Fantasy Spirit 〜 読書感想5

あくまで個人的な感想なので、独断と偏見があると思います。
その点を留意の上でお読みください。上になるほど新着更新です。
末尾の日付は更新日です。★はおすすめ作品。

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『肩胛骨は翼のなごり』 デイヴィッド・アーモンド
『まわれ!青いまほう玉』 わたりむつこ
三つの魔法3 『オレンジ党、海へ』 天沢退二郎
大魔法使いクレストマンシー『トニーノの歌う魔法』 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ★
『いたずらロバート』 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
トガリ山のぼうけん4 『空飛ぶウロロ』 いわむらかずお
『コーンウォールの聖杯』 スーザン・クーパー
『異次元を覗く家』 ウィリアム・ホープ・ホジスン
『精霊たちの庭』 マリー・ルイーゼ・カシュニッツ★
『影の王』 スーザン・クーパー

『肩胛骨は翼のなごり』 デイヴィッド・アーモンド
訳:山田順子,東京創元社(2000年9月)
ISBN4-488-01399-6 Amazon
原題:Skellig(1998)

1998年、ウィットブレット賞とカーネギー賞を受賞。
引っ越したばかりでばかりで何も片付いていない家、倒壊寸前のガレージ。 マイケルが危険だから両親に禁じられたガレージに入ると、そこには黒いスーツを着た奇妙な男がいた。 髪は蜘蛛の巣に覆われてアオバエの死骸がついている。肩胛骨には不思議な出っぱりがあった。彼は『スケリグ』と言った。 マイケルは彼に食べ物、彼の要望する27番と53番を差し入れする。
隣家の少女ミナは学校教育に否定的で、学校へ行かずに母親に勉強を教わっている。 マイケルとミナは近々撤去されるガレージから、スケリグを別の場所へ移す。元気になったスケリグはみんなで手をつなぎ、まるでダンスのようにゆっくりと回り始め、マイケルとミナは不思議な体験を共有する。 スケリグは何者なのか?
マイケルには赤ん坊の妹がいて、生死が危ぶまれていた。赤ん坊は心臓を手術することになる。マイケルの気持ちは落ち着かず、学校へ行くどころではなかった。 彼は家を改修する父親を手伝い、ミナと過ごす。ミナがスケリグに会いに行くと、彼はじきに行ってしまうと言う。どこへ...?
シルクのようになめらかで、ふわりとした質感で半透明の闇。そう、私には闇に質感があるように思うのだ。それも真っ暗闇ではない。 闇とは作中における夜の描写のことではなく、この作品を読んで私が感じた全体的なイメージのこと。生と死、と言うよりも死への不安によって降りかかる闇のことだ。 独特の闇の静謐さが、しっとりとした幸福感へ誘う。
スケリグは黒いスーツを着て、肩胛骨に奇妙な出っぱりがあり、死骸を食べるためひどい口臭がする。 獣性と聖性が同居する不可思議な存在だ。彼のような存在にこれほど奇妙な属性を持たせるのは珍しく、彼の存在感によってこの作品は成り立っていると言っていいのではなかろうか。加えて、ときには鼻持ちならないほど高慢になり、ときには慈しむようにやさしくなるミナだ。 ミナが誰よりも生命力に溢れている。
この作品はデイヴィッド・アーモンドの長編第一作であり、第一長編でのカーネギー賞の受賞は、63年に及ぶ同賞の歴史のなかでわずか5度目という。 正直に言って、独特の味わいはあるがカーネギー賞を受賞するほどなのかなあという気がしなくもない。(2002.8.14)

