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南に数km離れた私鉄駅まで歩き、そこから、高架に沿って伸びる古いアーケード街に踏み込む。狭い路地両側にゴチャゴチャと小さな店舗が連なるさまは、正真正銘のアジア的光景だ。熱帯のお香のような微薫が空気中に混じり、耳に入ってくるコトバまでもが異国のそれに聞こえてしまう。
などと、半ば旅行者気分に浸っていたが、やっぱりここはニホン国だった。老舗商店街の『顔』的存在感を漂わせ、時代がかった昆布屋が一軒たたずんでいる。思わず足も止まった。店先に並ぶダシ昆布類に見入っていると、出てきた出てきた、奥の方から怖い顔のオヤジが‥。
ワタシの経験によれば、昆布屋の主人は、どうやら2タイプの人種に分かれるらしい。笑顔で熱く昆布を語る愛想よしと、その対極の、口を真一文字に結んだカタブツ系。現れたオヤジも、眉間に縦ジワを刻み、既に全身から「慣れ慣れしくウチの品物に近づいてくれンなよ!」の警告オーラを発している。ワタシは少々緊張した。
店頭にはズラリと昆布が並んでいる。ところがどう見ても、それぞれの上に下がる紙の、「尾札部白口」「羅臼」「利尻」「三石」などと墨書された地名と、下の商品が一致しないのだ。仕方なく、恐る恐る訊ねてみる。
「えーっと。羅臼はどれですか?」
「並んでるのは全部尾札部! 羅臼はナイ! 天然モンは不作で入らん!
ウチは 天然モンしか置かんのや」
「はは〜、そうですか」
「何に使うんや?」
一瞬、ワタシは躊躇した。正直に「味噌汁」とか「うどんのつゆ」などと答えれば、「ウチには、そんなんあらへん! ほかの店、探してや!」と叱り飛ばされそうな気がしたのだ。
「えーっと、お吸い物なんかに‥」
「それやったら、そっちのでエエ!」
彼が指差したのは、ひな壇最前列の、小切りビニルパック詰め。厚紙に黒い水彩絵の具を塗ったような、見るからにマズそうなやつ。
「あのー、ダシ取った滓を塩昆布に炊くんで‥」と、なおも抵抗を試みるが、「出涸らしなんか喰われへんで!」と軽くいなされる。
「そっち(尾札部)の昆布でも!?」
「そや!」
『ウソだろ』 ワタシは腹の中で呟いた。この行きずりの薄汚い男を、可愛い尾札部から一刻も早く遠ざけたい。顔に、そう書いてある。そのためのハッタリだろう。しかし、ここで睨み合ったってラチがあかない。一度、撤退して、作戦を練るとしよう。ワタシは無言で店を離れた。
私鉄高架下にうどん屋を見つけ、とりあえず着席。『きつね』を啜りながら考える。どうも解せないのが、あの店の価格設定だ。100g当りの値段が、1等検で1400円、2等検は1300円、3等検が1100円だった。相場からすれば、各々、300円前後の開きは出る筈だ。本当に品質を反映した値段になっているのだろうか。
もう一つ、気になる点がある。売り台に積まれた尾札部真昆布は、すべて根元から上の、幅の広い部分だった。云うまでもなく、先端に近づくにつれ、ダシの出は悪くなる。なので、専門店では1本単位で売るのが慣わしだ。確かに、「100gで1400円」は、丸ごと1枚分の価格としては妥当なセンだけど、「いいとこ取り」でこの値段だと、店の損になりはしまいか。良心的なのか。それともテキトーなのか。いくら考えても判らない。よし、これは試しに買うしかないな。
そう決意して席を立ち、レジで精算する。この店のうどん、なかなか美味かった。ダシも悪くない。しっかりした昆布を使っているのだろうか。そうだ! もしかすると、あの昆布屋の情報が得られるかも‥。一瞬迷う。が、考え直した。一見の客にあれこれ質されれば、店員だって警戒するに違いない。
昆布屋の手前で、再び、懐かしいタイの街角の匂いを嗅ぐ。なんの香りだろう。立ち止まって眺め回すと、小さな地蔵尊が目に付いた。この線香?と顔を近づけてみるが、違う。芳香は、そこから数軒先の古臭い洋服屋あたりが一番強い。奥にオバチャンの姿が見えたので、声を掛けて中に入り、訊ねてみる。「ウチちゃうで。こっちの(と片腕を伸ばし)呉服屋さんやわ」 店番らしき方が答え、振り返って、もう一人のオバチャンに「この前も訊かれたわー」と告げた。さすが気さくな下町商店街。客と店員の間に、敷居も垣根もない。昆布屋よ、少しは見習い給え!
教わった店は、いかにも呉服屋という風情の小洒落た構えで、見るからに『三代目若旦那』といった感じの男が中から現れた。ワタシを一瞥するや否や、「何だこいつ、何の用だ!?」という目になったが、来意を伝えると「それでしたら、今、焚いているのはこちらでございます」と、途端にあきんどの顔に変わった。そして店頭に出て、置かれた小箱の一つを指し示した。なるほど、お香も扱っているのだ。
その和風デザインの外装に、『これがあの香りの元?』と首を傾げていると、ご主人が囁くように云う。「よく出るのは、その隣りの方ですが‥」 見れば、そっちの方が高い。店では安い品を焚き、客にはさり気なく高い商品を勧める。はは〜ん。先ほどから何となく、ソフィスティケーテッドされた『押し』を感じていたが、その、ぼんぼん風の外見も演出の一つ? 買い手を、それとは気付かせずに従わせるための‥。
そう勘繰ると気分が楽になった。彼の攻勢をかわしつつ、それぞれの香の特徴を聞き出し、コストパフォーマンスも勘案。結局、ワタシを誘ったエスニック調の、そして値段も一番安い箱を買う。包装やレジ袋を断ったら、「それなら」と笑顔で消費税分をサービスしてくれた。恐らく、彼も一連の遣り取りを楽しんだのだろう。
この予定外のショッピングで、本日の出費は予算を超過。懸案の買い物の方は断念し、ちょうど店先に出てきたオヤジと目を合わせつつ、昆布屋の前を素通りする。