弓道のルーツを考えてみませんか?

「礼記―学記篇」の篇末に曰く「三王(禹王・湯王・文王)の川を祭るや、皆、河を先にして海を後にす。或いは源、或いは委なり。此れを之れ本を務むと謂う」。

学ぶ者は常に源(みなもと=ルーツ)を大切にする態度が必要なことは言うまでもありません。


私たちが日常何気なしに使っている、白木の弓や硬い帽子のゆがけ、麦粒や竹林形の矢のような弓具や、正射正中を意図する射法・射術はいろいろなヒントを含んでいます。

このような弓具や射法・射術は何時頃から使い始められ、完成されたのでしょうか?


今から約400年前江戸時代初期(慶長十一年・西暦1606年)に、京都の三十三間堂の縁上で、浅岡平兵衛(竹林坊如成の門人)という武士が「掲額」を目的とした「通し矢」を始めたと言われています。
それから僅々80年の後に、120メーターの距離、5メーターの弾道制限、24時間の時間制限の中で、紀州藩士和佐大八郎(射法訓―吉見順正の門人)は、惣矢数13、053射の内、8,133射を射通すという偉業を成し遂げました。


その80年の間に従来、戦闘用に考案されていた弓具や射術・射法は、換言すればアウトドア用からインドア用へと大きな変化を遂げたのです。
この時期に日本の弓は世界でも類を見ない「弓返り」や「骨法・十文字」を重視する射法の完成を見、単なる武術から一転してその高度な射術に加えて、中国古来の漢学の倫理観「道」を思想の根幹とした、「武射」から「文射」へ「弓道」としての道を歩み始めたと言っても過言ではないと思います。


戦争の無い江戸時代の約三百年間「弓道」は徳川武士たちに護られて、平和と共存して来ました。
明治・大正・昭和と時代も大きく移って、「弓道」を標榜する母体は現在の「全弓連」となり、弓道人にとって必携の弓道教本第一巻の巻頭に、「礼記射義」「射法訓」が掲げられたのも、先人から後輩への重要なメッセージと言えます。


近年、九十歳、百歳の弓人がどんどん増えています。何故なら日本伝統文化の薫り高い「弓道」を行うことにより身心が癒され、長寿が保たれるからなのではないでしょうか。
「君子は争はず・争はば射か」。ミヤタは「弓道」こそ平和を実践する為の最適な「器=道具」の一つだと確信しています。


物質資源や伝統工芸を正確に伝えられる人的資源には限りがあります。
世界に誇り得る、後世に伝えるべき「弓道」にとって何が大切か。
その一点こそミヤタが先人からの啓蒙によって、FRP(Fiberglass Reinforced Plastic)日本弓を創始するに際してのルーツでした。



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