息子・辰蔵が道化役に。鬼平は辰蔵をしごいているのか、ウサ晴らししているのか。どうも後者のように思えるんだけど。
ともあれ、緊迫感の中に二人の遣り取りがあることで、ホッとひと息つけることができる。ずっと緊迫していては、読むのが疲れてしまうからね。
読者の側に立って、緩急が考えられている。さらに「ここぞ」というところでの叱咤激励が、実に的確で巧い。
作者はきっと人間観察の優れた人だったんだろうな。(2009/3/11)
『アイルランド田舎物語 わたしのふるさとは牧場だった』
アリス・テイラー
訳:高橋豊子,新宿書房(1994年2月)
ISBN4-88008-196-5
【Amazon】
原題:To School Through The Fields:An Irish Country Childhood(1988)
アイルランド南部の農家に生まれ育った作者が、子ども時代を過ごした1940年代の農村生活を描いたもの。当時の牧場の生活がよくわかる。
のどかで牧歌的な生活はどこか懐かしい。自然と共に暮らす生活は現代では失われてしまっただけに、憧れのようなものを感じてしまう。
アイルランドの歴史からすれば、おそらく作者の家庭は恵まれた方だったんじゃないかな。自分たちの土地を持っていて、自立して生活できているのだもの。
けれども実際には、アリスの家は町から5kmほど離れており、表の道路からさらに1kmほど牧場を入った場所。
水道はないので、井戸から水を汲んでこなければならず、火は暖炉やかまどで熾すしかない。
ほぼ完全に自給自足であり、出産や病気を含めた家畜・家禽の世話や乾草作り、作物の種蒔き収穫、冬に備えての保存食作りなど、季節ごとにやらなければいけないことがたくさんある。
それらを家族や親戚、近所の人たちと助け合いながらこなしていく。
いろんな意味で現代のように便利ではないけれど、そのぶん自分たちで体を動かして工夫する充足感があるようだ。
とても牧歌的なのだが、アリスの子ども時代は第二次世界大戦とその直後にあたる。しかし、戦争に関する話題はチラホラとそれらしいエピソードはあるが、前面に出てこない。
アリスの周囲は(と言うよりもアイルランドは)、戦争とはまったく無縁な様子。
どう考ええても戦中・戦後とは思えない、平和な別世界なのだ。訳者あとがきによれば、その理由はアイルランドが中立を保っていたためだという。ほほう、それは知らなかった。
テイラーの家庭で珍しい点は、父親がプロテスタントの家系で、母親がカトリックというところ。
プロテスタントとカトリックは対立しており(現在でも対立しているようだが)、イギリスにいい感情を持っていない人も登場するので、こうした宗派の異なる両親は珍しいんじゃないのかな。
父親は子どもたちに、アイルランドとイギリス双方の良さを伝えようとする。母親は熱心なカトリックなのだが、夫の宗教にはこだわっていない。
この父親、癇癪持ちなのが玉に瑕なのだが、母親(妻)はうまく対処している。妻の方がうわてなんだよね。
ともあれ、こういう両親に育てられたからこそ、偏見のないのびやかな子どもが育つのだろう。アリスの偏見のなさは、母親の影響が大きいのかな。
通常、思い出は多少は美化されるだろう。けれども子ども時代を振り返ったときに、語りたいほど良い思い出をたくさん持っているのは幸せなことだと思う。
そうした家庭を両親が築いていた、ということだろう。
生活の喜び、日々の労働は大変だけれどそこから得られる喜び、といったことを考えさせられる。
現代の方が絶対に便利で快適だ。でも、私たちが見失ってしまったものは何なのだろう。
この本は幸福感と寛ぎに満ちている。人々には逞しさとしなやかさ(なかには頑固な人もいるが)があると思う。なにより人々には、各々生活に対するポリシーがあるのだと思う。(2009/2/28)
『フロスト気質(かたぎ)』
R・D・ウィングフィールド
訳:芹澤恵,解説:荻原浩,創元推理文庫(上下巻,2008年7月)
上巻:ISBN978-4-488-29104-4
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下巻:ISBN978-4-488-29105-1
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原題:Hard Frost(1995)
ハロウィーンの夜、ゴミの山から男児の死体が発見された。行方不明の男児ボビーかと思いきや、まったく別人と判明。