UP

『まわれ!青いまほう玉』 わたりむつこ
あかね書房(1994年4月)
カバー画・挿画:スズキコージ
ISBN4-251-06161-6 Amazon

青いおさな星には、ほんの短い夏しかなく、あとは雪と氷におおわれていました。 おおさむ町に生まれたぼうやは、いつも眠ってばかりいるので『うたたね』と呼ばれ、それが名前になりました。 ある年、いつもなら雪が解けて春が来るのに、どうしたわけか寒さが厳しくなるばかり。吹雪と氷に閉ざされたままです。 男たちは食糧を探して狩りに出るのですが、誰一人戻って来ません。 うたたねの父さんも狩りに出たのですが、帰って来ませんでした。
うたたねは、幼さなじみの女の子『あかほっぺ』に連れられて、魔法使いの『もんじゅ』のところへお父さんの行方を尋ねに行きました。 その帰り道、うたたねたちは吹雪に遭い、気がつくとうたたねは氷の城で、氷魔王『ヒョウヒョウ』につかまっていたのです!
ヒョウヒョウはおさな星を雪と氷で閉ざし、氷の玉にしようとしている張本人でした。 ヒョウヒョウは、唯一自分の魔力に打ち勝つことのできる、"ゆめみるひとのこ"を探して閉じ込めようとしていたのです。ゆめみるひとのこはだけが、ヒョウヒョウの魔力でも凍らないのです。 それがうたたねです。しかし、うたたねは自分の力が何なのか知りません。それよりも氷の檻から逃げることが先決です。
一方、あかほっぺは"雪小人"の『ダイヤモンド』に助けられました。彼女は地下に隠された雪小人の町へ行きます。 はたらき町やエルネギー町を過ぎて、妖精の谷へ案内されました。妖精の谷はかつて雪小人たちが地上の森や谷川で暮らしていた当時の名残りです。 あかほっぺは雪小人のダイヤモンドやトパーズたちの力を借りて、うたたね救出に向かいました!
雪小人たちの科学力で、宇宙にまで飛び出すコスモチックなファンタジィ。うたたねやあかほっぺの日本的なネーミングと、雪と氷に閉ざされたアイヌ的な世界。 どこか民話的な語りのなかに、雪小人という洋風さとSFがブレンドされた物語。
主人公のうたたねは、雪小人やヒョウヒョウの存在感に圧されていますが、うたたねの性質が柔和さや穏やかさなので、インパクトがないのは当然なのかもしれません。 インパクトがないからと言って弱いのではなく、冬を融かす春のように、力強くはないけれど確たるもの。そういう性質なのでしょう。
雪小人は、頭からつま先まで銀色の服に身を包んでいて、まるで宇宙人のよう。しかも無線機を持っていて、彼らのソリは歌に反応するんです。 科学の進歩した雪小人ですが、その正体はかつて森や谷で暮らしていた"小人"なのです。
なんといってもスズキコージの絵が物語を引き立てています。私は装填を見ただけで読みたいと思いました。 彼の絵が、ともすれば個々のイメージがバラバラのまま統制感を持てなさそうなところを、シッカリとした世界を造り上げてくれます。 民話とSFがブレンドされた独特な作風が、雪小人や氷の魔力を持つ生き物を魅力的にみせてくれるのです。(2002.8.7)

