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この「クロック」は時計ではなく、タイ語で叩き鉢(石臼)のこと。これに、サーク(叩き棒)が付いてワンセット。ナンビッ・パオなどを作るのに欠かせない道具で、タイの家庭には必ず一つはある。かつて日本の主婦連は、大きなしゃもじのプラカードを掲げてデモを行った。タイに主婦連があれば、クロックのハリボテを神輿にして行進するのではないか。クロックを持たぬ私は、日本では小さな乳鉢で代用していた。しかし、耳掻きがマゴの手の替わりにならないのと同様、恐ろしく効率が悪くてイライラさせられる。いつかは本物が欲しい、とかねがね思っていたのだ。こういった道具は、国内のエスニック雑貨屋でも殆ど置いていない。目方が重く輸送費がかかる割には、そんなに高値で売れる品でもない。店としても敬遠したいのだろう。
猛暑の中、ラチャニ先生にくっついて市場へ出掛ける。台所の必需品だから、雑貨屋の店頭には必ず置かれている。1軒目の店先に、チェンマイでもよく目にしたタイプが大小ズラリと並んでいた。しかし先生は、「これは良くないよ。厚みがあり過ぎて重い」と素通り。2軒目で、「ほら、これ」と声を上げた。見ると、それほど肉厚がなく、しかも使いやすそうな形をしている。私は一目で惚れた。各サイズある中で、手頃なのは下から2番目か3番目の大きさだろうか。ただ、これを日本まで運ぶことも考えねばならない。なにしろ石のカタマリだから、そこそこのサイズでもギックリ腰になりそうに重いのだ。先生のアドバイスもあり、結局、一番小さなものを選ぶ。一人暮らしだし、激辛のナンピッ・パオをタイ人並みに多量消費したりもしない。この大きさで、充分こと足りる。
そうと決まると、ラチャニ先生はすぐさま値段交渉に入った。先生は相当の美人なのだけれど、見れば顔は般若のそれに変わっている。そして、「三百何バーツ」の言い値に対し、200バーツから始め、あっさり220バーツで落着。それは、「折り合いがついた」と云うより、先生の迫力に店のオヤジが早々に折れた、といった感じだった。主婦のパワーはバンコク共通だ。
重いクロックは店に預けたまま、八百屋や魚屋を廻る。今夜は、先生が手料理をご馳走して下さるという。その材料の買い出しである。それにしても、ローカル市場の探訪は面白い。魚屋では、売り台の上の大きなタライに入ったナマズやウナギの他に、通路に置かれたタライの中でも、ちっぽけなウナギやカメが動いている。料理によって大小を使い分けるのだろうか。と思ったら、チビの方は、お寺に持ってって放生会で放してやるためのものだという。「生き物を逃がして徳を積むために捕まえる」というマッチポンプ的矛盾がタイらしいが、「平和な世界を実現するため」に戦争をおっ始めるブッシュに較べれば、まだ可愛い。どっちみち、野に帰され大きくなったところで、今度は上のタライへ戻ってくるのだろうが。
買い込んだ食材を両手に下げ、先生の説明を聞きながら熱帯の魚や野菜の間を逍遥し、最後にクロックをピック・アップして市場から出る。陽はかなり傾いたものの、依然として外はうだるような暑さだ。