死体の男の子は誰?ボビーはどこにいる?フロスト警部は休暇中だったが、マレット署長の葉巻をくすねに署に立ち寄ったがために、事件現場へ急行するはめに。
各署の幹部連中の不始末で欠員が生じ、穴埋めにアレン警部が他署に回され、フロストが休暇を返上して指揮を執ることになった。
デントン署の穴埋めには、部長刑事が警部代行を務めることになった。フロストの休暇中に赴任してきた女性の新人部長刑事リズ・モードは、虎視眈々と警部代行の座を狙う。
男たちをアゴで使うリズ・モードに、ウェルズ巡査部長とバートン刑事はご機嫌斜め。
デントン署にキャシディ部長刑事が警部代行として派遣されてきた。キャシディはかつてデントン署に勤務しており、ひき逃げで娘を亡くした。
事件を捜査したのはフロストだったが、キャシディはフロストに捜査に納得しておらず、彼を恨んでいた。だが、その事件についてフロストの口はなぜか重かった。
脅迫状が届き、犯人はボビー少年の身代金を要求してきた。犯人はずる賢く、一切の証拠を残さないため捜査は手詰まり状態。
威張り屋で手柄を独り占めようとするキャシディは、娘の件でフロストに敵意を抱いている。
リズ・モードはキャシディに対抗意識を燃やし、マレット署長は相変わらず文句ばかり。これでボビー少年を見つけられるのだろうか?
*
シリーズ第4作目。このシリーズは巻を追うごとに長くなる傾向があり、ついに上下巻という長さ。
しかも複数の事件が同時進行するので、一般的なミステリーよりは複雑な内容。登場人物が多いので、ときには「これは誰?どの事件の関係者だったっけ?」と思うこともあった。
それでもグイグイと先を読みたくさせ、ラストまで飽きさせない手腕は見事。これには訳の良さもあるだろう。
大概のシリーズ物は巻によって当たり外れがあり、4作目ともなれば息切れしそうなところだが、このシリーズは常に一定のレベルを保っている。
しかも従来の路線を踏襲しつつ、無難にまとまっているとかではなく、ハイレベルで面白い。
男児の事件の他にも、誘拐されて身代金と引き換えに開放された娘の事件が起こる。フロストの嗅覚では、この事件はとても胡散くさく、自作自演の臭いがする。
また石炭貯蔵庫から、死後何ヶ月も経った男の死体が発見された。さらには三人の子どもが殺害され、母親が行方不明という事件も発生し、デントン署はてんてこ舞い。
と事件が山積みなのだが、キャシディとリズ・モードという厄介な刑事を抱え込み、署内には不協和音が。
なにしろキャシディは威張りたがりで、手柄を独り占めにすることに専心するという嫌われて者。ホント好かない奴なのだ。
リズ・モードはキャシディに対抗意識を燃やすが、狡さという点で貫禄負けというところか。なんだかんだ言って彼女は捜査に熱心。バートン刑事なんて、初めこそ嫌っていたのに...。ちゃっかり者だよ、バートン君は。
フロストは行方不明のボビーの捜索に苦戦を強いられる。ようやく犯人を絞り込めたのだが、相手は小憎らしいほどの頭脳犯のため、決定的な証拠がない。
フロストはお得意の行き当たりバッタリの推理に、"直感"を駆使して事件を解決していく。ただし的中率は甚だアテにならない。
けれども、その直感は地道な捜査から導き出された結果と言えるだろう。いままの巻よりも地道に捜査しており、その上で犯人を絞り込んで追い詰めていく過程がシッカリ描かれているように思う。
フロストは心なしか人が良くなったようで、苦労人という感じだ。お下劣ジョークは相変わらずだけれど、それが事件の重々しさを緩和してくれる。(2009/2/19)
『鬼平犯科帳(14)』
池波正太郎
解説:常盤新平,文春文庫(1984年7月)
ISBN4-16-714233-3
【Amazon:新装版】
収録作:あごひげ三十両/尻毛の長右衛門/殿さま栄五郎/浮世の顔/五月闇/さむらい松五郎
「殿さま栄五郎」では13巻「熱海みやげの宝物」での馬蕗の利平治が再登場。密偵となった利平治の知り合いが人手を集めていた。
そこで鬼平は、誰も顔を見たことがないという"殿さま栄五郎"という盗賊になりすまして接近するのだが...。
鬼平が盗賊の仲間に入り込むのは、パターン化してきたみたい。
でも、この話の主役は利平治だろう。利平治が本物の密偵になっていく過程を書いた話とも言えるんじゃないかな。
さてさて、今回は悲しい巻だった。何がショックかと言うと「五月闇」で古参(と言っても年齢は若い)の密偵・伊左次が!