UP

三つの魔法3『オレンジ党、海へ』 天沢退二郎
筑摩書房(1983年12月)
カバー画・挿画:林マリ
8093-88051-4604

オレンジ党の元に、傷ついた吉田四郎という少年が『鳥の王』からの手紙を持って現われた。 吉田四郎は実体ではなかった。 手紙は黒い魔法から助けてほしいということだった。詳しくは後で知らせるという。少年が携えて来たもう一通の鳥博士宛ての手紙は、古い魔法側の源先生に奪われていた。 後日、道也に手紙が届く。鳥の王からだと思っていたが、手紙は鳥の王に捕まった『カモメ』という著名になっていた。一方ルリの元へ吉田四郎が鳥の王の手紙を携えて来た。鳥の王は信用できるのか? エルザたちオレンジ党は罠かもしれないと思いつつも、鳥の王のいる八ツ岡へ向う。だが鳥の王に会うことはできなかった。
ルリは夢の中で吉田少年に、鳥の王の元に導かれる。『鳥の王の宝石』を渡されるが、体へ戻れなくなってしまった。 鳥の王の宝石は『鳥の書』だという。この書を解読できるのは鳥博士=石橋博士だけだ。だが石橋博士は捕らえられてしまう。 源先生率いる『古い魔法』、『時の魔法』のオレンジ党、鳥たちに不気味に覆いつくし死をもたらす『黒い魔法』の三つ巴の闘い。 鳥の王と吉田四郎の目的とは?カモメとは?様々な勢力と思惑が入り乱れる。 時の書によると、『黒い太陽』を操るには宝石の真の持ち主である血筋の生贄が必要だという。
自然破壊への警鐘というテーマもあるだろうが、人の残酷さ、というより利己心を描いたダークなファンタジィ。 第2部『魔の沼』を読めないでいるので、ストーリーについていけないところが多かった。 様々な勢力が入り乱れるので、誰がどの魔法に属すのか判然としないのだ。複雑に入り組みすぎた感がある。 なぜ海に出るのかもわからない。これらは『魔の沼』を読んでいないためかと思われる。
シリーズのいちおうの完結巻となる。だが今作は『鳥の王の宝石(鳥の書)』の争奪戦で、宝石に関しては一件落着したが、それ以外は未解決なので不満が残る。 決してオレンジ党が優位になったわけではない。黒い魔法の影響がかなり広がっていることだし。 『古い魔法』が脱落したことで、三つの魔法のバランスが崩れてしまい、今後どうなるのかはわからないのだ。 すでに三つの魔法そのものが渾然としつつある。 いや、そもそも三つの魔法に明確な境界のないことは何度も語られているのだから、境界がより薄れたのだろう。
幾度も現実と非現実世界が交錯し、どちらが現実なのか曖昧になるところが私は好きだ。カモメの異質さもよかった。 カモメという異質な存在が鏡を通り抜けるシーンは、摩訶不思議さがあると思う。 ただ、私にはエルザの使う魔法が、ドラえもんがポケットから道具を出しているような感じがした。魔法というより便利な道具にしか思えないのだ。 西崎ふさ枝がオートバイを運転するのも理解できない。ルミたちと同じ小学6年生で、そんなに巨体なわけでもなさそうなのに。小学生の体力ではオートバイを運転できないよ。絶対無理。 私としてはファンタジィだからこそ、現実をキチッと書いてほしい。でもオートバイと書いてあるが、本当はスクーターのことなのかな。だったら小学生でも運転できるけど。

備考)『オレンジ党と黒い釜』『魔の沼』→『オレンジ党、海へ』の3部作となっている。現在はすべて絶版。(2002.7.30)
追記)2004年12月、ブッキングより復刊。Amazon

UP

大魔法使いクレストマンシー『トニーノの歌う魔法』 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ★
訳:野口絵美,徳間書店BFC(2002年3月)
カバー画・挿画:佐竹美保
ISBN4-19-861488-1 Amazon
原題:The Magicians of Caprona(1980)

