常陸国久慈郡 田中内村の地名・字名考
天保年間、常陸国久慈郡大橋村と田中内村(いずれも現日立市)とは合併して大和田村となります。新しい村名には、大橋の大と田中内の田を和をもってつなぐ、そうした意味があるといいます。この田中内村の地名・字名の由来について、江戸時代に田中内村の大内勘衛門が検討を加えている古文書を大和田町大内家文書の中に見つけました。ここに紹介します。この記事が書かれた時期は文化年間と思われます。
凡例
- 漢字に続く( )には、その漢字の脇にふってある読み仮名を示した
- [ ]は見せ消ちの部分
- □は判読不明の文字
- 適宜、読点「 、」を編者においてふした
地名考
- 一 田中内村と往古より書来候所、元禄六酉九月源義公様大内勘衛門殿方へ被為 成、詩歌之御會被為 在候砌、田中内の内の字中の字に改候様被 仰出、夫より已来田中中村書改候、□然往古より称田河内(タナカウチ)と云、田中中と書とも、称はタナカウチ[本元の称と]方言と知るへし
字名考
- 一 高内(タカウチ) 本字田河内(タカウチ)也、我か居地名也 御検地帳を考うに削リ直して書改候と見ゆる、□宮等考ふへし
- 一 荒ち 本字新地(アラチ)也 □衛門より西、六衛門南は新兵衛庄二郎等迄也 此考[宿並訓て居余り西之方]あらたに開ひて居する故新地云也、今西新地と云
- 一 穴田 水を持さる無水の田故穴田と云
- 一 [万ケ内(マンカウチ)]満江内 如字、後世万ケ内と書は誤也
- 一 辰町 堅に町並の如に地割せし地なる故云、本字堅町
- 一 諏訪河原 一名□から 又一名すけから、両名共略語なり 諏訪明神の旧跡也福田氏理左衛門爰に住し諏訪明神を氏神とす
- 一 七石
- 一 いかつち 一作雷ち 雷神の祭りし跡有り、往古雷落たるをあると見いたり
- 一 てくる保内 本字出来る穂内古へより熟地也
- 一 あかふち前 本字勿河内(アカウチ)前 其地江に添ふ故、あの川内の前と云事也
- 一 あらく 一作荒く本字新呉(アラク)也、新に土呉返して開発と云心也
- 一 笠井田[栖(カサ)いた] 栖カサト云訓未考、木扁西ノ字スミカノ訓アリ、栖誤也、依て後世笠井田と書ものか
- 一 屋し内前 家居せし地にて屋敷内前の略語也
- 一 十二所 茂宮鎮守十二所明神の社地に続故云也
- 一 犬飼 古犬追□物の平均せし場所也
- 一 田島 如字田中の畠、如島
- 一 和尚塚 何某の僧を葬りし塚有り
- 一 道場内(チ) 僧の住せる地なる故云
- 一 町田 字の如し
- 一 細谷 字の如し
- 一 下宿 古への往還にて道の左右に家居せし故下宿と云
- 一 かに屋敷 此地古へ川の流れ跡にてかになんと多く住候故云、寛永の後開け地なり
- 一 本宮 [元]本宮権現の社地にて、今の神官黒沢山城先祖も爰に住せしと云
- 一 五升塚 本宮の地に隣ありて小塚有り、今の世の供養塚のたくひなり、元五段に築しと見ゆ、升の字にノホルと云訓□有てしるへし
- 一 新橋川へり 一作新橋川はた、寛永の後開発せし、今の新橋の地名よるもの也
- 一 あらや [本家]新家(アラヤ) 宿並の内字也、[あらちの次□也]東辰巳の方今東新地是也、武衛門、十衛門、茂次衛門、太次衛門、又左衛門、喜衛門、弥衛門等迄あらやと云