「どうして伊左次を...」と作者に伺いたいところ。シリーズ当初からのキャラクターで馴染みがあるから悲しかった。
沈鬱な話の後、一転して「さむらい松五郎」でコミカルに。2話続けてシリアスな話では重すぎから、読む側の心理を考えてのことに違いない。
明るい話なので、救われた気持ちになる。盗賊・さむらい松五郎に間違えられ、仕事を持ちかけられた木村忠吾。あの忠吾が盗賊の頭になりすます!?
どうなることやらと思ったが、伊左次の一件を経て、忠吾はシッカリしてきたみたい。(2009/2/15)
アセルスタン修道士シリーズ『神の家の災い』
ポール・ドハティー
訳:古賀弥生,解説:古山裕樹,創元推理文庫(2008年11月)
ISBN978-4-488-21904-8
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原題:Murder Most Holy(1992)
1379年6月のロンドン。シティの検死官クランストンは、双子の息子が生まれ、治安判事の地位を授かってご満悦だった。
クランストンは、幼王リチャード二世の摂政ランカスター公から、イタリアはクレモナの領主をもてなす宴に招かれた。
ランカスター公の策略により、クランストンはクレモナの領主と賭けをするはめに陥る。
4人が密室で立て続けに死んだ謎を解かなければ、大金と名声を失うばかりではない、ランカスター公に抱き込まれることになる。頼みの綱は、アセルスタン修道士が謎を解明してくれることだが...。
一方、アセルスタン修道士の教会では、改修工事が始まった。だが、祭壇の敷石の下から白骨遺体が現れた!
貧しい教会区民たちは、聖人の白骨だと言い張り、聖遺物で一儲けしようと露天商に早代わり。
遺骨に触れて病気が治ったという者まで現れ、噂を聞きつけた行商人やら詐欺師やらが押し寄せ、教会前は騒乱状態に。
アセルスタンは頭を抱え込む。白骨遺体は何者なのか?なぜ教会内に埋められていたのか?