イタリアの小公国カプローナでは、呪文作りの家系として名高いが、反目し合うペトロッキ家とモンターナ家。 カプローナは周辺諸国に侵略されそうになるが、なぜか両家の呪文が弱まってしまい、攻撃どころか防衛すらままならない。 魔力の源である古い「徳の力」が失われつつあるからだった。 カプローナに真の平和をもたらすためには、メロディしか伝えられていない『カプローナの天使』の歌詞を見出さなければならない。
モンターナ家を訪れたクレストマンシーは、この国が危機に瀕しているのは邪悪な大魔法使いのせいだと言い、敵の情報を収集するためにローマへと向う。 モンターナ家の末っ子トニーノは、呪文を覚えることが苦手だった。トニーノは自分が天使の歌詞をみつけるのだと夢想していた。 だが何者かに囚われてしまう。そこにはペトロッキ家の末っ子アンジェリカも囚われていた。二人は人形の大きさにされ、人形の家に閉じ込めれていたのだった。
両家の親族は、互いに相手が子どもをさらったのだといがみ合い、遂には魔法合戦を繰り広げる。 トニーノの兄パオロと、アンジェリカの姉レナータは、さらわれた二人を救出するために力を合わせた。 時を移さずカプローナが宣戦布告した。
パラレルワールドという、私たちの世界と似ているけど違う世界を舞台にした物語。 自動車もあるのだけれど馬車が使われていて、日常的に魔法が使われている世界。 この世界では、イタリアは小国に分裂し群雄割拠していて統一されていない。 ローマとフィレンツェを足したようなカプローナは、作中ではトスカーナに位置していると思われるが、この公国は作者の創作だ。 作者あとがきに、カプローナはダンテの『神曲・地獄変』からとったとある。しかしダンテ以前にすでにカプローナという土地を所有していた、という手紙をカプローナ伯爵からいただいたそうだ。
これまでのクレストマンシー・シリーズと違って、私たちのいる現実世界との接点(学校や現代的な日常の生活様式とか)はほとんどなく、中世的な異世界色が強いと思う。 この作品では国の存亡、建国の秘話にまで物語が拡がっており、主人公の子どもの心理よりはストーリー性を重視しているように感じられる。 作者独特のユーモラスさには欠けるが、作者なりにストレートに書いたファンタジィではないかと思われる。 これまでのシリーズのように、子どもの歪んだ心理を表面に出していないので、私はいちばん気にいった。
子どもの心理を書くことが悪いというのではなく、心理状態を書くならファンタジィでなくてもいいんじゃないか、と思っているわけ。 つまりファンタジィが心理を書くための"手段"のように感じられることが多かった。その点、この作品はファンタジィでしかあり得ないと思う。
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を下敷きにした、対立する両家の息子や娘たち。 ジュディ&バンチ(イギリスの伝統的な人形劇。パンチはイタリアのプルチネッラが元になっているという)。 呪文を歌で表現した魔法合戦や、天使の歌をうたう場面とその結果など、オペレッタのような雰囲気がある。(2002.7.12)

UP

『いたずらロバート』 ダイアナ・W・ジョーンズ
訳:槙朝子,ほるぷ出版(1992年5月)
カバー画・挿画:エンマ・チチェスター・クラーク
ISBN4-593-59123-6
原題:Wild Robert(1989)

少女ヘザーは両親と、ナショナル・トラスト管轄下のメイン館で暮らしている。両親は館を管理していて、連日訪れる観光客のガイドに忙しい。 観光客のせいで、ヘザーはゆっくりご飯も食べることもできないし本を読むこともできない。 館の中に居場所がなくなってしまうからだ。イライラしていたヘザーは宝物が埋もれていると伝えられる築山で、何気なく墓の下から『いたずらロバート』を呼び出してしまった!
350年ぶりに地上へ出たロバートは、かつて一族の住んでいたメイン館が、ずいぶん変わったことに驚く。 ロバートは、一族亡き後いまやメイン館の正当な後継者は自分であると主張する。そして観光客や庭師に魔法をかけて追い出した。 観光客を嫌っていたヘザーだが、ロバートのやり方にハラハラ。それに観光客が来なくなると、両親が生活費を稼ぐことが出来なくなってしまう。 ロバートを止めなければいけないが、そのためにヘザーは彼の身に起こったことを知ろうとする。
古い館、幽霊の魔法使い『いたずらロバート』、宝物というものを現代に持ち出した、コメディタッチのファンタジィ。幽霊は夜にしか現われないと思ったら大間違い。 ヘザーが呼び出してしまった幽霊ロバートは、陽の光のなかでも平気だ。しかも彼は魔法使いなのだ。ロバートというキャラクターの設定にしてから、かなりユニーク。
観光客なんていなくなってしまえと、思っていたヘザーだったが、いざ自分の願望が叶えられると物怖じしてしまう。 そしてロバートのやり方は行き過ぎだと考える。自分は何もそこまで望んでいない、と。 ロバートは青年というべき歳だが、中身は子どものまま。そんなロバートと知り合ったことで、ヘザーは自分を省みる。 最後は真面目で無難にまとまった感がある。この作品は中編なので一つひとつの事件を掘り下げたり、登場人物の個性の深みに欠けるが、長編だったらもっといろんなことを深く掘り下げることができただろう。 でも、そうしたらクレストマンシー・シリーズと似たような話になってしまうだろうなぁ。
ロバートが魔法を使うときの描写が変わっていて、空間が捻れて世界の隅に違和が生じるような感じだ。 しかも魔法は完全ではない。『クレストマンシー』や『空中の城』の両シリーズでもそうだが、作者には魔法というものは完全ではない、という自論があるように感じられる。 そして魔法は、かける者・かけられる者の"本質"と切り離せないようである。(2002.7.7)

