薄野は明治4年、当時の判官により開拓労働者の”足止め策”として薄野遊郭を置いたのが始まりで、その開拓を支えた遊郭の娼妓達を供養し、更にはその陰にある水子と現代の水子(見ず子)の霊を慰める目的で建立された。 薄野遊郭は「東京楼・昇月楼・山川楼・高砂楼・長谷川楼・岡田楼」と数多くあつた。石垣に楼の名が彫ってある。 この地は洋画家「三岸好太郎」の生誕の地でもある1903年(明治36年)。右下は現在(2000年)の玉宝寺。