アセルスタンが籍をおいていた修道院の院長が、彼とクランストン卿に助けを求めてきた。修道院で2人の修道士が死に、さらに1人が行方不明という異常な事態が発生したからだ。
事故か他殺か?修道院で何が起きているのだろう。アセルスタンは三つの謎に取り組む。
*
14世紀のロンドンを舞台にした歴史ミステリーのシリーズ3作目。
このシリーズ、巻を追うごとに面白くなってきている。今作ではアセルスタンは、なんと三つの謎(しかも殺人絡み)に挑戦する趣向。
謎が三つあるところがいいんだろうな。クレモナの領主の謎だけでは一冊の本にはならないだろうし。
作者は相変わらずトリックがお好きなようだが、トリックに関しては評価が分かれるかもしれない。
面白くなってきているのは、キャラクターが確立してきたからだと思う。
1作目ではどちらかというとアセルステンとクラントンも類型的で没個性的だったけれど、ここへきてそれぞれのキャラクターと役割りが確立しつつあり、人間味が出てきたように思う。
アセルスタンの教区民ベネディクタ未亡人の元に、難破した夫がフランスに拿捕されているらしいという知らせが届いた。
密かに(と思っているのは本人だけのようだが)ベネディクタに想いを寄せているアセルスタンは動揺する。
また教会前の騒ぎに癇癪を起こしたりと、これまでになく彼の感情が描写されていて、親近感とまではいかないけれど、とっつきやすくなった。
クランストンは、道化的役割りが定着してきた様子。恐妻家的態度にはおかしみがある。
妻のモード夫人が、クランストンを上手く立てつつも、ここぞというところではギュッと引き締めるところがこわいかも。なんだかリアルに感じるのだけれど、気のせいか。
面白可笑しかった場面は、白骨遺体を発見してからの教区民のドタバタ劇。
彼らは遺体を、強引に聖人に祀り上げてしまい、しかも一儲けしようと、普段は仲の悪い男たちがタッグを組んじゃうのだから。教区民のキャラクターも書き分けられてきた様子。
総じて言えば、ミステリー的な部分もよりも、人間ドラマの部分が割り下げられたので面白くなってきたということかな。
個人的には"歴史"に関わる内容をもっと盛り込んで欲しいのだけれど。(2009/1/29)
『ストックホルムのキッチン』
ジュウ・ドゥ・ポゥム
主婦の友社(2005年11月)
ISBN978-4-07-249900-9
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パリなど海外のクリエーターによるインテリアや雑貨などのを扱い、ギャラリーショップを営んでいる【ジュウ・ドゥ・ポゥム】による、クリエーションシリーズの一冊。
このシリーズではこれまでパリのアパルトマンやキッチン、アトリエなどを紹介している。
本書ではストックホルムのクリエーターのキッチンを紹介。彼らが日常使っているキッチンのインテリアやテーブルウェアなど、キッチン周りの雑貨の本。
ほとんどが写真で、読むところはあまりないのだけれど、写真を眺めるのが雑貨好きにはたまらない。
なんといってもデザイン性の高さで知られる北欧のこと、カスタマイズされたキッチンは、各々個性が表れているように思う。
インテリアもデコレーションも、雑貨の一つひとつも見逃せない。
パリのキッチンはデコラティブな感じが多かったけれど、ストックホルムのキッチンはスッキリした感じが多いような。
シンプルに見えるお宅のキッチン及びダイニングは、ポイントとなるカラーの使い方がいいように思う。カラーリングを絞って、フォーカルポイントを演出しているように思える。
カメラマンにもよるのかもしれないけれど、空気感がね、いいんですよ。
透明感があって、ゆったりとした空間のような印象を受ける。穏やかでくつろいだ感じ。
それなりに物があるのに、なぜかゴチャゴチャした感じがしないのは、なんでだろう?この透明感はどこからくるんだろう。
私はインテリアやデコレーション、雑貨を真似るよりも、この空気感を真似したい。(2009/1/24)
『山猫』
トマージ・ディ・ランペドゥーサ(ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ)