追記)ほるぷ出版では現在絶版。2003年10月にブッキングより復刊Amazon(2004.4.12)

UP

トガレ山のぼうけん4『空飛ぶウロロ』 いわむらかずお
理論社(1993年8月)
カバー画・挿画:いわむらかずお
ISBN4-652-01234-9 Amazon

『月夜のキノコ』の続き。 今夜もトガリィじいさんのお話を聞きに、トガリネズミの子どもたちがやってきました。トガリィじいさんのお話が始まります。 夜になって眠ってしまったテントをリュックのポケットに入れて、トガリィは山道を登って行きました。 途中で道が5つに分かれて、どの道がトガリ山に続いているのかわかりません。ヤマネに聞いてもトンチンカンな答えばかり。
沢道を辿ったトガリィは、川で魚を獲って暮らすギンネズミに出会いました。トガリィはギンネズミから聞いた道を行くのですが、絶体絶命の危機に! やがてトガリィは山で迷ってしまいました。カロンカロリン、どうやらあいつも迷っているようです。 突然、木の上から声がしました。それは『ウロロ』と言いました。トガリィは道を訊ねましたが、ウロロは山道を歩かないので知りません。だって、ウロロは木の上に住んでいるのだから。
森の夜はまだまだ続きますが、道に迷ったトガリィたちの旅はラクではありません。もっともテントは眠っているのですが、大事なときにはちゃんと活躍します。 危険は他の凶暴な動物だけではなく、自然も危険に満ちています。トガリィはそれを身をもって知ります。
今作では『あいつ』が歌なんかうたったりと、ちょっぴり性格を知ることができ、案外にノンキなんじゃないのかなと思いました。 今回登場したウロロは何か悩み事を秘めているのですが、それは一体なんでしょうか。 そしてウロロは旅の仲間になるのでしょうか。ウロロが旅の仲間になったら心強いでしょうね。 ヤマネもかわいいけど、テントを頭に乗せたトガリィ、そのトガリィたちを頭に乗せたウロロの姿がかわいい。(2002.7.7)

UP

『コーンウォールの聖杯』 スーザン・クーパー
訳:武内孝夫,学習研究社(2002年5月改訂新版)
カバー画:藤原ヨウコウ,挿画:マーガレット・ギル
ISBN4-05-201629-7 Amazon
原題:Over Sea,Under Stone(1965)

ロンドンに住むドルウ一家は、メリイおじさんに招かれて夏休みをコーンウォール地方で過ごすことになった。 メリイおじさんは学者で、お母さんの父親の友人だが、誰も彼の素性を知らなかった。
一家は岬と漁港のあるトリウィシックの町にある、グレイ・ハウスで避暑を過ごす。 雨のため外に出ることのできない長男のサイモン、妹のジェイン、末っ子のバーニイの子どもたちは、グレイ・ハウス内を探検することにした。そして地図のある古文書を発見した。 子どもたちはメリイおじさんに古文書を解読してもらい、いまだ決着のつかない善と悪との戦いのこと、戦いの命運を決する鍵がアーサー王の聖杯に記されて、岬のどこかに隠されていることを知る。 地図には暗号で隠し場所が記されていた。子どもたちは暗号を解こうとする。
折りしもヨットで外遊していたミスター・ウィザースと妹のモス・ウィザースが、ドルウ夫妻に接近する。 ウィザース兄妹の目的は、子どもたちが発見した古文書にあった。だが敵はウィザース兄妹だけではなかった。 子どもたちは古文書を守り、暗号を解いて聖杯を探し出そうするが、敵に包囲されてまう。
『闇の戦い』シリーズのはじまりの物語にあたる作品。1972年に刊行され、長らく絶版だったが復刊された。
アーサー王伝説を下敷きとした善と悪の戦いの物語だが、アーサー王伝説を知らなくても楽しめる。 ただしアーサー王伝説を少しでも知らないと、メリイおじさんが何者なのか知っても意味が通じないだろう。彼の正体については伏線があるので、薄々わかってしまうのだが。 作中では善と悪が何であるかは詳しく言及されていないので、このことについては『闇の戦い』シリーズへと続く。

