『野宿野郎』

400円

06年01月27日夜

 久々に、文教関係に出費する。文学的タイトルを冠されてはいるが、これは小説ではない。副題の「人生をより低迷させる旅コミ誌」というコピーが暗示する通り、ライフスタイル指南書の一つである。
 この日、某グループの集会に参加、顔を出した2次会で同誌を手にする。タイトルから、「アサハラみたいな奴が作ってンだろう」と勝手に思っていたら、目の前の、若いチャーミングな女性の手作りミニコミ誌だと云う。驚いた。内容も、ダンボール生活の手引書ではなく、主義としての野宿実践者(自称、ノジュラー)たちによる体験レポートが中心である。
 それにしても、ネーミングのセンスが良い。「レッツ野宿!」などと安易に横文字に走らず、カチッと四文字熟語でキメつつ、さりげなくメッセージを発している。『野宿』には冒し難い独特の響きがあるが、そのあとに続く単語の選択が秀逸だ。これが「新宿野郎」でも「野宿警察」でも、私は財布を取り出さなかった。
 ところで、念のために云っておくと、野宿生活は私のベクトルではない。それどころか、むしろ屋根派であり、私の引き篭もり症候群も、年々、深刻になっている。次の角を曲がったところで、青空生活が笑顔で待っているかも知れないビンボー人にとって、屋根はイトオシい存在なのだ。一夜でも長く、その下に居たいではないか。そして路頭に迷う身になっても、ダンボールハウスではなく、せめて赤い屋根がハッピーな、大型犬用の犬小屋くらいには住みたいと思う。
 私の見たところ、ニホン人は屋根に対する愛が足りないようだ。ここ数年、オフィスビルなどの屋上緑化が叫ばれているが、なぜヒトビトは、我が頭上の斜面を農園にしないのか。段々畑でもよいし、棚田でも構わない。いちいち水を運び上げるのが大変だ、というのなら、家をブチ抜いて井戸を掘ればよい。一角にコンポストトイレを設ければ、わざわざ肥料に金を払わずとも済む。耐荷重に余力のある建物なら、鶏や牛を飼うことも夢ではない。屋根に上がって夕食のオカズを摘み、秋になれば一束ずつカマで稲を刈り取る。農作業の合い間に隣り近所で声を掛け合い、1日の終わりには足元の屋根に感謝の祈りを捧げる。恐らくそれは、ミレーの『晩鐘』のように、美しく慈愛に満ちた光景に違いない。
 私は断言する。目指すなら、屋根菜園での野宿に限る。それは、冷え切ったコンクリやアスファルトの上より、遥かに心温まる世界に違いない。