訳:小林惺,岩波文庫(2007年3月)
ISBN978-4-00-327161-2
【Amazon】
原題:IL GATTOPARDO(1958)
ヴィスコンティ監督の映画『山猫』の原作。
1861年のイタリア統一(リソルジメント)の一年前のシチリア。スペイン・ブルボン家による両シチリア王国が滅亡し、統一に揺れる1860年5月、ガリバルディ軍の上陸に動揺するシチリアの人々。
シチリアの名門貴族サリーナ公爵家の当主ドン・ファブリーツィオもシチリアの行く末を推し量る。彼は思う、どうなろうともシチリア人はシチリア人でしかなく、サリーナ家はサリーナ家でしかない、と。
ドン・ファブリーツィオは、孤児となったファルコネーリ家の甥タンクレーディの面倒を看てきた。そのお気に入りの甥は、改革派に飛び込んで行く。
タンクレーディは、ドン・ファブリーツィオの娘の一人コンチェッタに想いを寄せており、コンチェッタも彼のことを想っていた。
しかしコンチェッタの山猫(=ガットバルド。サリーナ家の紋章)的気質が、二人が親密になるのを妨げる。
タンクレーディは新興階級の娘アンジェリカと出会い、二人は婚約する。
映画ではアンジェリカが社交界デビューする舞踏会の場面で終わるが、その場面は原作では1862年11月の第6章になる。
まだ続きがあり、1883年第7章のドン・ファブリーツィオの死を経て、20年後の1910年5月の第8章、老いたサリーナ家の三姉妹のうち、コンチェッタとアンジェリカのエピソードで幕を閉じる。
イタリア統一戦争と、貴族という旧勢力と新興階級による新勢力の交代を経て、約半世紀にわたりシチリア一の名門貴族サリーナ家が滅亡へ至るまでの過程が描かれている。
*
イタリアのストレーガ賞受賞作。原著はランペドゥーサの死の直前に完成したが、紆余曲折を経て没後に出版された。邦訳はすでに河出文庫から佐藤朔の訳で刊行されているが、あちらはフランス語からの重訳なのだそうだ。
本書は初めてのイタリア語原典からの翻訳。
河出文庫版とポイントとなる箇所を読み比べてみると、本書の方が断然いい。物語が醸し出している陰影や深み、密度がかなり違うんですよ。
肝心な箇所の解釈も微妙に違う。また、河出文庫版は重訳だからか、登場人物の個性が薄まっている印象を受ける。
この作品を理解するには、岩波文庫版で読むべき。
ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ(1896−1957)は、シチリアの由緒ある名門貴族パルマ公爵家の出身。ランペドゥーサ家は、両シチリア王国で代々宰相を務めた家柄なのだそうだ。
主人公のドン・ファブリーツィオのモデルは、作者の曾祖父の公爵だと言われているという。
シチリアの名門貴族の作者が、シチリアの名門貴族を描いたところが重要。貴族、しかも名門出身でなければ書けない小説だからだ。
どれほど想像力を逞しくしたところで、現代人には決して書くことのできない作品だろう。
ヴィスコンティは見事に映画化してみせたが、彼も名門貴族出身だから、共感するところがあったろうと思われる。
映画では延々と続く舞踏会(完全版では全篇の約3分の1ほどを占める)で終わるが、原作を読んでみて、改めて舞踏会の場面にすべてを凝縮させ表現し得たヴィスコンティの手腕に感服した。
ヴィスコンティ以上に、この原作を映像化できる人はいないんじゃないかな。
ドン・ファブリーツィオは、社会情勢が激変しても、あくまでも大貴族として振舞う。自身がサリーナ家最後の名門貴族であることを自覚した上でだ。
いや、シチリア最後の名門貴族と言った方がいいかもしれない。甥のタンクレーディも娘のコンチェッタも、もはや名門貴族とは言えないからだ。
ドン・ファブリーツィオの態度は、彼が頑固というのではなくて、貴族ゆえの態度なのである。
彼は進取の気風の持ち主で、新勢力や新興階級が台頭するのを認めてはいる。だが、時に彼が嫌悪感を抱くのは、優美さに欠けるからだろう、と私は思うのだけれど。
しかし、積極的に関わりを持とうとは思っていない。なぜなら彼は貴族であり、貴族として振舞うことが彼のアンデインティティなのだろう。