場所は岬や港町という外界に開かれた土地。時は夏休み。いかにも何か楽しい冒険が起こりそうな舞台設定じゃない? 私は特に背景、海に向って開かれた地形による開放感が好きだな。
極論するとこの作品は"宝探し"の冒険小説で、暗号を解いて敵味方のどちらが先に見つけ出せるかということ。 まず宝の在り処が記された古文書の争奪・攻防戦、次に宝本体の争奪戦が展開する。 宝探し!これにはワクワクさせられる。危険が多ければ多いほど、宝の魅力や執着が増すものだが、それはこの作品でも同じこと。 ともあれ、ほどよく知的好奇心と冒険心をくすぐる作品だと思う。
私はサイモンをいちばん身近に感じたが、他の子は利口すぎる。 また、三人の子どもの性格が初めは性格が書き分けられているのだが、終盤になるとみんな似たような性格に感じられる。 サイモンとバーニイの活発さと、バーニイとジェインの利発さが時々重なり合うので、ジェインの存在意義はあるのかと疑問に思う。 ジェインが慎重な性格だというのはわかるのだけれど。もっと各人の個性を明確に際立たせてほしかった。(2002.6.27)

UP

『異次元を覗く家』 ウィリアム・ホープ・ホジスン
訳・解説:団精二,ハヤカワ文庫SF(1972年5月)
ISBN4-15-010058-6 Amazon
原題:The House on the Borderland(1908)

ひとことで言えば怪奇幻想小説。アイルランドの小さなクライテン村へ釣りに出かけた私とトニスンが、森の奥の廃墟で手記を発見した。 手記は老人(現代では壮年というべき年齢)の体験記だった。 彼は村人たちから悪魔が建てたと言われる奇怪な建築様式で、不吉な噂が囁かれる館に住んでいた。 そして、この世のものとは思えない獣人が、夜な夜な深い谷底の裂け目から現れて館を襲う。老人は老犬ペッパーと応戦。 獣人たちはどこから来たのか?調べていくと谷底の裂け目は、家の地下に封印されている深淵に繋がっていた。
静寂の大海『眠りの海』で逢瀬した女性とのロマンス。だが、そのことに関する手記はところどころ失われている。 ある夜、老人に異変が起こり、彼だけが加速度的に時間を越える。時に浸蝕された愛犬ペッパーは砂塵と化して崩れ去る。 遂に老人は肉体を離れ、精身体となって那由他の時を越え、外宇宙を旅し宇宙の脈動を見る。太陽系の終末、ビックバン、そして星雲の出現、太陽の誕生から消滅期まで。
やがて肉体に戻った老人は再び獣人たちと対峙するが、新たに飼った犬は獣人たちによって、緑色の蛍光に光るシミに侵され腐敗してゆく。 老人も緑色に光るシミに腐蝕される。
第一次大戦に将校として従軍して後に戦死した、イギリスの作家ウィリアム・ホープ・ホジスン(1875−1918)による怪奇幻想SF。ちなみに小谷真理によると誕生年が1877年になっている。 この作品はホジスンとほぼ同時代のアメリカの怪奇幻想小説家ラヴクラフト(1890−1937)の作品共々、怪奇幻想小説の古典と言われる。人智の及ばない宇宙的規模の(怪奇)現象及び獣人に襲われるという点で、ラヴクラフトの影響が濃厚だ。
作品の内容と書かれた時代から察するに、ホジスンはアインシュタインを知ってはいたかもしれないが、量子力学を知っていたとは思えない。仮に知っていても理解していたとは思えない。 現代科学で考えると辻褄が合わないと思うが、それでも当時の科学知識をもってして宇宙の誕生と消滅を創造したことで、単なる幻想小説を越えている。 後半は殆ど宇宙の描写に充てられ、怪奇的な部分よりも、宇宙的的規模の想像力がこの作品の凄さだろう。 科学にとらわれず、想像力をフルに発揮する。これは与えられる科学に慢心した現代人及び現代の作家にはないことだと思う。 もっとも宇宙の描写を面白いと思うかどうかは意見の分かれるところ。
『眠りの海』の女性や小球の中の顔とか、太古から存在するような奇怪な館は誰が何のために建てたのか。他にもかなり説明不足な箇所が多いので、そこは想像力で補わなければなるまい。 獣人とは何なのか、ということも説明されていない。しかし人間の肢体を持ち、闇に爛々と輝く緑の眼の凶暴な獣人の顔とは!おかしいけれど、あまりにも容易に想像しやすいから恐いのかもしれない。(2002.6.16)

