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シンプルであり、色々使い廻しが利くものほど、道具としてのステージは高い。それが私の見解だ。たとえば、ホーローの洗面器はとてもエラい。開高健が書いているように、東南アジアでは万能容器として、洗い桶、手桶、鍋、ボウル、植木鉢、魚の水槽などに活躍する。また、バテックのような布地も、衣服になり、手拭になり、日除け・砂除けになり、風呂敷になり、赤ん坊の背負子になり、体から外してカーテンとしても使える。同様の理由で、西洋のナイフ・フォークセットより、私は東洋の箸を高く評価している。2本の小枝さえあれば簡単に代用品が作れる、という点でもポイントは高い。
同じことは、火器類でも云える。カセット缶装着タイプのガストーチは名品である。焼きナスを作る、魚に焦げ目をつける、黒パンの表面をサッと炙って当座のカビを防ぐ、といった本来の用途以外にも、手に持った鍋の底に炎を当てれば空中で湯が沸くし、ゴキブリ用の火炎放射器にもなる。チリチリと触覚を焼かれただけで、もう彼らは身動きできないのだ。しかし、これがカセットコンロだったら、誰一人、そんな物を抱えてゴキブリを追い廻したいとは思うまい。
だから、鍋に較べて汎用性に欠けるやかんを、湯沸かしに特化した道具として、長らく私は蔑視していた。それゆえ、毎夜の『冬季限定・グランテトラ湯たんぽ』にも、鍋で沸かした湯をシェラカップで汲み出して注ぎ入れ、最後に鍋を傾けて、残りを流し込んでいた。机や畳の上に零れるのは、やむを得ない。
しかし、帰省した折、久方ぶりにやかんを使い、その便利さに改めて舌を巻く。いちいちフタを取らずに湯が注げるのは、感動的ですらある。鍋の場合、取ったフタの扱いに困る。物置と化した室内では、その着地場所を探すのに苦労する。ウカツに置けば、そこが濡れる。だからと云って、持ったままだと、片手しか使えない。もちろん、フタなしで使えばエネルギーが無駄になる。
帰省先からアジトに戻った私は、すぐさまホーローケトルを買ってきた。カセットコンロとのコンビも絵的に美しい。それにしても、この道具の優秀性に、もっと早く気付くべきだった。反省する。