サリーナ家付きのピッローネ神父は、公爵ドン・ファブリーツィオを挙げて、貴族の生態とその精神性を語ってみせる。つまり「貴族という存在は何なのか」。
こうしたところまで踏み込みんで内面から描写できるのは、貴族の作者ならではだと思う。
ついでに言えば、家具とか服装など細かい部分の描写がかなり多い。これは作者の趣味なのかもしれないが、そうしたこだわりが名門貴族を構成している要素であることがうかがえる。
映画ではヴィスコンティらしく、"滅びの美学"的なムードが濃厚だったが、原作はちょっと違う。まず、物語の陰影が豊かなのだ。
また、確かに滅び行くシチリア王国とサリーナ家の滅びの物語ではあるのだが、第7章で死を迎えた際のドン・ファブリーツィオと、8章のラスト、つまり本書のラスト一文が映画とは完全に雰囲気を異にしている。
滅びではあっても、肝心肝要な箇所では悲嘆や悲痛さ、沈鬱といった感じはなく、逆に開放感があり、不思議と晴れやかな印象さえ受ける。
「滅びによる開放」と言ったところだろうか。そこから、私は彼の生命力の鮮やかさを感じるのだが。
この印象は全篇と矛盾するものではないと思う。常時ドン・ファブリーツィオの目を通して描写される作者の死生観そのもので、たぶん作者は死から生を観ているのだろう。
起伏に富んだ展開とは言えないし、ドラスティックなところがあるわけではない。
10代、20代のときに読んでいたら退屈したんじゃないかな。ある程度の年齢になったからこそ、ドン・ファブリーツィオを理解でき、感慨深いんだろうな。
この作品は万人に受け入れられるかどうかわからないけれど、私は名作だと思う。それにはたぶん、訳の良さもあるんじゃないかな。(2009/1/19)
『鬼平犯科帳(13)』
池波正太郎
文春文庫(1984年3月)
ISBN4-16-714232-5
【Amazon:新装版】
収録作:熱海みやげの宝物/殺しの波紋/夜針の音松/墨つぼの孫八/春雪/一本眉
10巻を越えたあたりからだったろうか、体の疲れがとれないと言う鬼平のぼやきが頻繁になってきたのは。
これって作者のぼやきのように聞こえる。作者の体調とシンクロしているんだろうな。
休養のため鬼平は、妻と密偵の彦十とおまさ、小者の弁吉を連れ、熱海で一ヶ月近く湯治をする『熱海みやげの宝物』。
温泉で彦十は、昔馴染みの盗賊・馬蕗の利平治を見た。利平治は一味のために諸国を回って、目ぼしい商家や民家を探す役目の男だった。
利平治には庄八という連れがいたが、庄八は利平治が隠し持っている"宝物"を狙っていた。鬼平は盗賊の頭になりすまし、利平治に接近する。
身分を隠して熱海でのんびり湯治するのに、鬼平は飽きてしまった様子。彦十の報告にガ然元気が出てきたよう。
これには後日談があり、宝物が何なのか明らかにされる。
盗賊改メの与力・富田達五郎がはまり混んでいった泥沼『殺しの波紋』。
証拠を隠滅しようとする度に、更なる深みにはまって堕ちていく。自業自得かもしれないが、初めの罪を隠そうとしたばかりに、転げ堕ちていく富田は哀れでもある。
浪人姿で巡回する木村忠吾は、最近みつけた居酒屋『一本眉』の客に大層気に入られた。
実は一本眉の男は、殺しを嫌う本格の盗賊のお頭だった。その一本眉たちが狙っていた店が、別の盗賊たちに先を越された。
皆殺しに怒った一本眉は、一味を突き止めて畜生どもを成敗する。盗賊三ヵ条を守る本格の盗賊が、畜生働きの盗賊たちを成敗するという痛快譚。
今回は鬼平の出る幕はなく、しかも事件の真相を知る由もない。狐につままれた感じだったんじゃあ、と思うとおかしい。(2009/1/14)
『退屈姫君 これでおしまい』
米村圭伍
解説:末國善己,新潮文庫(2009年1月)
ISBN978-4-10-126539-1
【Amazon】
貧乏な風見藩二万五千石の正室・めだか姫は、懐妊した老女・諏訪の胎教の勉強に、無理矢理付き合わされるはめに。
そんなめだか姫のとこへ、実父の磐内藩五十万石の領主・西条綱道が、天下の一大事と駆け込んできた!
綱道が苦心惨憺の末に嫁入り先を取り付けた、三人の姉姫・猪鹿蝶シスターズが揃って行方不明になったという。
そこでめだか姫が、父に代わって姉たちの探索に乗り出した!