追記:長らく絶版状態だったが、2004年3月に同文庫から復刊。

UP

『精霊たちの庭』 M・L・カシュニッツ★
訳:前川道介,ハヤカワ文庫FT(1980年12月)
カバー画・挿画:飯野和好
コードなし
原題:DER ALTE GARDEN(1975)

引っ越してきた9歳の男の子と8歳の女の子は、兄妹でした。二人は家の裏側にある、木々の生い茂った古い庭を、探検したくてたまりませんでした。 でも鉄条網があって入り込むことができません。春になって兄妹は庭に入り込むことができました。二人は面白半分に庭を荒らし、花の茎を折り昆虫たちをいじめ、小鳥を矢で射り、木々をナイフで傷付けました。 高い枝に掛けられている、風で奏でられるハープ『エオルスの琴』も壊してしまいました。突然嵐になって辺りが暗くなり、気がつくと子どもたちは多くの小動物や昆虫、木と花の精に取り囲まれて、庭を荒らした罪によって裁判にかけられます。 痛めつけられて重症を負った小動物と昆虫と花たちは、子どもを死刑に処しようとします。
でもブナの木の婦人は子どもたちを哀れんで、条件付きで執行猶予を与えました。 太陽が昇るまでに『地の母』をみつけ、『海の父』のところへ行き、『太陽の歌』を聴くことができ、『風の塔』でお客になることができたら、処罰されずに釈放されるでしょう、と。

子どもたちは四大元素の精霊の手を借りて旅に出ます。まずは姿をとても小さくされました。 これから目差す場所は人間の大きさのままでは行けないところだし、人間の大きな目では、旅の途中で出会うものを見ることができないからでした。 まずは地の底へと向います。途中で球根おばさんと出会い、トガリネズミに捕まりようよう逃げ出し、春のお芝居を観ることができました。そして生と死、やがてまた巡りくる生という命の連環を知ります。 今度は魔法の着物をきて、水のなかを旅し海へと向います。危険な漂う男から逃れ、月の花嫁になりたくて嘆き悲しみ海の娘を見ました。沈没船の周りを漂う幽霊と話し、海の父のもとを目差します。
それから翅のある着物をきて、夏の野原を旅して虹を渡りました。 兄妹は自然界に存在する様々な生と死、歓喜と悲哀を潜り抜けていきます。夏が過ぎ秋が過ぎ、やがて季節は冬になりました。
ドイツの詩人・作家マリー・ルイーゼ・カシュニッツ(1901−1974)による、生命の尊さを説いたメルヘン。 作者は詩人として高名なだけあって、特に絵画(童画)的な描写力に優れています。どの場面も美しい!できれば挿画付きで読みたい本。 あとがきによると第二次世界大戦の最中に書かれ、彼女の死後35年が経って発見された作品なのだそうです。 戦争当時だったら発禁の憂き目にあっただろう、と思われる箇所が多々あります。
いかにもドイツの小説らしく、ともすれば鼻につくほど教育(教訓)的でありながら、観念的で神秘的な自然観によってお話は展開します。 甘いだけのメルヘン、ひたすら空想的な小説ではなく、ときには幼い兄妹に対して残酷なほどの、(観念的な)現実が描かれているのです。もっとも救いはあるのですが。
この作品の自然観を訳者あとがきから引用すると、哲学といえば、これも昔からドイツ人の間には、自然界のさまざまな形態や出来事には深い意味がある。 つまり自然はひとつの精神の力によって生気を与えられているという凡神論的な自然哲学の流れが存在します。(P258〜259) いわばドイツ・ロマン派ですね。ドイツ人独特の自然観は、他のキリスト教国にはみられないものだと思います。東洋人にはなじみやすいでしょう。 そういったことはともかくとして、童画的な美しさを堪能したい本です。私は球根おばさんが好き。娘ではなくておばさんなのが、球根という形にビッタリだと思う。

