柴田方庵
号を方庵、実名は昌敦。寛政12年常陸国多賀郡会瀬村に柴田伝左衛門の次男として生まれる。14歳の時江戸に出て、医学と儒学を学ぶ。天保2年長崎に出て西洋医学を学ぶ。以後長崎で開業し、牛痘種痘の普及に力を尽くす。安政3年10月長崎で没する。
参考
- 瀬谷義彦「柴田方庵のこと 上・中・下」『郷土ひたち』32〜34号
- 柴田勇一郎『柴田方庵貼雑帖』
- 『水戸市史』中巻3
柴田方庵の日記(日録)は、「西征日記」を含めると全部で7冊あり、いずれも原本は武田薬品杏雨書屋が所蔵している。
日録撮要は江戸から長崎へ向かう直前から長崎で没する1年前まで日記の抄録である。
「日録一」にその存在が示唆されている「日録首巻」は「西征日記」(『柴田方庵関連史料』に収録)であることは間違いないだろう。
日立市郷土博物館発行の方庵の日記の翻刻本の構成は、次のとおりである。
- 日録撮要 … 天保2年4月16日–安政2年4月1日
- 日録一 …… 弘化2年正月–弘化5年9月
- 日録二 …… 嘉永元年10月–嘉永3年6月
- 日録三 …… 嘉永3年7月–嘉永4年12月
- 日録四 …… 嘉永5年正月–嘉永7年9月
- 日録五 …… 安政元年10月–安政3年6月
- 柴田方庵関連史料
- 西征日記 …… 天保2年5月7日–弘化2年正月7日
- 書式雑記 …… 方庵の診断書の控 … 原本は長崎県立長崎図書館蔵
- 知識人名録 … 方庵の知人録 … 原本は武田薬品杏雨書屋所蔵
- 方庵雑話 …… 水戸藩士鈴木重時が江戸で方庵に長崎の様子や海外事情を聞き取ったもの
… 原本は東京国立博物館所蔵
- 西征日記 …… 天保2年5月7日–弘化2年正月7日
*それぞれに解題を付す
ビスケットと方庵
柴田方庵がよく知られているとすれば、それは社団法人全国ビスケット協会が定めている「ビスケットの日」に関連してのことである。同会は2月28日をビスケットの日としている。なぜこの日なのだろうか。
柴田方庵は水戸藩から長崎での外国情報の入手を依頼されていた。そのなかのひとつが「パン・ビスコイト」の製法であった。「ビスコイト」とはポルトガル語(biscoito)で、ビスケットのことである。方庵はその製法書を仕立て、安政2年(1855)2月28日(もちろん陰暦)に水戸藩士萩信之助宛書き送ったことが「日録」にある。これをもってビスケットの日としているのである。
柴田方庵は長崎を訪れた水戸藩役人萩信之助から安政元年11月に「船(汽船)製造之書」の入手と「パン・ビスコイト製造之事くわしく稽古いたし、書取ヲ以て江戸へ申遣わ」すよう依頼されていた。翌2年2月23日、方庵は「水戸より御軍用ニ相成候ニ付」オランダ商人へ「パン・ビスコイト両方稽古」に行った。翌24・25日にも弟子良庵を派遣している。そして28日に萩宛に製法書を送ったのである。以上は「日録五」にある。
ちなみに、「パンの日」は毎月12日で、江川太郎左衛門がパン焼き窯を作り、「1842年4月12日」に「兵糧パン」第1号を焼いたことにちなんでいるという。