というのは口実で、実は姉たちが姿を消したのが、見たかった町人たちの菊合わせ(菊の品評会)の会場だったので、姉探しにかこつけて見物に出かける。
田沼意次のバカ息子・意知の菊を押しのけて1位になった菊は、匿名で出品された"雪見桜"だった。
西条綱道は、将軍・家治による菊合わせに雪見桜を出品しようとする。
だが、自分たちの菊で将軍と正室の歓心を得、重職の座を狙う田沼親子の陰謀が!雪見桜をめぐって、めだか姫は田沼親子と因縁の対決へ。
*
第4作目にして完結篇の文庫書き下ろしシリーズ。おなじみ忍びのお仙、一八と飛旗数馬のコンビに、榊原香奈も登場。のちに故郷に戻った香奈が選んだ伴侶は!?
あ、そうなるんだ。ふーん。
スルスルと読ませてくれるだけに、次の展開が気になってアッという間に読んでしまった。
謎解きあり、死闘ありの大江戸エンターテインメント。面白くないわけじゃないんだけど、懲りすぎ、あるいは盛り込みすぎという感じ。
前作を越えようとすると、ストーリーに凝るしかないのかな。暗号の部分は退屈だったんだけど。
説明調が多いのと、笑いがほとんどないのが残念。
また、めだか姫のアイデアがいまひとつ切れがないというか、ぶっ飛び加減がないというか。ストーリーに凝ると、めだか姫のキャラクターを生かせない感じがする。
やっぱり1作目がいちばん面白かったな。3作目からは面白くしよう、笑わせようという意図が見え見えという感じ。
つまらないわけじゃなくて、ほどほどには面白かったといったところ。(2009/1/1)
『パリのエピスリーと小さなお店』
オルネ ド フォイユ(谷あきら)
ピエ・ブックス(2008年3月)
ISBN978-4-89444-672-4
【Amazon】
サブタイルは『街角で見つけたかわいいデザイン』。
著者はアンティークショップ【オルネ ド フォイユ】のオーナー兼バイヤーでパリ在住。
"エピスリー"とはいわゆる「お惣菜屋さん」で、テイクアウトは当然ながらイートインもできるのだそうだ。
フランスの食料品店は大きく分けると、エピスリー、トゥレトゥール、シャルキュトリの3種類になるのだそうだ。
エピスリーは食料雑貨店のことで、ジャムや缶詰、惣菜の他に日曜雑貨なども扱っているという。
パリでお惣菜屋といえばトゥレトゥールのことで、テイクアウトしてすぐに食べられる惣菜が中心。
シャルキュトリはハムやソーセージ、パテ、テリーヌなど肉の加工品。その他にチーズやヨーグルトなど乳製品を扱うフロマージェリーなどがあるという。
パリにはいくつものエピスリーがあるのだそうで、その中から著者のお気に入りのお店が紹介されている。各店の目玉や、お土産向けの食品はどんな物がいいかなど、なかなか親切。
その多くはホームメイドであり、安全な食品であること、という点にこだわっているところがいい。
どれもおいしそうなんだけど、なかでも修道女のお店がいいなあ。昔ながらの手作りの食品はどれも素朴でおいしそう。
店舗の外観やディスプレイ、お惣菜のディスプレイ、ジャムのビンや缶詰などのラベルとパッケージデザインなどに焦点が当てられていて、眺めているだけで楽しい。
かわいいんですよ、特にスミレキャンディは色と形の美しい。
こうして見ると、日本のパッケージデザインは、なんというか美しくないんだな。商品を説明する広告の延長線上にあるような気がする。
もっとアーティスティックであっていいと思うんだけど。美意識をもって作ってほしいなあ。
その他に、ヨーロッパのデザインと中国の色彩がミックスされた、子ども向けりキッチュな洋服や雑貨のお店。オリジナルの凧がすごい!子どもが喜びそう。
古い文房具を扱っているお店。このお店は『パリの蚤の市』でも紹介されているけど、本書の方が特定の商品をピックアップしているため見ごたえがある。
ナチュラルテイストの雑貨屋さんも紹介されている。(2008/12/07)