備考)現在は絶版。(2002.5.25)
追記)2004年5月、同学社から田尻三千夫訳『古い庭園     メルヒェン』Amazonとして刊行。

UP

『影の王』 スーザン・クーパー
訳:井辻明美,偕成社(2002年3月)
カバー画・挿画:小西英子
ISBN4-03-631510-2 Amazon
原題:KING OF SHADOWS(1999)

四半世紀前のシェイクスピア当時のままに復元された新グローブ座で、初演当時と同じようにシェイクスピア劇を公演するため、監督のアービーによって、アメリカ全土から少年俳優たちが選ばれた。 ナットもその一人で、『真夏の夜の夢』の妖精パックを演じることになっている。 いよいよ劇団員たちは、ロンドンへ乗り込む。リハーサルの後、ホームステイ先に戻ったナットは具合が悪くなってしまう。
翌朝目が覚めると、ナットがいたのは16世紀のロンドンだった。 ナットは、この時代に存在している同名のナットという少年と入れ替わったらしい。 この時代のナットは、完成されたばかりのグローブ座での『真夏の夜の夢』のパック役のために、聖ポール少年劇団から借りられて来たのだと知る。 頭が混乱したままナットは、崇拝するシェイクスピアと出会う。
ナットは生活の違いに途惑い、同じ舞台に立つ少年ローパーにいじわるをされながらも、シェイクスピアとバーベッジ親方の元で稽古に励む。 シェイクスピアは温かく見守っていた。まるでナットが心の奥底に封じている痛みを知っているかのように。 ナットはシェイクスピアに惹かれて、いつまでもこの時代に留まりたいと願う。 やがて初演の日がやってきた。いよいよ舞台の幕が上がる。そして...。
いわば現代から16世紀へのタイムスリップ小説なのだが、なぜタイムスリップするのかがポイントなのだろう。何をするかではなく"なぜ"か。 その点において作者は想像の余地を残しているが、この作品はSFではなくやはりファンタジィなのだと思われる。
実は舞台の後から本題に入り、心に深い傷を負ったナットが、やがて人は何かを失うことはないのだと知る。 ナットがそんな想いに至るのは、シェイクスピアへの崇拝・愛情ゆえだろう。 ナットを通じて作者のシェイクスピアへの想い入れは伝わるのだが、シェイクスピアがあまりにも理想化されているので私は好きではない。 シェイクスピアの作品には明らかに人種的偏見があり、それを彼は舞台を通して人々に広げたのだから、私としては作者のように理想化することができないのだ。 だから作者の想い入れが理解し難かったし、ナットが無条件に神の如く崇拝するのも理解し難い。
16世紀のパックの衣装(と言うにはちょっと違うのだが)が、いかにもパックらしくて、当時の異教趣味が表われていると思う。この衣装の視覚的効果は幻想的でなかなかよかった。(2002.5.11)

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